02
「うぅぅぅぅぅ………海だぁーっ!」
「ああーん、ミオちゃーん。待あってええー」
走る澪湖。それを、履き馴れていない真新しいビーチサンダルで音遠が追いかける。
「おいおい……」
「全く、はしゃぎすぎですわ。うふふ……」
そんな二人ににこやかな笑顔を向ける百梨が、かなたと一緒にゆっくりと同じ方向に歩いていく。
普段ならライバル呼ばわりして澪湖に対抗意識を燃やす百梨だが、今はまるでやんちゃな子供に手を焼く母親のように、彼女のことを優しく見守っている。自分が招待した旅行を澪湖たちが喜んでくれているということが、百梨には純粋に嬉しいようだった。
「ねぇー、かぁーなたぁー!早く来なよぉー!?ビーチ独り占めだよぉー!」
「はいはい…言われなくても行きますよ…。行けばいいんだろ、行けば…」
振り返った澪湖が、かなたに向かって大きく手を振りながら叫ぶように呼びかける。彼女の後ろには、眩いばかりに輝く砂浜と空、そして海が広がっている。
確かにそこは、千本木家所有のプライベートビーチであり、一般客は立ち入ることのできない場所ではあった。しかし澪湖たち以外にも、百梨やその母親の千本木零子からリゾートホテルのオープニングパーティーに招待された客たちの姿が既に何人もあったので、正確に言えば『独り占め』ではなかった。
だが、ゴミ一つない真っ白な砂浜と、透き通ったエメラルドグリーンの海のコントラストは、そんな細かいことはどうでもよくなるくらいに圧倒的に美しかったのだった。
澪湖は、右手には膨らませたイルカの浮き輪、かなたに向かってぶんぶんと振り回している方の左手には、畳まれた大きなビーチパラソルを持っている。それらの荷物を持ってホテルからビーチに向かって全力でダッシュしてきたというわけだが、その割に顔には疲れなど微塵も感じさせず、テンションMAXの満面の笑みが浮かんでいた。
彼女が着ているのは、フリルのスカートが付いたピンクのワンピースの水着。お腹の部分にはキラキラしたラメのような装飾がされており、その水着と同じくフリフリの可愛らしい格好をしたアニメのキャラクターがプリントされている。それは誰が見ても明らかに小さな女の子向けの水着のデザインだったが、高校生の澪湖でも着れるように作り直してあるらしく、サイズは澪湖にぴったりだった。
「なんなんだよ…全く…」
しかしさっきからかなたが呆れているのは、澪湖のそんな恥ずかしい水着のせいではなかった。
「あ!ちょ、ちょっと伊美澪湖!?そこから先には段差があるのよっ!?危ないからっ!あ、ああっ!もう!」
かなたに手を振り続けながら、またビーチに向かって走り出した澪湖。途中にあった緩い階段のようなものに気付かなかった彼女は、一瞬つまずいて倒れそうになった。それを見て百梨は顔を真っ青にして、慌てて彼女の所に駆けていく。
しかしかなたの方はあえてその場に立ち止まって、百梨が自分から離れていく背中を眺めていた。
「ふう…やれやれ…」
かなたの格好は、上はモノクロのチェック柄タンクトップに、下はデニム風のショートパンツ。どちらもれっきとした水着なのだが、一見しただけではそうは見えず、むしろ、普通にその辺の街中を歩いている女の子が着ていそうなデザインだった。それは、『とある理由』で一般的な水着スタイルになりたくなかったかなたが出した最大の妥協案であり、彼女は、あえてそう見えるようなものを選んで持ってきたのだった。
一応そのタンクトップとショートパンツの下には、セットになって売っていたビキニの水着も着ていたのだが、既に今の状態が肌の露出の限界で、かなたはこれ以上人前に自分の体をさらすつもりなど無かった。
「澪湖様は……」
百梨が自分から離れていったことに何故か安心して、かなたが一息ついていたところに、今度は百梨の専属メイドの一人、七五三木イクが現れた。
「言動こそいつも変わらず幼い印象ですが、そのお体にはときどきドキリとさせられることがありますね。いつまでも幼いままかと思っていたのに、すくすくと成長されて…。段々と、女性的になられていく…」
「あ、ああ…、確かに……」
かなたには、そのときのイクが遠回しに自分に何を言いたいのかがよく分かっていた。
なぜならば『それ』と同じ理由でかなたは、いつも子供扱いしている澪湖のことを、今はうらやましいと思ってしまっていたのだから。
だが、その気持ちを他人に知られたくはないので、気付かない振りをして誤魔化そうとする。
「い、いやっ!やっぱりそんなことないんじゃないかっ!?…だ、だって、あんな幼稚な水着着ちゃって、まだまだガキって感じでさー!あ、あれじゃあ全然、高校生になんか見えないよー!はは、ははは……」
しかしその気持ちが先走り過ぎて、だんだんかなたは空回りし始める。
「…な、なあ!?先輩も、そ、そう思うだろう!?た、確かに、澪湖の『アレ』、前見た時より、なんかちょっと大きく成長してる気はするけどさ!でも、まだまだあんな幼児体型って感じの体じゃあさー…。あ、あれだったら、まだ、ぎりぎりあたしの方が『大きい』よなっ!?あ、せ、先輩信じてないだろ!?ち、違うんだぜ!?だってあたしってさ、牛乳とか飲んでも身長しか伸びなくって、その…『大きさ』とか変わんない体質なんだけどさ!で、でも、別に全然『ない』ってわけじゃなくって、結構着やせするタイプで、こ、これでも結構脱いだらすごいとか言われたりして…」
――カナ、胸の大きさなんて気にするなよ――
「っうるさいな!誰もそんなの気にしてないよっ!」
荊に痛いところをつかれて、即座に反応してしまうかなた。それまで黙って聞いていたイクが、「おやあ?」と興味深そうにそんなかなたの顔を覗き込んだ。
「あ、い、いや。今のは、先輩に言ったんじゃなくって……」
「そういえば、先ほどお嬢様とご一緒に並んで歩かれていたとき…」
イクは、含みのありそうな笑顔を浮かべながら言う。
「美河様は、何だかとても居心地が悪そうでございましたね?……どうしてでしょうか?」
「べ、別に……、そんなこと、な、ないと思うけど……」
「ほほーう…」
「そ、そんなことどうだっていいだろっ!ほら!それよりさっさとビーチに……」
「おじょー様ってー、何やらせてもダメダメっすけどー…」
唐突に、イクとは反対側の隣にもう一人のメイド、二十六木ヨツハが現れる。
「実は体だけは、すっごいエロいんすよねー。E?いや、Fだったっすかねー…?」
「と、二十六木先輩?い、いきなり何のことを言っているんだ?あ、あたしにはちっとも分からないな……は、はは、ははは…」
「ふふーん…」
ヨツハもイクと同じような含み笑顔を浮かべながら、隣からかなたの胸のあたりを覗き込んでいた。
以前かなたに対してひどく冷酷な態度を取ったことがあったヨツハだったが、今の彼女にはその片鱗はなかった。何故かあのときの態度は、あの日一日限りで終わってしまい、次の日からは彼女はそれまでと何一つ変わらず明るく気さくにかなたに接してくるように戻ってしまっていたのだ。あの日のことをかなたに何か言ってくるということもなく、今ではかなた自身、あれは自分の聞き間違いだったのだと思い始めているくらいだった。
「じゃ、じゃあ、そういうことで…澪湖が呼んでいたし、あたしはお先に……」
二人のメイドに挟まれているかなたはそう言って、ビーチに向かって足早に歩き出す。だが、両サイドの二人もすかさず歩く速さをかなたに合わせてしまうので、三人の立ち位置は相変わらず横並びのままだった。
かなたの右側に立っている七五三木イクは、白のビキニと、腰に黒のパレオを巻き、黒髪ロングの頭には、いつものメイド服のときのようなレースのヘッドドレスをつけている。普段はフリルのついたエプロンなどで隠されていて分かりにくかったが、水着という薄手の服装になると、彼女の美しいボディラインを否でも意識してしまう。
左側に立つ二十六木ヨツハは、黒のフレアトップに白のパンツ。ボサボサの髪の上にはやはり、イクと同じようなヘッドドレスをつけている。ただこちらは普段のボロボロの穴あきメイド服の方がずっとセクシーなので、既製品の水着を着ている今の姿はそれに比べたらいくらかまともに見えるほどだ。水着が隠していない部分には相変わらず痛々しい無数の傷跡が存在感を主張しているが、今のかなたには、それよりも『他の部分』の方がずっと気になっていた。
七五三木先輩も二十六木先輩も…、今、絶対わかっててあたしと横一列に並んでるよな……。『大きさ』が自分たちと比較しやすいように、わざと二人であたしを挟んでるんだよな……くっそ…………。
かなたは忌々しく顔を歪ませる。
あたし、最初っから音遠のことだけは十分に警戒していたんだよ。
だってあいつは、いわゆる女の子っぽいって言うか……、男受けしそうな体つきしてるって分かってたんだから。
だから、こういうスタイルが分りやすい格好のときは、音遠のそばにはあんまり近づかないでおこうって、それだけは気を付けていたんだけど……。
今まで意識してこなかったけど、ノーマークだったお嬢様やメイド先輩たちも結構スタイルいいんだな…。特にお嬢様なんか、完全にグラビアアイドルの体だよあれ。普段良いもの食ってるからか?やっぱ貧乏人のあたしじゃあ、『アレ』まで栄養が行き届かないのか?背ばっか大きくなっちゃって、肝心なところは、こんなまな板レベルなんて…。
しかも七五三木先輩の言う通り、澪湖も最近『出るとこ出てきた』みたいだし…。あいつはいつまでたっても頭も体もガキっぽくって貧相、って思ってたのに…。いくらあたしでも、あいつにだけは負けてない。あいつと比べれば、あたしだってまだ『有る方』だ、って安心してたのに……。今更成長期とかずるいぞ、羨ましいぞ…。
もしかして、今このビーチで、あたしが一番貧相な体なのかな……。下手したら、男だと思われてたりすんのかな…。うわ、なんかすごい恥ずかしくなってきた。惨めな気持ちになってきた…。
うかつだった……やっぱり何がなんでも来るのやめておけばよかった……。
平均的な女子高生と比べると、身長も高くて脚も長いかなたは、まるでファッションショーのモデルのようなすらりとした痩せ型の体つきをしていた。
そのせいで、これまで異性からも同性からも幾度となく「カッコいい」、「憧れる」などと言われてきたのだが、彼女は、女性らしい凹凸がないそんなモデル体型がコンプレックスでもあったのだった。
――そういうの、俺は悪くねえと思うぜ……――
荊はさっきから、そんなかなたの気持ちを汲んで励ましの言葉をくれている。だが、スタイルのいい他の少女たちと自分を比べて、落ちるところまで落ち込んでいたかなたは、既に素直にそんな言葉を受け止めることが出来なくなっていたのだった。
「あれれー、かなたちん?そんな格好だと変な日焼けができちゃうっすよー?その下は水着っすよねー?しょーがないっすねー、そしたら自分が脱がしてあげるっすよー」
いつの間にか、油断していたかなたの背後をとってタンクトップに手をかけているヨツハ。かなたは急いで彼女の魔手から逃げる。
「あ、い、いやっ!あ、あたし、日焼け止めちゃんと塗ってきたからさっ!た、多分、このままでも大丈夫だよっ!べ、別に、海で泳ぐ予定もないしっ!」
「えー、でもでもー!自分かなたちんの体もっとよく見てみたいんすよー!折角海に来たんすからー、もーちょっと開放的になろーっすよー?」
「い、いいからいいからっ!あたしの体なんて、人様に見せるようなもんじゃないからっ!た、たとえ見たって、何にも楽しくなんて……」
「メガネのことを……」
かなたの言葉が終わらないうちに、今度は反対側のイクが、おもむろに自分のかけているメガネをクイッと動かしてしゃべり始める。
「最近だとアイウェアなんて言い方もしますよね?アイウエア……アとイとウとエ……全部母音なのですよ」
「へ、へー…、そ、それがいったい……」
「全部、母音…ボイン……全員、ボイン……あれ?でも美河様は……いえ、失礼しました」
「うるさいよっ!」
酷いセクハラオヤジギャグを言いながら、かなたと自分の胸元を見比べるイク。完全にコンプレックスをこじらせていたかなたは、もう雑なツッコミしかできなかった。
二人のメイドによるかなたの貧乳いじりはそれからもずっと続き、我慢の限界に達した彼女はやがて、「バカヤロー」と叫びながらビーチに向かって駆け出してしまうのだった。




