05
時間は進んで次の日の放課後。
かなたは一人ポツンと、教室の自分の席に座っていた。
ちらちらと何度も時計を見ては、退屈そうに携帯電話をいじる彼女。机の上には、封を切られたピンク色の封筒が置かれている。彼女がこんなところに一人居残りさせられているのは、その封筒に入っていた手紙が原因だった。
私は貴女の秘密を知っています。貴女の力になりたいです。午後六時半に、一人でこの教室で待っていて下さい。
差出人不明の、そんな怪しげな内容の手紙。かなたは当然怪しんだし、気持ち悪いとも思ったが、結局その通りにしてみることにした。元来、彼女は勢いで突っ走ることが多い性格だったし、これまではそれで結構うまくいってきた。
それに、『力になりたい』という部分に、少し興味を持ったのは確かだったのだ。
「荊。案外、お前が探している人間が向こうからやってきてくれたのかもしれないよ?『お前のことを許してくれる人間』だっけ?ここに書いてある、『力になりたい』っていうのは、そういうことじゃないのか?」
にこにこと笑いながら言うかなた。だが荊の方は、彼女ほどには楽観的にはなれないようだ。
――お前な……。一応女子なら女子らしく、もうちょっと警戒しろよ……。この手紙の相手が、変質者じゃねえって保障はどこにも………――
かなたは笑うのをやめない。
「えっ?あたしのことを女子扱いしてくれるのかい?うれしいねえ。でもさ、その心配はないだろ?だって、もしもあたしがピンチになったりしたときは、お前が助けてくれるんじゃあないのかい?ねえ、ナイト様?」
――うわっ、気持ち悪ぅ――
「おい」
頭の中でそんな掛け合いをつづけながら、かなたたちは約束の時間になるのを待っていた。
そして、時計は六時半になった。
ガチャッ…。
教室の入口の扉が開かれる。うつむいていたかなたは、その扉の方を勢いよく振り向いた。
「…かなたちゃん……お待たせしましたね……」
そこに立っていたのは、琢己詩歌だ。かつてかなたの中学に教育実習で行ったときと同じ、紺色の特注サイズのスーツに身を包み、うるうると目をにじませて、かなたの方を見つめていた。
「あ、貴女は……」
立ち上がるかなた。驚きを隠せないように目を見開き、詩歌のもとへと駆け寄る。
「…かなたちゃん……」
これが、詩歌が計画した『感動的な再会シーン』だった。
かつて、放課後の教室で一人悲しむかなたの姿を見たのに、何もしてあげることのできなかった無力な自分。そのことを幾度となく後悔し、次に出会うときには、きっとかなたを守ってあげられるようになろうと、胸に誓ってきた。あのときから、詩歌の生活はかなたのためだけに存在し、かなたのことだけを考えて生きてきたのだ。
そして数年後、かなたを守れるように生まれ変わった自分が、再びかなたのもとに現れる。あの時と同じ、放課後の教室で。あの時出来なかったことを、取り返すかのように……。
詩歌も大きく手を広げて、かなたのもとへと駆け寄った。
「かなたちゃーんっ!私、今までずっとかなたちゃんのことを………うげっ」
…が、かなたは詩歌の目の前までくると両手を詩歌の両脇に挟み込み、赤ちゃんを高い高いするように持ち上げる。そして、きょろきょろと周囲を見回した。
「あ、貴女……てか、キミはどこから入ってきたの?学校の近所の子?えーっと、お母さんはどこかなあ?まいったなあ…、あたし今、一人でここで待てって言われてるから、キミのこと、この教室から追い出さないといけないんだよなあ……」
「え…え…?」
目が点になる詩歌。かなたは詩歌を持ち上げたまま教室の外まで連れていくと、優しく廊下におろした。
「ごめんね?ここまっすぐ行くと下りの階段があって、降りてすぐ目の前が出口だから…。途中で誰かにあったら、一緒にお母さん探してもらってね?じゃあね、ばいばーい」
そして、廊下で立ち尽くしている詩歌に手を振ると、教室の扉をバタンと閉めてしまった。
「ばいばーい……」
思わずつられて手を振り返す詩歌。
「っていやいやいやいやっ!」力強く教室の扉を開けて、もう一度中に入る。「かなたちゃん、私っ!私ですよっ!?琢己詩歌ですってばっ!」
自分の席に戻ろうとしていたかなたは、開いた扉を振り返って面倒くさそうに顔をしかめた。
「あたしの名前知ってるってことはこの子……、お嬢様たちの嫌がらせとかかなあ………まさか…父さんの隠し子とかだったら、最悪なんだけど……」
「ちっがうですってばっ!かなたちゃんの中学の時の先生ですよっ!いたでしょっ、こんなやつっ!?こんなちんちくりん一度見たらそうそう忘れなくないですか、普通っ!?」
もう一度、迷い込んできた小学生と思い込んでいる詩歌を抱え上げて、廊下に連れ出そうとするかなた。詩歌はむきになって両手を振り回して、何とかそれに抵抗していた。
「中学の、先生ぃ……?」
詩歌を床におろすと、かなたはいぶかしげにスーツ姿の彼女を見つめる。詩歌は想い人に凝視されていることに次第に緊張し始めて、顔を赤らめながらもじもじと体をくねらせた。
「そ、そうですよぉ…。か、かなたちゃんは……わ、私の自慢の生徒だったんですよぉ…。初めての授業で緊張している私を、優しく励ましてくれて………アハッ!」
しばらくの間、かなたはずっと首を傾げていた。だが急に、「ああっ!」と何かわかったかのように手を叩いて、何度もうなづいた。
「あ、そうか!そういうことか!」
「そう!そうなんですっ!そうなんですっ!わ、私はかなたちゃんのことを追いかけてこの学校まで来ちゃって………え?」
そこでかなたは詩歌を抱え上げると、やっぱり教室の出口に向かって歩き出す。
「最近のおままごとは本格的だなあ。こんな、子供用のスーツまで売ってるのかー。ほんと本物そっくりで、よくできてるなあ」
そしてまた廊下に詩歌をおろすと、笑顔で手を振った。
「教室の見回りごくろーさまでーす。先生さよーならー」
バタン。
またしても、詩歌の目の前で教室の扉が閉められてしまった。
「さよーならー………って、だからちっがーうっ!」
詩歌はまた勢いよく扉を開けて中に入る。
先ほどと同じように、かなたは詩歌にゆっくりと振り返る。だが、その表情は今回は明らかにイラつきの色を表していた。
「ちょっと相手してやると、すぐ調子にのるからなあ……だからあたし、子供って嫌いだよ……」
小さく舌うちしてから、ひきつり笑顔を浮かべてまた詩歌を抱きかかえようと近寄ってくる。
「どうしたのかなー?帰り方わからなくなっちゃったのかなー?」
「ちがうですよっ!かなたちゃんっ!私は…!」
「いい加減にしないと、お姉さんも怒っちゃうぞー?」
かなたはまた詩歌を持ち上げる。両脇を抱える手には先ほどより心なしか力が入っていて、詩歌は息苦しさを感じた。
「ご、ごほっ……かなたちゃんっ!そうじゃなくってっ!私本当に、かなたちゃんのことを助けに来た……」
「大丈夫でーす。間に合ってまーす」
「か、かなたちゃん……だって私……」
聞き分けのない子供に我慢できなくなったのか、キィッと険しい表情になるかなた。それと同時くらいに、詩歌は大声で叫んでいた。
「かなたちゃんと同じ、憑き物持ちなんですからっ!だから、私はかなたちゃんのこと……ごふぅっ!」
急に持ち上げられていた力が抜けて、詩歌は床に自由落下した。大した高さではなかったのだが、あまりにとっさのことで着地に失敗してしりもちをついてしまった。
「え…?い、今なんて…?」
今度はかなたの方の目が点になる。
――こいつ……俺らと同じような境遇…?てか…なんで俺らのことを知ってんのさ…!?――
さっきまで気を抜いていた荊も、即座にスイッチを切り替えて臨戦態勢をとる。
――カナ、距離をとれ…。警戒しろ…――
急に、かなたと詩歌の間に緊張感のようなものが張りつめた。
ゆっくりと立ち上がって、スーツのおしりについたホコリを払う詩歌。
「もおう…。かなたちゃんは相変わらず男勝りの元気っ子なんですから…。まあ、そこが魅力的なんですけれどねえ…」
「き、キミは一体……、どうしてあたしのことを……」
――ガキと思って甘く見るなよ、カナ……。俺と同じということは…外見も自由に変えられるということ…――
「そ、そうか。あえて子供の格好をして油断させる作戦というわけか………。か、完全に騙されていたよ……、なんて恐ろしいやつだ……」
「え?ちょ、ちょっとかなたちゃん…?」
「おいっ!もう正体を現したらどうだ!お前の本当の姿は一体……!」
「い、いやいやいや……か、かなたちゃん?正体も何も、この低身長は遺伝というか……子供の格好しているつもりはなくてですね……。毎日牛乳飲んでこのありさまなんですけれど……」
笑いながら近寄る詩歌。
しかし、敵対心むき出しで警戒しているかなたには、詩歌の声は届いていなかった。詩歌をしっかりとにらみつけたまま、じりじりと後ずさりする。
「く、来るなっ!正体を現すまではそこを動くんじゃないっ!」
「い、いやだからかなたちゃん……?私の正体は、貴女の中学の先生で……」
「う、嘘つくなっ!こんな小学生みたいな先生がいるわけないだろっ!?」
「いや、そう言われると、その通りなんですけど……」
ついにかなたは教室の隅に追い詰められてしまった。
じわりじわりと、にじり寄ってくる詩歌。
「かなたちゃん…。もしかして先生のこと忘れちゃったんですか…?そんなわけないですよね…?きっと、何か理由があるんですよね……」
「く、来るな……お前一体、何が目的なんだ!」
「はっ!そうか!さてはかなたちゃんは、過去の陰湿ないじめの記憶を封じ込めるために今は一時的に記憶喪失になっていて、私のことを忘れてしまっているんですね…?そして、『真実の愛のキス』だけが、その封印を解くことができる…、的な!?」
「な、なんか自分に都合のいいこと考えてるなっ!?や、やめろ、来るなって言ってるだろ!」
背伸びをして、かなたに顔を近づける詩歌。
「大丈夫です…。私、毎晩イメージトレーニングしてますから……。イメージの中のかなたちゃんは、みんな喜んでくれてましたから……」
「余計不安だよっ!だからこっち来るなってばっ!」
「んー……」
詩歌の唇がかなたに迫る、その瞬間。教室の反対側の隅から、ものが崩れ落ちるような大きな音が響いた。
「いったぁ……お、おいこらぁ、くそがきぃ!かなたにキスしていいのは私だけなんだからぁ!」
驚いて振り返るかなたと詩歌。その方向には、教室に備え付けられた備品用のロッカーから飛び出して、勢い余って床に倒れている澪湖と音遠の姿があった。




