再従兄のこと。
「シギっ?」
突然、私の頭を強い力で掻き回してきたシギ。
何をするのだと目だけを向けると、シギは笑っていました。苦し気にも見える、困っているような顔で笑うシギ。その表情は昔、修行で無茶をした私が怪我をしてしまった時に見せたものに似ていた。
幼い頃、シギの事を私は本当の兄だと思っていました。物心がついた時には家に居て、兄達を引き連れて修業したり、遊んでいたから。
私達兄弟にとって本当の家族、兄弟でした。
自分でも覚えていない頃には、私は兄様、兄様とシギの背中を追い掛け回していたのだそうです。兄様や姉様達が、シギを避けるようになっていた私をからかって何度も教えてくれました。
「さぁ、早くここから出ようかぁ」
私の頭を撫でていたシギの手が、ゆっくりと目の前を降りてきて、私の首に指が触れた。それは、丁度あの魔道具の布が巻かれている部分です。
ようやく解放されるのだと、ホッとします。
製作者であるイザークは、何故だか解いてはくれなかった。そうなれば、私の知る限りで確実に解いてくれると確信出来るのはシギだけ。
「うん。美味しそう。」
シギが笑みを深くしている。
指先を布を這うように動き、ゾクゾクとむず痒さを感じて、喉の奥から小さな悲鳴が出てきそうになった。それが口から出る前に何とか飲み込み、シギを睨みつけ止めるように訴えました。
「怖いなぁ。昔はシギ兄様って追い掛けてくる小さな可愛いお姫様だったのに。」
こぉんなフリフリのドレスを着たまま森の中にまで追いかけてきて、せっかくの可愛らしい姿がぁ!と叫ぶ母親やセイラを無視して追いかけてくる姿は本当に可愛かったのに。
そんな昔の、くだらない話を口に出さないで。アルト先生に聞かせないで!アルト先生も興味を持たないで下さい!
「大昔の話は止めてちょうだい。それと、その指も止めてよ。やるなら、さっさと終わらせて。」
そう、今はそんな事を話している時ではないわ。
早く王都を出て、イザークを治せるかも知れないというジェイド兄様の婚約者という女性に会わなければならないし、マリアを止めないといけない。
本音を言えば、マリアに対しては二度と会いたくないと思ってしまう恐怖がある。彼女に関われば、また何かを失うかも知れないと考えてしまうから。
それでも、マリアを放っておいてはいけないと分かってる。このまま、マリアを自由にしておけば世界は大変なことになる。
マリアは、どんな手を使っても止めないといけない。
「分かった。分かったってぇ。それにしても、うん。美味しそうな魔力が篭ってるね。」
私はどんな顔をしていたのかしら。
シギは私の顔を見た後、一瞬だけど笑顔を消して、首から離した手でまた頭を撫で回す。
すぐに笑みを浮かべて、ふざけているとしか思えない声音で舌なめずりを始めたけれど、シギの笑顔の無い表情がしばらく頭から離れなかった。
「ねぇ、シギ伯父さん。それは、どんな味なの?」
私が部屋に戻ってきた時から、空気を読んで大人しくしていたリアが口を挟んできた。その声で、シギの顔を見たまま固まっていた意識が戻ってきた。
「リア。」
本当は部屋に戻ってきてすぐにリアを抱き締めるべきだった。
私が戻ってこない中、突然やってきた知らない大人。不安を覚えていたに決まっている。イザークにシギ、2人にかまけてリアに気を向けることを忘れてしまった。
慌ててリアに声をかけ、謝ろうと思った。
でも、「ごめんなさい」と言おうと開いた口は、シギを見上げていた顔を私に向けたリアの笑顔で、何も言えなくなった。
「ママ。シギ伯父さんがね、リアの魔力は蜂蜜のクッキーの味がするって。」
嬉しそうに私に教えてくれたリアの言葉に驚いた私は、その言葉の意味を考えることが出来なくなった。頭が働かない、真っ白になるというのは、こういう状態を言うのかと頓珍漢な事だけが浮かんでくる。
「これは、フルーツがたっぷりのケーキの味かな?色々な味が次々に出てくるんだよねぇ、イザークの魔力って。」
「そうなの?じゃあ、ママは?先生は?」
リアはシギに初めて会った筈。
どうして、こんな風に仲が良くなっているのかしら。
いいえ。そうじゃない。今、問題にするべきなのは……
「シギ!?リアの魔力を食べたの?」
シギは、魔力を奪い取る力を持っている。
空中にある魔力だろうと、人を始めとするモノに宿っている魔力、魔術に含まれる魔力、その全てを奪い取って無力化させることが出来る。
魔術師や魔法使いの天敵と言われる力だ。
魔力を吸い取られると体中の力が抜け、気味の悪い感覚に襲われ倒れる。それを利用して、シギは悪さをしたお仕置き代わりに私達兄弟に対して使っていた。
お仕置きは問題無い。それだけの悪戯を兄達はしていたのを覚えているから。問題なのは、シギの力の使い方で、私がシギを苦手に思うようになった理由。
シギは、力を使うことを『喰う』と表現する。
何も知らない頃は何とも思っても見なかったし、考えもしない事だったけど、それは本当にそのままの意味だった。
シギは、その口で魔力を奪い取る。
私が見たのは、ジェイド兄様の口を口で塞いだシギの姿。ジェイド兄様はその後に倒れこんで3日間起きてこなかった。
「あら、見られたか。」そう言って悪びれずに笑ったシギ。彼が口付けを用いて魔力を奪う、そんな光景を何度も見る事になった。その相手は、老若男女様々だった。
リアの魔力を喰べたというのなら、口付けをしたということ。
「ちょっとだよ?ちょっとだけ、味見させて貰っただけ。やっぱりセイラの子だよねぇ。味がそっくり。」
「ちょっと?ちょっとだとしても、リアになんて事をしたのよ。」
「あれ?嘘ぉ。もしかして、まだ、あれ信じてるの?」
本当に驚いた顔をしているシギが、ポンポンッと私の両肩を叩いてきた。
「嘘?なんのこと?」
何が嘘だというの?
「エリザちゃん。シギは別に口付けをしなくても魔力を奪うことが出来るんだよ?」
「嘘。」
シギの口元はきつく結ばれて、フルフルと震えている。それだけで、口を開けようとしないシギの代わりに、アルト先生が私の疑問に答えてくれた。
だけど、その答えは不可解なものでした。
「だったら、あれは何だったというの?私は何度も見たのよ、シギが魔力を奪う光景を。」
テイガ兄様にジェイド兄様、テイガ兄様といつも一緒に行動していたカーズやバーグにも。親戚の小父・小母達も怯えているのを見ていたこともある限りでは、彼らも被害に合っているのだと思う。
なのに、それが違っているというの?
「あぁ、あれ?あれは単なる嫌がらせ。嫌がるような事をして、魔力を奪われれば、悪ガキ共がしばらくは大人しくなるだろう?」
何、それ。
つまり、わざとやっていたと。
「こうやって、触っているだけでも奪えるんだよ?まぁ、口からの方が楽しいし、味をじっくりと味わえるから好きなんだけど?」
シギの手がまた、私の首に触れる。今度は開かれた手の平が首に当たり、温もりが私に移ってくる。唯一温もりを感じられない部分が、布が巻かれている場所ね。
シギの手が離れていき、その手の中に一本の布があった。
「さぁ、これで自由だ。」
「…ありがとう、シギ。」
「どういたしまして、エリザ。お礼に、魔力を喰べさせて?」
「嫌よ。」
伸びてきたシギの手を叩き落としました。
口づけでは無いと分かっても、そんなに魔力の多くない私では奪われた途端に寝込む危険もある。それに、とてもつない不快感と言われているものを味わいたいとは思わない。
「ママは、どんな味なの?」
「ベリーたっぷりのタルトだよぉ。」
本家って、濃厚で美味しい味だから大好きなんだよね。
「シギ。どうしてもと言うのなら、この国から出た後にあげるわ。」
先程のあれは、ほんの少し触れるだけだった。後でなら、お礼として力を渡すのも構わない。・
「マリア・テレース。」
「えっ?」
「あれの魔力のせいで、ずぅぅっと胸がムカついてるんだよねぇ。だから、口直しがしたいんだぁ。じゃないと逃げる力も出ないよぉ。ちょっとだけ。いいだろ?」
「シギ。」
懇願しながら体を近づけてきたシギをアルト先生が止めてくれました。
「会ったの?」
「いいや。今は王都中に魔力が溢れてるからねぇ。ちょっと油断したら喰べる事になっちゃうんだよ。それに、前にガッつり喰べた時なんて、しばらく吐き気が止まらなかったんだよ?」
「…シギが頑張って魔力を喰べ尽くしたら、彼女、マリアは止まる?」
「無理。」
シギが、マリアの魔力を喰べ尽くせば、彼女の動きは止まる。何の力も失って無力になった彼女を仕留めれば…
そんな私の希望を、シギは即座に否定した。
「どんな生物なのか好奇心がそそられるんだけど、彼女の魔力は無限だよ。色々な味が混ざり合った魔力が湧き上がってくる。そんな風に感じたよ。あれを喰べ尽くそうとしたら、僕はパンクするよ。」
「無限、そんな事…。」
魔力を無限に持っているなんて生き物、聞いたこともない。
「もしかして、"神様"?」
「あれ?エリザも知ってるんだぁ。」
「マリア・テレースが言っていたそうだ。イザークを壊したのも、マリアに力を与えたのも、"神様"がした事だと。」
言葉を失った私の代わりに、アルト先生が説明してくれた。
私は、マリアの独り言を聞いたから知っていた。
シギは、"エリザも"と言った。
どうしてシギも"神様"の事を知っているの?
「僕等にも情報源があるんだぁ。マリアの事をよく分かっている情報源が、ねぇ。」
「情報源?」
「そう。マリアの"妹"だよ。」
マリア・テレースの、妹?




