『越後の長い冬』
100話超えましたので、長政?から"?"をとりますね。
というか、とりました。
『越後の長い冬』
謙信不在の春日山城は、大いに慌てた。
能登では、去年から反逆していた遊佐氏が温井氏に殺されたらしい。
能登の対応にあたっていた神保氏が、あろうことか味方のはずの椎名氏に攻められている。
何のことだか、皆訳が判らなかった。
上洛戦は、上杉謙信公の予想を大幅に超える長対陣となってしまっている。
越後にとっては、あまり良くないものなのだ。
謙信がまとめなければ、国人の独立のいろが濃い越後という国は纏まらない。
肝心の指導者が不在な為に、国の統制が随分と緩んでしまっているのだ。
その混乱に油を注ぐのが、噂の存在である。
信玄や三好家が放ったであろう数々の噂が、越の国(北陸)を駆け巡っている。
『三好が推す足利義栄公が、左馬頭に任ぜられ征夷大将軍となった』
『上杉謙信は、将軍の擁立に失敗した』
『関東管領の地位も、もはやあぶないだろう』
『今度は、成敗される側じゃ』
春日山に集う重臣、直江景綱、斉藤朝信、柿崎景家たちは、必死に家臣の動揺を静めようとした。
「虚報じゃ、敵の流した噂である」
そう言って、家臣共をなだめているのであるが。不安や猜疑心というものは容易には拭えない。
そうこうしているうちに、出元が確かな情報として義栄の話が届いた。
謙信公が推す足利義秋ではなく、敵方の足利義栄に左馬頭が授けられたことが明らかとなる。
しかも、それは上方にいる、謙信公からのご報告ではない。
行商人・船乗りが話す噂、出入りの商人からの情報なのだ。
そして、国人衆それぞれが放っている忍びの報告もまた、噂を肯定するものなのだ。
「謙信公は、なにかを隠しておられる」
「関東管領を罷免されたのか?」
「明らかに帰国がおそすぎる、今年は関東への出兵(出稼ぎ)が出来ないのでは」
春日山に集う家臣のみならず、城を守る重臣・国人衆、在郷の土豪たちにまで不安が広がっていった。
上杉謙信公が、『関東管領』では無くなるのは、時間の問題。
そのような認識が次第に広まり、大きく動揺する越後の諸将。
それが、騒動の引き金となった。
幾つかの村で、一揆の火の手が上がった。
信玄には、謙信なき越後の将を惑わすなど、赤児の手を捻るより容易かった。
謙信の将軍追従を逆手をとり、三好家と通じた武田信玄の鮮やかな一手であった。
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― 京.山崎 円明寺 ―
「不覚、かような些事で信玄めに付け入られるとは」
謙信公は、激怒していた。
謙信公がここにいるのは、俺が呼んだからだ。
弟の政之を介し何とか会談の場を設けた、辺りはもう夜の帳が下りている。
蝋燭の光が揺らめく本堂、俺の話を聞いた謙信公は怒りを露わにしていた。
俺は、先程得た情報をそのまま伝えた。
『遊佐続光が、温井景隆に殺された』
『能登の対応にあたっていた神保氏が、味方のはずの椎名康胤に攻められている』
『椎名康胤の反乱』
という事実。
そして、
『三好が推す足利義栄公が、左馬頭に任ぜられ征夷大将軍となった』
『上杉謙信は、将軍の擁立に失敗した』
『関東管領の地位も、もはやあぶないだろう』
『今度は、成敗される側になる』
という噂の流布があること。
『逆臣.上杉謙信を討つべし』
と、椎名康胤が踊らされているのではないかという推測。
おそらく、密書は、将軍義栄公が義秋を担いだ逆臣を討つべく、すでに諸大名に働きかけられていると思われる。
加えて、越後の国内がかなり動揺しているらしいことも付け加えて話した。
沈黙が続いた。
「如何なさいますか?」
謙信公も幾つかの情報はご存知だったが、 椎名康胤の反乱はまだ知らなかったようだ。
「くっ、判っておるのだ。だが、今引き返すわけにはいかぬだろう?」
「まだ他には知られてはおりますまい、速やかに陣払いの御用意をなされるべきかと」
情報を得るのには手間と金がかかる。
それは、中央でも同じだ。
この時、越後での変事をいち早く気づいたのは、俺と義兄の朝倉景晃どのだけであった。
遅れて上杉家からの連絡が謙信公にもたらされると思う。
青苧を交易品としている関係で、越後→敦賀→近江という情報ルートが確立されていたからな。
「かたじけない。しかし、今回は将軍義秋公の上洛の戦である。国元に変事があったからと云って早々に抜けるわけにはいくまい」
「とはいえ、確実に調略の手は伸びておりますぞ」
「判ってはいるのだ、信玄坊主なら越後に兵を入れかねぬ」
それでも、将軍を擁立する軍の軍勢を引き上げるなど出来ぬ相談なのだ。
「仕方がありません。ここは一つ朝倉殿に踊ってもらいましょう」
翌日、上杉謙信は鼻息も荒く朝倉義景に対して全軍の指揮権を引き渡すように要求した。
「もうすぐ越後は冬になります、朝倉殿のような悠長な戦はできません。今日にでも三好勢を討ち果たしましょう。貴殿は、どこかで見物でもしておられるがよろしかろう」
そう軍神に言われた義景は、激怒しすぐさま、謙信の将としての任を独断で解いてしまったのだった。
もとより、義景は謙信に主導権を奪われることを危惧していた。
その為、猿芝居に簡単に引っかかった。
「越後の田舎侍など要らぬわ」
「たかが1000の兵で大きい面をされてはたまらぬわ」
義景の尻馬に乗り、景鏡が野次を飛ばした。
「帰って良いぞ、大田舎の越後はもう雪じゃからな」
「で、あるなら一度越後へ戻りましょう。腰抜けの付き合いで長い在陣にも飽き申した」
「おおう帰れ帰れ」
「まあまあ、上杉殿もいつもは朝倉様の顔を立てていらっしゃるのですから」
俺がとりなす。
「ふん!」
「上杉の抜けた穴は、浅井家がうめよ。たかが1000じゃ、よいな」
景鏡の野郎が、しゃしゃり出てきて俺に命じた。
「うむ、長政に左様申し付ける」
義景も、してやったりという顔をしやがる。
「はい、承知いたしました」
(景鏡め、何だお前、無能なくせに偉そうに) そう思ったが仕方がない。
軍神が抜ける穴はとてつもなくでかい。他の大名連中には任せられない。
とはいえ、ホントにこいつら判っているのか?
(上杉が今1000名というのは、お前らが無能過ぎたから兵を稲刈りに返したんだよ。
その分を埋める政之の3000名は俺の持ち出しだ、馬鹿野郎!!)
自分たちの首がかかっているんだぞ。特に義景っ!
多少の騒動はあったが、まあこれで、上杉殿が撤退する目が出たな。
「浅井長政殿かたじけない」
深々と礼をされてしまった。
「武田が出てくるとなると、北陸が荒れますね」
「うむ」
難しい顔をする、軍神であった。
何とか、帰国のめどがついた謙信である。
しかし、さらなる凶報が舞い込むのであった。
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「越後に一揆! 背後に武田あり」
さすがにこの状況では、上杉謙信と言えどあわてて帰国するほかはなかった。
即刻の帰国を余儀なくされる、上杉軍。
そこに朝倉義景、朝倉景鏡が噛み付いた。
北陸の変事を聞きつけて来たのだろう。
あれっ、能登のことを、しきりに吹聴している?
(情報が遅いわっ)
いままで戦の主導権を握られ、皆の人気を奪われていた腹いせなのだろうな。
謙信公の不幸が、とってもうれしいらしい。
太守としての度量、器があまりにも小さすぎる。
「朝倉殿、上杉殿が帰国するのはもう決まっていたこと、何をそんなに怒っておられる」
松永久秀が眼光鋭く義景をにらみつけた。
「そもそも、上洛戦は遅くとも夏を前に終わるのではなかったのですかな」
「左様、景鏡殿の交渉の不首尾を、我々に押しつけられても困り申す」
今川勢を率いる岡部元信殿も、不満を露わにする。
「しょせん、朝倉家などと云う斯波家の家臣の配下では、荷が重かったのでしょうかな?」
「義元様に御動座していただくべきだったやも知れませんね」
皆が、しょせん朝倉は守護ではなく守護代の家柄だと揶揄しているのだ。
(義景、お前が守護家を集めたんだからな、自業自得だ)
事ここに至って、義昭公を推す勢力は完全に分裂をしてしまった。
(俺、知~らね。)
朝倉が盟主となっている以上、絶対にうまくいきそうにない。 もう潮時だろう。
長政の手引で、越後へ向かう謙信。傍らには弟の政之率いる3千の兵が同行している。
山科・大津から琵琶湖を使い塩津、そこからは一路陸路を敦賀へ抜ける予定だ。
俺の義兄である景晃どのが、船を手配してくれている、軍神の兵を越後へと送ってくれるだろう。
時を同じくして、信玄の軍勢が甲斐を発っていた。
春日山城の留守を預かる家来衆が、一揆を鎮圧に出陣した隙を突いて、越後になだれ込む算段らしい。
俺が、忍びの情報を手にした時、謙信公はもうすでに船上にいた。
北の空は、暗く曇っている。
越後の長い冬が、直ぐそこまで来ていた。
いままで通り書くか、もう少し情景とかを詳しく書き込んだ方がいいのか迷っています。
そうそう、
『長浜ものがたり』戦国編のねねちゃんが、トイレに使う紙がなくなって困っているよ~。
「藁……、今日から、わらなのね…… (笑)」
戦国生活で、何かいいネタはないでしょうかね?
何かいいネタがあれば、感想にお寄せください。使っちゃうよ!
ひさまさでした