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魔法使いの懺悔。

「心地よい風ですね。」


一瞬、肌を霞めるように駆け抜けていった風を、彼女はそう評した。


「貴女も感じたの?」


彼もまた、その風を僅かに肌で感じ取り、それが何なのか、誰か起こしたものなのかを知った。


「いえ?ただ、周囲に漂っていた声達が、彼女への感謝を告げながら消えていったので。彼女が消し去ったのだろうと思ったのですよ。でも、多分それは正解なのでしょう?」

だから、私はエリザ嬢の敵という訳ではありません。

笑いながら、オリヴィアは彼が考えたであろう疑惑を予想し、しっかりと否定した。

「そんな事は思ってない。それに…」

それは自分のことだ、と彼は口篭った。それを口にしてしまえば、本当にそうなのだと思い知らされるから。そうだと言われても可笑しく無い、愚かで大きく、取り返しのつかない罪を彼、イザークは犯してしまっている。


彼の愚かな判断が、家族を死に至らしめた。姉の心をズタズタに傷つけることとなった。

ずっと、それを後悔していたのだ。

それが自己満足でしかないのだと理解した上で、後悔に後悔を重ねていた。「ゴメンなさい!」と、何度も何度も、届かないと分かっている声を張り上げていたのだ。

分かっている、それは自分が楽になりたいというだけの、愚かしい行為なのだとは。

自分自身の奥底で、イザークという意識と記憶を小さく団子状に押し丸めて、自分を支配しようとする甘露の声から、何とか己を護る為に凌ぎ続けていた。


イザークは分かっている。

全てはイザークが間違いを犯したから、此処まで被害が大きくなってしまったのだと。

耐え難い、一度捕まってしまえば抗う事の難しいだろうと判断したイザークは、自分の意識の中に避難した。それは、物心着いた頃から教えられた事でもあった。

魔術、薬、人を自在に支配してしまう方法は古来より幾多も作られ、実践されてきた。どんな手を使ってでも、魔法使いであるイザークを支配し自由にしようとする輩は少なくは無いのだと、両親や一族の大人達はイザークに口煩く教え込んだ。

そういった輩にとっては、イザークという存在が必要なのではなく、魔法使いという兵器が必要なのだと。だから、イザークという存在を無理矢理に消し去ってしまうことも奴等は躊躇わない。

それがイザークには理解出来なかった。

魔法使いは、生まれ持った力とその魂が合わさることで魔法使いたりうるのだと、イザークは感じていた。イザークといういしきが損なわれれば、全く使えなくなるとは言わないまでも、魔法使いの力は効果を弱めることになる。そんな、本来の力を発揮出来ないようなモノを、そんな手を使ってまでして手に入れたいと思う愚か者が本当に存在するのか、と。


過去、一族に生まれていた魔法使いが残した書物から、イザークは魔法使いというものを学び始めた。全て属性を操ることが出来る魔法使いなんて、イザークしか居ないのだからそれは仕方ない。

先人達が編み出してきた魔術なら、一族の大人達から何不自由なく学ぶことは出来るだろう。だが、魔法に関しては、魔法使いにしかその感覚を理解することは出来ない。書物を読んだとしても意味はなく、魔法を操る感覚を得るのは自分自身で掴むしかないものだった。

ただ、魔法使いによる書物を読むことで、その魔法使いの経験や必要な知識などを得ることは出来た。


その一つが、魔法使いという脅威から大切な存在を護る方法だった。

もし、誰かしらの支配を受ける事態となったら。

その書物を書かれたのは、魔法使いが今よりも多く生まれ出ていた時代の事。魔法使いと魔法使いでなら、より多くの属性を操れる方が、より経験のある方が、より多くの魔力を持っている方が勝つ。魔法使いのいしきを欠くことなく支配してしまえる、されてしまう事態もあたのだろう。

そうなった時は、体や力は支配されようともいしきだけは何としても逃がせ、守れと書かれていた。

自分の中に、意識だけを隔離し、外部からの支配を拒絶する為の方法が記されていた。こうすればいい、と書かれているだけで、それを成す方法は自分で辿り着くしかないものではあった。だが、そんな事は無いと思いながらも、イザークはそれの方法を考えていた。


自分が放った魔法が、自分の大切な人々を傷つける兵器と化す。

それだけは、絶対にあってはならないことだ。

意識さえ欠けば、本来の力は発揮出来ない。そうすれば、効力の弱まった魔法を潜り抜け、きっと誰かが自分を止めてくれるかも知れないと私は考えた。


そう書かれていたのだ。

例え、全属性を操るイザークであろうと、倒そうと思えばサルド一族に掛かれば簡単に出来るだろう。そういう一族なのだ。一人で無理ならば、一族で協力もする。まだまだ勝てない、と認めたくなくとも認めざる終えない存在など、一族の中には多く居る。

だから、万が一のそんな状態を考える必要はないのかも知れない。

そう思いはしたが、イザークの脳裏に過ぎったのは、姉エリザの姿。自分では見えない、感じ取り難い力を受け継いだ為に、あまり自分に自信を持てないでいる姉。その性質を考えれば野放しには出来ない『破邪の力』の持ち主とあって、両親や兄姉達のように仕事や訓練で長く屋敷を離れるということもない姉は、イザークにとって一番身近で、そして笑顔や優しさ、時にはイザークと思って叱ってくれる、大切な人だった。

それを素直に出せないことで、姉を傷つけているというのは、イザークも気づいていたが止めることは出来なかった。


だから、あの時イザークはそれを実行した。

不審な気配を放つ女、マリア。

愚かにも一人で対峙したイザークを襲った、マリアの力や気配に似ているのに同一ではない巨大で怖気が走る気配がイザークを飲み込もうとしてきた。

逃げられない、抵抗も難しい。

そう直感で判断したイザークは、それを実行するしか道は無かった。


だが、それは間違いだったのだ。

どうして、対峙する前に誰か、父や兄達に相談しなかったのか。

それは慢心だったのかも知れない。自分は魔法使いなのだという、馬鹿げた驕りだったのだと思う。

そんな愚かな過ちを犯してしまった上に、あっさりと諦めて自分を明け渡した。


そのせいで、多くの人が死んだ。

兄を、父を、殺した…。

家族を死地へと歩ませた。

あれ程、護りたいのだと願った姉を苦しめ続けている。


外の様子を知ることが出来るようになったのは、父や下の兄が力をくれたからだった。

あの戦場。

気づいた時には、目の前に兄ジェイドが居た。地面には父が倒れていた。

イザークを止めようと攻め込んだ父が流した血を浴びたことで、その血に含まれる『破邪の力』がイザークの意識を僅かに持ち上げた。体は自由にならない、攻撃の手を緩めることも出来ない。ただ、小さく丸まりながら外を覗き見えるだけの状態。

それが自分への罰なのだと思った。

全てをしっかり見知った上に死ぬ事が、それに苦しみながら死ぬ事が罰なのだと…。

でも、死ぬ事は出来なかった。


"やっぱり、俺は馬鹿だな。"


兄の最期の言葉。


"イザーク、視てるんだろ?勘が良いのは俺の自慢だったが、嫌なもんだよ、こういう時は。そんなもん、気づけなかったら…。もしも体を自由に出来るようになったら、オリヴィアに会え。そうしたら、元に戻してもられるだろうから。それから…"



「"愛してる"」


「どうかしましたか?」

突然、何の前触れもなくイザークが口にした言葉に、オリヴィアは驚いていた。

「ジェイド兄上が貴女に伝えてくれ、と。…ごめんなさい。」

兄の最期の頼みを届けようと、イザークはオリヴィアを振り返った。だが、すぐにそれを後悔し、顔を下げる。

兄を殺した自分が言うべきでは無かったのだと、振り向かずに部屋から立ち去ることも、それが紙に書いて渡すことも出来た。どうして自分はそういった配慮が出来ないのだろうと、後悔する。

「いえ、ありがとうございます。でも、それは聞かなかったことにしますね。」

「えっ?」

「だって、オウキ殿によって、様々な方が無念を晴らそうといらっしゃってるのですよ?あの方も、御出でくださっても良いと思いません?」

そして、自分であの時の返事を聞きに来ればいいのだ。

オリヴィアの顔を見ないようにと顔を上げずにいたイザークには、その時彼女がどんな表情をしていたのかは分からない。だが、その声は少しだけ震えていた。


「さぁ、参りましょう。今頃、彼女も皆が集まっている場所に向かっているでしょうから。」

間に合って良かった、とオリヴィアは呟く。

イザークに担って貰いたい役目があるのだと、イザークの中へと入り込んできたオリヴィアは告げた。

兄を殺してしまったその時から、イザークは逃げていた。

外は何時でも見ることが出来た。マリアの言葉が絶対だった体も、兄の血を浴びたおかげか逆らえるようになっていた。でも、そんな事をしようと考えることが苦しかった。何も、考えたくなかった。

愚かなイザークは、そんな権利などない癖に、閉じこもることに楽を覚えて逃げていた。

姉の声が聞こえ、思わず飛び出してしまいそうになったこともあったが。姉を殺してしまうかも知れないと、嫌われ、憎まれて当然の姉にそれを突きつけられたくないという愚かな考えで、また逃げた。


オリヴィアの言葉にも、耳を塞ごうとしたのだ。

でも、何をしようとも許されることなど無いと分かっていても、それでも自分に出来る贖罪があるのならば、と応えてしまった。


「僕はこのまま、…に向かうよ。」

「皆さんに会わなくても良いと?」


「どんな顔をして会え、と?…それに、僕が行ったら、姉さんが苦しむよ。あの人はそういう人だもん。僕の事が憎くて仕方なくても、弟だからって情を抱える。これ以上、姉さんを苦しめることは出来ない。」


だから、僕は逃げるよ。

「もしかしたら、もう二度と会えないかも知れないと言うのに?」

オリヴィアは、魔法を使って役目を果たす為の場所に向かおうとしているイザークを、何とか止めようとする。

優しい人だ、とイザークは思った。

そういう所は姉に似ている、とも。

そういえば、彼女は兄が愛していた人、つまり『義姉さん』と、そう呼べていたかも知れない人なのだな、とどうでもいい事が頭を過ぎった。


「じゃあ、一つ頼まれてくれませんか…お義姉さん?」


これくらいはいいだろうか、と姉エリザと兄テイガに許しを請う。

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