力を望むということ。
"もう要らない。"
はしゃいだ声と共に動いた手に対応出来ず、マニュキュアがたっぷりと乗った筆がずれ、爪からはみ出し指を汚してしまった。そして、そんなこと望んでいるわけが無いのに勝手に窓へと向かっていく。
"消えて。"
嫌だと叫んでいる筈なのに、喉は只空気を吐き出すだけに終わって、落ちてくる大きな刃を見ていることしか出来ない。
"貴方はもう、いらないの。"
どうしてと涙が流れていく事を感じながら、つい先程まで「愛している」と笑顔を向けてくれていた婚約者からの侮蔑の言葉と汚濁を見るような視線を浴び、その手に押され、彼の姿が小さくなるまで見つめたまま落ちていく。
"消えてよ。"
学園の庭に築かれた花園で花を見て散歩していただけ。突然現れた、居る筈の無い獣に襲い掛かられる。
"邪魔ね。"
今日のおかずは何にしようか。そんな事を考えながら商店を眺めながら道を歩いていて、ぶつかってしまった。ただ、それだけ。それだけで縛られたまま炎に包まれる。
何度も何度も聞こえてくる言葉。
何度も何度も押し寄せてくる、頭に響き渡る"死ぬ"という導き。
何度も何度も、目の前を通り過ぎていく、艶やかに笑って"最悪な言葉"を投げ掛けてくるマリアの姿。
そして、何度も感じる"死"。
しっかりと感じる、嘘だと分かっていても怖くて怖くて、どうしようも無い"死ぬ"という痛み。
自分の感じたものではないと分かっていても、心が引き裂かれそうになる感情の嵐。
「さぁ、エリザ。良い夢を。」
そう異様な程に優しく囁いた曾お爺さまの言葉に、自分で納得して身を任せたのは自分。なのに、どうしてと叫びたくなるのを止められない。
どうして私がこんな思いを感じなくてはいけないの?
覚悟を決めていた筈なのに、戦うと誓ったのに、力が欲しいと望んだのに。
くじけそうになる自分が嫌になる。
そして、まだ自分の事を考えていられるということは、まだ余裕があるということ。まだ、曾お爺様が望む状態に私がなっていない事を表しているということで…。
炎に包まれていく映像がプツリッと終わりを告げる。
そして、すぐに次が始まる。
曾お爺様が王都で取り込んだ命の数だけ、いえ私の心が恐怖と苦しみに覆い尽くされるまで続く。もう、充分だと叫びたくなる。でも、何処かから見ている曾お爺様が納得するまて、この"練習"は止められることは無い。
さぁ、次は誰なのかしら。
周りの様子が、懐かしいあの頃の学園の建物の中へと変化していく。
私ではない誰かの中に、私は入っていく。
私が、誰かであったモノに重なる。
「ッィヤァァァァ!!!!!」
その耳を劈くような絶叫を聞くのは何度目になるのか。
何度も何度も、喉を痛めつけて吐き出された声によって、彼女の声はもう擦れきってしまい音を成していない部分さえある。
あと何回聞くことになるのかは分からない。でも、次か、その次には、その喉からは空気だけが吐き出されるようになることは分かる。
「七体目。流石に、友達の最期は刺激が強いね。」
周囲を覆い尽くす闇の中から、オウキさんが這い出てきた。
その顔には、自身こそが曾孫を窮地に追いやっているというのに、満面の笑みが浮かんでいる。
お気に入りの玩具で遊ぶ子供のようなその笑顔からは、一切エリザちゃんの事を心配する様子は見られない。
「っうぅ」
エリザちゃんの閉ざされた目から、涙が流れ落ちていく。
顰めた眉の間には消えることなく深い皺が刻まれ、大粒の汗が途切れることなく滲み出てくる。
口元は苦悶の表情に歪み、食いしばる歯が唇を噛み切り血の雫が浮かぶ。
「エリザちゃん…。」
何の助けにもならないと分かっていても、自分の満足の為に握り続けていた手には、無意識故の加減の無い力が加えられてくる。エリザちゃんの爪が深く抉り込んでくる痛みは、もう感じられなくなっていた。
フフフ。
曾孫の苦しむ姿を見下ろすには不適切なオウキの笑い声が、周囲に木霊する。
その声に呼応するように、闇が蠢く。
早く逃げなくては。
闇が蠢く度に、本能が訴えてくる。今すぐに闇から抜け出なくてはいけない。喰われてしまう。オウキさんがそんな事する筈無い。そう思っても、逆らいがたい本能の訴えが絶え間なく襲い掛かってくる。
寝台に横たわるエリザちゃんと、それに寄り添う俺。見渡す限りの闇の中で浮かび上がって見えているのは、それだけ。それも今では危うい状態だ。
ジワジワと闇が、自分達の体の一部でさえも見えなくしていく。
「エリザに足りないものを補おうね。」
子供に言い聞かせるような、優しさに満ちた声だった。
その声を口にした瞬間、オウキさんの姿が消え、俺達の周囲を闇が覆い尽くした。
それだけなら、一瞬臆することはあっても心を持ち直し律することは出来る。でも、この闇は違う。俺達が知っている普通の、夜空を覆っている闇ではなかった。
ねっとりと蠢いて見える闇には、時折人の顔のようなものが映る。その顔は、様々な苦悶を訴える表情を浮かべていた。耳を済まさなければ判別出来ない程に小さな囁き声が反響し、頭を揺らしていく。
この闇は、オウキさんそのものなのだと説明された時は驚いた。だが、納得もした。
オウキさんが喰らい取り込んできた、被害者達の怨嗟の想い。
それを聞き、味わうことが、エリザちゃんの『破邪の力』を強めることに必要なのだとオウキさんは告げた。
「エリザはマリア・テレースを憎んでるよね。」
何を当たり前のことを。
寝台に腰掛けさせたエリザちゃんの顔を覗きこんで聞くオウキさんに、俺は多分怪訝な表情を隠しもしなかっただろう。エリザちゃんにいたっては、あらゆる思いを通り越して、唖然と目を見開いていた。
練習をしよう。
そう言ってオウキさんは、エリザちゃんの腕を引いて人気の無い建物へと案内した。着いてきたいなら来ていいよ。そう言われた俺も、迷うことなく後を追って来た。
『破邪の力』の本質は『拒絶』。エリザちゃんが拒めば拒む程、消し去る力は増していく。
それを聞いた時、エリザちゃんには難しいだろうな、なんて思っていた。
強い子だけど、優しい子だから。
もちろん、敵に対して容赦するような子ではないと分かっている。マリア・テレースに関しては、赦しの余地はない。
でも、『拒絶』するということ事態に慣れてはいないだろう。
それを補い、一緒に慣れてしまおう。
それがオウキさんの考えだった。
「人の感情として、一番"拒絶"という感情を抱きやすいものって、なぁんだ。」
それは憎しみじゃない。
蠢く闇を従えたオウキさんは、本当に楽しそうに笑い、歌うように言葉を連ねる。
「憎しみっていうものは、ね。拒絶とは真逆にある感情なんだよ。」
カラカラと笑うオウキさんの後ろで、闇がたくさんの歪んだ顔を映し出す。
「だってね、考えてみてごらん。憎しみっていうものは、相手があって初めて成立する感情だ。確かに、排除したい、殺したいという感情ではあるけれど、それを最期まで保ち続けることは難しい。だって、憎しみを向けていた相手を失った後、待っているのは空虚だからね。人の本能が、自分を殺しかねない空虚を嫌んだよ。」
まぁ、これは僕の持論だけど?
「なら、どんな感情なら、『拒絶』になるのですか?」
「苦しみ、悲しみ、恐怖。」
「さぁ、エリザ。」
マリアによってもたらされた数多の苦しみ、悲しみ、そして恐怖。皆に教えてもらいなさい。
大丈夫。お前が無意識の内に纏い死霊達を拒絶している力は、僕がちゃんと『拒絶』しておいてあげよう。だから、安心して途切れることのない追体験に身を浸すといいよ。
「良い夢を。」
それから、ずっと。エリザちゃんは眠り続けている。
「力を上手く使えるようになれば、死霊達なんて消し去ってしまえるし、僕の力も弾き飛ばせてしまえるよ。なんたって、僕はもうエリザよりも弱いんだから。」
「っぁーーーーーーー!」
音にもならない絶叫があがる。
「壊れるのが先か、目覚めるのが先か。さぁ、9体目だ。次は、サルドの子だ。」
俺はただ、手を握って待つしか出来ない。
それが、歯がゆくて仕方が無い。




