『さらなる、戦いの予兆』
賢政が逆襲しました。
本当はこんな風に勝ちたかったでしょう。
そんな中、冷静に進軍する部隊もある。
「慌てるな、後ろから食らいつけば良い」遠藤直経は冷静に指揮を執る。
敵を追い立てながらも先を見据える。
六角勢が総崩れで壊乱、逃亡する中、南側に、蒲生定秀・進藤賢盛の旗指物が踏みとどまり残っている。
しかし、義治が旗を棄て逃亡したを知り和田山の城へと撤退を開始した
この戦では、六角軍は3920人もの死傷者を出したとされている。
ただ、『敵武将は生け捕りにせよ』との賢政の命令から『最終的な死者は少なかった』とも言われているが、定かではない。
多くが味方に討たれたとも噂されている。
ちなみに浅井軍は死傷者は354人であった。
浅井の圧勝だった。
ゆっくりと南下する浅井軍。
「武器を収め投降せよ。」
「寛大に処置する。」
観音寺城以北の多くの国人衆が、その場で降伏した。
六角当主がアテにならない以上、浅井に与する以外に彼らの生き残る道はない。
肥田城主高野瀬備前守は、2万もの大軍を翻弄した賢政に心酔しそのまま浅井家の配下となった。
また、日夏氏、堀氏、池田、山崎氏も『大軍に対しても信義を通し後詰めをおこなう』賢政の将器に惚れ込んだ。
事実上愛知川以北が浅井旗下となった。
そして、愛知川を前に『浅井の進軍』が停止する。
六角勢は惨敗であったが、その多くは浅井を恨む前に生き延びたことに感謝した。
『恨むは義治」
一方、
浅井軍は愛知川を前にし軍を停止した、空き地を占拠していた。
和やかなムードである。
「ご苦労さん」
こちらの都合の良い流言を放った『足軽潜入部隊』を指揮した親衛隊に肩をたたき親しくお礼を伝えた。
借り出された湖東の農民足軽に混ぜておいたのだ。
「ありがとう、とりあえず半分終わったよ。」
「ははっ」半分の意味はわからなかったが、殿の感謝のお言葉は身に沁みた。
そこには、陣幕を張り、悠然と将棋に腰を下ろす浅井殿の姿があった。
おや、何かございましたか、蒲生殿の御家中の方?
……息を切らせ馬を走らせようやく追いついたものの完膚無きまでに撃破された。激闘を繰り返し、和田城にたどり着いたのはわずか百と数十騎しかいない。
和田城を8千に攻撃されたらひとたまりもない。
すぐさま開城した、捕虜となる。それでも聞かねば。
「はあはあはあはあ、浅井殿、観音寺のお城を攻撃なさるとは、お気は確かですか?」
「・・・・・・・。」
返事がない、とても焦る。罵倒された方がマシだ。
「はあはあはあ、一体どういうことなのです?」
「いやいや、肥田城主高野瀬殿が御謀反と、あらぬの疑いで責められていて困っているとお聞きしたので、
お城のどなたかに、あるいは六角義治様ご本人に事の次第をお聞きしようかと思いましてな。
何せ家の家中の者が戦だ戦だとひどく息んでおりましてな。困りました。」
心底困ったように苦笑いを見せる賢政どの。
「一応、軍役に従事出来るように出撃の準備はいたしておりますので、まあ、とりあえず確認のしようとしたのですが・・・。邪魔が入り撃退してしまいました。はははあはっ」
がたっ、ごとっ、ばさっ。
護衛に見張られながらも張り詰めて賢政の様子を窺っていた蒲生賢秀は脱力し、さらに後ろに隠れるように控えていた後藤賢豊は腰から崩れ落ちた。
「つまらないご冗談はおやめ下され、賢政殿!!」
「いや、冗談ではありませんよ。高野瀬殿は本当に死ぬ思いでお城におられるハズです。
まさか、ちょっと気にくわないなどという子供じみた理由で肥田の城を攻められているのでしたら、やはり高野瀬殿に加勢しなければなりますまい。そう思われませんか?蒲生殿?」
「浅井殿、そのような戯れ言ではこの事態は収まりませんよ、どう責任を取られるおつもりです?」
「何、義治殿が浅井の誠実さを理解なさらず、本気で排除しようとされるのでしたら罠ごと噛み破るまでです。
義治殿の罠はまあすでに噛み砕いてしまったとも言えますが……。
まあ、いずれにせよ蒲生殿があくまで浅井に不満があるというのであれば、もう一戦是非にとご希望でしたら今からお相手いたしますがいかがでしょうか?」
あまりの迫力に一歩下がる、賢秀、目を見張り驚く賢豊。
「まあ、今、義賢様に進退を伺っております故、お待ち下さい」
「義賢様ですか?」
「義賢様、いえ失礼!今はもう承禎様でしたか?
せっかく諱を戴きましたのに、寂しいものですね。賢秀殿、賢豊殿。」
「殿!!観音寺城より使者が訪れております。
城下観音寺にてお会いなさるそうです。」
「では、参りましょうか、蒲生殿、後藤殿」
勝手知ったる我が家のように蒲生賢秀・後藤賢豊を従え山道を登っていく。
観音寺城下、観音寺の広間にて
「承禎さま、お騒がせして申し訳ありません」
「軍勢を引き連れての来訪とは物々しいな賢政。のこのこ出て来て申し開きか?何故に寝返った?」
六角承禎は怒っていた。手塩にかけて育てたはずの飼い犬におもいっきり手を噛まれたのだ。
「書状はご覧いただけましたでしょうか?」
「ふん、義治が一色の義龍、京極に踊らされているというヤツか?馬鹿な事を。」
「はい、それです。」
ザワっ控えている諸将がざわめく。蒲生・後藤も背筋に冷ややかなモノが走った。
「ふん、ばかばかしい、証拠は?確証はあるのか?だいたい、おまえが高野瀬を調略するから悪いのだ。」
「今のところ状況証拠のみにございますれば、しかとは。」
「証拠がないとはまったく話にもならん。」
「確かに、まったく話になりませんね。私としては信じていただかなくても構いませんが?」
ここで動じるわけにはいかない。
「ぐぬぬ、それでどう見たのだ。」
「私をおびき寄せるために肥田城の高野瀬殿を攻めさせたとしか思えません。
離反したとはいえ、2万もの兵を出す必要もございませんし。ましてや水攻めもどきなどという小細工など意味がわかりません。
浅井といたしまししても、本来であれば、近江守護の六角さまの下知に従うのみでありますれば。
降伏勧告だけでも城は落ちましょう。」
「浅井が肥田城の救援に向かうと云われていたが?」
「浅井が救援に向かうという噂は確かにございますし。救援に向かわねば、浅井は天下の笑いものです。
実際高野瀬殿からも援軍のお願いがございました。私めも正直お助けしたいと思い行動いたしました。
でも、私の心の内はともかく、義治殿の出兵の報告を聞くよりも早く噂が広まっておりました。」
「浅井は嵌められたと、だから責任はない。お主はそう申すのじゃな。」
「嵌められているところ、謀は現在進行形でございます。義治様のおかげでとんだ災難です。
浅井が大軍に囲まれている肥田城の救援に出ようとするならば、江北はまったくのカラです。
実際に、今は兵が出払いほぼからですし……、その報告を聞いた一色義龍はさぞ喜んでおることでしょう。
阻むものもおらず易々と、近江に進軍できることでしょうね。」
「一色は浅井の同盟者ではないのか?」
「同盟者でした、しかし浅井家が六角家に臣従してしまった以上、対等の同盟者ではなくなりました。
現状、浅井は六角のただのいち家臣ですから。
義治殿は浅井が憎いと思うあまり、近江守護としての自覚がござらんようですな。」
「義治を愚弄するか」
「臣従をしている者を罠に嵌めるとは、論外でしょう。
浅井は斉藤、六角この二つに挟まれば、罠を噛み破り、小谷に逃げ込むしか手はございません。
江北の柏原、醒ヶ井、浅妻を斉藤にくれてやっても佐和山が手に入れば御の字。
六角は江南さえ良ければ良いのでしょうか?」
「なぬ、罠、斉藤?」
「一色を名乗ってはおりますが、やることは斉藤道三殿と変わりません。
義龍は息子ですし。出自など全くのでたらめですよ。好機とみればたとえ親兄弟でも容赦はしないでしょう。
まあ大義名分としましては、主家の六角に見限られた哀れな浅井家を保護すると言う名目でしょうが?」
「では、一色、いや斉藤が保護を名目に攻めてくると申すか?」
「おそらくは。」
「大変ではないか。」
「大変です。でもまあ負けても斉藤家には義姉上と言おうか伯母上がおりますし、おそらくは浅井は斉藤に臣従せよと言ったところでしょうか?」
「なぬ?こうしてはおれん、出陣の支度を…。」
「出陣しないでいただきたい。ご心配にはおよびません、我らこれよりすぐにでも引き上げますれば。」
「はあ~っ、六角も援軍をいたそう、平井、蒲生、後藤をつけよう。」
溜息混じりに承禎が提案する。
「それは無理にございます、浅井勢みな大人しく私の下知に従ってはおりますが。今回の件で、六角を援軍として江北に迎えることは出来なくなりました。
義龍の策でいまや完全に江北と江南は割れてしまいました。先ほど申したようにひと当てして浅井を取り込むつもりでしょう。浅井が六角と決裂すれば、いろいろ手間が省けますから。」
「ぐっ」
「いくら六角家とは言え、承禎さまでなければ私めも手放しで従うわけにはまいりません。」
「斉藤にまんまと謀られたか。」
「謀られ申した、義治様が私に隔意があるのは見る物が見れば判りやすいゆえ。
たとえこの期に斉藤勢が出陣しなくとも、近江の守護六角の結束に罅を入れることはできたという事です。
浅井は六角に独力では到底叶いません。まあ手近な保護者は朝倉か一色家でしょうか?本拠の咽元を押さえられれば一色家に従うしかないでしょうね?」
「むむ、義龍め。」
「斉藤の件はあくまで私の推測ですので、義龍の調略がどうなっているか、承禎様の方で裏を取っていただけませんか?」
「わかった。」
「それでは、私めはすぐに陣を払います。」
「すまぬな、埋め合わせはいずれする。」
「いえ、すでに承禎様からは過分のお心遣いをいただいておりますゆえ、お気になさらず。それと、愛知川以北はいただいておきます。」
側に控えていた後藤、蒲生は固まっていた。
六角承禎の仲裁により、後藤、進藤、蒲生が六角の将兵を鎮めて廻り騒ぎは収まった。
一部に浅井を追撃すると言うと言う意見もあったが、黙殺された。
「死にたければ勝手に死にに行くが良い。」
「卑怯にも後ろを狙うなどとほざくな、いま迂闊に浅井を怒らせ、そのまま斉藤勢を江南に引き込んだらどうするのだ?お主ら勝てるのか?」
そう言われればスゴスゴ引き下がるしかなっかった。
世に言う「肥田の戦い」(六角の大崩れ、六角総崩れ)である。
正式に愛知川以北が浅井の配下となった。
六角承禎は家督を息子に譲り出家・隠棲したものの、斉藤の調略を警戒する必要にかられた。
あっさりと義治が一色と交わした密約が判明した為である。
浅井との友好を取り戻し、さらに連携を深める為に、わずか一月あまりで観音寺に戻ることとなった。
浅井賢政が観音寺城にて会談をおこなっている頃、遠藤直経率いる部隊は用は済んだとばかりに早々に引き揚げていった。
六角勢は、整然と部隊として観音寺城に帰ったものは少なく、皆が敗残兵であった。
六角勢は皆が脱力した……、心理的な圧力で追い立てられ、実際はほとんど大きな戦闘がなかったが、多くの脱落者を生み出してしまった。
浅井勢は首を取ろうとしなかった、将は捕らえられ兵・卒は追い払うだけであった。
朝倉勢が敦賀郡司家の500しかいなかったと後で知った時、六角の将は膝から崩れ落ちた。
名のある武将の中には自分を恥じて身を隠した者もいたという。
また、多くの者がこれを機に浅井家に仕官を願い出たのも事実である。
家老の赤尾清綱、雨森清貞、秋貞が戦後処理に奔走する中、
浅井賢政はといえば、すでに陣を払い……粛々と引き揚げていった。
このお話は、あり得たかも知れない、パラレルストーリーです。
ある意味、こんな風に勝ち他かった。
という、夢のお話なのです。
というわけで、次回からは現実のお話に戻りましょう。




