『長浜の町』 できましたぁ!
長浜の町が完成です。
お市が遠いです!
永禄6年(1563年)
1月、三河一向一揆が勃発。
前年に本證寺に侵入した無法者を西尾城主酒井正親が捕縛したため、守護不入の特権を侵害されたとして、正月に一揆が起こったという。
本證寺第十代・空誓(蓮如の孫を自称しているが、庶子なら20×20で400~1000人ぐらい居てもおかしくない。)
「子だくさんな坊さん一家だ、蓮如の孫のありがたみなんて微塵もないと思うが……」
不入特権を主張する三河三ヶ寺と、教団の利権を解体して西三河国統一を目指す徳川家康との対立がはじまった。
「 徳…じゃない、松平元康の家臣の離反が相次いでいるらしい調べておいてくれ」
「はっ」
「それと、出来れば優秀な人材は引き抜きたい、真宗の信心は許可してよいから」
遠方ではあるが、井伊谷の近くのことなので気になるし勧誘したい武将もいる。
井伊直盛に命じ中野定清に三河の情勢を探らせる。
離反した松平の家臣を引き抜く意向を伝えた。
(別に『改宗を強制』するつもりは無い、心穏やかに信ずればそれでよいのだ、盲信がよくないのである。)
三河武士は、精強(ド貧乏人)なので良い刺激になる。
(ただし取扱注意。)
一向一揆は驚異だ、信者をいくさに駆り立てるのは本末転倒だ。
浅井は領民を慈しむが、暴徒となるような事は困る。
正しい親鸞・蓮如上人の教えを説くよう寺に要請している。
「上人は、人が生きる上での動物の殺生を原罪という形でお認めになられたが、欲望の為に人殺しするようなことは、けっしてお認めにはならない。」
「故に、武士は来世での救済を求めるべきではなく、浅井の武士は修羅に落ちる覚悟を持って、現世の領民の為に戦う者なのだ、あくまで心の問題である。」
「どうしても、救われたいのなら人を殺すな!武士をやめろ!! 一揆でも殺しをしちゃダメっ!!!」
同じく1月に和泉では、根来衆と三好軍が激突した、戦いは長期化の様相を呈した。
洛中での戦闘は、御法度である。
だからまあ、京の都は平和である。
ものすごく余談ではあるが、将軍の側近にいる京極高吉には、姉の鞠が嫁いでいない。
(たしか史実では、男子が生まれるはずだったが、この世界では無しだ)
あの狒々ジジイは、別に嫁を貰ったらしい。
浅井家より多少支援して贅沢をさせているが、実は『京極家の借金』なのだよ、ふふふ。
浅井を嵌めようとしたことは、忍者の調べで判っている。
京極家無嗣断絶、あるいは浅井からの養子受け入れの方向で追い込もうと思っている。
新年の行事もひと通り終わり、穏やかな日々が続いていた。
「まだ信長からは同盟の話はないな~」
そんな事をのんびりかんがえていた。
代わりに、懇意にしている公家の方から婚姻話が来ている。
弟の話だろうと適当に世話を任せていたら…。
確かに弟の政元にも来ていたが、どうやら本命は俺だったようだ。
(適当に生返事をしていたのが不味かった。)
協議の末、政元のところには、久我家から鞠姫(16)が来る事が内定し、来年早々輿入れしてくる事になった。
それに過剰反応した摂関家から綾姫が輿入れしてくることになった。
(おいおい、いきなり過ぎだろう?むちゃぶり?)
「8月に輿入れさせる」 と、半ば通達だ。
たかが、いち地方大名にエライ熱の入れようだ。
(お市が、さらに遠くなったなぁ。)
信長も相変わらず頑張っている。
今は、東美濃へ侵入しているが、『新加納』の戦いで斎藤竜興と戦い敗れている。
意外と竜興は強い。
(というか、信長 弱ぇ~っ)
美濃も防衛の為に、家臣が一体となってまとまり、信長を撃退しているようだ。
(もちろん半兵衛は、今や俺の家臣だからそこにはいない。)
半兵衛が活躍するより、美濃の国人全体に危機感がある分まとまっているのかも知れない。
7月、織田信長は小牧山に築城を開始した。
どうやら本腰を入れて美濃を攻略するようだ。
経済基盤の弱い東側ねらいのようだ。
尾張の兵は弱いが、まともにやり合うと継戦能力の違いでスゴク疲弊する。
こちらとしても西美濃四人衆とさらに懇意にしておこう。
敦賀の朝倉景晃が若狭の粟屋勝久攻めに父景紀と共に出陣したとの事だ。
観戦武官として磯野勝昌を送る。補給の手伝いをさせるつもりだ。
井ノ口の商人が戦災を避ける為、結構小谷城下に流れてきている。
度重なる信長の来襲に完全に見限ったものも多い。
目加田、伊勢、根来や堺、京、津島からも店が進出してきている。
俺の予定を越える程急速に商人町が形成されていく。
穴太衆を呼んで要所要所石垣を組んでいった。
見栄えにも気にして白壁・黒壁を取り入れている。
数多くの物産が集積され売られていく。
貨幣の流通規模が大きくなっている。
手元には優秀な鋳物師を呼び寄せている。
鋳物を作らせるだけでなく、極秘に貨幣の改鋳も積極的に勧めている。
なので、長浜には『良質な銭』がうなっている。
良質な銭が、商品と人と金銀財宝そして悪質な銭を呼ぶ。
鐚銭の交換レートを『相場に疎く気がつかない』とばかりに、ほんの少しだけ他所より緩く設定している。
(怪しまれるので大々的に集めたりはしない。)
したたかな堺・伊勢商人が大量の悪貨を持ち込んでくる。
『新しい町なので文句が言いにくい』という振りをして受け取らせている。
その悪銭を改鋳するところにこの計画の肝がある。
良銭を増やすことこそ経済活動を促進する一手なのだ。
しかも、これが3倍儲かる。
品物は飛ぶように売れるしウハウハだ。
税金もガッポリだ。
欲しいものも向こうからやって来る。
まさに三方良しだ。
一応、『南蛮吹き』も模索しており成果がでてきた所だ、改鋳の利鞘とあわせてさらに儲かりそうな予感がする。
7月吉日
新町もある程度形になってきたので、俺の名を取り、
『 長 浜 』 と 命名した。
新町の誕生という名目で
町と城下を結ぶ大道で、武者行列や馬比べそして小姓・稚児に仮装行列をさせ長浜の町の完成を祝った。
料理も格安で提供したし、振る舞い酒ももちろんふるまった。
噂を聞きつけ、さらに人が押し寄せてくる。
これはちょうど良い機会とばかりに、少し早いが下の弟の元服も行った。
『浅井 政之』と名乗らせる。
政元とともに俺を支えて欲しいと思う。
烏帽子親は俺がつとめた。
8月 摂関家、綾姫との挙式
さすがに恥ずかしいので、城下町の催し物を盛大にしてごまかした。
まだ新町の完成祝いの熱が冷めていないし丁度良い。
公園を設置し、屋根組だけの露天見世物小屋を作った。
そこで能を奉納したり、能を判りやすく、面白・可笑しくした歌舞伎を催すことにした。
俺がアレンジした『乙女歌舞伎』は大成功だった。
見世物としても成功したし、豪華な衣装や新作の浜縮緬を宣伝出来る。
ファッションショーと衣装の即売みたいな感じで人気は上々だ。
町民が自由に参加して踊れる特設スペースも設けた。
安全な町なので、『娘の那月』と『息子の夜叉法師』の可愛い晴れ姿のお披露目もありなのだ。
親ばかと笑うがイイ。
もちろん、小谷城にて摂関家の綾姫との挙式を厳かにおこないました。
皆が、宴会と城下の祭り騒ぎに浮かれているうちに初夜を済ませました。
いろいろキツかった。
俺もまだ18だし、セーフだセーフなんだ。
そんな流れで、1日と15日いわゆる朔と望を長浜のハレの日(祭り日、祝日)とした。
簡単な催し物をおこない人を集めるのだ。
(本当のお祝い事も、なるべく1日か15日に合わせて執り行うようにした。)
自分だけが幸せだと、野郎どもに恨まれるので、……。
治安維持の為、少し離れた場所に花街、遊郭の区画を設定しておいた。
花街がお手頃に遊べる場で、遊郭が格式をつけて金持ち商人がお大尽遊び出来る場にした。
(こういう管理もきっちりしないと、すぐに無法化するからな。)
家臣の屋敷地も新たに割り当てているので、これからも順次建設させることとする。
綾姫のお祝いにかこつけて下向してきた公家達や女房の対策、豪商と呼ばれる商人に、お茶をおいしく味わっていただこうとお茶会を開いた。
『こういうイベントは、戌亥山御殿だな」
戦国大名家の浅井家の軍議や評定、公式行事は小谷の城で国人達家老、重臣を交えておこなっている。
当主となった後、雲雀山御殿は俺のプライベートな奥座敷として、かなり拡張している。
浅井家としての政務と長政の日常の生活は、雲雀山御殿でとっている。
城下町、長浜の町の見栄えが良いので、俺の茶器がさらによく見えるようだ。
まあ、お茶菓子のおかげでお茶がおいしく感じられるらしく、菓子、菓子皿までもが、高評価を受けた。
おかげで一般用の茶器類までもがそれなりの高額で取引される。
おまけ
― 長浜の町の概要 ―
長く繁栄が続くように、また城下からびわ湖の浜まで続く長い町になるようにと、長政の長をもじって命名された。
琵琶湖に注ぐ姉川、草野川、高時川、田川の四本の川の合流部に築いた町。
天然の河川に水路、掘り割りを設け平地にもかかわらず要塞都市化されている。
浅井家当主長政は、小谷城下を拡張し国友を市域に取り込んだ。
そして琵琶湖を繋ぐ水路を巡らした交易都市を構築した。
北に控えている虎御前山を西の丸と見たてた大規模な総構えの町でもある。
この町は本来の秀吉の築いた長浜(今浜)の町よりも北東に位置している。
これは、(秀吉が浅井家の影響を嫌い距離を取ったのとは異なり、)本城小谷城の伝統と堅固な守りを残しつつ
虎御前(山麓)の館、国友(鉄砲の産地)を半ば衛星のごとく伴うように配されている。
コンクリートと穴太積みの石垣を併用している為、小田原城並の大掛かりな土木工事が可能になった。
入り江の西浜より姉川を開削し大型船の乗り入れを可能にしている。
二期工事には高時川、姉川の北側に並行して田川堀が開削された。
姉川河口には水城の長浜城が建設され軍船が係留され戦略物資が集積されている。
新たに発展した町は、『西ノ浜町』と呼称される。
後年は、堅田の頭領の猪飼氏を船方警護役として引き入れ警備に当たらせつつ、湖上の水運を活性化させている。
さて、ようやく思い通りの町が出来上がった。
さらに拡充するつもりだ。
今後は、虎御前山自体を近代城郭化する予定だ。
雲雀山御殿が山里御殿になる予定だ。
だんだん違いが出てきました。
内政は似ているようで違います!!
長政を取り巻く状況も、ずいぶん違うはずです。
次回は、『観音寺騒動』の予定です。




