弟のこと。 中
ご不快な思いをするかも知れません。
これは誰?
イザークは、こんな風に笑う子では無かった。こんな風に舌足らずな言葉を使うような子では無かった。
私のことを生意気にも「エリザ」と名前で呼び、他人の目がある時でも「姉上」と、「ねぇね」なんて子供の頃でさえ呼ばれた覚えが無い。
昔から頭が良く、自分が認めた相手以外を馬鹿にしている子だった。
年子だと言うこともあって、幼い頃はイザークと私は二人で一緒にいることが多かった。その様子を見た人々から私の方が幼く見えると言われる事さえあった。
何時も、何時も私のことを馬鹿にするように笑って、修行している時にも「エリザには無駄でしょ」と邪魔された事だって何度もあった。
『弱いんだから、前線に出てこないで家で大人しくしていたらどうです?』
『そんな事も出来ないの、エリザは』
『エリザなんて欲しがるなんて、マークは馬鹿だよね。』
頭の中に浮かんできたのは幼い頃、領地の本邸で過ごしていた頃のイザークの姿。
あの頃はまだ、イザークが自分の感情を隠すこともなかった。こんな風に顔全体を使って満面な表情を出す事は無く、目元、口元、そんな部分で感情を表していたから、知らぬ者が見たのなら無表情だったり感情が乏しいと言われることも多々ある事だったけれど。それでも家族から見れば感情豊かな子だった。
そう、イザークの感情が読み取れなくなったのは…
「ねぇね。おかえり。」
私の体を包み込むイザークの腕に力が加わり、痛みを感じました。
私の肩に顔を埋めるイザークは、痛みに顔を顰めている私に気づく事なく、大人の男の、手加減のない力を込めて私の事を抱きしめている。
「もう、どこにもいかないでね。ぼくのこと、きらいにならないで。」
訳が分からない。
行かないで?
私達家族を見限ったのは貴方でしょう。
無表情に私の事を見下ろしていた姿は忘れなかった。
家族を捨て、家名を捨てたのは貴方でしょう。
悔しそうにしている御父様たちの姿を忘れることは出来ない。
嫌いにならないで?
何故、そのような戯言を言えるというの?
イザークの言葉で怒りに染まった私は、イザークの異常さを考える事を放棄しました。抱きしめているというより、締め付けていると言った方が正しいイザークの腕の中で出来る限りの身動ぎを繰り返し、残り滓のような、魔術を発動する事が出来ない程僅かになってしまった魔力を練り上げ、そのまま、イザークの体に直接魔力の塊そのものを叩き込む。
「だめ。だめ」
私の精一杯の抵抗など些細なものだと言うように、私に密着しているイザークの体はビクともせず、痛みを訴える声も無かった。
それどころか、いやいやと幼子のように、私の肩に頭を擦り付けたまま首を振り、ますます腕に力を入れてくる。
「放しなさい!イザーク。私に触らないで!そんなふざけた言葉、聞きたくも無いわ!」
もう、私を動かしているのはイザークに対する怒りのように感じる。
それ程の倦怠感と、頭の痛みが私を苛みます。
「イザークなんて大ッ嫌いよ!」
多分、とても幼稚な言葉でしょう。
疲れと混乱で、滲み出る涙が視界を遮っていく。そんな中で私の口から勝手に出たのは、昔、イザークと喧嘩をして負けてしまった時に叫んでいた言葉でした。
些細なゲームだったり、簡単な訓練だったり、年子だった為に色々な事で勝負をしました。そして、負ける事が多かったのは私。そんな私を笑い馬鹿にするイザークに大嫌いだと怒鳴りつけ、お兄様たちに泣きついていました。そして最後は決まって、嫌々謝りに来たイザークと、お兄様たちの前で仲直りをしました。幸せだった頃の光景が脳裏を走り、胸が苦しくなります。
「きらい?」
肩にあったイザークの頭が離れていきました。
そして、持ち上がったイザークは、ポロポロと涙を流していました。
「きらい。だめ。だめ。ねぇね、ごめんなさい。きらい、ならないで」
背中に回っていたイザークの腕が解かれ、足に力が入らない私は床に腰を落としました。そんな私の前に膝を付き、イザークは私の両腕を掴んで体を揺さぶる。目を極限まで見開いた、絶望に歪んだ顔で、止まることのない涙を拭おうともせずに、まっすぐに私を見つめてくるイザーク。駄目、ごめんなさい。その言葉を何度も繰り返して嗚咽に声を震わせる姿に、私は恐怖を覚えた。
これは何?
正気じゃないの?本当に…?
どうして、どうして、こんな…。
壊れてしまった、の?
マリアと一緒にいることが幸せだと言っていたじゃないの。
そう言って、私達を切り捨てたじゃないの。
「ママ!!」
「何があっ……!?…イザーク君?」
二つの言葉だけを繰り返すイザークに揺さぶられ続けたまま言葉を失い、何をしたらいいかも分からなくなっていた。そんな時に、部屋にリアとユリアが飛び込んできました。
「ママをはなして!」
リアが風の渦を幾つも作り出そうとしましたが、二人が現れたことで私の腕を掴み揺さぶることを止めたイザークが片手を上げることで、集められていた風が霧散していきました。
「!リア、逃げな…」
「セーラねぇね?」
イザークの涙を流し続ける空ろな目がリアに注がれたことに気づき、リアに逃げるよう叫びました。魔法を満足に使うことが出来ない幼いリアでは、例え様子がおかしくともイザークに敵うとは思えなかったから。でも、その声はイザークの声に遮られました。
空ろだった目に喜びの色を満たし、イザークはリアに視線を注ぎ、セイラお姉さまの名を呼びました。
「セーラねぇね、だぁ。」
ふらふらと立ち上がり、リアに近づくイザーク。
体に力が入らず立ち上がることの出来ない私は声を上げましたが、支配していた風を消されるという初めての経験に驚いていたリアは立ち竦み、イザークが目の前にまで迫っても動けずにいました。
「リア!」
「ねぇね。セーラねぇねもいっしょ?まぁーくは、ねぇねがいるっていってたの。セーラねぇねもいたんだ。にぃにたちもいっしょ?おかえり?」
驚きのあまり体を強張らせてしまったリアに抱きついたイザーク。
その顔はとても嬉しそうで、悪意や企みなんて無いように思えます。それくらい、無邪気な子供そのものです。
それにしても、リアをセイラお姉さまだと思っているの?
確かに、リアは母親似です。でも、そっくりなのかと言われれば首を傾げます。
「これは、どういうことなの、ユリア?」
マークが私がいるとイザークに教えた?
やはり、マークに魔道具や術を与えていたのはイザークだったということ。
マークと支えあい、そしてマリアの傍にいたユリアなら何か知っている筈。
そう思い、戸惑うリアに抱きついたまま喜んでいるイザークから視線を逸らすことなく、リアの横に立っているユリアに声をかけた。
「答えなさい、ユリア。これは本当にイザークなの?どうして?」
「今、イザーク君は『人形』と呼ばれているの。」
弟イザーク、こんな感じとなっています。
黒幕と予想して下さった方々、ご期待に沿えず申し訳ありません。




