10 検討5
午後六時過ぎ。
日はほとんど落ちて、窓の外には闇が広がっている。
室内運動場が完備されているこの学校では、この時期に外で練習している部活はあまりなく、辺りは静かなものだ。その中で、校舎から正面玄関へと続く道を点々と照らしている外灯だけが、夜空に散らばる星のように闇の中に輝いていた。
眩いほどの無遠慮なライトが照らす教室には、よお子、かなた、音遠、そして百梨とそのメイド二人が、ぐるりと円を描くように陣取っていた。
「で?みんなは何かわかったのかい?」入口付近の机の上に脚を組んで座り、微笑んでいるかなた。「実はあたしには、もう大体、事件の全貌が見えてきてるんだけどさ、…はは」
「ううん……」
教室奥のかなたの席に座って、チューリップのように広げた手の上に顔を載せている音遠。その隣には、よお子が不安そうな顔でうつむいている。
「もうちょっと…、な気がするんだけどお……」
「なるほどなるほど。そうかい、そうかい」
どんどん調子に乗っていって、顔が緩んでくるかなた。
「それじゃあしょうがないなあ。事件の『真相』は、あたしが説明してあげなきゃいけないわけだ。なるほどねー…」
かなたは勢いよく机から降りると、モデルがランウェイでも歩くように得意げに、教室前方の黒板のところまで進む。他の一同は、その様子を目で追いかける。
そしてかなたは一同を見回してから、大げさな身振り手振りで話し始めた。
「実は今日の昼休み、この教室には一人の部外者が侵入していたんだ。これは確かな情報だよ?だって、それを目撃していた子がいたんだから。その子はそこの、今音遠が座っている席まで来て、眠っている澪湖……いや、よお子さんかな?まあどちらでもいいけど、その隣の席の方を見ていたそうなんだよ。怪しいだろう?きっと澪湖にチョコをやったのはその部外者、不審人物の仕業さ。つまり、そいつこそが、この事件の『犯人』なのさ!」
人差し指で、ビシッと音遠を指さす。実際には、数時間前にそこに座っていたという、その部外者をさしたつもりなのだろう。
音遠はその仮説にはいまいち賛同しかねるようで、眉間にしわを寄せて首を傾げた。
「残念だけど美河かなたさん。それはありえないの…」
ゆっくりとかなたに近づき、立ち位置を交代したのは百梨。
「実はわたしたちも、さっき貴女たちのクラスメイトから有力な情報をもらっていてね……その証言に照らし合わせると、その仮説は成り立たないの……そうよね?」
百梨はイクの方に目線をやる。何故か退屈そうにぼうっとしていたイクは、「あ、そっすねー」くらいの雑な表情で、適当にうなづいた。
百梨は気にせずに続ける。
「その証言とはね、『十三時から昼休みが終わる十三時半までの間、この教室にはクラスメイト以外の人間は出入りしていない』ということなの。美河かなたさん、貴女にその意味が分かるかしら?」
不服げな表情のかなた。
「……わからないね。それが何の問題があるんだ?だって、十三時からはクラスメイトしか出入りしてない、って言うなら、『犯人』はきっとそれよりも前に……」
「うううんん」
今度は音遠が口をはさむ。
「言わなかったっけえ?十三時過ぎにトイレに行くまでわたしい、ずっと教室でミオちゃんの顔見てたってえ。もちろんん、その間にミオちゃんのところに部外者なんて来てないしい、それにわたしトイレに行くときたまたま教室の中見回したんだけどお、クラスのみんな以外いなかったよおお?」
「っ……何だよそれ……聞いてないよ。音遠がトイレに行って、澪湖一人になったのは十三時過ぎってこと…?」
――カナそういえば…、さっきのやつの話じゃ、不審者の目撃時間も十三時過ぎって……――
「だって…、そんなのおかしいじゃないか……『犯人』はその不審者以外にありえないのに…!その証言は矛盾してる!……お嬢様、ほんとにそれ、確かな情報なんだろうな!?」
言い寄るかなたに、うなづく百梨。カウンターをかけるように、イクが続ける。
「では逆に、美河様のおっしゃる証言には、証拠があるのでしょうか?」心のこもっていない笑顔をかなたに向けるイク。「その、『部外者』とやらが学校に侵入したという証拠でも、何かあるのでしょうか?」
「……っ」
痛いところを突かれたかなたは、口ごもる。
「た、確かに…、最初に証言してくれたクラスメイトの……彼女…以外は、学校の守衛さんも、先生方も、そんな不審者なんて見てないって言ってた……。もし学校の関係者じゃないやつが侵入してきてたら、全ての校舎と、全ての教室の出入り口にセットされてる警報システムが作動するはず、とも…………で、でも!そのクラスメイトは、確かに知らないやつがいたと言って…!」
「では、その方がご存知なかっただけなのでしょう。シンプルな話です」
イクは事も無げに言った。かなたは「そんな馬鹿な…」と、吐き捨てるように呟く。
百梨は優しくかなたの肩に手を置き、悲しそうな表情で小さく首を振った。
「もう……、演技はそのくらいにしたらどうかしら?…わたしにはすべてわかっているのよ。美河かなたさん……いえ、伊美澪湖にチョコをあげた真犯人、『地獄のパティシエール』さんっ!」
チョコをあげた犯人と聞いて、興味深そうにかなたの方を見るよお子。音遠はその百梨の言葉にも、小さく首をかしげた。
「…だぁかぁらぁ、あたしじゃないって昼休みからずっと言って……」かなたのはあきれた様子で頭をかく。「っていうか、勝手に変なあだ名つけるのやめてくれないかな?」
「事件の真相は、こうよ…」
百梨は続ける。
「十二時四十五分、先生に連れていかれた貴女は、このチャンスを利用して、伊美澪湖に対する積年の恨みを晴らすことを決意した。それは、寝ている間に伊美澪湖にチョコレートをしこたま食べさせて、伊美澪湖をぷくぷくと太らせるという、恐ろしい計画だったのよっ!」
今も昼休みに早着替えした時のままの格好で、完全に名探偵になりきっている百梨。
「貴女はトイレに行くと言って教官室を抜け出し、急いで教室に戻ってきたの。ただし、そのままの姿では自分の犯行がすぐに皆さんにばれてしまう。だから貴女は別のクラスメイトの姿に『変身』したのよっ!そう…、貴女のもつ、妖怪の力でねっ!」
今度は百梨がかなたをビシィッと指さす。さっきのかなたといい、この二人はどうも初めから、どこかでこのポーズを決めてやろうと固く決意していたようだ。
一同は唖然とした表情で、百梨の仮説を信じている様子はない。考え事をしている音遠に至っては、ほとんど話を聞いていないようだった。
「こほん……、別の誰かの姿に『変身』した貴女は、伊美澪湖の机に近づく。そうね…きっとその時にはもう、本前川さんはお手洗いに行って席を外していたのよ。それで、たった一人無防備に眠っている伊美澪湖に、貴女は高カロリー、高糖分のチョコレートを山ほど……ああ!なんて卑劣な……」
「ちょっと待って」
突然、無感情に手の平を百梨の顔の前に出すかなた。気持ちよく自分の世界に浸っていた百梨は、寸劇を邪魔されて軽くずっこける。
「な、何よっ!?」
「確かにあたしが、…ってか荊が、変身の能力を使えば、どんな姿にもなれるし、澪湖にチョコを渡しても、誰にも犯人だって気付かれないと思う…」
「ほらっ!ご覧なさい!今のは自白と……」
「だから待ってって……」かなたは百梨をたしなめる。「でもさあ…その小細工って、昼休みの教室でチョコを渡そうとしなけりゃ、そもそも必要ないんじゃないか?ただ単に澪湖にチョコ食わせたいってだけなら、もっと簡単な方法がいくらでもあるだろうよ?あいつ多分、寝てようが起きてようが、チョコでもなんでもあげればあげただけ食うだろうし。……それに、やっぱりあたし、そこまでして澪湖にチョコをやる、理由がないんだよ……っていうか正直言って、澪湖にチョコあげるなんて絶対ごめんだよ」
そう言うかなたの顔は、どこか不機嫌そうだ。一同は、意味がよくわからずに不思議そうにかなたを見る
「だってさ、この前澪湖の家に泊まってた時にあたし知ったんだけどさ…。お嬢様は知ってるかな?澪湖って日頃からさんざん、好き勝手に飲み食いしてるけど、そんなに太ってないし、体も壊したりしてないよな?それって全部、澪湖の暴飲暴食の分、よお子さんに切り替わった時に、よお子さんが運動したり体調管理してるからなんだぜ?あいつはちっとも気づいちゃいないだろうけどさ、あんな風に普通にしてられるのって全部、よお子さんの努力のおかげなんだよ。そんなの間違ってるよな…。あいつだけ好きなもの好きなだけ食べて、それでよお子さんがそのつけを払うなんて、あたし納得いかないよ。だから、あいつに餌をやるのはもうやめたんだ、あたし。ましてチョコなんて、絶対……」
独り言のようにぶつぶつと呟くその様子からは、彼女が本当に頭にきているらしいことがうかがえた。
「あ、いえ……私は全然……」と、よお子がフォローを入れるが、スイッチが入ってしまったかなたの怒りは、そう簡単には収まりそうになかった。
他の一同は何を言っていいのかわからないようで、かなたが黙ると、教室内は急に静かになった。
急に、思い立ったかのようにヨツハが口を開いた。
「ところでよお子ちーん?チョコに関する情報ってー、もーないんすかねー?ハート型でー、ラム酒入りでー……あと他にはー?」
「あ、あの……」
よお子は急に話しかけられて驚いた様子だが、何か答えなければ、と大急ぎで思考を巡らせた。しかし、とくに成果は見られなかったようだ。
「あ、いえ……特には……」
「んんんー。だってだってー、みんなの調査はちょっと行き詰っちゃった気味っぽいっすしー。他になんかヒントでもないとー、このまま迷宮入りになっちゃいそうっすよー?例えばチョコ本体じゃなくってもー、その周辺に犯人につながる証拠があったりはー?」ヨツハはいたずらっぽく笑う。「例えばチョコってー、普通裸で持ち歩いたりはしないっすよねー?普通は包装紙とかにくるまれてたりー、箱か袋にでも入ってるもんじゃないっすかー?そういうのは、ついてなかったんすかー?」
よお子は申し訳なさそうに、バッグからきれいに畳まれた透明なビニールの袋を取り出した。
「ふ、袋は……ありました……。目が覚めた時、机の上、…に……。でも………」
広げるとA4用紙程度の大きさになったその袋には、特に模様やマークやロゴなどはなく、どこにでもあるような透明無地のラッピング袋だった。
「で、でも……、特に、下さった、方が……わかりそうな情報は……なくって………見てもらう必要も……ないかと………」
その場の一同は、よお子から新たに提示されたその証拠品を見ようと、いったん近づいてくる。だが、彼女の言う通り、その袋からは何の情報も読み取れないことが分かったのか、がっかりしたように元の位置に戻っていった。
また、その場に沈黙が流れる。
「もう、……いいんじゃないかしら…?」
百梨が、退屈そうに切り出した。
「このまま話し合っていても、どうやら何もわからなそうですわ……。皆さんもお忙しいでしょうし、ここはいったん、お開きということで………」
隣のヨツハが「ふふーん」と笑う。
「そういえばそろそろ、おじょー様の好きなアニメの再放送が始まる時間ですもんねー?」
「そ、そういうことじゃないわよっ!?ただ本当に、このままじゃ埒があかないと思ったから!」
慌てて否定する百梨。
「流石ですねお嬢様。よお子様が今も困っているというのに、アニメの再放送を優先されるとは……。これでは同級生にご友人ができないわけです……」
「だ、だから!そうじゃなくって………」
結局、そのまま捜査本部は解散となり、この推理ごっこも終了となった。百梨たちは早々に教室を出ていき、残った一年生たちもめいめい帰り支度を始める。最初は釈然としていなかったよお子も、やがてはあきらめた様子で、動かしてしまった机をもとに戻したりしていた。
ただ一人、その場で音遠だけが、あともう少しでたどり着けそうな『真相』に、脳内で必死に手を伸ばし続けていた。




