03 side-A 2
「あ、あのぉー、お、お母さん…?」
一階に降りた私は、朝ごはんの後片付けをしているお母さんに恐る恐る話しかけた。
私のお母さんは看護師だから、勤務時間が不定期でいつもなら……、ってこの話は別にいいか。とりあえず今月は日曜がちゃんと普通に休みだから、結構一緒にいる時間があって、それはうれしいんだけど…………、こんなことを聞くことになるなんて思わなかったから、それはもうなんて言っていいのかわからないわけで…。
「つ、つかぬことをお聞きしたいんですけどぉ……」
さっきのパスポートは一応持ってきたんだけど、いきなりそれをつき出すのもどうかと思って、私は何とか今の自分の気持ちを言葉にした。
「え、えっとぉ…わ、私って…澪湖…なんだよね?……あは」
お母さんはこっちを振り向いて、小さく首を傾げる。
……はは。
そりゃそうだよ。我ながら、なんてバカっぽい質問してんだ私。言ってて自分で恥ずかしくなっちゃって、やっぱりすぐに取り消すことにする。
「あ、いや…あの…やっぱ嘘!何でもないから!だって、そんなの決まってるもんねぇ!私は伊美澪湖で、『あいつ』じゃない!そうだよね!そうですよねぇ!『伊美よお子』は、私が作っちゃった別人格でしかなくって、実際には存在しないんだよねぇ!?もぅ!私ったら変なこと言っちゃって……」
ゆっくり私の方に歩いてくるお母さん。なんでかその顔がいやに真剣っぽく見えたものだから、つい言葉が止まってしまう。
え?な、なにこれ?私これから怒られるの?変なこと言ったから?あ、部屋片付けなかったからだ!?だって、…だってそれ以外にお母さんが怒ることなんて、ないはずだもん…。だ、だよね……。
「澪湖ちゃん……」
お母さんは私の頬に手をあてて、怒るどころか優しく笑ってくれた。でも、その笑顔はなんかさみしそうにも見えて、お母さんのそんな顔見たのって、もしかしたら初めてかもしれなくて…。
っ!?
ど、どうしてお母さん泣いてるの……?
やめてよ…そんなの……。
「そんなこと言わないで……。澪湖ちゃんも…、よお子ちゃんも…、二人とも、私たちの大事な子供なんだから……」
え…?やだ、やだ、やだ、やだ、やだ、やだ…。
意味わかんないよ、やだよ…。
なんで…、なんで、ちゃんと答えてくれないの?
私は一人なんだよ?『二人とも』なんてないんだよ?『どっちか』でしかないんだよ……。
『もちろんそうだよ。あなたは澪湖に決まってるよ』って言ってくれなきゃ、だめじゃん…。そうじゃなきゃ私…、澪湖じゃないって……ことじゃん……。
「あっ、澪湖ちゃん!待って……」
私は、いたたまれなくってその場から逃げ出してしまった。
二階の自分の部屋に閉じこもって、鍵をかける。
嘘……そんなの……そんなのって…………。
『偽物』は、私だったってこと……?
それからしばらく、私は部屋の扉に背を預けて何もできずに立ち尽くしていた。
その間、お母さんが私を追って二階にやってくることは、なかった。
※
「澪湖…ごめんなさい……」
澪湖の母、美船は、駆けて行く娘の背中をただただ見つめていることしか出来なかった。
リビングで一部始終を見ていた父、港も、何もすることが出来ない自分の不甲斐なさにほぞをかむ。
「もう、限界だよ。全てをあの子に伝えてしまったら、どうだ?」
「……出来ないわ」
美船は何度も首を振る。
「今更…出来るわけがないじゃない……。きっと、これが一番いいことなのよ……。あの子のやりたいようにやらせてあげるのが…一番」
ゆっくりと歩み寄る港。
美船は、澪湖が忘れて置いていったパスポートを手に取り、顔写真のページを開く。
「もう、決めたことじゃない……。あの日、私たちで決めたじゃない……。あの子のやることは、全部認めてあげようって。それが私たちにとっても、あの子に…夜緒子ちゃんにとっても、一番いいことなんだって……」
美船は澪湖と同じ顔をした幼い少女の写真を、指で優しくなでる。そして、静かに泣き始めた。
彼女が声を出して泣けるように、港は美船の顔を胸に抱き寄せた。




