01
春、それは出会いの季節。
そこで私は、貴女という運命の人に出会ったのです。
「…短い間ですがみにゃ、…い、いえ、みなさんと一緒に勉強させてもらいます、琢己詩歌です…よ、よろしくお願いしますです…」
緊張して噛んでしまっても、私を見る教室の子供たちの目は冷たかったです。これが世に言うシラケ世代かと、私は教育実習の初日から、この仕事を続けていく自信をなくしかけてしまっていました。
でも、そんな教室内の冷たい視線の中で、唯一貴女だけが私に笑顔を向けてくれたのです。
「ふふ、面白い先生だな…」
かなたちゃん。貴女のその言葉に、私がどれだけ救われたことか。
それからというもの、私はずっとかなたちゃんのことばかりを見るようになっていました。…ええ。生徒全員に平等でなければいけないはずの教師としては、それはあるまじき態度です。その事は、十分わかっていました。それでも私は、いつも教室で一人で寂しそうにしている貴女のことが気になってしまって、仕方がなかったのです。
「あ、先生……。ごめん、変なとこ見られちゃったな……」
貴女がいじめられていると私が知ったときには、もう私の教育実習生の課程は最終日の放課後を迎えていました。職員室で先生方への挨拶も済ませて、最後の記念に自分が初めて先生になった場所を見ておこうと、私が受持ったクラスの教室に戻ったとき、そこに貴女がいたのですよね。
「全然何でもないんだけどさ…、うちってちょっと家庭事情がアレでさ…。ま、何て言うか、時々こうやって父さんの事を言ってくる人がいるんだよね…」
他のみんなが帰宅したり、部活にいったりしていて誰もいなくなった教室で、貴女は一人手紙を読んでいましたね。クラスメイトからもらったというその手紙に、何が書いてあったのかは先生は知りません。でも、かなたちゃんの悲しそうな顔を見たから、私にはおおよその見当がついていたのです。
「ご、ごめんなさい、美河さん…。私、貴女がそんなことになっていたなんて、全然気づいてあげられなくて…」
「そんなこと言わないで。琢己先生は、こんなあたしにも普通に優しくしてくれたじゃん?だからあたし、先生には感謝してるんだよ」
「でも…でも…」
「………じゃあ……励ましてもらおうかな…」
「えっ……」
「あたし、先生のこと…、初めて見たときから……」
「か、かなたちゃん…!?だって私たち、女同士で…」
「関係ないよ…」
「だ、だって私は先生で、かなたちゃんは生徒で…」
「それも関係ない…。だいたい先生は、もうあたしの先生じゃないんだしさ…。そうでしょ……詩歌…」
「かなた…ちゃん……あっ……いやっ…だめ……………でも…………………お願い……もっと……!」
…………………………………………
「ふぅー…」
琢己詩歌は、火照った体の熱を外に吐き出すように、湿度の高い生暖かい息をはいた。
安っぽいカーテンを透過して、室内をうっすらと照らす太陽の光。彼女が社会人になったときに買ったきり、一度もクリーニングしていない薄汚れた布団がめくれ上がり、子供のように小さく細い彼女の肢体をあらわにしている。
万年床から上半身を起こして、寝癖のついた頭を軽く二、三回振ると、詩歌は口許についたよだれのあとをぬぐう。そして、「くふふふ………」と気持ち悪い笑みを浮かべた。
「今日も、いい夢を見てしまいました………」
書類や写真や、その他様々な物が散乱しているゴミゴミしいアパートのワンルーム。そこが、琢己詩歌が独り暮らししている部屋だった。
床に積まれている無数の本の山を見てみると、ほとんどは「高校教師の心得」や、「いじめのない教室を目指して」など、教育関係書と思われる真面目な物なのだが、その中のいくつかに、「モテるやつはみんな知ってる、女子がへこんだときの励まし方テクニック!」や「30過ぎでもJKと付き合える100の方法」など、人に見られたら人格を疑われかねないような、残念なタイトルの恋愛指南書も混ざっていた。
「ではでは……夢の続きをば……」
そう言って、詩歌は一度はがした布団に躊躇なく潜り込んだ。すぐにもれ聞こえてくる、情けない猫なで声。
「……かにゃたちゃぁん……ちゅきぃー……」
布団の中でもぞもぞとしている彼女の様子は、さながら土の中で何かの幼虫がうごめいているようだ。気持ち悪さの中に、どこか春の息吹を感じさせる。
ブブブ…ブブブ…ブブブ…。
山積みの書類とカップ麺の容器とチューハイの缶が埋め尽くすテーブルから、微かに振動音が響いた。
携帯電話のバイブレーションがたてるその音に気づかない振りを決め込んでいる詩歌だったが、いつまでたっても音は鳴りやまない。
ブブブ…ブブブ…ブブブ…。
数分が経過して、ついに観念した彼女が布団から這い出て、その携帯をつかんだ。
「さっきから何なんですかっ!?私今とてもいいところなんだから邪魔をしないで…………あ、お、お母さん……」
電話の相手に気付くなり急に立ち上がってかしこまり、ボサボサの髪を手でとかしだす。
「えっ……?え、ええ!も、もちろんですよっ!当たり前じゃないですか!もう準備は出来ていますよ!?と、当然ですっ。初日から遅刻なんて、するわけないじゃないですか!」
ゴミだらけのテーブルの上から、百円均一で買った目覚まし時計を拾いあげる。確かに寝る前にセットしたはずのアラームは解除されていて、予定の時間はとっくに過ぎている。
「あ、ああ、じゃあそろそろ電車の時間なので、電話切りますね!?い、いやあ、新しい学校は緊張するなあ…」
強引に電話をきると、詩歌は大急ぎで服を着替え、髪を整え、化粧をした。
途中、床に積んであった本を蹴散らしたり、テーブルの上の空き缶の山が崩れ落ちてけたたましい騒音を撒き散らしたりしたが、それでも数分後にはなんとか外に出られる状態になった。
「もう!何で起こしてくれなかったんですか!?!これから本物のかなたちゃんに会えるって言うのに、夢みてる場合じゃないですよ!役立たずの『居候』ですね!」
準備を終えてやっと少し余裕が出てきた彼女は、大声で独り言を言う。
――xxx?!xxxxx!――
「い、いや!そりゃあ感謝はしてますよ!?」
玄関に向かい、下駄箱から今日のために買ったヒールの高い真っ赤なパンプスを取り出す。
「だって『キーちゃん』がかなたちゃんの事を教えてくれたおかげで、かなたちゃんを追っかけてくる勇気も出たわけで……」
だが、これから駅まではダッシュが避けられないことに気付いて、泣く泣く普段履きなれたスニーカーにした。
――xxxxx……――
「だって私が、かなたちゃんと同じ境遇だなんて、そんなの運命以外の何でもないですもんね!?同じ憑き物持ちとして、悩みや苦労を分かち合って………やがて二人はお互いに無くてはならない関係に…………」
――xxx…、xxxx?――
「妄想じゃないですったら!もう!『キーちゃん』は相変わらずドSなんですから!」
玄関をあけると、薄暗い室内にまばゆいほどの朝の光が差しこみ、詩歌は一瞬目を細めた。
新学期が始まって最初の授業日。
詩歌にとっては待ちに待ったその日が、やって来たのだった。




