シギ・サルドという男。 前
エリザったら困惑してるなぁ。
シギは目の前で、ネズミを見つめて眉間に皺を寄せている再従妹を見て笑った。
まぁ、そうだろうな。
いきなり、自分が一歳になるかならないかの時に死んだと言われていた曾祖父がネズミの体を借りて目の前に現れたら、とシギは考える。そして、自分だったら叩き潰して無かったことにするだろうと結論に達した。
今、ネズミの腹を上にしてリザの手の中で情けない姿を見せている悪霊オウキ・サルド。彼が作り上げた様々な伝説はエリザの耳にもしっかりと入っている。
シギにとっては母方の、エリザにとっては父方の曾祖父であるオウキは、サルド騎士侯家の先々代当主である。
本来なら、明言はしていないまでも事実上テイガが当主となった事を考えれば、三代前と言うべきなのだが、サルド家は爵位と忠義を尽かしてきた主を失い、エリザの父の代で一度終わりを迎えた。これからは、本家嫡男であったテイガが新しいサルド家を纏めていくだろう。新たな安住の地を定めるのか、守るべき主を定めるかは、テイガが決める事だ。マリアの手を逃れる事が出来た一族たちは、ただその決定に従おうと沈黙を守っていた。
サルドの一族は結束が固い。その中心には必ず本家があり、サルド家に生まれた者が最後まて貫くものは、己を極め強くなる事と本家に従う事のみだと言われている。
オウキは、その結束の固い一族の、本家の一人娘を妻にし、入り婿となった人物だった。すでに、一族内から一番強い男を夫にして当主にすると決まっていたにも関わらず、オウキは妻も、サルドの当主の地位を手に入れた。
オウキは、目を見張るような人生を歩んだ人だった。
東の果ての島国で、国の中枢で重んじられる『破邪の巫女』の後継者として誕生した。しかし、忌み嫌われる男女の双子、その血筋に一度として生まれたことの無い男児であった彼は野に打ち捨てられ、魔獣によって育てられた。魔獣たちの力を自らのモノとして、歴代に勝る破邪の力を成長させ、その力を持って彼は国を我が物にした。
光の下で、慈悲深き麗らかな巫女姫として民を慈しみ導いた。
闇の下で、魔獣や悪霊を率いて国に恐怖と混乱をもたらした。
それを暴き、止めたのが、修行の旅の途中で立ち寄ったジャスミン・サルドだった。
幾重にも重ねられた封印によって幽閉された筈の彼は、王国に帰ったジャスミンの前に現れた。10歳も年下のジャスミンに惚れて追いかけて来たという彼は、拒絶し諦めさせようとしたジャスミンの多くの条件全てを難なくこなし、口煩い一族、サルドに心酔する者が多い軍部を、幾つかの戦場で実力を示す事で味方にしてしまった。
その頃には、すでに30代後半に差し掛かろうとしていたオウキだったが、その容貌は妻であるジャスミンよりも若く美しい少女のようだった。その事を嘲笑った王候貴族は、頭が真っ白になり挙動不審となる程の恐怖を味わい、口を閉ざした。
そんなオウキは、100歳を越えた頃大往生を迎えた。末の曾孫イザークの顔を見た後の事だった。その波乱に満ちた人生に似つかわしくない、家族に見守られながらベッドの中で眠るような顔をしていた。
その頃、国に仕えていた預言者がサルドの名が近い未来に王国から消えると告げ、命を落とした。それを聞いたサルドの一族は、亡くなったオウキが悪霊や悪しきモノとして甦り、災いをもたらし、一族は王国から出ることになるのではと考えた。サルドが滅びるなどと頭に過ることもなかった。
血の繋がった家族でさえもオウキの生前、様々な苦難をもたらされている。彼等が予想して恐れたことを間違っていると言えるものはいなかった。
シギは、その時の騒動をしっかり覚えている。
曾孫達の中でも年長で、覚えたばかりの魔術を使いたくて堪らない子供を強制的に止める術を持つシギは、本家の片隅で一族の子供達の世話をしていた。
シギも、オウキには大変な目に合わされていた。
シギは、他者の魔力を喰らうという力を持っている。その力がある為に、幼い頃から魔術が関わる事件などに駆り出される事も多かった。そうやってシギを連れ回す事が一番多かったのは、オウキだった。
幼子が遭遇するべきではない竜などの魔獣と対峙するなど日常茶飯事、危険な目にも何度も遭遇した。
オウキの人外染みた部分も多く見た。
だから、シギもオウキならあり得ると青ざめる大人達を見ていた。
「ど、どういう…」
何を聞けばいいのかも分からない程、エリザは混乱しているようだった。その姿は、一年程前に死んだ時と変わらない姿を現したオウキに、声を失って驚いたテイガ達やシギを見ているようだった。
「オウキ爺さんなら、絶対に悪霊みたいな存在になって一族とか国とかも関わらず玩具にして遊び出すって一族の総意が下ったんだ。だから、遺体は一族総出で封印に封印を重ねて、罠を仕掛け、何重の結界を施した一族の墓地に安置された。東の果ての島国から、今代の『破邪の巫女』の力を借りて、オウキ爺さんが化けて出ないように出来うる処置は全て施された。」
「えっ、もしかして、一族の墓が壊されていたのは…」
父達が亡くなった時、せめてサルド家の先祖達が眠る墓に眠らせてあげたいと話し合い、テイガがアリス達と遺体を王都の端にあるサルド家の墓に運んだ。けれど、父達の遺体はエリザ達が待つ街に帰ってきた。涙を流していた兄テイガに尋ねれば、王都の墓は粉々に成る程破壊され、墓地を覆っていた小さな森は燃え尽きたままの姿を晒していたと嗚咽を漏らした。初めて見た兄の泣いている姿をエリザは忘れないだろう。
サルドを徹底的に消し去りたい王達が行ったのかと思っていた。マリアに『破邪の力』が効くと知ってからは、その遺体に残る破邪の効果を恐れて…。エリザはそう考えていた。
「あの当時は分からなかったんだけどねぇ~。一年くらい前かな?色々と策を考えてた僕達の前に、オウキ爺さんが現れた。もぉ、真っ黒過ぎる空気を纏って一目で悪霊だって判断出来るような姿だったんだよ?」
驚き、言葉も出ない曾孫達に、オウキはニタリッと邪悪な笑みを浮かべて話をした。
墓が破壊されたのは、サルドが王都から去った直後の事だった。
その頃はまだ、マリアの力は学園と王城にしか効果が届かず、墓を壊した者達はしっかりと正気だった。
男達の目的は、サルドの血肉、その骨に宿る力。魔道具の最高級の材料として価値だった。多くの魔術師たちが喉から手が出るほどに望むサルドを材料にした魔道具。これまては、サルド家を敵に回す事が出来ず諦めていた。しかし、サルド家が王都を追われたとあれば、墓地を荒らしたとしても恐れなければならないものは何もない。
男達は、侵入者を阻み幻影を見せていた森を焼き払い、石造りの建物となっている墓地に足を踏み入れた。
彼らは意識することなく、サルド家が内から出ることが出来ないようとしている結界や封印を破壊し尽くしてしまった。
そして、目覚めてしまったのが、オウキだった。
目覚めたオウキは、侵入者達の生気を取り込み、存在と力を強めた。
幸いな事に、オウキの力を増すのに必要なものは整っていた。戦争、貴族の粛清、オウキの力を増すのに必要なものは事欠けなかったのだ。
そして、破邪の力を宿す曾孫達にも会うのに支障がない存在となって会いに行けるようになったのが、一年ほど前のことだった。
なるべく、エリザやリアを巻き込みたくなかったテイガ達に、悪霊になったことで半減したものの、オウキは破邪の力を貸し与え、惜しみ無く協力した。
オウキが現れたお陰で、幾つかの事を進める事が出来た。
けれど、神様によって力を増したマリアに、最早オウキの力で対抗することは難しく、エリザの協力がどうしても必要になっていた。
マーク・バッカスが愚かな行動に出なくとも、エリザの平穏な生活は終わりを迎えようとしていたのだ。
シギは腕を伸ばし、エリザの頭を優しく撫でる。
「シギ?」
驚愕の眼差しをネズミに向けていたエリザが、視線を上げた。
「さぁ、早くここから出ようかぁ」
エリザの頭に置かれていた手が、ゆっくりと頭から離れ、エリザの首に巻かれた布に滑り落ちた。




