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長政の軍師 竹中半兵衛 重虎参る!


半兵衛の回想の巻


竹中半兵衛重虎は、若くして才を見せたといいます。


半兵衛の足跡を、彼自身の視点でお送りいたします。




美濃の二兵衛

後にそう呼ばれる、竹中半兵衛のお話です。



天文13年(1544年)

私(半兵衛)は、美濃の斎藤道三の家臣で大野郡大御堂城城主、竹中重元の子として生まれました。


私は、人質として稲葉山城の道三様のもとへ預けられ、一時期快川和尚の指導を受けました。


弘治2年(1556年)の長良川の戦いで、竹中重元は、道三方に付いたために失却しました。

父の不在中、不破光次らに居城を攻められましたが母と弟と共にこれを撃退し、名をあげました。

当時まだ、13かぞえでした。


 その後、竹中一家は、美濃国不破郡岩手にて潜伏していました。


永禄元年(1558年)

 不破郡岩手城主・岩手弾正信冬は、西美濃の不破郡一帯を支配しました。

父は、彼が悪政をしいていたことを利用し城を攻略しました。


永禄2年(1559年)

 父は、菩提山城を築いて居城を移し、私達家族もこれに従いました。

竹中家は、家臣山田助左衛門を関ヶ原に派遣し、領主の九門太郎を討って版図を拡大しました。

その勢力は不破郡一帯に及んだのです。 (約3万石くらいか?)



 父が築いた菩提寺山城は、麓の西福(現禅幢寺)に表屋敷を構えています。

有事には、山頂の城に籠もるという、一般的な控えの山城形態でありました。

岩手氏を追った後、不破河内守が攻め寄せたが、明泉寺の防衛ライン(岩手川)で撃退しています。

実際に登ってみると、その要害ぶりが実感できます。


 標高402メートルの菩提山に1時間ほどかけて登ると、大きく開けた山頂に菩提山城があります。

南北におよそ210メートル、東西最大幅およそ60メートルの広大な敷地であり、規模の大きな城郭です。

(現在、建造物群は残っていませんが、堀切や堅堀な どの遺構を見ることが出来ます。)




そして、歴史の転換点が訪れます。


 ことは、将軍の近臣.伊勢定良が一色義龍の娘と、六角義治との婚姻を画策したことから始まりました。

婚姻自体は一度お流れになりましたが、義龍は義治と共謀します。

浅井家の躍進を危惧する父、竹中重元の献策もあり、『浅井攻め』は、間近となっておりました。


しかし、『桶狭間の激戦』にて、尾張への警戒感が高まり、一度策謀は頓挫いたしました。

ですが、それこそが擬態でした。



六角家と一色家双方が、浅井を攻めます。

六角義治殿が、浅井賢政を湖東.肥田城までおびき寄せる手筈だそうです。


その隙を突いて、一色軍が北近江に侵入します。


「欲を言えば、米原の朝妻辺りまで押し出したいが、六角とのことを考えると、まずは醒ヶ井辺りまでだな」

そう父は、私に告げました。


父は、佐和山等を六角に蹂躙させてから、あらためて漁夫の利を狙う算段でしょうか?

優秀な人なのですが、その腹黒さはちょっと引きます。




私の案も見てもらいました。

不破の関-柏原、間の隘路を確保する事が、最低限の戦略目標です。


不破の関を落とし、近江側の長久寺、妙応寺に美濃勢の拠点を作る。

柏原まで進出し、『柏原の宿』を完全に美濃の影響下におくのが、最良だと思います。


柏原-不破ルートを抑えて、浅井の軍の美濃侵攻の意図を完全に封じ込める。

竹中氏が、砦を守備する。

柏原の宿の利権を押さえ、替わりに通行許可を出す事で浅井と手打ちとする。


ここまで侵入をすれば、浅井と六角にくさびが打てます。

何も浅井家を滅ぼす必要はありません、出来れば一色家に臣従させればいいのです。


これが、私の考えです。


悪くはないが、こたびは大軍が動くゆえ、これはないな。

お前は、無欲すぎる。


却下されましたが、きちんと見てもらえて、評価も頂けました。

「無欲」というのも、褒め言葉と思いましょう。


もうすぐ実際の戦が始まります。

父も水面下で用意しております。


7月15日



 一色義龍様は、かねての予定通り肥田城の様子を見極め、出撃命令を発せられました。

西美濃へ5千の兵を派兵されました。

多少少ないのですが、残りは織田の監視にあたらせた模様です。


竹中家も既に出陣いたしました。

今回の出兵には、父、竹中重元が従軍しております。

私は、弟と一緒に菩提山城にて留守を預かっております。



 六角義治がおこした肥田城の戦いと呼応して、義龍様自らが不破の関の攻略に向かわれました。

西美濃の兵をあわせ、総勢8千、目指すは北近江です。

美濃の軍勢は、粛々と東山道を西進したことでしょう。

間者の報告を受け、手筈通りに街道を封鎖して人留めをしたそうです。

万全の体制を整え、堂々の進軍です。




 六角家2万と一色家8千 対 浅井家およそ8千です。

籠城をしない限り、浅井の負けは確定です。

お決まりの通り、小谷城に逃げ込むに違いありません。

勢力を伸ばしたとは云え、所詮はその程度でしょう。

吉報を待ちます。


同日夕刻

美濃勢は守りの薄い不破の関の砦を紙のように難なく突破した。

大軍の襲来に恐れをなし砦の兵は、逃げ去ったようです。


 しかし、山中の陣にて待ち構えていた佐和山城主磯野員昌率いる伏兵2千が一色軍を攻撃したそうです。

磯野隊は、息を潜め美濃勢を待ち構えていたのでした。


 山の隘路で側撃を受ければ、混乱します。

一色勢の進軍が停滞し統制が乱れます。

浅井軍伏兵2千と別働隊3千の計5千の兵が、斉藤軍8千を押しとどめました。


 ですが、それだけでは無かったようです。


 機動部隊3千が、がら空きの後方、西美濃西部を蹂躙したのです。

後日聞いた話では、明智光秀様が先導として1千の部隊を預かり率いていた由にございます。


「美濃に明智の旗を立てよ」

光秀様は、賢政殿にそう下知され、感涙にむせびながら「殿の恩義に報いる為、全身全霊でお仕え申さねば」

と、奮起して預かった部隊を的確に差配なさったそうです。



  その中で私は、菩提山城主の名代として菩提山城の留守を守っていました。

わずかな手勢ですが、城の守りを固め徹底抗戦の構えを示しました。

父の城です、そう易々とは渡せません!



 しかし、かたくなに拒否を貫く姿勢を示したのが功を奏したのか、囲みが解かれました。

私も正直ホッと胸をなで下ろしました。

正直、大軍で攻められれば、勝ち目はありません。

「よかった」

思わず本音が漏れました。


浅井賢政殿は、捕らえていた父、竹中重元を呼び出したそうです。

「所領安堵の書状と供に菩提山城に送り届ける」との提案を受けたそうなのですが……、


「美濃武士の誇りにかけて主君を変えることはない」と頑なに拒絶したらしいです。


「生きてて良かった!」

「やせ我慢もほどほどにした貰いたいです」

「本当にそうだね!」

話を聞いて思わず弟と愚痴を言いました。



 父は、浅井家に仕えるように再三勧められたそうですが、拒否したようです。

竹中家の者達を、おとなしく城から退去させようとしました。


 そうであれば仕方がありません、父には何か思惑があるのでしょう。

私も「父に従うまで」と臣従を拒否しました。





浅井賢政公が、直々にお越しになりました。

六尺に届く堂々とした青年武将です。


「私は律儀な重元殿、知恵者といわれる半兵衛殿、まだ若い重矩殿を手にかけたくはない」と私達父子を脅しました。


やはり、黒い方です。


「出来れば穏便に済ませたい。そもそも今回の戦は義龍殿が六角家の新当主義治殿をそそのかして浅井に仕掛けたことであって、こちらからいくさを仕掛けたわけではない」

そうおっしゃいました。


「民の平穏を守るのが領主の勤めである以上いくら自分が戦いたくなくても戦うべき時は戦うしかない」


「優秀な領主を追い出してなんの益がありましょう」


「皆様がこちらが示した誠意や譲歩が信じていただけないなら、民も信じないでしょう」


「敵を説得できないのなら遺恨が残らぬよう根絶やしにするしか解決法はありません」


「あなたたちは垂井の住民をおろかな斉藤氏に対する警告の贄として皆殺しにして良いとおっしゃるのです?」


「私はイヤですね。うんと言われるまで何度でもお話しさせていただく」


後はもう、賢政公が一方的に熱く話されました。


とても知的で理路整然と、それでいてドギツイ脅迫でした。

でも眼がとても優しかったのが印象的です。


私も、思わず『悪いのは、ごねている父だ』と思うほでした。


「……何故私たちをそれほどまで?」


「良き領主だった方には皆声を掛けていますよ、逃げてしまわれた方もいますが」


竹中家の所領を安堵し重元を菩提寺山城城主に任じること。

嫡子重虎を対美濃の相談役として、小谷に招くこと。

重矩を自分の旗本として召し抱えること。

で最終合意しました。



「気が立っていたので、三顧の礼をするのを忘れた」


「は?」


「ごめん、軍師を迎えるのに三顧の礼を忘れちゃったよ~」


これが翌日、賢政公にお会いした開口一番の言葉です。


「ははは~、殿お気遣いなく、拙者、未だタダの耳学問でして失礼いしたしました」

そう返すのが背一杯でした。

(まさか?私を軍師として迎えるために、わざわざ菩提山城まで来てくださった……。)

そう思うと、胸が熱くなりました。


私もけっこう単純ですね、すっかり殿に籠絡されたみたいです。





ともかく、浅井勢は関ヶ原・垂井・上石津・養老を完全支配下に置く事に成功したようです。

略奪暴動の一切を禁止して軍紀をあらためられました。


私は感心していた。

「すばらしい!」


「何が?」


「足軽の略奪を禁じるのは、なかなか出来ないことです」


「もう、俺の領地で、領民なんだし当たり前じゃないか」


「それが、なかなか出来ない物なんです」


「俺の兵は、普段戦わないんで戦ずれしていないからね」


とても凄いことだと思いますよ、殿。



南宮山・朝倉山の城を浅井家東部拠点とし、遠藤直経どのが城代に任命されました。


他に、揖斐川西岸一帯に睨みを利かせられるのは、竹中家だけだ。

頑張ろう!

弟にも、ハッパをかけておかなくては……。



18日戦闘終結

浅井家が杭瀬川以西を支配地とする新たな軍事境界線を、一色(斉藤)義龍と締結した。



8月5日

南宮大社は金物の神様であることから、

浅井長政様は、国友の鉄砲鍛冶師をはじめ、他多数の鍛冶師鋳物師を引き連れ南宮大社に参拝されました。

その上、横領されていた土地を取り戻しあらためて寄進されました。


スゴイです。

不破家の者が、去就に迷います。

見事な一手です。



「南宮大社の御利益を期待したいところである。まずは、近隣の国人・地侍と友好的に接する事を心がける」

そうおっしゃいました。


明智光秀・竹中父子が、美濃差配に抜擢されました。

スゴク名誉なことです。


「美濃のことは、美濃の者に任せたいが良いか?」


「「「ははっ、ありがたき幸せ!」」」


「とりあえず、まずは内政!領地の管理からね」


「はっ、承知いたしました」


「でもって、防衛!とりあえずは守りに徹するから」


「はい」


「もちろん、出来る範囲で軍備増強これ重要!!」


「はは」


「そうしながら、随時調略ね、大事な仕事だ、頼むよ」


「はあ」


「でもって、商人の便宜を図るように、宿場の整備、道の……」


「へ」


「それから…情報…」


「Orz」


まあ、助っ人は付きました。


これだけ忙しければ、父も悪事を画策出来ないでしょう。


だいたい殿(しんがり)だったなんて……死んでいてもおかしくはなかったのです。

ごねていたのもどうせ、しんがりの恩賞目当てだったのでしょう

セコいんですよ、父上!


殿には、父を助けて頂いた恩義もございます。


三顧の礼では、ございませんでしたが、充分な好意を頂きました。


私、竹中半兵衛重虎は、殿に終生忠誠を捧げる所存です。




それにしても、殿は人使いが荒いです。

今日は、経過報告に小谷城へ参上いたしました。



「よく来た半兵衛!早速相談だ、実は……」


「やれやれ、私の仕事は夜中まで終わりそうもありませぬな」

長政殿と一緒であれば、楽しい人生が過ごせそうだ。




― 半兵衛は、その言葉の通りに、終生長政に仕えたと 『長政公記』 は伝えている。 ―





ご安心ください。


こちらは、ピュアで純真な、白.軍師です。

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