『大いなる誤算』
今朝、寝坊して投稿し損ねました。
無理をするのは、やめましよう。
『大いなる誤算』
比叡山延暦寺・日吉大社、興福寺・春日大社。
ほか多くの有力寺院が、足利義栄公の擁立を支援することを表明した。
畿内にある寺が騒然とした。
浄土真宗・浄土宗以外の多くの宗派が、その流れに乗り始めた。
彼らの目には、浅井家が本願寺に肩入れしていると映ったようだ。
― 比叡山 延暦寺 ―
彼らはほくそ笑んでいた。
朝廷におもねる輩とは違い、朝廷に要求を通せる存在。
それが、有力寺院なのである。
これを機に足利義栄なるものに恩を売っておけば、我が寺社も安泰というわけである。
「京での地盤が弱い義栄公を、将軍へと後押しできたら言う事ないわい」
「今後は、やりたい放題ですな」
他の宗派のやつが、優遇されているのを見るのが、気に触っていたのもある。
「長政公の本願寺への傾倒も防げるだろう」
「あやつが使えるうちは使ってやるわい」
「だまって、我が寺の言うことを聞いておればよいのだ」
そんな、僧とは思えない思惑がうごめいていた。
また、僧兵は単純に、大いにあばれてモヤモヤが発散できればよかったのかもしれない。
「ついでに余録に預かるとしよう」
「おなごじゃ~」
「何の、銭じゃ。銭の力があれば、この世は極楽よ」
とても信仰に身を捧げているようには見えない、業の深い生き物が寺内には大勢存在していた。
まさに、穢土である。
もちろん、敬虔な僧も居たであろうが、彼らはすでに(なろうの歴史ジャンルぐらい)少数派であった。
腐敗は静かに進んでゆき、いずれは取り返しがつかなくなるのだ。
皮肉なことに、それが”今”であるというだけだった。
永禄10年(1567年)12月
かつて、平安期に吹き荒れた僧兵の強訴がなされようとしていた。
比叡山の僧兵によって日吉大社の神輿が、
興福寺の僧兵によって春日大社の神木(春日神木)が
今まさに、運び出されようとしていた。
豪翼坊陳海は、荒くれ者の僧兵を率い意気揚々と山門をでた。
目指すは京。
「この神輿を遮る者など、誰もおらん!」
「「「もっとも、もっとも」」」
「ゆくぞっ」
「「「うおぉぉ~っ」」」
かつての上皇にさえ『ままならぬ』と言わせた、神輿である。
その霊験は、あらたかであった。
力に酔った僧兵達は、無礼にも勝手に神輿を担ぎ出し、京の都を目指す。
おのれの要求を突きつけ押し通す以外の事など、眼中にない。
本当にそうなのだ、それが当たり前の権利だと思いこんでいる。
おそろしい!
(親が子供を慈しみ食事を与えるのが当然と思っている、現代の子供のようだ。)
そのありがたみを忘れ、おのれが利益を受けることを当然と思ってしまえば、人として堕落するしかない。
理を知らぬ愚かな者は、庇護の下にあることを忘れ、自儘に喚き出す。
~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~
― 京.北白川 ―
日吉大社の神輿を押し立て、僧兵が叡山から京へと大挙してやって来た。
俺は、鞍馬口・宝ヶ池を守る雨森の部隊には静観する様に伝え、強訴の一行を通させた。
僧兵たちが調子づくが、無視するように言ってある。
僧兵共が好き勝手に暴れるのを黙認するのは腹立たしいが、まずは我慢だ。
洛中を守るために、北白川に防衛戦を敷いている。
ここで対応するように申し付けてある。
宝ヶ池をやすやすと通過した連中は、傲慢にも開門を要求した。
連中に怖いものなどなかった。
覆面姿の僧兵達の目の前で門が開く。
”ぎぎぎぃ~”
北白川を守る砦の門が、ゆっくりと開く。
鎧兜に身を固めた浅井の兵が、うやうやしく神輿を招き入れる。
大量に用意された米俵。
白飯、山海の珍味、酒が、二の門との手前中ほどに置かれた机に積まれている。
門兵は、大仰に神輿の前に跪き、涙を流し跪拝したのち正門へとゆっくりと戻る。
僧兵共は、満足げだ。
気の早い者は、我先にと料理に手を付けている。
だが、茶番はそこまでだ。
洛中を防衛する砦の門は、堀をめぐらしすべて2重構造にしてある。
とりあえず招き入れたあと、時間をかせぎ。それとなく、表門を閉める。
あとは、門並びに四方から矢を射かけると云う、ワリと簡単なお仕事である。
まあ、城攻めの戦をしたことがある者なら判るだろう、虎口の応用である。
浅井家の黒鍬衆の築城技術を舐めないでいただきたい。
とはいえ、この時代の人間は信心深いのも事実だ。
こちら側のやる気を削がれてはかなわない。
そこで、名のある僧・神主を呼び寄せ、神輿・神木から神様をいったん御動座していただいた。
まあ、神輿を担いだ僧兵が門前で喚いている間に、それらしく拝んでもらっただけだが。
心理的には相当軽くなったであろう、そこに神はいないのだから。
これで心置きなく、大掃除ができるというものだ。
(東大寺の煤払い・御身拭いの際、ぼんさんがお手軽に仏様の魂を出し入れしているのを見たことから思いついた。)
「者ども、あの神輿に神はおられぬ。 もったいなくも、神様にはこちらにご動座いただいたぁ!」
傍らの小さな社を指差し、直経が吠える。
「射掛けろぉ~」
「「「おおっ~」」」
攻撃する足軽には、対抗する寺社勢力・キリシタンから募集したやつを使った。
(問題が大きくなると嫌なので、本願寺勢は使っていない。)
こいつらからすれば、僧兵など本来は敵なのだから容赦はなかった。
だいたい武装し暴れている僧侶など、偽物に決まっている。
幸い、モノというものは、多少壊れても手直しが可能だ。
傍らにいた悪党はどうだかしらんが……。
京の町の手前で酷いかと思うが、こいつらを洛中に入れるわけにはいかないのだ。
京の眼前での、戦闘は可能ですか? と、問い合わせた結果。
「長政殿のお好きなように」との言質を取った。
公家といえども、衣食足りて信仰する。だ。
救いのない困窮に、殆どが現代日本の若者・無神論者に近いメンタリイティでしかなかった。
周りに合わせ、遠慮しているだけである。
公家である自分達より贅沢している坊主に、何を信心しありがたがれというのか?
堕落し末法の世を救えずにいるばかりか、増長する僧になんら価値はなかった。
公家衆は、救いとしての対象として、寺社を見限ったのだ。
俺達はこの手法を用いて、神輿のみならず春日の神木も没収した。
(僧兵など、ゴ◯ブリポイポイの◯キ◯リみたいなものだった。)
京に入ろうとした僧兵は、配下の遠藤直経・河田長親によって、生死にかかわらずことごとく囚われた。
簡単な作業だった。
なぜ、後白河法皇ともあろうお方が苦労されたのか?
時流のながれとは無情だと感じた。
『権威がなければ、ただのモノに過ぎないのだ』
手もとに置いといてもいろいろ問題なので、神輿はきれいに洗ったあと朱塗りして近衛殿経由で内裏に贈呈した。
神木とご動座いただいた社は、藤原氏の末裔として浅井家が管理することとした。
いずれ、小谷城の麓に『春日野大社』を造営するつもりだ。
まずは、御所内に仮の社を建て、双方を安置した。
帝はすぐさま、仮宮へ勅使を派遣された。
御所の仮社に安置された神輿・神木を根拠にして。
これは、『日吉・春日の神々もお認めになった』とした。
~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~ ・ ~
これにより、日吉・春日両大社は、元社と号された。
両社は、主祭する神様に逃げられた ”がらんどう” ”がらほこ”と蔑まれた。
民間の信仰は別として、寺社ですら、朝廷の庇護あっての公的権威である。
帝に見捨てられれば、立派な御堂も、がらんどうなのだ。
人々は、この時はじめて朝廷の権威を認識した。
12月10日
朝廷から、各寺院に対し。
「朝廷の政に、口を挟むとはおこがましい。ましてや寺院が武家の棟梁を選ぼうとは甚だ遺憾である」と、不快の意が示された。
俺は、朝廷の意を受け。
神輿・神木が朝廷の手に戻ったとして、寺の権利を剥奪する工作に入った。
時を同じくして、「天下が乱れ戦国の世となったのは坊主が刀を持った罰が当たったのだ」と云う
噂、落書、わらべうたが畿内に広がった。
『天下の乱れは 坊主の乱れ!
それが証拠に 神輿・神木 御所におわす、 寺の伽藍も がらんどう』
事態はさらに混沌をはらみ推移してゆく。
あとがき
”か,かっ,春日っ” だと、貧乏くさい” 桃色の袖なし”みたいで、キモいから。
小谷の麓に造営するお社は、……。
“春日野”という。
爽やかな、はるか青い空をイメージしました。
ですから、春日野大社です。
ひさまさ