02
「はい…。それでは初日なことですし、今日の授業はここまでということで……」
詩歌はパタンと教科書を閉じると、さっさと黒板の文字を消し始めた。
新入生たちにとってそれは高校での最初の授業だったので、緊張しているのは無理もないことだ。だがそれにしても、授業が終わって休み時間になったというのに誰も席をたったりせずに静まり返っている教室というのは、少し異様な光景だった。
そのクラスの新入生たちは、誰もがひどく驚いていたのだ。
高校に入学して初めての授業の担当教師として、この前まで中学生だった自分たちと比べても明らかに幼く見えるような低身長、幼児体型の少女が現れたこと。そのくせ、行われる授業は完璧で、むしろ普通の高校じゃあ教えないような高度な内容の授業を、その少女がそつなくこなしていたことに。
まるで狐に化かされたのではないかと誰もが思ってしまい、授業が開始してから今までずっと唖然として、生徒たちの頭には授業の内容など全く入ってこなかったようだ。
「あ、あの先生!さっきの授業の、ここのところなんですけど……!」
かろうじてノートを取ることが出来ていた真面目そうな眼鏡の少女が、ノートを指差しながら教室を出ていこうとする詩歌に駆け寄る。
だが、詩歌は彼女の質問を無下に断り、さっさと立ち去ってしまった。
廊下を歩く詩歌。彼女の足音が、だんだんと力強くなっていく。
「……話が……違うです…」
――xxxx?――
彼女はまた『独り言』を始める。
「話が違うじゃないですか!なんで私の受け持ちが一年生だけなんです!かなたちゃんは二年生なのに、それじゃ全然意味ないじゃないですかっ!?」
別のクラスの教室前で雑談をしていた二人の生徒が、怒りの表情で大声で何か言いながら近くを通り過ぎる詩歌に驚き、教室の中に隠れる。そしてすぐにまた顔をのぞかせて、こそこそと何かを言い合った。詩歌はそれには気付かない。
「かなたちゃんのクラスの受け持ちにならなきゃ、『授業を通して紡がれる先生と生徒の禁断の恋』のシチュエーションが出来ないじゃないですか!しかも、そのあと予定していた『夜の教室での個人授業』も『テストでカンニングをしたかなたちゃんに対しての性的なお仕置き』プレイも出来ないし、『突然の家庭訪問』からの、『愛の三角関数方程式』の解法を二人の体を使って見つけるという、数学会を揺るがすビッグプロジェクトが……」
――xxx…、xxx…――
「は?変態?違います!全っ然違います!『キーちゃん』は何もわかってませんね!これは、乙女の純情、すなわちピュア・チュルー・ラブですよ!このけがれない純粋な愛を実らせるために、私がどれだけ努力してきたか!死ぬほど厳しいこの学校の教員試験に合格するために血のにじむような想いで勉強して……、最終試験の理事長の面接ではちゃんと、『二年生の数学なら絶対の自信があります。私に任せて下さい!』ってアピールしておいたのに!なんなんですかあの理事長っ!私の話聞いてなかったんですか!?…はっ、さては千本木理事長もかなたちゃんの魅力に気付いていて、それで最大のライバルである私を遠ざけるために、あえて私に一年の授業を…。そ、そうです。きっとそうです、そうに違いないです。かくなるうえは教育委員会に直訴して………はぉあうっ!」
完全に一人の世界に入り込んでいた詩歌。周囲を気にせず大声でわめき散らす彼女の姿は、廊下を歩いていた生徒たちがドン引きして道をあけるほどに異様で近寄りがたかった。だが、そんな彼女が急に驚いて飛び上がり、壁にぴったりとくっついて顔を隠して、動かなくなった。
――xxx?――
「……ちゃんです……」
――x?――
「かなたちゃんですよっ…!」
――……――
さっきまでとはうってかわって蚊の鳴くような小さな独り言。だが、彼女の『居候』にはそれで十分だったようだ。
詩歌がさっき向かおうとしていた廊下の先から、三人の少女たちがこちらにやってきていた。その中には確かに詩歌の想い人、美河かなたの姿もあった。
「ねぇかなたぁ?私たちまた同じクラスだねぇ?もしかしてこれって運命かなぁ?」
「い、いや……」
「えええ!だったらわたしとミオちゃんだってまた同じクラスだよお!?これだって運命だよおー!」
「お、お前たち?この学校基本的にクラス替えとかしないシステムだ、って前にお嬢様が言ってただろ?無理やりこじつけて運命とか言ってるんじゃないよ……て、てか声がでかいって……。そういう話は他の生徒に聞かれるとちょっと………」
「あ、でもお、わたしとミオちゃんは中学校からおんなじクラスだからあ。やっぱりこれって運命かもおー!」
「てかさぁ、私思ったんだけどぉ。やっぱり運命って乗り越えてナンボだよねぇー!?アニメとかだと大抵ぃ、決められた運命を破って愛を貫く的な展開が一番燃えるよねぇー!?だとしたらむしろ、運命じゃないほうがもっと運命的ぃ?なぁーんてぇ」
「ああん!ミオちゃんずるいい!」
まるで忍者かカメレオンのように、壁と完全に一体化していた詩歌。三人の少女は詩歌のことは特に気にした様子もなくその場を通り過ぎ、角を曲がって見えなくなった。
完全に三人がいなくなったのを確認してから、詩歌はまた動き出した。
「ふうぅー……、せっかくなら二人の再会はもっとドラマチックに演出したいですから、まだ私がここに来たことを知られるわけにはいきません。ですけど、やっぱり久し振りの生かなたちゃんはヤバかったですねぇ……。こっちの心の準備が出来てなかったもので…いろいろと出てはいけない汁が出てしまうところでしたよぉ……」
そう言う詩歌は恍惚とした表情を浮かべ、涙と鼻水とよだれをだらだらとたらしていた。
――xx、xxx!xxx!――
「おっと、いけない、いけない…」
『居候』に言われて、詩歌は慌ててハンカチで顔面の液体をふき取る。
だが、ふき終わるとまたすぐに先ほどの光景を反芻して、妄想にふけった。
「ああ、かなたちゃん…。ますます男前になって……。そんなんじゃあ、心の中では本当は女の子らしい、ってことを知ってる先生ぐらいしか、嫁の貰い手がいなくなっちゃいますよ……え……それでいいですって……?……もう…しょうがありませんね……わかりましたよ…。貴女の魅力を知っているのは、この世界でただ一人、私だけなんですから……」
いつもならそのまま誰かに止められるまで続くはずの妄想を、詩歌は自分から止めた。そして、小さく「ちっ」と舌うちをした。
「それにしても……さっきのあのバカそうな小娘はなんなんでしょうねえ……。いやらしくかなたちゃんに絡みついて、あろうことか『運命』ですって…?かなたちゃん困ってたじゃないですか…。まったく……許せませんね…」
自分の方がはるかに小娘っぽいということは棚に上げてそんなことを言って、詩歌はポキポキと指を鳴らしながら三人が消えた廊下の先をにらみつけた。
「どうやら……、私のいない間にかなたちゃんに悪い虫がついてしまったようですね……。でも、大丈夫ですよ。かなたちゃんを守るのが私の仕事ですから、やつらのことは私に任せて下さいね。かなたちゃんのこと、きっと自由にしてあげますからね。そしたらもう何の遠慮もせずに、私の胸に飛び込んでおいでなさいね?かなたちゃん………くふふふ……」
詩歌は怪しく笑う。そして、もともと向かっていた方向ではなく、三人が向かった方に向かって歩き出した。
「まずはあいつら、……かなたちゃんに付きまとっているあの虫たちのことを調べなくてはいけませんね……くふふ……恋する乙女が本気を出すとどうなるか…あなたたちに思い知らせてあげますよ……」
周囲が全く見えなくなっている詩歌。もうすぐ始まる次の授業のことなど、この時にはすっかり忘れていた。
実はこの後、開始時間が過ぎても授業に現れなかったことが生徒指導担当の教師にばれて、指導室に呼び出されて長々と説教を受けることになるのだが、この時の彼女はもちろんそれを知る由もなかった。
――xx……、xxx……?――
「…ん?キーちゃん、なんか文句ありますか?三十過ぎでも全然乙女ですよ?女の子はいつだって、何歳になったって、素敵な恋を夢見る乙女なんですよ?」
――x…xx……――




