アリス、オリヴィアという女。
本日の更新二つ目です。
再び戦場の中に降りたテイガ達は、ホークス候爵たちを説得し、死の荒野からの撤退を始めた。彼等が完全に撤退を終えるまでの間、戦場の上空には大きな鷹が旋回を続け、皇国兵たちの足止めを買って出ていた。
疲弊しきった者、国を捨てる事になった事を悔やむ者たちを護りながら、テイガ達は歩き続けティグ王国の国境を越える所まで辿り着いた。険しい山岳を越えなければティグ王国に入ることさえ出来ない。その為、国境まで転送の魔術を使えるものを送ってくれるとティグ王国から連絡が来ていた。
テイガ達はここまで、迎えとの合流までだと足が鈍る者たちを励ましてきた。
「お疲れ様です、テイガ殿。そして、皇国の方々。我がティグ王国は貴殿方を歓迎致します。」
山裾に広がる森を抜け、角度のきつい山道に差し掛かろうとした時、テイガ達の前に開けて空間が現れた。木が避けるように空いているその場所には、ティグ王国の軍服を纏った男達と、男達と同じ軍服を纏った一人の女性が待ち構えていた。
「姫さん、直々のお出迎えか。」
「この件に関しては、私に一任してもらっていますから。」
テイガ達の驚きの顔に、悪戯が成功した子供のように笑顔を浮かべる女性。
緑の髪を頭の後ろで団子状に纏めあげ、男達と同じ軍服の上には真っ白なマントを羽織っている。その汚れ一つない色で、ホークス候爵たちは彼女が王国でも高位にある人物であると予想出来た。
「私は、オリヴィア・ティグ。貴殿方の愛する皇国を破壊した存在を倒したいと考える者です。彼女達のやっている事は許されざる事。世界が喰い物にされようとしている事を見過ごす事は出来ません。どうか、私達に協力して頂きたい。」
テイガを見ていたオリヴィアの青の目が、疲れ果てているホークス達へ真っ直ぐに向けられ、頭と心に染み込む声が終わると同時に、その緑の頭を深々と下げた。ティグという国名を名乗ることの出来る、王族であるオリヴィアの旋毛がはっきりと見える程に折り曲げられた体。
その姿に、ホークス達皇国の者だけでなく、テイガ達も、そしてオリヴィアと共にいた王国の者たちまでも大いに慌てさせた。
「ひ、姫!王妹ともあろう方がそのような!?」
「お、王妹!?」
王国の兵たちの驚きの声と頭を上げさせようとする動きに、惚けてしまったホークスも我に返り、そして明かされた身分にまた顎を外してしまった。
「これが、私のお願いの仕方だもの。身についてしまっているから直しようも無いわ。」
部下達に注意され、オリヴィアは困り顔に微笑みを浮かべ頭を上げた。
「そうだ。皇国から避難して来た民たちを保護しています。領主様の指示だと言っていましたが、貴殿方の指示に従った者たちではありませんか?」
オリヴィアの行動に呆気に取られたままになっていたホークス達も、その言葉を聞き目に光を宿した。細心の注意を払って送り出したとはいえ、無事に逃げられる可能性は成功するよりも低いものだと覚悟している部分もあった。
「すぐにお会いになれるよう、転送先の町に待機してもらっています。」
ホークス達の反応にオリヴィアは笑い、部下達に転送術を発動させるよう指示を出した。
転送術が発動し、地面から光を放っている円陣の中に、最後となった皇国の者の背中が消えた頃、その上空からピーッという鳥の鳴く甲高い声が聞こえてきた。
「何かしら?」
警戒を露にして上空を睨みつける。
見上げた時には黒い点のように見えた。しかし、ジッと睨みつけていると、その点は段々と大きくなり、それが小さな鳥だということが分かってきた。
「爺様から、か?」
落ちてくる、と言ってもいいくらいに真っ直ぐに鳥はオリヴィアたちの下に向かってきていた。その不自然な鳥に、テイガ達は紙を鳥の姿に変じて言葉を伝える術を思い出した。
鳥は、その姿がはっきりと見える程に近づいてくると速度を緩め、今度は普通の鳥のように羽ばたきながら、テイガの手の中へ降り立った。
そして、テイガ達の予想通り、一枚の紙となって鳥は姿を消した。
「…」
「何が書いてあったの?」
紙を開いて書かれている手紙を読むテイガ。その眉間に深い皺が寄せられていく様子に、隣に立つアリスが尋ねた。カーズもバーグも、そしてオリヴィアも気になり、黙ってその様子を見守っている。
「……エリザとリアがマークによって王都のバッカス邸に連れて行かれたらしい。マークは、一応正気に戻りかけているから、あの女に知られる心配は低いだろうと書いてある。自力では脱出不可能の為助けて欲しいそうだ。」
「そこまで愚かだったのね、バッカスは。」
テイガは手紙に書かれた内容を読み上げる。アリスが冷たく吐き捨てた。元々、アリスはマーク・バッカスが気に入ってはいなかった。
「アリス、後は頼む。俺、行ってくるわ。」
戦いの鍵はエリザだ。だが、それ以上にテイガにとってはエリザとリアは大切な家族。死んだ両親や弟妹の墓に向かい絶対に護ると誓った事を、テイガは生涯忘れないだろう。
「…分かったわ。」
すでに心はシャール王国の王都へと向かっているテイガの顔を見上げ、アリスは両手を握り締めた。その左手の薬指に白い石の嵌まった指輪が光を反射している。
その指輪を外し、アリスはテイガの手に握らせた。
「持っていって。王都なんて敵の本拠地。破邪の力の弱い貴方では危険過ぎるもの。」
「これは、お前が持ってろよ。お前だって強いとは言えないだろ。」
指輪を握らせた後離れていくアリスの手を掴み、テイガは指輪を返そうとした。
しかし、アリスは頑として受け取ることを拒んだ。
「いいから。弱いっていっても貴方よりはマシだわ。さっさと行って、さっさと助けて、さっさと帰って来て。じゃないと、貴方の帰る場所は無くなっていると思いなさい。」
「おい。なんだよ、それ。」
テイガに手を掴まれたまま、アリスは足を一歩二歩と下がらせて、テイガを突き放す動作をした。その行動と言葉に、テイガは眉を顰める。
その言葉はまるで…
「私が幾つになったと思っているの?こういう状況じゃなきゃ、さっさと見切りをつけている所だわ。言っておくけど、選択肢はたっぷりあるのよ、私。」
アリスはテイガの一つ下、今年29歳となった。
本当だったら、サルド家が全てを失ったあの年に結婚する筈だった。貴族としては随分と遅い年齢だが、軍人であるテイガの多忙さが理由で婚約期間が延びに延びていた。
「…馬鹿言えよ。俺以外のどんな男が、お前みたいな物騒な女の相手が出来るっていうんだよ。」
テイガはアリスの腰に空いている手を回し引き寄せると、自分の腰を屈め、掴んでいたアリスの手を自分の頬に当てた。アリスの手の周りはよく見れば歪んでいる。そして、その手を当てているテイガの頬にはピンク色の揺らめきが見えた。
二人の顔が、次第に近づいていく。
「だったら、五体満足でさっさと帰ってきなさいよ。」
「帰るさ。二人を連れて、お前の所にな。」
「リアジュウバクハツシロ。」
一応、空気を読んで物音を立てないように見ていたオリヴィア達だったが、テイガとアリスの顔が重なり合いそうになった時には我慢出来なくなったようで、オリヴィアが世界中を旅したことがあるカーズも知らない言葉で何かを呟いた。
「何、その呪文。」
「恋人同士がいちゃついているのを見た時に言うお呪いです。」
「へぇ」
ニコニコ笑っているが、その言葉は不穏な色を含んでいるようにカーズとバーグは思った。その後ろでは、オリヴィアの部下である一人の男が「姫様、お可哀想に」と軍服の袖で涙を拭っていた。
そういえば、オリヴィア姫って21歳だけど婚約者いなかったような、とカーズとバーグは口をきつく結んで余計な言葉を言わないよう注意した。
「ちなみに、テイガ殿。」
オリヴィアがかけた声で、テイガとアリスの目がお互い以外を映し出した。
「アルト殿はすでに向かわれましたよ。」
「はぁ?」
学生時代に意気投合して親友となった男の名前に、テイガは首を捻った。一瞬、オリヴィアの言っている意味が分からなかった。
「私達と一緒に待っていたのですが、鳥の手紙が届いて慌てて向かわれました。」
「ちょっと、待て。アルトこそ危ねぇだろ!?」
アルトは平民の出だ。努力を重ね学園に入り、医者、そして傭兵になった男で、破邪の力なんて欠片も持っていない。そんなアルトがテイガでも危険な王都へ向かった。それは、ただの自殺行為だ。
テイガは顔を強張らせた。アリスも、そしてオリヴィアの横にいるバーグもカーズも同じような顔をしている。
そんなテイガ達に、オリヴィアは自分の左手を持ち上げてみせた。
「だから、お渡ししました。言っても聞いて下さらなかったので行かせましたが、流石に一人では無謀でしょう。テイガ殿もお早く。」
オリヴィアの指に、いつもは嵌められていた物が無いことを見て、テイガはホッと息を吐いた後、足早に山を下っていった。
「じゃあ、すぐ帰るからな!」
そんなテイガの言葉が山の中を響き渡り、何度も何度も聞こえてきた。
次回、アルト先生の出番となります。
土日は、番外編の方を更新します。(急遽遠出することになったので出来たらになりますが…)
「破邪の巫女」か「IF世界でマリアがサルド一族と関わる話」のどちらかになると思います。




