シギ・サルドという男。 後
ピー
「あぁらら…大変だねぇ、これは。」
帝国でいざこざの対応をしていた僕の頭の上を、甲高い鳴き声を放つ鳥がグルグルと旋回していた。
その小さな鳥が空から降りてきたと思えば、それは一枚の紙に変わった。
その術は、小さい頃に何度も目の当たりにしていた術で、それを使いこなしているのは、今や再従妹のエリザだけだと記憶している。
案の定、紙を開いてみれば、そこにはエリザの名前。
内容は、あぁあと頭を抱えたくなるものだった。
足を走らせ、塔の中を走る螺旋の階段を上る。
階段の終わりには一つの扉があり、そこに行動を共にしている相手がいる。
扉を開き、中にいる人間に出掛けることを伝える。
「オウキ爺さん、僕ちょっと行ってくるから~。」
部屋の中には大きな寝台が一つ。
その寝台の上には、上半身を起こして虚空を見ている青年がいる。その帰国で、この帝国に危機を知らせることになったリヴァイ皇子だ。
その寝台の下には、床に直接腰を下ろし、目を瞑る青年がいる。その姿をとるようになったのは、この数ヶ月の事だったが、まだ慣れそうにない。
「何かあったのかい?」
開かれた青い目は光が宿っていない。
ドロドロとしたものが目から出てくるような気がして、未だに背筋が震える。
「大有りぃ。大事件だよ。」
それでも、目の前にいる青年が危害を加えてこないと確信出来るからこそ、覚えた恐怖もすぐに捨ててしまえる。
数ヶ月前からこの青年の体を自由に使っているのは、曽祖父のオウキ・サルド。一族全員が危惧していたような悪霊となって甦ってきたオウキ爺さんは、一年くらい前に僕達に姿を見せた。それからは、僕達に協力してくれている。
少し前から、あの女に取り込まれかけている皇国に対抗する為、帝国の協力を得ること、そしてあの女の犠牲となったリヴァイ皇子を探ろうとテイガ達と離れ、帝国に入っていた。
まさか、皇帝とオウキ爺さんが顔見知りだとは知らなかった。
サクサクと話を進め、暴れ狂うリヴァイ皇子を鎮めてしまったオウキ爺さんに感動したなんて、絶対に口には出したくない。
「エリザとリアが敵のお膝元に監禁されたって、さ。魔術か何かで拘束されてるみたいで、僕が行かなきゃ駄目だよねぇ。」
「ほぉ」
目を丸めた後に、笑みを作り出したオウキ爺さん。
うん。何かする気だね。
多分、エリザが動けないようにしたのはイザークだ。
あの馬鹿は、捻くれて素直じゃない馬鹿だけど、実力だけは充分過ぎる程のものを持っている。そんなあいつが敵に手中に納まったことには驚いたが、きっと油断したんだろう。あいつは人を見下す悪い癖があるからなぁ。
それを治しきれなかったのは、世話役だった僕の落ち度だ。
あいつが自分の意思で敵についたとは思わない。そんな事有り得ない。
大陸の端まで旅をしていて僕は、すぐに知らせを得ることは出来なかった。だからこそ、余計にイラついて仕方がない。このムカつきはイザークに会って、ボコボコに殴って、魔力全部奪って無能にしてやる事で発散しよう。ずっと、そう考えていた。
並大抵の術師が相手なら、エリザとリアだけで充分対処出来る。
二人を助けに向かえば、きっとイザークに会えるだろう。
久しぶりに、思いっきりイザークの味を堪能してやる。
何かしらの特出した力を持つサルドの血。
僕が生まれ持った力は、魔力を喰らうというものだった。
何時、サルドの血に取り込まれたのか分からないこの力は、誰彼構わずに魔力を奪いとるものだ。だから、魔法使いや魔術師達魔力を武器に使う者達や魔力が命そのものである魔獣からは、とことん嫌われている。
僕にとっては魔力はおやつだった。
喰らった魔力から味を感じた。それの多くは甘く、美味しいと感じられた。だから、僕は魔力を喰らうという行為に何の後ろめたさも嫌悪も感じない。むしろ、積極的に行なうこともあった。
そんな僕だから、物心つく前は大変だったらしい。
自分の気分次第、好きな時に加減なんてする筈もなく喰らう魔力。
そんな僕に付き合わされる両親や祖父母は毎日魔力を枯渇させ、フラフラになっていたらしい。
僕たち家族を見かねて、僕はオウキ爺さんが暮らす本家に引き取られた。
本家の屋敷の周辺には、オウキ爺さんの下僕となった強力な魔獣がたくさん住んでいたから、僕はおやつが食べ放題だった。
まぁ、その分だけオウキ爺さんに良い様に使われていたんだけど。
オウキ爺さんの気に食わない魔術師の住む近くに放り出され、魔力を奪って絶望させてやれと命じられた事もあった。
そんな風に使われなくなったのは、イザークが生まれた頃だった。
今や珍しい魔法使いとして生まれたイザークは、魔力を暴走させる毎日だった。僕はそれを喰らい、イザークを鎮めるのが役目になった。申し訳なさそうに当主は頼んできたのだが、僕としてはイザークの甘くて濃厚な魔力は最高なおやつだったから、何の苦痛も感じはしなかった。時々、他の味を求めてテイガやジェイド、時々セイラのものを味わったけど、それはそれで楽しかったなぁ。
その頃に、オウキ爺さんは死んだ。
あの時の騒動はよく覚えている。大人達がサルドの屋敷や領地の中を右往左往と走り回っているのは面白かったな。
そんな騒ぎがあったにも関わらず、オウキ爺さんはこうして悪霊として甦ってきた。
本当に、世の中って上手くいかないね。
それも、これも、あの美味しくもない、始めて味わうような不味い魔力の女のせいだと思うとイライラするよ。
一度、あの女の魔力を喰らってみたことがある。
皇国に出向いた皇太子妃マリアに何とか近づいて、バレないように少しだけ魔力を喰べた。
その味は、もう最悪。
苦くて辛くて、ドロドロして、ピリピリして…
この世の不味いという味覚を全部混ぜ合わせたような味だった。
その魔力の奥深くに違う味の魔力があるのを感じたけど、それには触れることは出来なかった。
「って事で、僕は行くから。」
「あぁ。…お前なら大丈夫だろうが、気をつけて。」
一応、血に宿る破邪の力は強い方だと言われている。それに、オウキ爺さんからお守りになる白石を預かっている。
「多分、エリザ達を回収したらテイガ達の方に行く事になるから。僕がいないからって、変な事とかしないように。」
こう言っておいても無駄なことは知っている。
あの女が帝国を揺さぶり、魅了の力を流しやすくする為に送り込んでいる奴等がいることを知っている。オウキ爺さんがそれらを玩具にして遊ばないか心配だった。
あの体に使われている青年は必要だったから、と諦めることは出来るけど。
別に、敵の心配をしている訳じゃない。これ以上、悪霊伝説を大きくしてサルド家のイメージを変にしないで欲しいなぁ、と思うだけ。
なんて事、オウキ爺さんの耳には届かないことは分かっている。
「なんで此処にオウキ爺さんがいるのさ。」
帝国から、王国の王都まで。
馬を駆け、馬が本能を発揮して動くことを嫌がるようになれば自分の足を使って、僕は懐かしい王都に足を踏み入れた。
そこはすでに、マリア・テレースの領域。
頭が痛くて仕方がない、甘い匂いが充満している。うっかり魔力を喰らおうものなら、吐き気が込み上げて倒れてしまいそうになる。
エリザの手紙にあったバッカスの屋敷に向かい、忍び込む。
その時、センスの悪い馬車が屋敷から道行く笑顔の人間を轢き殺しながら城に向かって走っていった。馬車から放たれる魔力と匂いに、その中にいるのがマリア・テレースだと考えられた。
これって遅かったって事?なんて最悪な事態を想像してしまった。でも、僕に出来るのは無事を信じて屋敷の中に入り込んで、その姿を探す事だけ。
中庭の植木の中に身を潜め、チャンスを狙う。
それは、すぐに訪れた。
壁を乗り越えて、僕と同じように屋敷の敷地に入ってきた人影があった。よく見てみれば、それはよく知っている顔。テイガの友人であるアルト君だった。
そして、もっとよく目を凝らしてみれば、彼の肩に乗っているのは一匹のネズミ。そのネズミからは見覚えのある気配が感じられた。
「来るなら来るで、僕と一緒に来ればいいんじゃないの、オウキ爺さん。」
帝国で別れたはずのオウキ爺さんがアルト君と一緒にバッカスの屋敷に乗り込んできた。本体は帝国にいるだろうけど、本当に何がしたいのやら。
呆れていれば、屋敷の中からリアが走り出してアルト君に抱きついている。
そういえば、僕ってリアに会った事無かったんだっけ。僕はあの子が物心つく前くらいに会った記憶があるんだけど。今出て行けば、アルト君が証人になって楽に屋敷の中に入れる?
よし、出て行こう。
そう思っていれば、オウキ爺さんがリアの手に移動して、可愛らしい動きをしている。中身を知っている身としては気持ちが悪いと思うのは内緒にしておこう。
「リアちゃん、ママは俺が探してくるから。」
「…うん。お願いします。」
うんうん。エリザは上手くリアを育てたみたいだね。素直で可愛らしい子だ。魔力も美味しそうだ…後で味見させてもらおうかな?
「じゃあ、僕はイザークに会いに行こうかな。」
「あっ、じゃあ僕も。」
気配を消して忍び寄り、リアの肩に手を置いて笑う。
ビクッと震えて固まったリアの肩だったけど、振り返ったアルト君が僕の名前を呼べば、強張っていた肩から力が抜けて、その顔を振り返って見上げてくる。
うん。やっぱり、セイラの小さい頃に似ているなぁ。
「シギって、ママが手紙を書いた人?」
そうだよ、と頷く。アルト君に「早く行きなよ。」「僕に任せて」と伝えれば、とっとも不安そうな顔で屋敷の中に入っていった。
そりゃあ、色々アルト君の前でふざけてテイガで遊んだこともあるけど、こんな時にはしないよ。心外だなぁ。
「で、オウキ爺さんは何してんの?」
「勇敢な青年の手助けを少し、ね。」
つまりアルト君を気に入ったって事?あぁあ、可哀想に。
「さぁ、リア。イザークの所に案内してくれるかな?そこでエリザを待とう。」
ネズミに話しかけられて、まだ困惑しているリア。でも、こっちだよと案内をしてくれるようだ。こういうところはセイラじゃなくてエリザに似たんだね。
クスン クスン
ねぇね
リアと、ユリアというメイドに案内されて入った部屋では、イザークが床に座り込んで泣いていた。それも、シクシクと女々しい女のように。
その光景に唖然としたが、それも一瞬の事。腹の底から笑いが込み上げてきた。
これが、これが、あのイザーク。
馬鹿な奴だ。
油断して突っ込んで、こんなに壊されて。
何の為の家族だ。王都には親も兄も、まだ僕もいた。学園内にはエリザもいたんだ。
一人で突っ走る前に相談すれば良かったんだ。
エリザを危険な目に合わせたく無いんだと言うのなら、僕で良かったじゃないか。イザークが学園に入学して、イザークが生まれた時、10歳の時から務めていた世話係も終わり、僕は旅でもしようかとは言っていた。でも、まだ王都に居たんだ。それはイザークも知っていた。
馬鹿な奴。本当に馬鹿だよ、お前は。
でも、涙を流しているのなら、まだリヴァイ皇子よりもマシだろう。
感情が残ってる。完全に壊しつくされていないという事か。『殺戮人形』と呼ばれているのだと風の噂で聞いていたから、少し意外だ。
イザークと目があった。
「あっあぁぁあ…」
失礼な奴。人の顔を見て、そんな化け物を見たような顔するなんて。
にしても、懐かしい。体は成長しているみたいだけど、その反応は入学前に最後の追いかけっこをして以来だ。あれ、僕の顔に反応している…?
「ど、どうしたの?大丈夫?」
心配したリアが駆け寄れば、リアを抱き締めて背中を向けて丸くなる。なんだか、僕からリアを隠そうとしているみたいだ。
「あぁっぁぁぁぁぁぁ」
絶叫が耳につく。
魔力を喰らい尽くせば黙るかな、と手を伸ばした。
「ふ、ふふふ。良い子だ。とっさに心を守ったんだね、イザーク。だから完全に壊されずにすんだ。他にも何か違いはありそうだけど、リヴァイ皇子のようにならずに済んでようだね。」
リアの肩に乗っていたオウキ爺さんが、絶叫したままリアを抱き込んでいるイザークの頭の上に移動していた。その小さなネズミの手でイザークの頭を撫でて、嬉しそうに笑っている。
そうか。もしかしたらイザークは元に戻れるかも知れないのか。
オウキ爺さんの言葉が、イザークの絶叫の間でもはっきりと聞き取れた。
ストンッと堕ちてくるように僕の心に入ってきたオウキ爺さんの推測は、僕の胸の奥を温かくした。「さっさと自由に何処にでも行ってしまえ」と憎まれ口を聞いて学園に向かったイザークの姿が頭に浮かんだ。
まぁでも、五月蝿いのは本当だから、静かになってもらおう。
大丈夫。動ける程度には残しておいてあげよう。




