序章・前
駄目だ。帰さない。ここにいろ。
っざけんな!!
シャール王国の西の端、5年前に起こった隣国アラダ帝国との戦争のあとがまだ深く刻まれている小さな街に住み始めて、早6年。
ほんの少しだけ使える魔術を使って効果が切れた魔道具を使えるようにしたり、洋裁をしたりして日々の生活をカツカツだけど過ごしています。
昔は綺麗に手入れしていた手も、今ではすっかりガサガサで、あれから長い月日が経ったのだと実感します。
全ての発端は、私が通っていた王立学園から始まりました。そこで、全てが終わって、そして始まった。
小さいながらも、豊富な資源を持つ我がシャール王国で、建国の時より王家に仕え、民を護り、国に剣を捧げてきたことが誇りであったサルド騎士侯家に私は生まれました。強くて優しい両親のもと、勇ましく賢き二人の兄と、美しく慈愛に溢れる姉、稀少な魔法士として生まれついた弟と、小さな領地を治めながら幸せに暮らしていました。
けれど、それは私のせいで失われてしまった。
貴族の子が通うことを義務付けられた、王立学園。
ここでは、貴族としての心得、マナー、国への忠誠、そして共に国を護っていく仲間を得ることを学びます。貴族ではないものの、秀でる才能を評価されたもの、王家に功績を認められたものも、学園に通うことを許されます。
そこで、出会ったのです。
あの、彼女と。
見目麗しく、地位と才能を持った方々を振り回し、侍らせる少女。
多くの生徒が彼女を非難し、排除しようと動きました。
中には、過激なことをするものもいました。けれど、それは口での注意も、警告も、嗜めも聞く耳を持たずに行動を改めようとしない彼女に怒りを覚えての行動だったと聞いています。
そして、粛正が始まりました。
彼女の取り巻きと揶揄されるようになっていた学園の実力者と呼ばれる生徒たちが、彼女を非難する生徒たちを逆に非難しました。彼等の周りから排除しようとした生徒たちは、学園から放逐されました。彼等に非難されることも、学園を放逐されることも、貴族の身には耐え難いものです。社交界ではまともに相手にもされなくなり、出たとしても無視されるようになるでしょう。
たくさんの生徒が驚愕に顔を染め、青白く歪んだ顔で学園を後にしました。
そして、粛正は私にも訪れました。
私がしたことは、立場ある方々を侍らせ勉学を疎かにする彼女に口頭で注意を促したことでしょう。
ですが、彼等はそうは考えなかったようで、私が女生徒たちを操り、彼女に嫌がらせを繰り返していた。それが彼等の判断でした。
多くの人々の前で糾弾され、その内容を否定しようとした私は、彼女の受けた痛みだと殴られ、足蹴にされ、気がついた時には、弟以外の家族と共に王都を後にしていました。
軍を率いる将軍の地位を冠していた父、王族の女性たちを守る後宮騎士を勤めていた母、近衛騎士に属していた上の兄、城下を守る警羅隊副長として活躍していた下の兄、望まれて公爵家に嫁いでいた姉。
皆、職を解かれ、爵位を取り上げられ、離縁され、意識を失った私と共に王都を出ることとなったのです。
涙を流し、地面に頭を擦り付けて謝る私を、家族たちは抱き締め、お前は何も悪くはないと許してくれました。その言葉と温かな手が、どれだけ心身共に疲れ切っていた私を癒してくれたことか…
そうして、私達家族は、この街に移り住みました。
感慨深く、物思いに耽りながら家路についていると、家の方から一人の青年が歩いてくる様子が見えました。
「良かった。間に合った。」
そう言って、声をかけた私に彼も気がついてくれました。
「あぁ、エリザちゃん。薬が効いてリアちゃんが落ち着いたから、勝手にだけど失礼されてもらったよ。この後、ちょっと仕事があって…」
良かった。生まれつき病弱で心臓の弱いリアは、少しでも体調を崩すと悪化させてしまう為、アルト先生が用事を押してまで駆けつけてくれる。
ヘラヘラとした、軽い感じを受けるアルト先生だが、付き合っていれば彼が見た目に反して真面目で律儀な性格だと理解できます。
「ありがとうございます。こっちが無理を言って来ていただいたんです。お仕事を優先してもらうのは当たり前です。」
腕に抱えていた篭の中から、一つの皮の袋を取り出します。
「これ、遅くなりましたけど、今までのお薬代です。良かった、帰る前に間に合って。」
「また今度で良かったのに。まだ、給料日前で金ないんだろ?まさか、借金じゃないだろうな」
日頃から、薬代しか受け取ってくれない上に、お金が無い時などには「支払いは有るときでいいから、借金とかだけはするな」と、厳命していくような人だ。
皮袋の中の、それなりの硬貨の量に目を見張り、借金かと疑って睨み付けてくる。
「違うわ。全然、違う!何かないかと部屋の中を探したら、お金になりそうな指輪が出てきたから売ってきたの。」
「ずいぶんと立派な指輪だったんだね。」
受け取った硬貨の量を見て、アルト先生が驚いている。まぁ、この街で普通に生活しようと思ったら一年は暮らせる額だもの。
「えぇ。流石は婚約指輪といったところよね。いいお金になったわ。」
「はぁ?それって、まさか!」
長兄の学園時代の同窓だというアルト先生は、だいたいの事情と成行きを知っています。だから、婚約指輪が誰が誰に貰ったものなのか、当然知っている。
「おい、おい。大丈夫なのかよ?」
大丈夫に決まっているじゃないですか。
もう、とっくの昔に無かった事にされている婚約です。その証である指輪も、無かったものになっているのですから、売ろうが捨てようが私の勝手です。
「いいんです。ちゃんとした別れを言う機会も与えられなかったせいで、返せなかっただけの指輪ですから。あちらには地位も財産もしっかりとあるんですから、たかが指輪くらいでガタガタ言うこともないでしょ?6年も放っておいたんですし。」
あっちも忘れてるわ
自分でも、今引き攣った顔になっていることを自覚しています。
それを見て、悲しげな表情になっているアルト先生に、笑いが込み上げてきました。そんな風でよく傭兵など務まっているものです。聞くところによると、随分と名の知られた傭兵のようですけど。
言葉を失っているアルト先生と別れ、私は家に帰りました。
未練がましく残っていた婚約指輪を手放す事が出来て、私の心は何時に無く晴れ渡っています。
「少し熱っぽいな。薬を渡しておくから、熱があがるようなら飲ませてくれ。」
あれから数日、体調を崩したリアを見てもらう為、アルト先生に来てもらいました。
ベットの上で寝転んだままのリアを診察し、安心するようにリアと私に微笑みを向けてくれます。
アルト先生は薬代だけを請求してくださるので、カツカツの生活をしている私達には助かります。その薬代が馬鹿にはならないものですが、この子を守る為なら私が食事を減らして仕事を増やすことも厭いません。この子は私に残された大切な家族なんですから。
「ありがとうございました。」
家から出るアルト先生に、今回の薬代を支払います。
いつも後払いになるのは避けたくて、家にあったお金を掻き集めました。
先生が帰ったら、何か仕事がないか探しに行きましょう。
数日分の食料はありますから、なんとかやりくりして・・・
コンコンッ
「はい?どなた?」
アルト先生がお帰りになり、台所で残っている食材を見比べて、どう使っていくのか計画を立てていました。体の弱いリアには栄養のある、しっかりしたものを。私は少し量を減らしても大丈夫です。
そんな事を考えていると、玄関のノッカーが叩かれました。
来客の心当たりはありませんでしたが、遠方にいる兄から手紙でも届いたのかと、つい外を確認せずに扉を開けてしまいました。
「どうして・・・・」
「それは、こっちが言うことだな。
我が家の紋章が刻まれた指輪が売りに出されたと報告があって、そんなに困窮しているのかと見に来てみれば、男に貢いでいるとは。」
外にいる男性の姿に、声を失いました。
燃えるような真っ赤な髪に、宝石のような緑の目。
元から引き締まっていた身体は、あれからの年月を感じられるほど背が伸び、より一層引き締まったように思えます。
まだ少年といえたあの頃から、どれだけ経ったのかを実感させます。
久しぶりに見る姿と、突然吐き捨てられた言葉に驚き、時の流れを留めてしまいましたが、あちらが腕を動かした事で我に返り、玄関の扉を慌てて閉めようとしました。
なのに、両手でいきおいよく止めようとしたそれを、彼は片手で楽々と止めて、なおかつ家の中に入り込もうと。
「何をなさるの?!」
「客が来たというのに、立ち話をさせる気か?爵位を失ったら、誇りだけでなく、礼儀も失ったとみえる。」
鼻で笑って吐き捨てられた言葉。
扉を閉めようとしていた手から力が抜け、彼が易々と家の中に入ることを許してしましました。
「随分なところで生活しているんだな。御両親に毎年支給されている恩給は相当な額だというのに、指輪を売らねばならない程、あの男に貢いでいるのか。」
まさか!
まさか、この人は!!アルト先生のことを言っているの?
薬の代金を受け取って帰られたアルト先生を、私のツバメだとでも?
ハッ。怒りを通り越して、笑いがこみあげてくる。
彼は、私をそういう女だと思っているということですね。えぇ、分かっていました。あの糾弾の時から、彼の中で私は愚かで醜い女になっていることなど。
「馬鹿なことを言わないでください。あの方は・・・」
「何が、馬鹿なものか。戦功と軍歴に対する恩給として、君の御両親に毎年支払われると約束されている金額は、平民ならば一年暮らせる程のものだ。それがありながら、こんなくたびれた家で、見たところ物にも困る生活をしているじゃないか。そこまでするほど、彼は良い男なのか?」
グルリと家を見回す。
柱が少しボロボロで、作り置きの棚などには空白が目立つ。確かに、生活するので手一杯で、部屋の中の飾りつけなど後回しよ。家の修復も、大工に頼むことも出来ずに、自分で少しずつ直している状態だわ。
でも、あの後に家族で必至に手に入れた我が家を侮辱する権利など、あなたには無い。絶対に無いわ!
「恩給など受けてはいないわ!」
そう。爵位を没収されて以降、国からの恩給など一度も手にはしていない。
「は?そんなわけがないだろう!」
「我が家は、建国王に付き従い、剣を国に、王に忠誠を、民にその身を捧げてきたことを誇りとして続いてきた騎士候家。誰よりも王と国に誠実であると誓ってきたことが誇り。
王族の不信を買い、有りもしない罪を問われ、捧げてきた忠義を疑われたというのに、それなのに恩給を受け取り続けられる恥知らずだとでもお思いで!?そんなにも厚顔無恥だと思われていたのですか?」
「なっ。」
「この家は、家族全員で慣れぬ仕事で得たお金で購入したのです。
それを侮辱するというのなら、例え誰であろうと、王であろうと許さない!」
「不敬な!それに、いわれのない罪だと?黙って聞いていればヌケヌケと!」
頭がカッとなって、ついつい貴族として言ってはならないことを言ってしまいました。いえ、もう貴族ではないのです。それに、これに関しては一歩も引くつもりはない本心です。
ですが、それは騎士である彼には聞き逃すことが出来ないものだったのでしょう。
顔を真っ赤に染めた彼は、拳を握って近くにあった壁に振り下ろしました。
ドゴンッ!!!
もの凄い音と、衝撃による揺れが響き渡りました。
止めてくれないかしら、家が壊れてします。それに、薬を飲んで寝ているリアが起きてしまうじゃない。
震える手を抑え、彼を睨みつけます。
「なんだ、その顔は!?
お前が犯した罪のせいで、家族が巻き込まれたというのに反省もないのか!6年、こんな生活をしてきたというのに、心を入れ替えることもないんだな。」
「私は何もしていません。何の罪を犯したというのです。」
そう。
私は何もしていない。
誰に何を言われようが、何をされようが、その真実だけは捻じ曲げる気はありません。
「彼女に行動を改めよと注意したことですか?それとも、注意を聞き届けない彼女に学園を去れと警告したことですか?
それの何が罪となると言うのです。
私や、あの当時糾弾され断罪された生徒たちは、国を思う貴族として当然の行動をしたまでのこと。
当時の状況を、貴方はまだ理解していないのですか?
騎士となった今でも?
事が起こってしまった今でも?」
私の剣幕に彼が押し黙ったのを良いことに、私はあの時言えなかった言い分を突きつけていきます。
当時、彼女が、多くの有力な男子生徒を侍らせていたことが問題だったのです。
我が王国の王太子
宰相を輩出するベルデ公爵家嫡男
騎士候家に生まれた希少な魔法使い
近衛騎士となる事を約束された王太子の乳兄弟
巨大な軍事力を誇る隣国、アラダ帝国の庶子とはいえ溺愛されていると噂の王子
帝国の侵略に抵抗する為に組まれた連盟の宗主国フォグス皇国から派遣された外交官(公爵)の子息
世界中の裏社会に顔を効かせる組織の次代
「彼女は、彼らに気がある風に振る舞い、彼らそれぞれに将来を約束し、贈り物を受け取った。その行動を非難して何が悪いのです。行動を改めよと注意して、出来ないのならば彼らの前から去れと警告して何が悪かったというのです。」
まかりなりにも、あの学園に通っていたのは貴族の子です。
彼女が犯していた行動で、何がもたらされるのかは理解していました。
「まるで、将来国を支えることになる者たちを仲違えさせて、国を内部分裂させようとしているようでした。
まるで、連盟から国を見捨てさせ、帝国と戦争させようとしているようでした。
誰もが、それに気づいていた。気づいていなかったのは、当事者である貴方たちだけでしたわ!」
そして彼らは、私を、私達を糾弾し、断罪した。
「普通の教育を受けた貴族ならば、口出ししないわけがない!
口を閉ざした者こそ、国に反逆する者です。」
そして、事は起こった。
「結果はご自身が御存知でしょう?あなたも戦いに参加されたのでは?
いえ。貴方は将来を望まれる大切な身。王都に留められたのでしょうね。」
ふふふ
いい気味。
唇を噛み締めて血を流していらっしゃる。
「彼女が選んだのは王太子様。
振り回されて、夢を見させて、どん底に落とされた帝国の王子様は傷心のまま国に帰られ、彼を溺愛されている王族の方々が、この国に軍を差し向けた。その結果が、この街でしょう?」
昔は、他国の王侯貴族が避暑にくるくらい観光明媚な場所でした。
大きな湖があって森があって、穏やかで静かな時間が流れる場所でした。
私も、忙しい両親の許可を貰い、婚約者であった彼と兄弟たちでよく遊びに来た思い出の場所でした。大切な、場所でした。
なのに、家族で移り住んで一年後、この家を手に入れて一月後、この街は戦場となりました。帝国の魔術師や魔法使いの力によって、水鳥がたくさんいた湖は消え去りました。森は燃え尽きました。穏やかな時間が流れていた街には雑然とした時間が押し寄せ、人々の姿は減り、傭兵などの荒々しい者たちが集うようになりました。
「そうそう、聞いておりますわ。こんな街にまで聞こえてくるのです。
王太子妃に戦争を起こした罪を償わせろと叫ぶ貴族達を断罪したのですって?
私達にしたように。」
戦争は、皇国の助け手があって終結しました。
外交官であった公爵様が人格ある方で本当に良かった。でなければ、王国は消えて無くなっていたでしょう。そうなれば良かったと思うこともありますが。
王太子妃の罪を問うた貴族が二つ、その名を消したことで誰も王太子妃を責めることが出来なくなったと聞いています。民がどれだけ失望したか、きっと彼らは気づいていないのでしょうね。