上洛作戦
多少お約束程度以上に、『賢政君』に都合が良い展開です。
『一見さんは、お断り』で、知られる『京都』
どう攻略するのでしょうか?
のぼりは満員、御礼
やはり一流の戦国大名は、情勢に敏感に反応して上洛している。
暴れん坊将軍!! 義輝公は、大人気です。
お隣の斎藤さん(義龍)は、尾張織田家との壮絶な戦闘が続くなか敢えて上洛を敢行した。
京に戻った将軍家、足利義輝公より『一色氏』を称することを許されたと聞いた。
美濃守護代家斎藤さんは、一色治部大輔義龍となったらしいが、解りづらい。
同じく2月には、尾張国内を何とか手中におさめた織田信長が、わずかな供回りを連れて上洛したことが判っている。
道中、一色(斉藤)義龍の手の者が狙撃をしたらしく、柏原の宿がエライ騒ぎで、「何とか信長御一行を保護し、刺客を追い払った」と確認が取れている。無茶しやがって。
斎藤さんも、実におとなげがない、イイじゃん別にと思う。
3月には三好長慶が、関係修復と勢力拡大をはかってか、将軍義輝公を自邸へ招き歓待したらしい。
4月には長尾景虎も久方ぶりに上洛している。
海路を使えばわりと近いらしい。浅井がおとなしくしているので、敦賀港からの塩津越えがおすすめだ。
近江側の街道は商業用に整備してある。
代わりに堅田衆には塩津-小谷ー坂本航路を設けさせる様、婚姻の宴の際申し入れをした。
俺(浅井)のおかげで琵琶湖の水運は空前の盛況ぶり。
大繁盛だ、堅田衆の統領、猪飼殿とも今や昵懇だ。
若狭(敦賀)-近江(琵琶湖)-京都ルートだと、信玄の比ではなくスムーズに移動可能だ。
塩津越えルートは浅井の勢力圏だ、近江塩津でお出迎えした。
軍神様はかっこよかった。色紙にサインもらった、家宝にしよう。
自慢の酒を進呈したら、ことのほか喜んでくれた。
まあ、向こうも商売のルートに関わるし上機嫌に振る舞っておられるのかも。
俺も、『六角さん』におねだりして、ご機嫌伺いに参上した。
とはいえ、成り上がりの浅井では、まともに相手にして貰えないであろう。
従五位下左京大夫、近江守護職の六角義賢様にお祝いの言づてを頼むという形で随伴しよっと。
義賢様は、浅井を従え「名実ともに近江を支配する守護である」とうれしがっていた。
(これよこれ、思惑通り。)
俺の烏帽子親である義賢様は、六角が浅井を従えたことを周囲に示そうと喜んで俺を連れ回した。
おかげで、第13代将軍.足利義輝公に目通りを許され。
職:走衆(将軍直参。徒)と太刀を賜った。
ちょろい、浅井家の独力では、とてもこうはいくまい。
ぶっちゃけ、走衆なんてどうでもいいが、要は「いきなり攻めるのをそれなりに回避できる」と言うことだ。
内裏にも浅井家当主就任のご挨拶として、贈り物を贈った。
懇意なお公家さんを介して、公家の有力者、有職に長けた方にも付け届けをした。
俺は、即位されたばかりの帝に金や豪華さよりも日々の生活に必要な物を心を込めて選りすぐって用意した。
「まごころを君に」作戦だ。本当は、先帝の時に間に合わせたかったのだが。
さすがに、当主を引き継いだ俺にはこれが精一杯だ。
あんまりガメツイなら、潔く距離を置こうと思っている。
義賢様は、俺が浅井の人間とは思えないほど、『礼儀正しく、大人しく』後ろを付いていくので、さらに気を良くしていた。おかげで畿内をいろいろ連れ回して下さった。
(社長の後ろをついて歩くのは楽でイイ。)
京では公家の有力者(付け届け済み)と面識を得られた。
上・下京の町衆、堺の町衆や三好や松永、細川、畠山、という名門の方ともお会い出来た。
松永殿をはじめ皆様が、お茶をたしなんでおられると言うことで、末席ですが、茶の湯の席にも呼ばれました。(一応大名ですから)
お礼に俺が「祖父亮政がさる筋より賜ったらしい秘蔵の茶器」と嘘こいて、自分が焼いた茶碗を数点、桐箱から取り出し濃紫地の絹の風呂敷に包んだ曲がった茶碗を恭しく取り出し、茶を点てた。
茶碗は3流だが、お茶は丁寧に作ったし、水は京都の名水だ。
お茶は雰囲気です。歴史の偉人相手のお茶は格別に旨かった。
皆さんにも気に入っていただけた様です。
何度もお誘いいただきました。秘蔵の茶器と、それ以外の気に入っている器を披露します。
俺のお茶の所作センスがとても洗練されていると云うことで、
茶湯の天下三宗匠の今井 宗久・千利休・津田宗及に茶の道の第一人者の弟子の一人と認められました。
天下三宗匠 の弟子の一人:浅井賢政です。
ちょろい。
茶の湯の作法ぐらいは心得ているし、どんな茶器がもてはやされたのかも知っている。
伊達に陶芸にまで手を出していた訳ではない。
(プロパンで、焼き物を焼くと気化の関係で恐ろしいほどボンベに霜が出るのだ、知っているかい?)
六角家+足利家+お公家さん+内裏=権力に近い=商人がわんさか揉み手してきます。
商人のひとりが俺に価値を見いだせば、それでOKでした。
なんと言っても、北国・東海ルートを握っていますからね、距離よりも運賃が断然違います。
俺って結構影響力あります。
堺に行くにあたっては念入りにリサーチしておいた、商品の販売促進の為に用意しておいた品々が高評価された。
おかげで畿内では江州シリーズが大人気だ。
江州畳、江州紙、江州瓦、江州味噌、江州米(ただのお米)、etc
一緒に連れて行った、配下の商人がガッツリ注文をもらってきました。
茶の湯は美味いよ。
お公家さんと摂関家の伝、あるいは義賢様の六角家の威勢お蔭か、思いがけずに(親父の代わりに)俺が『宮内少輔』に任ぜられた。
内伝の使者をいただき、早速御所にお公家さんに導かれて赴きお礼の参内を行った。
さすが名門のお公家さん、意外と役に立つじゃないか。
江北の国人の中では、浅井家のみが正式な官位を持つこととなり、家中での影響力が上がります。
近江は、戦国の世でも曲がりなりにも守護が残っている土地柄、京にも近く、将軍家や朝廷の権威は他の地域よりも価値を持ちます。
江北の浅井として、他の国人衆よりさらに一つ抜きんでたことになります。
あの後、皆様から茶器を譲って欲しいと沢山のお声がかかりました。
商人相手には、『浅井家の家宝、大切な物なのでたとえ千金、お城でも…』…とお断り申し上げました。
しかし、将軍家と六角様には逆らえませんので、お金の取引無しに名物を献上しました。
とても効果がありました。(手の入らない物の方が、価値があるんですねぇ)
残りは、堺と上京の数寄モノ成金商人にアホほどふっかけて売り払いました。
マジで城が買えます。ホクホクです。朝廷工作資金を回収して楽々おつりが来ます。
実りある旅が出来た。
正室の縁、側室の祐子、愛妾のお雪。そして兄弟にお土産を買い帰郷した。
弱小浅井ですから、六角さんの手助け無しに這い上がれませんでした。
商人が本当に茶碗に価値を見出したのかは不明です。
繋ぎをとりたかった者
茶碗に価値を見た者
周りに流された者様々です。
ゴミでも価値を認めれば、宝ですから。
一応、レプリカ程度には出来が良いです。
陶芸経験者ですから、この時代の好みの傾向もそれなりに分かっています。
とは言え、水ものですからね。
「お公家さん」誰かあの人以外で、いい人いませんかね?
一応伏線は張っていますが、多少弱いんです。
いろいろ探したんですが、さすがに都合のいい人とのつながりが……。
アイデア(救いの手)、お待ちしております。
長浜には「長浜茶漬け」があります。
作者も食べたことがない幻の名物です。
(くれぐれもお召し上がりにならないよう祈っております。)
幻ですが、実際にあります、味も悪くは無いかも知れませんし…もっと良い物かも?




