王太子妃のこと。 後
「それにしても、マークったら遅いわ。」
用意された焼き菓子を全部食べ終わったマリアが苛立ち気にカップを投げ飛ばし、カップが割れ甲高い音が出た事で、私の意識が連れ戻された。
「もう、本当にイラつく。マークだけじゃなくて、他の奴等もよ。私の『お願い』くらい、さっさと終わらせて帰って来なさいよね。私の『お願い』なんだから、命を懸けて少しでも早く終わらせようって思わないのかしら。アズルとアイオロスは皇国、シオンはティグ王国、ロッソは帝国。さっさと帰ってきて私を喜ばせなさいよね。」
フォグス皇国にアラダ帝国、そして第三の国であるティグ王国に取り巻きたちを送って、今度は何をしようというのかしら。
予想は出来る。
でも、想像したくない。
あまりにおぞましい情報の量に、頭が拒否を始めている。
「帝国は梃子摺ってるとか連絡着たけど、そんなの聞きたくないのよ。にしても、帝国っておかしい国。さえない妾の子が可笑しくなったってだけで怒るし、外交官ってカッコいい肩書きの癖にしょぼくて失礼なおっさんが消えたくらいで戦争だなんて。横暴で程度が知れるわね。帝国の人たちも可哀想。あんな皇帝の下にいなきゃいけないだなんて。」
事情を聞かれることを王が拒否して攻められたと聞いていた。
なんてことを!
友好国とはいえ、何の罪もない話を聞きに来ただけの外交官を殺されて黙っているわけがない。そんな事、子供でも考えれば分かることなのに…
「そうだ!!いいこと思い尽いたわ。」
嬉しそうに笑うマリアに吐き気がします。
「そんな横暴な奴等、居ないほうが帝国の人たちも喜ぶわ。
そして、皇帝を消してくれた私は感謝されて、圧制に苦しむ民たちに助けの手を差し伸べた救世の乙女って呼ばれるようになるの。
ふふふ、いいわ。いいわ。私って、あったま良い。」
まるで、それがすでに決められたもののように笑うマリア。
「ロッソに、帝国を大人しくさせてって『お願い』したけど、こっちの方になるように『お願い』し直さないと。」
すでに、国外にまでマリアの手は及んでいたなんて。
もしや、とは思っていたものの、マリアの嬉しそうな笑い声に絶望しかありません。
街でリアと暮らしていた間、情報だけは欠かさずに集めていたと思っていたのに。
そんな情報を得ることは出来ていなかった。マリアの力のせいなのか、私がただ油断していたのか。そんな情報があったのなら、無理を押してでも国外に、もっと遠くに逃げていたのに。
もしかして、テイガ兄様。
帰ってこないのは、国外に出たマリアの悪意と関わっているから。
足から力が抜ける。
目の前が真っ暗になる。
埃が舞い上がる、薄暗い通路にヘタリ込み、エリザは呆然と虚空を見つめた。
あまりの事に、受け入れがたい情報の数々に、エリザの頭は考えることを止めたいと叫びを上げていた。
…………………………………………………………………………
コンコンッ
応接間の扉が開き、執事が姿を見せた。
王太子妃の、ありえない態度と行儀を見ても眉一つ動かさず、執事は「お寛ぎ中失礼致します。」と頭を下げた。
「なぁに?マークが帰ってきたの?」
「いえ。王城より使いが参りました。」
「城から?」
「はい。先程、皇国よりベルテ公爵がお戻りになられ、マリア様にお会いしたいとお待ちになっていらっしゃるそうです。」
「本当!?」
ソファーに寝そべるようにしていたマリアは執事に向かい、目を鋭く尖らせ睨みつけた。けれど、執事は動じることなく口を開いた。
執事が伝えた、城からの知らせはマリアから不機嫌な気持ちを押し出し、笑顔を引き出すことに成功した。何より、ちょうど彼等のことを考えていた時にやってきた知らせに、やっぱり世界は私の為にあるのねとマリアは自分に酔い痴れた。
「帰るわ。マークに伝えておいて。
早く謝りにこないと、マリア泣いちゃうからって。」
もうすでに、マリアの頭にはマークは欠片しか存在しない。
ベルテ公爵アズル・ドュ・ベルテが皇国から帰ったということは、マリアの『お願い』を終わらせたということ。
マリアの『お願い』は『皇国が欲しい』。
マリアが望むのは、世界。
何故なら、この世界は神様が、妹に嵌められ殺されてしまった可哀想なマリアの為に用意してくれた、マリアが愛される、マリアが自由にしていい世界なのだから。
世界が一つになり、マリアが一番上になることが、世界が望んでいる事なのだ。
マリアが望む称号は『女神』。
こんな小さな国、マリアにとっては練習と実験に過ぎなかった。
神様のうっかりで世界に生まれてしまったバグは取り除いた。だから、後は世界を攻略していくだけ。
マリアを愛する僕たちが全て上手く取り図ってくれる。だって、それがマリアの『お願い』だから。
そう、マリアは考えていた。
王太子妃マリアは、マリアの築き上げた巣へと帰っていった。
…………………………………………………………………………
そこは小さな窓に格子が嵌められ、大きな寝台が一つだけ置かれているだけの、質素な部屋だった。
壁という壁には、ぶ厚く柔らかな布が張り巡らされ、床にもまた歩くのもやっとな程柔らかな一枚で出来た絨毯が敷かれている部屋の、中心に置かれた大きな寝台には、虚空を見つめ惚ける青年が寝かされている。
格子窓の外から聞こえる音にも、部屋に入ってきた男にも反応を示さず、ただ寝かされたまま天井を焦点の合わない目で見ているだけの青年。
その服から覗くことが出来る全身には、引っかき傷、切り傷、擦り傷、打撲痕、ありとあらゆる傷が大小それぞれ刻まれている。
特に、首には躊躇いのない大きな傷痕があった。
「貴方が来てくださってから、リヴァイは大人しくなりました。自傷することもなくなりました。けれど、あのようにただ目を開けているだけの人形のようになったまま。もう、元には戻らないのでしょうか。」
部屋に入ってきた一人の男が問い掛ける。
その声には、感情を抑えようとする震えが混じっていた。
「破邪の力で悪意ある力は消し去ったけど、完全に心を壊された事は僕にはどうしようもない。」
清廉な鈴の音のように澄んだ声で返って来た答えは、男にとってはもう何回も聞いた事だったが、それでも余りにも残酷なその答えに、感情を押さえ込むようにと教育された男の目に涙がにじみ出る。
「力による効果ならば消す事は出来るけど、力を押し付けることで心を壊している。この力の持ち手は随分と性格が悪い。」
喉を鳴らすして笑う声。
男は涙を流しながら、この声の持ち主にそこまで言われる存在が本当に実在しているなんて、と恐怖を感じていた。
「心は豆腐なのだと僕は思ってる。繊細で壊れやすく、一度崩れてしまうと整えることが出来ても、元に戻すことは出来ない。元々持っているものが、絹だったり揚げだったり高野だったり凍みだったり、あぁ時々醤油とかの調味料がかかってそうな子もいるけどね。」
「トウフ?」
「僕の故郷の食べ物だよ。壊れた豆腐を集めて圧縮して固めることが出来たとしても、それは元に戻ったとはいえない。リヴァイ君はそういう状態だって事。」
「…元には戻らないという事は分かりました。」
「でも、一人心に干渉出来る子を知っているよ。」
知らない物での例え話も理解しようと勤め、肩を落として悲痛な面持ちとなった男に、声は淡々と続きの言葉をかけた。
その言葉を理解するのに少し時間がかかった男だったが、その言葉も意味に気づき、この声の持ち主ならばと必死な面持ちとなって空を見上げた。
「色々と問題があって帝国に入るには問題がある子なんだ。協力してくれるのなら、連れて来れない事もない。」
「頼みます。協力は惜しみません。これは、この子だけの問題では無い。得る事が出来た些細な情報でさえも、これが世界全体の問題であると理解出来ます。」
「良い判断だね。嬉しいよ、皇帝陛下。じゃあ、テイガに連絡を取ろう。」
「頼みます、オウキ殿。」
世界はただ、浄化を望む。
次回、『テイガ・サルドという男。』
上の兄の現状、国外の様子です。
テーマソングが流れるという感想を頂きました。
マリアなんかに勿体の無い…
私としては、マリアのテーマソングというか、マリアの頭の中では「世界はジオラマ」という某漫画の悪役ヒロインのキャラソンが流れてそうだなぁと思っています。もちろん、彼女とマリアを一緒にしたら蠇盆に落とされるでしょうが。




