序章・後
「黙れ!」
痛いところを言われて怒鳴るだなんて、騎士のすることではないでしょう。
何も持っていない女に、剣を抜くのも。
これでも騎士候の娘。
貴方の手が、今日は持っていない剣へとのびたのを見逃しません。
「ママを苛めないで!」
あぁ、もう。
貴方が大声で騒ぐから、起きてきてしまったじゃない。
「リア。部屋に戻っていなさい。」
熱があるのだから、安静にしていないといけないのに。
生まれると同時に母である私の姉を失ったリアは、育てた私のことを「ママ」と呼ぶ。姉の絵姿を見せてちゃんと説明してあるのだが、そう呼ぶことを止めてくれない。
「ママ?あいつとの子か」
なんで、そんなにショックを受けた顔をしているのです?
あなたには関係ないでしょう。
それに、まだ勘違いしている。馬鹿馬鹿しい。
「あなたには関係のない話でしょ?もういいから、帰ってくれないかしら」
あの時言えなかった、あれから色々と増えていった言いたいことも言ったし、もう彼とは何の関係も無いのだから、さっさと消えてくれないかしら。
「関係ないって!俺は!」
「赤の他人でしょ?他人ごときが、私とリアの大切な家に入り込まないで。」
「・・・そういえば、叔父様達はどうした。」
無駄に勘のいいところは変わりのないようで。
首を巡らせて、家の中の様子を探るのは止めてくれないかしら。
「家の中にも、それらしい痕跡もない。」
「私の家族はもう、この子だけよ。」
もういいでしょ、帰って。
リアの背中を押して、部屋に戻るように促した。
その間も、彼を睨みつけることを止めず、押し黙っている彼にさっさと帰れと視線で命じた。
彼の足が後ろに下がったのを見て、あぁ帰ってくれるなと安心した私は、むずがるリアを部屋に連れて行こうと、彼から目を放してしまった。
「まて、エリザ!どういうことだ!!」
「きゃ!」
後ろから伸ばされた彼の手に腕を掴まれ、バランスを崩して倒れそうになった私は思わず悲鳴を上げてしまいました。
「ママに何するの!!!」
私の腕を掴んだままの彼の足に殴りかかるリア。
音にするのなら、ポコポコと音が出そうな、鍛えていなくても痛みなど感じないだろう弱弱しい拳。けれど、リアの必至さは、彼女の真っ赤な顔から分かります。
そんな風に興奮したら、体調を崩してしまうのに。
それでも、少し嬉しく思ってしまったのはしょうがないものでしょう。
「ちょ、待て。おい。」
「やめて!」
痛みは無くとも、鬱陶しいとでも思ったのか。
彼の手がリアに伸びようとしました。
その光景が、あの時私に殴りかかった彼のそれに重なって・・・。
リアが殴られる!私はそう思ったのです。
「おいっ」
リアと彼の間に入り込み、リアの身体を全身を使って包み込みました。
触れるリアの身体は熱を持ち、あぁやっぱり熱が出てきていると、無茶をさせてしまった自分を責めます。
彼に向けた背中に、何時まで経っても拳は落ちてこないなと思いながら、私の中が真っ白になっていきました。
「ここは?」
「目が覚めたか。」
目が開けると、あの時以降感じたことのないフカフカなベットの感触を感じ、クリスタルがキラキラと輝いているシャンデリアのついた天井が見えました。
「栄養失調と疲労だそうだ。お前は、あれから一週間眠ったままだった。」
ボーッとしながら、声の主へと目を向けると、そこには彼がいました。
「俺が殴るとでも思ったのか?」
自嘲気味に問いかけてきた彼の言葉に、彼からリアを守ろうとしてその後の記憶がないことに気がつきました。
彼の言葉を噛み潰して、しばしの間を空けて、私は答えました。
「だって、あの時あなたは私を殴ったじゃない。
こちらの言い分も聞かずに殴って、倒れてもなお話をしようとした私を王子は蹴った。
あの後大変だったのよ?気がついたら二日経っていたし、頬は腫れてしばらく治らなかったし、胸は骨にひびが入っていたし」
今でも、気候が崩れると胸が痛む時がある。
「あの子は、私が守らないといけないもの。」
「何があった。」
感情の見えない声で聞かれると、教えてもいいかと思いました。
「8ヶ月後に姉が死んだわ。あんなに愛し合って望まれて嫁いだ夫に捨てられた事で心を弱らせて死んだわ。」
リアの事は言わないでおく。離縁されて追い出された時にすでにお腹にいて、心を弱らせて死んだ姉のお腹を兄が切り開いて取り出すことで生まれることが出来た可愛い姪っ子。
もしかしたら、それを聞いた姉の夫であった男が、リアを連れて行ってしまうかもしれないと恐ろしく思うから。
「父たちは傭兵をして私たちを養ってくれたわ。
でも、あの戦争に巻き込まれて、父と下の兄は亡くなった。父の遺体は見つけることが出来たけど、兄は見つけてあげることは出来なかった。戦争に関わらなければいいと言ったのに、申し訳なさそうに家を出て行った姿は忘れることは出来ないわ。」
父の遺体と兄の形見は、湖があった場所に作った石を積んだだけしか出来なかったお墓に入れた。代々のお墓に入れてあげようと、上の兄がこっそりと王都に出向いてくれたけど、墓は壊され跡形もなくなっていたと涙ながらに帰ってきた。
「その二年後に、母は傭兵の仕事の最中に事故で死んだわ。」
もしも、母が居なかったら未熟児で生まれてきて、何度も死に掛けたリアを育てることは出来なかっただろう。父のお墓の隣に眠っている。
「上の兄は、生きているけど何処にいるかも分からないわ。簡単な手紙とお金は送られてくるけど、居場所は知らない。」
本当に簡単な手紙だ。「元気か、俺は元気だ。そのうち迎えに行く。」毎回、同じ。騎士候家に伝わる秘密の印があるから、本人だと確認できるくらいだ。
「私に残された家族は二人。兄が近くに居ないのなら、リアは私が守らないといけないの。そうじゃないと、父たちに顔向けできないわ」
「リアは何処?」
そうだ。どれだけボーッとしていたんだろう。
リアは何処にいるの?
「隣の部屋にいる。・・・勝手なことをしたと言われるだろうが、体調が悪そうだったので医者に見せた。家から持ってきた手持ちの薬を飲ませて、お前が眠っている一週間は、うちのメイドが付きっ切りで面倒を見ていたから心配するな。」
良かった。
えっ?メイド・・・?
「ここは何処!!」
「おい。急に動くな!」
寝台の上に起き上り、そのまま飛び降りようとした私を、彼は制止します。
「俺の屋敷だ。」
肩に手を置いて立ち上がれないようにしている彼を睨みつけると、渋々と答えてくれました。
屋敷?
彼の?
ということは、ここは王都?
「馬鹿じゃないの!?」
彼の手を振り払い、クラリと揺れる目を我慢して立ち上がりました。
久しぶりに感じる絹の寝巻きをイラッとする以上に、人が寝ているのをいいことに勝手に王都にまで連れてきた目の前の男に、お腹が煮えくり返ります。
「馬鹿じゃないの?辻馬車を乗り継いでも、あの街まで幾らすると思ってるのよ。」
庶民の足として大人気な格安の辻馬車。
それを使ったとしても、簡単には手に入らない額がかかります。
ましてや、リアの体調が持つかどうか。
あぁ、何かお金になりそうな物、見につけていたかしら。
そうだ。つけていた筈の髪飾りでも売れば、それなりになるわよね。
あれは、まだ王都に居た頃に御父様が買ってくれた、形見代わりに残してあった最後の髪飾りだもの。多分、纏まったお金にはなるわよね。
「マーク。私の服を返して。街に帰るから。」
麻で出来た、中古品を格安で手に入れて少しずつ直しながら大事に着ている服。
今、見につけている絹の寝巻きから見ればゴミのようなものだけど、あれが今の私が…
「帰る必要は無い。」
はぁ?
何を言っているの?
「ここに居ればいい。」
「馬鹿を言わないで。私達は家に帰るわ。」
「駄目だ。帰さない。ここにいろ。」
そういうと、マークはさっさと部屋を出ていきました。
ガチャン
一瞬、何の音か分かりませんでした。
はっと音の正体を思い至り、裸足のまま扉に駆け寄りノブに手をかけましたが、ガチャガチャと音を立てるだけで、扉は開きません。
「開けなさい、マーク!!!」
「駄目だ。ここにいれば、いいだろう。あんな場所に戻らなくてもいいだろ。」
ざっけんなぁ!!
私達の大切な家を、あんな場所ですってぇ!!
絶対に、リアと二人で帰ってやる!!
色々とご感想ありがとうございました。
もう、腹を括ってしまおうと思います。
一つ連載も終わらせましたので、少しずつ書いていきます。