『 賢政流 の 本当の戦い 』
ここから現実に戻ります。
『夢幻』は、もしかしたらあり得たかもしれないお話です。
現実は、違うのです。
6月
京にて、俺が素直に従ったので浅井家の従属を確認して安心したのだろうか?
平井家からの正室が懐妊したからか?
内政に没頭している姿から何かを見抜いたか?
それとも今川義元のあっけない最後と、氏真の不甲斐なさになにか思うことがあったのか?
六角家当主、義賢様は嫡男の義治に家督を譲って隠居し、剃髪して承禎と号してしまわれた。
をいをい、あまりにいきなりすぎてビックリした。
まだ40歳になるかならんかですよね?早すぎませんか?
確か史実では、俺が元服した後戦いをふっかけて、少数で2万5千の六角義賢さんをぶちのめしたから隠居したんだよね。(なにげに凄いでは無いか長政、完全にラッキーパンチだろうけれど。)
でもね、俺は大人しくしているよ。
信長の桶狭間みたいに戦いの詳細を覚えていたら俺もやったかも知れないけれど、あまりに博打すぎるからしなかった。
突然のことに対応が遅れそうになったが、義治の奴が当主に就任するんだからお祝いを述べないと行けないではないか。
平井の義父上がフォローして下さらんかったらぶっちこいてたぜ。
観音寺城では慌ただしく準備がなされ、7月7日義治の当主就任が行われた。
儀式の内容はまあ普通だ、たいしたことなかった。
え、なになに、誠心誠意、義治様に仕えろってか?いやだよそんなの詐欺じゃねえか。
せっかく、俺が独立して義賢様をこてんぱんに叩くのを我慢してやったのに。
ここら辺の事情はあまりよく解ってない。資料が揃ってないのか?俺が覚える気なかったのかだ。
まあ、本来であれば、いち早く独立し独自路線で行けば良いんだけれどね。
今のところ敵がいない方が内政チートしやすいんだよ。
史実の通りに独立をすすめて二正面作戦すれば、名声と練度は上がるだろうが疲弊してしまう。
肝心な場面で力不足では、信長に江南を総取りされてしまう。それでは面白くないしね。
俺は、式の後すぐさま小谷へと戻った為詳細を知らないが、義治は酒宴の席で俺と懇意にしている高野瀬肥前の守を激しく叱責したようだ。
裏切り者!不忠者!!とまで決めつけ口汚くなじったらしい。
裏でも相当圧力をかけたようだ。陰険だ。
とりあえずは、良い子ちゃんにしてようと思ってたらこれだ。
ヘタしたら義治の粛正リストの上位に俺の名前があるんじゃないか?
新たに六角家の当主となった義治は、昔から浅井を目の敵にしていた。
まあ確かに、俺と同い年だから、気になるんだろうし。俺もある意味六角生まれの六角育ちだし。
敵なら踏みつぶせば良いけれど、現在浅井家は従属しているし。
俺のが遙かにお利口で六角家でも人望があるしね。
比べられたら腐っちゃうよね。判る判る。
いきなり襲われては怖いから一応、防衛の準備をしておこう。前世の日本みたいに油断したら首チョンだ。
従属しているというのに、新当主に嫌われるなんて困ったな。
縁を出産の為に観音寺の平井屋敷に宿下がりさせようと思っていたけどヤバイ気がしたので小谷で産ませます。
義父上もフォローよろしくと伝えた。
そんな中、
新たな主君に不安を感じアホにそうそうに見切りをつけた高野瀬備前守(愛知郡肥田城主)が俺に保護を求めてきた。
「え~。」
義治にして見れば、高野瀬は浅井家に寝返った形となった。
実際には一色(斉藤)義龍と京極高吉が裏で意図を引いているらしいな、舐められたものだ。
一応、俺の存念を簡単に記して平井殿に送った。
「義治殿が一色義龍・京極に踊らされている。あいつバッカじゃねえの?」
六角義治は高野瀬備前守の寝返りに激怒し、すぐに肥田城に攻め寄せて城を囲った。
(ああそうか、本当ならここで例の戦いがあったんだな。友好的すぎてイベントの相手が変わったとか?)
7月11日
六角軍の総勢は2万で、総大将は義治、先鋒に蒲生定秀と永原重興、第2陣に楢崎壱岐守と田中治部大輔らが参陣していた。
肥田城は浅井・六角領の境界線に位置する為、俺としてもぼさ~っと放っておくわけには行かなかった。
助けないと浅井は腑抜けと天下の笑いもの、助けに行けば袋だたきでボコボコ。ははは。
笑える。しかも、さいとーさんが怪しい。
14日 小谷城評定の間にて
「この度の戦は私の本意ではないが義治の馬鹿に付き合わねばなるまい、皆の者よろしく頼む」
「では、賢政の初陣じゃ。皆、賢政の初陣を飾ってやってくれ」
「では、我らこれより出陣いたします。若もご準備くだされ」
「まあ待て。当主は俺だ。皆にちと相談がある。」
「はあ。」
「ごにょごにょごにょ、……という事で皆よろしく頼んだぞ。」
そう言って俺は軍議の席を後にした。
15日未明
六角軍は、2万の軍勢
先陣に、蒲生定秀・永原重興・進藤賢盛・池田景雄
二陣は、楢崎壱岐守・田中冶部大夫・木戸小太郎・和田玄蕃・吉田重政
後陣に、六角義治・後藤賢豊
浅井軍は、1万1千と言われていますが、そんなに軍が動かせたか謎です。およそ八千かと。
先陣に、百々内蔵助・磯野員昌・丁野若狭守
後陣は、浅井賢政・赤尾清綱・上坂正信・今村掃部助・安養寺氏秀・弓削家澄・本郷
賢政の軍
義治方は水攻めを行なう算段らしい。
「この水攻めは失敗したように見えますが…。」
物見の報告では肥田城を水攻めにしているらしい。
なるほどイヤな作戦だ、城を蹂躙するにはあり余る兵力だ。水攻めにする必要などさらさらあるまい。
城の周りをワザと水でぬかるませ、こちらと連携出来ないようにしている。
アホだろう、おまえら城を攻められないじゃん。長期戦?
いいの?するの?長期戦。浅井はまだ弱いかも知れないけれどそれなりに金と物資を持っているよ。
敵は2万こちらは8千。
当方との兵力の差は2倍以上。野戦では厳しすぎる。かといって見捨てれば武将として俺は終わりだろう。
義治め俺を散々笑いものにする腹づもりだ。まさに俺を誘っているな。
「いかがなされます?」侍大将が不安げに聞いてくる。
「は、知れたこと、わざわざ敵の術中にはまるのは阿呆のすること。向こうがこれだけの兵力を不用意に出せば他の城は手薄である。取り放題ではないか。」
「はっ?」
「下らん戦の駄賃にがら空きの城を攻め取ってやる。」
「さすがは殿~!!」
「浅井の本当のすごさを見せてやる。」
そう下知して、軍を佐和山より南に進める。
義治め
囲まれている城を放って置いたら、「味方を見捨てるような信用出来ない武将」と言うはらづもりだろう。
大軍をひきつれて連れて安心している。一色ともしきりに連絡してるみたいだし。
もはや勝ったつもりだろう。
油断しすぎだ。
ふふふ、甘いわ
「目指すはがら空きの観音寺城じゃ~ぁ!!者ども続けぇ~!!。」
まだ日が明けたばかりの早朝
六角側の斥候が物見から血相を変えて帰ってきた。
「申し上げます、浅井の兵およそ8千!囲まれている肥田城には目もくれず、観音寺のお城を目指しております!!」
手練れの忍びであるはずの甲賀者が慌てふためいている。
「馬鹿な、ありえん。」
「観音寺を奪われればわれら笑いものだ。」
「まさか、そんな容易く城が落ちましょうか?」
「賢政はお城を熟知しておるし、同心する者もおるやも知れん。」
「高野瀬殿だけでなく、平井殿もでしょうか?」
「まさか。ありえん」
「何!!まさか?しまった、後詰めの兵と共謀しておるのかも知れん、ぬかった。」
「しかし、」
「とりあえず追撃いたしましょう。」
配下の侍大将が動きの鈍い兵を叱咤し行動を促す。
大軍ということで安心したのか寝ぼけたものも多く、いらだちが募る。
そして、上官の焦りが雰囲気として全軍にじわりと真綿で首を絞めるがごとく伝わる。
皆がようやく浅井の観音寺城強襲を知った。
理解出来ない。
観音寺城が落ちる??
焦りが伝染する、六角軍は慌てふためき理由もわからずに列を乱しながらとりあえず南下する。
ただの雑然とした移動だ。
統制がとれた部隊はわずかであった。
湖東の開けた平野では敵味方の姿がそれなりに見渡せる。
浅井兵は皆、素速くそして整然と進軍し遙か先を先行している。
まるで凱旋するかのように。
必死で浅井を追いかけている自軍のなんたる無様なことか。
追いついた所で我々の部隊は蹂躙されるだろうと、足軽にでも判ってしまう。
何せ大将が慌てふためいているのだ。足軽の中には脱落する振りをして逃げ出す輩もいる。
荒神山に陣取っていた遠藤直経率いる別働部隊3千が狼煙を確認して静かに移動を開始した。
山を下り中山道を東進する。
整然と行軍し六角の背後に迫る。
猛将遠藤直経の率いる、浅井の別働隊3千が荒神山に陣取って様子見していた事をようやく知る。
もしもの時は追撃するつもりだったたらしい。
あの遠藤が背後を襲ってきたら……死ぬ。
荒神山に敵です。
伏兵か?こしゃくな。
荒神山に旗指物があがる。
朝倉だ、朝倉勢が加勢している!!
あの浅井が8千のハズがなかったのだ、こちらの兵数を知っている浅井なら1万はカタいはずなのだ。
やはり、伏兵がいたでは無いか!!それも猛将遠藤が背後にいた。
後陣の六角義治・後藤賢豊に襲いかかる。
「負ける。」と皆が思い込んでしまった。
朝倉が味方に付けば1万5千。敵は総勢2万5千。
その弱気な思いが「負けた!!」となるのに時間はかからなかった。
「負けだ、逃げろ!!」
浮き足立つ六角勢。
「敵襲!!!」
なんと後方に取り残された小荷駄が襲われている。
肥田城の高野瀬の兵だ!!
「逃げろ逃げろ!!」
2万の軍勢がまるで負け戦のように右往左往しているを見て。
高野瀬は勝機を見いだした。
肥田城から出てきた高野瀬率いる決死隊が六角家本陣を急襲している。
皆、脳裏には数ヶ月前の今川義元公が織田信長に討たれかけた、あの驚愕の逸話を思い描いているのだろう。
織田はわずか3、4千で海道一の弓取りと謳われた義元公を討ち取った。
浅井は8千もの兵である、しかも六角の総大将は若輩の義治ではないか?
算を乱して皆が散り散りに落ちていく。
国人城主格は自分の城へと進路を変える。
足軽や農民兵は具足を脱ぎ捨て身軽になって山の方へ逃げ出す始末だ。
何故だ、何故負けた。浅井の本体を追いかけながらもすでに壊走状態の六角の軍。
一方、先行する浅井軍を追いかける形となった、蒲生定秀・池田景雄・楢崎壱岐守・田中冶部大夫・和田玄蕃・吉田重政の手勢は、多くの脱落者をだしながらも、意地を見せて追いかけた。
六角勢の騎馬武者が、観音寺城の手前でようやく追いつこうとしていた。
そこへ、いつの間にか待ち受ける形となった浅井の本体が襲いかかる。
先行する騎馬隊2000にたいして、後続の部隊は3000ずつが街道を挟む形で二手に分かれいつの間にか
追いすがる六角勢を待ち受けていた。
「観音寺城を囮にした!?。」
浅井賢政の軍勢が、六角軍を喰らおうと口を大きく拡げて待ち構えている。まさに虎口である。
進撃の速度が落ち……。
敗北を肌で知った諸将は、賢政の知謀と将器に恐怖した。
この戦では、六角軍は920人の死傷者を出したとされている。
ただ、『敵武将は生け捕りにせよ』との命令から死者は百人足らずと少なかった。
ちなみに浅井軍は死傷者は154人であった。
浅井の圧勝だった。
観音寺以北の多くの国人衆がその場で降伏した。
六角がアテにならない以上、浅井に与する以外に彼らの生き残る道はない。
肥田城主高野瀬備前の守は、2万もの大軍を翻弄した長政に心酔しそのまま浅井家の配下となった。
また、日夏氏、堀氏、池田、山崎氏も大軍に対しても信義を通し後詰めをおこなう、将器に惚れ込んだ。
事実上愛知川(宇曾川?)以北が浅井旗下となった。
六角勢は惨敗であったが、その多くは浅井を恨む前に生き延びたことに感謝した。
六角家に寄生するには、戦うにしても手を抜かないといけません。
『夢幻』のように、むやみに犠牲を出すわけにはいかないのです。




