『浅井家の家名 ロンダリング』
『新たなる秩序を求めて』 その参です。
さあ、これで長政のお仕事も最後です。
『浅井家の家名ロンダリング』
長政の独白です。
長政公は、仕事が立て込んで疲れておられるのに、いささかお酒を飲みすぎになられたご様子だ。
屋敷の奥で、何やら独り言を呟いておられるようですぞ。
浅井忍軍のひとり、金森小太郎はさらなる警戒と主君の警護のために耳を澄ませた……。
浅井家が、次の時代に生き残るために、俺は色々と考えを巡らせている。
朝廷との緊密な付き合いというのも、その一つである。
お公家さん達に良いように使われているという側面は否定できないが、俺にもメリットはある。
義輝公が亡くなって、将軍家の行く末が不透明な以上、打てる手は打っておきたい。
その一つは、京都守護職である。
この時代、京を押さえると言うことには大きな意味がある。
責任は大きいが、浅井家が飛躍するチャンスでもあるのだ。だからこそ失敗が許されない。
もう一つ打った手は、金のなる木を提案した時に仕込んだ。
官位を売る。 つまり、位階と官職だ。
通常同じもののように捉えられている、位階に相当する官職が与えられるからである。
そこを逆手にとる。 大名というのは、○○の守という肩書きに弱い。
だから、先に官職を与えるのだ。
わかるかな?
通常は、位階のほうが先なのだ。
それに応じて官職が割り振られる。ときには、より上の官職だったり、下の官職だったりもする。
その昔は、位階の方が高いのだけれど、あえて国司に任命してもらっていたのだ。
なぜならば、そちらの方が断然、実入りが良いからである。
豪の者は、自分が国司に任命されておいて任国に行かず代理を派遣したりしていたくらいなのだ。
国の大臣が、片手間で県知事になるようなものである。
まあ、そういうわけで位階と実入りが比例していなかったことから、国司の官職の方が人気があるのだ。
実際の所、国司の位階はそれほど高くはない。
近江・大和のような大国でさえ、従五位上。
小国の和泉、志摩、淡路等に至っては、従六位下が国司の位階なのだ。
だから、そこを上手く利用する。
『位階に相当する官職が与えられる』ということは、
『官職に相当する位階というものは、決まっている』と言うことだ。
俺はそれを、『職位による位階制限』とした。
先に位階を受けた者でも、この制限の対象にする。
例外は、朝廷の貢献度、献金である。
これにより、他の大名の位階を引きずり下ろすのである。
大名どもの目が官職の方を向いている”どさくさ”で、実行するのだ。
つまり、国司であれば、最高で従五位上なのである。
死んだ毛利元就を 贈.従四位下として祭り上げることで、大大名の最高位に制限をかける。
中国地方の覇者(尼子はまだ生き残っている)でさえ、死してようやく贈.従四位下とするのだ。
よほどの高家のみが何とか、正五位上を確保できるのだ。
義輝公は、従五位下、正五位下左馬頭、従四位下征夷大将軍。
(参議、左近衛中将、従三位。贈従一位左大臣)
へと位階を進めた。
先例は大事だ。
将軍候補でさえ、正五位下、左馬頭だ。
鎮守府将軍に至っては、従五位上なのだ。
結論を言おう。
まずは、将軍宣下と、国の司召しを、新たに行うことで
大名家の位階を下げるのが、俺の狙いでもある。
徳川家康は、位階・官職を武家と公家で分けるやり方を採用していたが、その反対を狙う。
武家と公家は、分けない。
公家の下に、武家を置くのだ。
つまりは、律令制度の復権を狙うのである。
これならば、公家衆は諸手を挙げて喜んで浅井家を支持するであろう?
その上で、浅井長政は、他の上をゆく。
位階は、従四位下
令外の官職で国主待遇の京都守護職。
官職は、国司として山城・近江・美濃守。朝廷内の官職は、近衛中将を得る手はずだ。
近衛の大将には、関白と兼任で近衛殿についていただく。
従一位 関白・近衛大将、近衛前久。
従四位下 近衛中将、浅井長政。
いかにも、近衛家と繋がりがあるように、家系を少しいじっておくこととする。
(太閤秀吉に倣い、将来的には、猶子関係を結ぶつもりだ。)
家系の再調査を行ったのは、他家の家系をおとしめ、かつ、浅井の家格をあげる作戦だ
元々浅井家は、正親町三条家(のちの嵯峨家)の支族で、本姓を藤原氏とする。
だから、将軍に就くのには、いささか無理がある。
源氏でなければ将軍職になれないというのは、俗説でしかないが、そう思われているのもまた事実である。
まあ、無理に将軍になろうとしても、障害が増えるばかりで益がない。
話を戻そうか、
「浅井家は、三条公綱の御落胤の末裔なのである」
これは、京の正親町三条実雅の長子公綱が、嘉吉年間に、勅勘を蒙って京極氏に預けられたことに始まる。
三条公綱は、流れ流れて京極氏の所領の浅井郡丁野村に蟄居していたのだが……。
彼に眠る”浅井の血”が騒いだのだろう。その土地の娘との間に男子をもうけた。
ぶっちゃけ、それが浅井家の祖である。 はずかしいわっ!
まあ、羞恥心は置いておこう。
つまり、浅井家は正親町三条家の嫡流なのだ。
とまあ、今更源氏を名乗る訳にもいかないので、近衛殿にお願いして三条家の家系に割り込ませてもらうと思っている。
だからこそ、公家衆のご機嫌を取るのにも熱がこもるというものだ。
公家衆も、快く空手形を出してくれた。ありがたく頂戴するとしよう。
ま、向こうの懐も何ら痛む事はない。名案(win-win)なのである。
というわけで、ちょうど途絶えている 『転法輪三条家』 を再興しようと思う。
摂関家に次ぐ、清華家の三条家本流だ。
密かに三条家の人間として、追儺召の除目で近衛中将の任官を受けておいて、
将軍宣下、国司叙任のどさくさに紛れて、他の大名家になし崩し的に浅井の地位・血統を認めさせる案配だ。
どうだ、俺がひいこら頑張っている理由が判ったか?
ただ働きだなんて、絶対にごめんだからな。
長政は、上機嫌であった。
その当時、長政の心の中を知るものなど、誰もいなかった……。
『(浅井のための)新たなる(都合の良い)秩序を求めて』
おしまい
昨日、エッセイ 『 なろう作家? になって、トクしたこと 』
投稿いたしました。
おもわず、やっちゃいました。
ぜひ、読んでやってください。
ひさまさからのお願いでした。