08 side-B 4
「えー!?そうなのー?そのお嬢様も大概だねー」
「あはは。そう、そうなんだよ。笑っちゃうだろう?あたしたちも、あのお嬢様にはいつも困らされててさ…」
笑いすぎて浮かんできた涙を、人差し指で拭う励歌。その顔は本当に幸せそうで、まるで、子供のころの彼女に戻ったように無邪気で可愛らしかった。
「やっぱ変わってるわー、カナちゃんの学校ー!私の行ってたとことは大違いだよー!じゃあーさー……」楽しげに話を続けようとして、ふと店内の時計を見て目を見開く。「や、やっば…」
「ん?どうしたの、姉さん?」
不思議そうに首を傾げるかなた。励歌は顔の前で両手を合わせて、ぺこり、と小さく頭を下げる。
「ごっめーん!もうバイトに行かなきゃいけない時間なんだよー!もー、もっとカナちゃんとお話ししてたかったのにー!」
ぶりぶりと悔しがるようなポーズを取ってから、励歌は立ちあがった。
「ほんとごめんね、カナちゃん…。また、会ってもらえるかな?今日みたいにメールしてもいいかな?またカナちゃんの話、聞きたいな…?」
励歌は、眉をハの字にした顔を、くっつきそうなほどかなたに近づける。そしてうるうると潤ませた目でかなたの目を見つめながら、彼女の手をぎゅっと握った。
その仕草は、以前家族が同居していた時によくやっていた、彼女がわがままを言うときのお決まりのものだった。かなたはつい吹き出してしまう。
「ぷっ…もちろんだよ。最初に言ったろ?あたしが姉さんに会わない理由なんて、どこにもないんだからさ…」
両腕を広げてかなたを抱き締める励歌。
「あーん、カナちゃーん!お姉ちゃんは嬉しいぞー!もーほんとに絶対だよー!?絶対メールするからねー!?今度はあたしの男友達連れてくるからカナちゃんの友達と一緒に、合コンでもやろうぜー!」
そして離れ際にさりげなくテーブルの伝票を手にして、レジに向かって歩いて行った。それから会計を済ませてファミレスを出ていくまで、彼女はずっとかなたに目線を贈り、ウインクを飛ばし、手を振ったりしながら、忙しくかなたへの愛情をアピールしていたのだった。
やがて励歌が見えなくなると、かなたは一回、大きくため息をついた。
「ふう……。これでなんとか……姉さんに心配をかけずに済んだな……」
目はガラス張りの壁越しに、ファミレスの外を見ている。だが頭の中では、今日の騒動の犯人と思っている荊のことを、心の目でずっとにらみつけていた。
――カナ…――
「次やったら、承知しないからな……」
そうして、どすを利かせた声でそうつぶやいたのだった。
かなたと気持ちを共有している荊が、そんなかなたの仕草に怯えるようなことはない。ただ少し、彼が落ち込んでいるような感情が、かなたへと伝わってくるだけだった。
※
少し離れた席では、さっきまでの一部始終をヨツハが無表情に見つめていた。彼女の隣には、首を絞め落とされた詩歌。彼女はまだ意識を失っていて、幸せそうな表情で椅子に倒れ込んでいる。
彼女たちと一緒にいたはずの音遠は、飽きてしまったのかだいぶ前に途中で席をたって帰ってしまい、そのテーブルに残っているのは、ヨツハと詩歌の二人だけだった。
顔はずっと無表情のまま、おもむろに席を立つヨツハ。すたすたと、かなたの席に向かって歩き出した。
「………ん?…あ、あがっ!?せ、せんぱ……げはっ!」
ドリンクバーのコップに残ったコーラをちびちびと飲んでいたかなたは、ヨツハが自分と同じファミレスにいるなどとは全く思っていなかったようだ。近づいてきた彼女の姿を見て、危うくコーラを吹き出してしまいそうになった。
「げほ、げほっ…ど、どうしてここにっ!?て、ってか、もしかして、さっきの見てたのか!?」軽くむせたのを落ち着かせてから、改めてヨツハを見て慌てるかなた。先ほど、自分の姉に対して荊の『能力』を使ったことがよほど後ろめたかったらしく、まくし立てるようにそれについての言い訳を並べた。「ち、違うんだよ。さっきのはあたしの姉さんなんだけどさ、そ、その、どうもちょっと変な思い違いをしてたみたいだから、かわいそうに思って……ついつい、荊の催眠術を使って、余計な記憶だけ忘れさせたんだ!ほんとは、こんなことあたしだってしたくないんだけど…」
その間、ヨツハは変わらず無表情だ。
「い、いや、でも、大したことじゃないだろ?だってほら!最終的に姉さんも楽しそうだったし。ま、まあ、一件落着、雨降って地固まる!これでよかったんじゃないかなってさ…あはは…」
ヨツハはまだ無表情。
それは、いつもへらへらと余裕ぶって笑っている彼女と比べるとかなり異常な状態だった。焦ってしゃべり続けていたかなたも、ようやくその異変に気づいた。
「あ、あれ……せ、先輩…?なんか……、怒ってる?あ、さっきお嬢様のこと話してたの聞いてた?あ、あれは悪口って言うか、事実をちょっと面白おかしく話しただけで……だ、だいたい似たようなことは先輩たちもいつもよく言ってたし……そ、それとももしかして、前にお嬢様に荊の能力を使ったことを思い出したとか…?そ、その事なら大丈夫!あたしも荊も、あのときのことはちゃんと反省してて…」
そこでようやく、ヨツハは口を開いた。
「お前…、最低だな」
その口調は、いつものヨツハでも無ければ、もちろん双子の片割れの七五三木イクとも違う。それまでかなたに一度も見せたことのないような、冷酷な声だった。
「え……」
かなたはそんな意外過ぎる出来事に、脳の処理が追いついていかない。彼女の頭の中の荊も、恐怖や危険を感じるよりまず驚きの方が勝ってしまっているようで、しばらくは何も考えられずにいた。
ヨツハは軽蔑するような目をかなたに向け、続ける。
「お前みたいに自分勝手なやつは、いつか誰からも相手にされなくなって、みんなの記憶の中から忘れ去られるんだ。誰からも愛されない寂しい人生を送って、一人で勝手に死ねばいいんだ…」
それだけ言うと、ヨツハはかなたに背を向けて、またすたすたと去って行ってしまった。
何が起きたのか分からず、ヨツハが見えなくなるまで、かなたは茫然と立ち尽くしていた。
――カナ…――
「……え……っと」
荊の声でやっと我に返り、無意識に止めていた呼吸を再開する。
だが、彼女の脳がちゃんと働き始めるには、まだもうしばらく時間がかかるようだった。
――心配するな……俺がお前を忘れることはないから……――
荊がかける励ましのような言葉も、そのときのかなたにはまるで届かなかった。




