テイガ・サルドという男。 前
戦場が舞台です。残酷描写も少しありますので、御注意下さい。
テイガの話ですが、テイガの登場は次話となります。
破滅の香りが漂い始めたシャール王国には、隣国と呼べる国が三つある。
近隣諸国だけでなく大陸を二分すると言われる程の勢力を誇る二つの大国と、険しく危険な山岳地に守られ千年の不可侵を守る一つの小国、これら三国だ。
西にあって年々存在感を増しているのが、三代前の皇帝が提案した革新的な制度や文化を持って国を作り変え、弱小国から大国にまでの繁栄を築いたアラダ帝国。伝説上の怪物である、蛇の尾と鷹の翼を持つ獅子を国の象徴と定める国である。好戦的であった先代皇帝の御世には近隣諸国全てを戦場に変え、帝国より西には複数の属国を得た。今代皇帝が即位して以降は積極的な軍事行為は終わりを迎え、周囲の国々と友好的な関係を結ぶようになり、警戒されながらも強い影響力を与える国となった。
北には、あまり交流する事がない、険しい山岳地として僅かに国境を接するティグ王国。羽ばたく鷲の紋章を掲げている。
危険に溢れ人が寄り付かない険しい山岳が他国からの交流を阻み、小国ながら大国の干渉や侵略を退けてきた国だ。山地に住む少数民族を纏め、他国では作れない作物や山々から採取される豊富な資源、独自に発展した魔道具などを他国に輸出する事で、大国に匹敵する潤沢な財源を有している。
東にはシャール王国が建国される以前から歴史を刻む由緒正しき大国フォグス皇国がある。この国もまた、伝説上の怪物である翼を持つ蛇を象徴と仰いでいる。国土だけでいうのならアラダ帝国よりも広大なものだ。ここ数代の内に、そこから生み出される農作物を元に商いを発展させ、今では大陸の商業の中心と言われるようになっている。そして、皇国の東に幾つも存在する小国にとっては、今だに強い軍事力を保つ帝国の脅威を阻んでくれる同盟の盟主でもあった。
そんな国々に囲まれ、特に大国二つに包まれるようになりながら、一輪の薔薇を紋章に使用するシャール王国が存在し続けることが出来たのには理由がある。脅威に晒されることが無くなったシャール王国では知らぬ者も増えているが、他国では子供でも知っている、死にたくなければ手を出してはならないという教えと共に。番犬とも狂犬とも呼ばれるサルド家が王国に仇なす者を許さない、それがシャール王国が今まで無事に平和を甘受出来ていた理由だった。
フォグス皇国の東の外れには土色の荒野が広がっている。ここ以外の全ての国土が緑に溢れているというのに、この荒野だけは時の皇王が木を植えようが、草木に干渉する力を持つ『緑の民』と呼ばれる少数民族が王国から招かれ介入しようが、若葉一本芽吹く事が無かったと伝説を持つ場所だった。風が一吹きすれば砂が舞い上がって視界を奪い、雨は年に数度しか落ちては来ない。皇国の東に立ち並ぶ小国へ向かう、利益主義の商人たちでさえ、荒野を通る事を嫌がり遠回りになる道を選らぶ。それ程にこの荒野は人々に恐れられていた。正式な名もあった筈だが、人々は「死の荒野」と呼び、何時の間にかその名こそが本物の名称となっていた。
滅多に、人どころか鼠一匹、鳥一匹、足を踏み入れる事の無い死の荒野ではあったが、最近はその様子を一変させていた。
死の荒野には、人が踏み鳴らす足音が轟き、人々の声が行き交い、そして鉄と鉄が打ち合う音が鳴り響く。見渡す限り雲一つ無かった青空には、黒い煙が立ち上るようになった。
今、死の荒野は戦場と化していた。
戦場と化した死の荒野には、3種類の人がいる。
フォグス皇国の紋章、翼を持つ蛇の旗を掲げ、立派な鎧を身につけ、乱れの少ない規律正しい動きで前へ前へと突き進む、フォグス皇王の勅命を受けた皇国軍。
様々な色、形と統一性の無い鎧を身に付け、皇国軍の三分の一程の規模で突き進んでくる皇国軍を迎え撃つ形になっている、皇国各地から集まってきた一部貴族の私兵や領軍、皇国からは逆賊、反乱軍と呼ばれている者たち。
そして、ピクリとも動かず地面に伏せる、物言えぬ亡骸たち。
その戦況は拮抗していた。
各地で火種が燻り始めたと皇国軍の各地への派遣が決定した時には、元々の個々の力量に、訓練を受けてきた人数、国が背後にあるという物量、どれをとっても皇国軍が圧勝し、すぐに鎮圧されると言われていた。
けれど、皇国内の各地で立ち上がった逆賊たちは皇国軍との戦いを繰り返し、何度も敗走し仲間の数を減らしながらも決して諦めることなく、各地からこの死の荒野へと集結してきた。追い詰められた反乱軍との戦いもすぐに終わると思われたが、死の荒野での火蓋を切ってからすでに3日、戦いは続いている。
物資も少なく、仲間も数を減らすだけの中で戦いと敗走を繰り返した事で疲れを隠せない様子を見せながら、それで反乱軍から弱音を吐く声は一つも聞こえてはこない。
それは、反乱軍とされる彼等の表情にも現れている。鎧の型も色も、身分も生まれ育った地も違う何もかもがバラバラで寄せ集めである反乱軍の彼等だったが、その顔に浮かぶものは同じ。一様に「負けるわけにはいかない」という決死の思いが滲み出ている。
それも、その筈。
反乱軍と呼ばれようと逆賊とされても彼等が諦め、皇国軍の前に散ることになれば、彼らの愛する皇国が終わりを迎える事になってしまうのだ。
だからこそ、その魂の奥底から皇国を愛する彼らは剣を捨てるという選択を考えもしないし、逃げ出そうと体を後ろに下がらせようともしない。剣を向ける相手の中にかつての友がいようが、逆賊、反乱軍と心を引き裂かれそうになる呼び名をつけられようが、仲間として集まった者たちの中から次々と裏切者が現れようと、彼等は自分達の中にある誇りと愛国心を手放す事なく、戦場で剣を振り続ける。
事の始まりは、たったの1ヶ月前の事。
シャール王国王太子妃が皇都を訪問した時からだったと、反乱軍の首謀者と皇国に見做されているホークス候爵は言う。友好国の王太子妃として、歓迎の宴に出席した皇族・貴族の前で挨拶した彼女の一言から、皇王や皇族たち、出席していた有力貴族たちの様子が可笑しくなり、皇都では咽るような甘い芳香が漂うようになっていた。
ホークス候爵を始めとする、逆賊と呼ばれるようになってしまった貴族たちは、現在の皇国で主流派に属する立場ではなかった為、普段から皇都の宴に招待される事が無かった。その為、シャールの王太子妃訪問の知らせは受けても皇都に出向く事無く、彼等は自領に篭り仕事や趣味に耽っていた。そのおかげで、ニコニコを笑みを浮かべて「マリアの為に」と呟くだけの、壊れた人形のようになってしまった皇族や貴族たち、そして皇都の民たちのように成る事なく、正気を保つ事が出来ていた。彼らが異変に気づき、皇都や他の貴族たちに連絡を取ろうとした時には、すでに事態は進んでいた。微笑むだけの人形となった皇族や貴族たちは自領の民たちもまた、微笑み「マリアの為に」と呟く人形に変え始めていた。
ホークス候爵は、ニコニコと笑いながら迫る皇国軍と剣を交えながら、皇国軍の中心で掲げられている御輿を睨みつけた。
四人の男たちに担がれた御輿は、屋根から垂れる白いベールで四方を隠され、中に乗っている人物を外から窺うことは出来ない。
けれど、ホークス候爵が戦いの間に得る事が出来た情報によると、あの御輿を人形となった貴族たちが自領へと連れ帰ると、その領地の民たちもニコニコ笑い「マリアの為に」と呟くようになったという。
各地を巡り、皇国の民のほとんどを人形に作り変えた御輿。
正気を保っていた貴族たちは、自領の平民たちを御輿に遭遇しないようにと秘かに避難させ、自分たちと率いる兵たちは御輿に注意しながら慎重に行動を続けた。
各地から死の荒野へと彼等が集まった時、これが最後の戦いになる、と皇王も判断したのだろう。いや、判断したのは本当に皇王なのか。事の発端であるシャールの王太子妃なのか。それを知る術は反乱軍とされた者たちにはもう残ってはいなかった。
それまで戦場に持ち込まれる事はなかった御輿が、火蓋が切られたばかりの死の荒野に現れた。
御輿は、戦場に悪夢をもたらした。
御輿に近づいてしまった兵士たちが、一瞬だけ動きを止め、次の瞬間には背後にいる仲間だった者へと襲い掛かる。その顔にはニコニコと笑顔が浮かび、口々に「マリアの為に」と呟いていた。
仲間が敵になるかも知れない恐怖、得体の知れない御輿に対する恐怖、勝てないかも知れないという恐怖。
数多くの恐怖に襲われ、彼らは絶望を覚えた。
しかし、そんな彼等の前に降り立った存在があった。
番外編を作りました。
一度こちらに投稿しましたが、アドバイスを頂きましたので移動させました。よろしければ、そちらもご覧頂ければと思います。
今は、マリア(悪)が居なかったらというif話だけですが、サルド一族の話や本編内に出てきたエピソードの回収をしていこうと思っています。
今の所の予定としては『曽祖父との思い出』『エリザたちの幼少期』『サルド兄弟の幽霊退治』などを考えています。




