ティグ王国のこと。
「来ましたね。」
もうすぐ到着される模様です。
そう知らせが部屋に入ってきたのは先ほどのこと。
小指の無い左手を一撫でし、席を立つ。
「オウキ殿もご一緒にいかがですか?」
傍らで、その小さな体を丸め眠っているように見せている猫に振り向く。
眠った振りをしていた事は分かっている。
その真上へとピンッと立てられた耳は絶えず小さく動いているし、尻尾も左右に揺れている。
なにより、オウキ自身が以前に眠る必要が無いのだと語っていたのだ。
オウキが体を借りている間、その体の本来の持ち主は眠っている状態になる。だから、オウキが不眠不休の状態で体を使おうと死ぬ事は無いのだと笑っていた。
死ぬ事は無いとしても体に負荷は掛かるのでは、という意見は黙止され、真相は定かではないのだが。
「うん。もちろん行くよ。」
猫は起き上がり笑顔を浮かべると、細い肩へと飛び移り、前足だけの力でぶら下がる。
普通の猫でなら無理だろうその姿勢も、オウキが入っているからこそ出来る。
「ねぇ。ドラゴンに乗って空から現れるのが定番なんだっけ?」
「まぁ、悪役には多い登場場面ではありますね。」
オウキは、以前に聞きだした前の世界の文化についての知識の一つを思い出し、尋ねた。唐突に上げられたその声音は、遊びを楽しむ子供のように無邪気で弾んだものに聞こえる。
それを教えた事はもしかしたら早まった事だったかも、と苦笑を浮かべながら、何をするつもりですかと尋ね返す。
「僕達は悪役らしいし、迎えに行くのにドラゴンを使ったら面白いよね?」
「テイガ殿やシギ殿に叱られますよ。」
突然、空からドラゴンが降りてくる。
何も知らされていない時に、ましてや敵地から逃れてきている時にされれば驚きを通り越して、臨戦態勢を取られ迎撃されるのが落ちだろう。そう伝えてみたものの、オウキは何処か諦めきれない様子を見せている。
「でもさ。それぐらい印象深いことをやった方が面白いよね。」
せっかくドラゴンだっているんだし。
オウキが宿る猫の目が部屋の窓から望める外へと向かう。それにつられて見れば、窓の外に一角にある広場で体を伏せて目を閉じている一匹の黒いドラゴンの姿があった。魔獣が出没することの多いティグ王国にあっても、滅多に見ることの無いドラゴンの姿にほんの少しだけ恐怖を覚える。そんな存在が突然現れれば、やはり怖いものだろうとオウキへ止めておけと念を押す事を忘れない。
「イーズ殿に泣かれますよ?」
マリアに対する対抗策の一つとして、魔獣使いであるイーズ・サルドに頼んだ事があった。
マリアの放つ香りを嫌がった魔獣達によって遠方へと強制的に避難させられたイーズを呼び戻し、行なわせた役目。それをやり遂げて、ヘロヘロになりながらも帰ってきたイーズは部屋で休んでいる。そして、その足としての役目を果たしたドラゴンも休息している最中。
ようやく体を休める事が出来たというのに、そんなくだらない理由でドラゴンを使われたとあれば、気弱なイーズは文句を言えないまでも、静かに泣いて抗議くらいはするだろう。
「きっと面白いと思うんだけどなぁ」
諦めきれない様子のオウキだったが、部屋を後にする頃には口を閉ざしていた。
ティグ王国の都の端に位置する建物に、転送術の陣は設置されている。
転送術の陣と術師が待ち構えている場所まで辿り着いたエリザ達を出迎える為、今その建物には関係者が集まっていた。
転送の陣が光を放ち、術が発動したことを知らせる。
「ようやくですね。」
オリヴィアが笑う。
彼女にとっては、待ちわびた時がようやく巡ってきたのだ。
喜ばずには居られなかった。
笑うオリヴィアの様子に、彼女の肩から降り床の上に腰を下ろしていたオウキや、テイガを見送ったアリス達が同じように笑みを浮かべ、そして部屋の中心に描かれ準備が整えられた転送陣に視線を集中させた。
テイガ、テイガに片腕で抱き上げられたリア、手を繋ぎ合ったエリザとユリア、アルトとイザーク、そしてシギの姿が眩い光を放つ転送陣から現れる。
始めに姿を現したテイガが待ち構えていた者達の顔を見回し、口元に笑みを生み出した。
そして、眩しさに目を擦っていたリアに声をかけ地面に降ろした。
「出迎え、ありがとうよ。」
「ご苦労様でした。体を休める為の部屋を用意させてあります。色々と話もあるでしょうが、まずはそちらで休息をとって下さい。」
手を上げるテイガに、オリヴィアが笑って答える。部屋の端に控えていた数人の侍従を指差し、案内するように指示を出していた。
その笑みは、テイガによって床に降ろされたリアに、テイガの後に光の中から現れたエリザ達にも向けられた。状況を飲み込めない内に向けられた好意的な笑みと提案に戸惑いながらも、エリザは背後に立ったアルトに背中を押され促され、それに応じることにした。
「エリザ嬢。また後で、色々とお話いたしましょう。」
オリヴィアに声をかけられたエリザは、そのオリヴィアの手に目をやり、深く頷いた。
「はい。ありがとうございます。」
「オリヴィア姫。ありがとうございました。」
エリザの背中に手を置いたまま、アルトがオリヴィアへと腕を伸ばした。
その指先に、小さく光を反射する指輪が持たれている。
「お役に立てたのなら、彼も喜んでくれていると思います。」
エリザ達に向けたのとは少し違った柔らかな笑みを浮かべ、オリヴィアはアルトから指輪を受け取ると、それを自分の左手の、薬指へと嵌めた。その指輪はオリヴィアの指にピッタリと治まり、あるべき場所に帰ったという感じをエリザに感じさせた。
その指輪の治まった指の隣に、あるべきものが無いことなど気にならない程、自然な様子を醸し出していた。
やっぱり。
エリザは声には出さずに確信した。
「お世話になります、オリヴィア殿下。」
「ゆっくり体を休めて下さい、エリザ嬢。積もる話はその後で。お話したい事はたくさんあるのですよ。」
エリザに向かい、ゆっくりと手を差し出すオリヴィア。
エリザは、その手に自分の手を重ね、握り返した。
「ありがとうよ、アリス。助かったわ。」
テイガはアリスの左手を掴み上げ、その手の薬指に指輪を嵌める。
「おかえりなさい。エリザやリアに怪我はさせてないわね?」
「あぁ。っていうか、俺が着いた頃には終わってたんだよな。」
ポリポリと頬をかくテイガを、アリスは不甲斐ないと睨みあげる。
「何それ、役立たずってことかしら?」
「そういうなよな。アルトとシギが先に着いてたんだよ。」
指輪を嵌めたまま手にしていたアリスの手を引き、その腰に腕を回してテイガはアリスの体を自分へと密着させる。
「俺の心配は無いのかよ?」
腰を屈めアリスの耳元で囁く。
「無駄に頑丈な貴方の心配をしても無駄でしょ?」
アリスは平然とした顔で、テイガのその顔に手を置き押しやる。
「冷たい奴だな。じゃあ、俺が怪我したら心配してくれるか?」
「そんな事を言うような馬鹿には付き合ってられないんだけど?」
「えっと、こういう時に言えばいいんだっけ?"リアジュウバクハツシロ"って。」
「少し黙ったらいいと思うよ、カーズ。」
エリザ達を見送り、テイガとアリスには背中を向けていたオリヴィアの背中を指で突き、カーズがテイガが出かける前に聞いた謎のお呪いの言葉を口にした。
引き攣った顔になったバーグは、気づかれない程度の歩みでオリヴィアとカーズから距離を置こうと体を下がらせようとしていた。




