05 side-A 3
今まで一度も本来の目的で使ったことのない、勉強机という名の木製のオブジェ。その上にあるピンク地にアニメのキャラが描かれた卓上ミラーを、私は睨みつけていた。
「伊美…澪湖……」
鏡の中の見慣れた顔の女の子は、まるで初めて発音するみたいに慎重に、その名前を呼ぶ。
ずっと私は、私が『本物』で、あいつは私が生み出した『偽物』なんだって思ってた。
だって私は私として生きてきた時間の記憶しか持ってないし、その中では、あいつなんかいなくても全然ちゃんと私の人生が成立してたんだから。
だから私が伊美澪湖なんて、そんなの当り前。今までずっと、そう思ってた。
今はそれが、悪い冗談にしか思えないよ。
私は自虐的に、小さく笑う。そして、勉強机の付属品の椅子に体重を預けて、深く腰掛けて、何の目的もなく昔のことを思い出していた。
私があいつの存在に気づいたのは、私が小学生のときだ。
そのころから時々、他の人から身に覚えがないことをいろいろ言われるようになった。私が行ったことないところで私を見たとか、やってもいないことをやったとか…。はじめは、みんなの勘違いでしょ?それか、近くに私のそっくりさんでもいるんじゃない?くらいにしか思ってなくて、全然気にしてなかった。だけどそういうことがあんまりにも何度も何度も起こるもんだから、ちゃんと真面目に調べてみようってことになって、ある日友達とか巻き込んで大々的に検証してみた。そしたら、それが間違いなく私自身だってことが分かって、私が二重人格だったってことが、そのとき判明して…。
それって普通、すごい異常なことだと思う。嘘みたい。バカみたい。ありえない。だから、誰も信じてくれなくったっておかしくない、常識的に考えて。
……と思ってたんだけど、それが意外とそうでもなかったんだ。
多分、その別人格の『あいつ』が私と違ってすごい礼儀正しい、いい子ちゃんだったせいだと思うんだけど、学校の友達も、先生も、結構あっさり『そいつ』のこと信じちゃって、歓迎会まで開いてくれたんだ。そんであっという間に私よりも学校の人気者になってんだから、笑っちゃうよね…。そのうえお父さんとお母さんまで、「また家族が増えたみたい」なんて言っちゃって、割と普通に私のもう一人の人格のこと受け入れちゃうしさ…。
結局私が二重人格だってことなんて、誰も気にしなくなっちゃってて、それで気づいたら、あいつのこと嫌いなのは私だけになっちゃってたんだ。
後から出てきたくせに。私の体勝手に使ってるくせに。私の『偽物』のくせに…。
私の友達と仲良くしたり、お父さんやお母さんと仲良くしたりして、勉強なんか私よりずっと出来て、その上性格までいい子……。みんなあいつの方ばっかり好きになって、私のことは段々いらない子みたいな扱いになっていって。
かなたまで、あいつのことが好きとか言い出したりして……。
だから私はずっとあいつが嫌いだったし、誰かがあいつの話をする度に、イライラが止まらなくなっていた。なるべくあいつのこと気にしないように、あいつなんかはじめっからいないみたいに振る舞って、あいつのこと、なんとかやり過ごそうとしてた。
きっと私、どっかで安心してたんだと思う。
だって、あいつはどうせ『偽物』なんだから、いつかは消えてなくなるんでしょ?私が作っちゃった嘘の人格は、『本物』の私には敵わなくって、最後には私だけが残る。どれだけかなたがあいつのことを好きでも、どれだけみんながあいつのことを好きでも、あいつは結局はいなくなっちゃうんだよ……って。
でもさ、もし…『偽物』が私の方なんだとしたら…?
本当は私があいつに気付く前から、あいつの方が先に存在していて、お父さんもお母さんも、私に気を使って嘘ついてるだけだったら?あいつが最初にいて、私こそが、あいつが作り出した『偽物』の人格なんだとしたら…?
みんなが好きなあいつ、何でも出来ちゃうあいつが残って、出来損ないで、わがままで、みんなにうっとおしがられてる私が消えるってこと……?
はは…それ笑える。
だってさ、それってすごいいいことだよね?誰も反対なんかしないし、それどころか、きっとみんな喜んでくれるんじゃない?
足手まといがいなくなってよかったね、よお子ちゃん、……って。
ふん、そんなのさせるかよ!
私は私、あいつじゃないんだよ!
いつもみたく、そんな風に強がれたらいいんだけど……。
よくよく考えれば考えるほど、疑えなくなってくるんだ。私が『偽物』だってこと。
あいつの存在に気づいたのは小学生のころ?じゃあ、その前は?
全然思い出せない…。
私はまるで、『昨日まで存在してなかったのに、ある日突然小学生として生まれた』みたいに、あいつの存在に気づいた日より前の記憶が、すっぽりなくなっちゃってるんだ。
私とあいつじゃ、趣味も好きなものも全然違うじゃん!
あいつが私の人格を作り出したなんて、そんなの信じられないよっ!
なんて……。
私の趣味、私の好きなもの……。私、本当にそれ…好きなの……?。
私は、座っている回転式の椅子をくるんと回して、部屋の本棚を見る。
天井まで続くような、棚が八段ある、白塗りの大きな本棚。下四段が私の本で、上四段にはあいつの趣味の本がしまわれている。上は、芸術家の作品集とか、内容がさっぱりわかんない字ばっかの本とか、辞典とか?ようするに、見るからにつまんなそうな本ばっかりが並んでいる。それに対して下四段には、私が好きなギャグマンガとか、少女マンガとか。
下の段の一冊を取って、パラパラと流し見する。ふふ…、やっぱうける…面白……。思わず笑いがこぼれる私。
でもそれからすぐに、私はそのマンガを床に放り投げてしまった。
今、このマンガを面白がってたのは、ほんとに私なの?その感情が、急に嘘っぽく感じた。
これってほんとは、あいつが思ってることなんじゃないの?あいつが、『私みたいなバカな子は、こういう下らない漫画が好きなんでしょ?』って思って、演じてるだけなんじゃないの?私の好きなもの、私の嫌いなもの、私が感じるもの……。そういうのが全部、あいつが私のために作った、偽物の感情なんじゃないの?
そんなことを考え出すと、さっきまで面白かったマンガが全然楽しめなくなって、白けてきちゃったんだ。
私は今、自分の気持ちすら信じられなくなってきてたんだ。
自分の気持ちが信じられなくなったら、自分の全部が信じられなくなった。自分の全部が信じられなくなったら、何もかもが、すごくどうでもいいと思えてきちゃった……。
もう、やめちゃおうかな……生きるの…。
だって私なんて人間は、最初からいなかったんでしょ?今日までずっと、あってないような、ものだったんでしょ……?
だったら別に、そんな偽物の私っていう存在が消えちゃったって、世界は何もかわらないだろうしさ……。
あぁーあ…。
何か無いのかなぁ……。
確かに私がここにいる。私という人間が、確かに存在してるって証明できるようなもの……。私が私として、あいつじゃなく、伊美澪湖として確かに持ってる、そんなもの……。
作り物じゃない本当の感情なんて……そんなものが、私に………。
その瞬間、私の頭の中に微かに光るものが見えた。
それは、きれいでもければ明るくもない。ただただ、真っ黒な頭の中で、場違いみたいにそこにあるだけの、本当に小さな小さな光。
小さいけれど、決して今まで一度も消えることなく、ずっとずっと私の頭の中で、優しく光っていたもの。
私は、これを信じてもいいのかな…?この気持ちは、私の本当の気持ちなのかな…?
私はその光に、自分という存在を証明する最後の希望を託してみたいと、思い始めていた。
信じても……いいかな?
ねえ……、かなた……。




