09 仮説3
「…お嬢様?一体どちらへ?」
廊下をずんずんと進んでいく百梨を、億劫そうに追いかけるイク。
百梨は立ち止まって振り返り、自信満々の顔で言った。
「決まってますわ!お母様のところよ!」
「えええー…」
イクはうんざりした顔で、ため息とともに声を出した。
「お母様から聞いたことがありますの!この学園には最先端のセキュリティ設備が配備されていて、二十四時間体制で至る所が監視されていますのよ!理事長で、この学園の最高責任者のお母様に事情をお話ししてお願いすれば、監視カメラや生徒全員に配布している特製スマートフォンのGPS記録を見せてもらうこともできると思うの!そうしたら、伊美澪湖の机に不審物を置いていった人間などたちどころにわかるというわけですわっ!おーほっほっほ!」
「お、お嬢様…?それはいくらなんでも、大袈裟すぎかと…」
百梨の母、千本木零子はかつて、世界経済を動かしている影の支配者とさえ言われていた人間。百梨が生まれてからは落ち着いたとはいえ、現在でもその発言が世界に与える影響力は計り知れない。当然、そんな彼女に協力や助言を求めて接触してくる人間は後を絶たず、今日でも世界中の誰よりも忙しい日々を過ごしている、要人中の要人、VIP中のVIPだ。
しょうもないことでいちいち彼女の手間をかけさせてしまっては、専属メイドとして学校まで一緒についていっている自分たちの立場がないし、ともすればメイドを続けていく資格さえ疑われかねない失態だ。
彼女はまたため息をついてから、百梨の考えを改めさせようとした。
「貴女、何を言ってますの!?これはわたしの友人の危機なのよ!そんな悠長なことを言っていられますか!」
「い、いやお嬢様、チョコですよチョコ…。ご友人がバレンタインに誰かからチョコもらった、ってだけの話で……」
「それが問題なのよ!だって知らない相手からのチョコなのよ!?『犯人』は悪質なストーカーかもしれないし、命を狙う工作員がチョコの中に毒を入れたかもしれませんのよ!?これは一刻を争う…」
鼻息を荒くしてまくし立てる百梨。もはやイクの声など聞こえてはいないようだ。やれやれ、と首を振ってから、イクは深く息を吸って百梨に話しかけた。
…………【七五三木イクの証言】……………
「いいから話を聞けっ!」
……………………………………………………
「は、…はひ……」
厳しい表情でにらみつけるイク。そのあまりの恐ろしさに、直立不動の姿勢で百梨は立ち止まった。
ただ、まだ納得はしていないようで、ぶすぅっとした顔付きでイクに聞こえないようにぶつくさ呟いている。
「…早くしないと……、いけませんのに……こうしている間にも伊美澪湖は不審者の魔の手に……」
「まったく………ふっ…」
つまらなそうに吐き捨てるイクだったが、ほんの一瞬だけ口元を緩めたように見えた。だが、またすぐに厳しい顔つきに戻って百梨をにらむ。
「いいですか、お嬢様。この件はお嬢様が考えているほど、深刻でも、重大でもないのです。まして何か事件性があるような問題でもない。本当なら先ほどの昼休み中にでも真相が明らかになって、ただの笑い話になっていてもおかしくないようなどうでもいいことなのです」
「で、でも……!もしかしたらっ!」
イクは人差し指で、百梨の口をふさぐ。
「わかりました。仕方ありませんね。…それでは証拠をお見せしましょう」
そして空いている方の手で携帯電話を取り出すと、慣れた手つきでどこかに電話を掛けた。
「……ええ、お願いしていた件です………今こちらに来ていただくことは可能ですか?………場所は……」
イクが携帯をしまってから一分もたたずに、一人の少女が二人のところへと駆け寄ってきた。彼女は、昼休みによお子にチョコを渡していた、よお子たちのクラスメイトの一人だった。
……【クラスメイト吉中朋の証言】………
「は、はあ、はあ、はあ……」
「あ、あああああのののののああのの」
「ささささっきのの……ひひひひるひひひひひ昼休みのののののけけけ件でででですよねっ!?ええええ、えええ!ははははいっ!もももも、ももももちろろろろんわわ私………」
「………っ!」
「………ああああののの、そそそそんなななっ!だだだだ大丈夫ですっ私っ!千本木おじょじょじょじょじょう様にそんな………」
「………」
「………」
「………」
「……すす…すいません……」
「おおお、お落ち着きました……もも、もう、大丈夫……です」
「十三時零分、三十八秒くらいでした……」
「七五三木先輩様がお一人で、私たちの教室にいらっしゃって……」
「そ、それで、恐れ多くも……私に、…お仕事を下さって……」
「『今から昼休みが終わるまで、教室の出入りを見張っていてほしい』と……」
「そ、それで私……私たちの教室に出入りした人間を全員…完璧に監視して……。あ、全部メモししてありますっ!…た、ただいま……そのメモをごご、ご覧に……あ、あれ……え、うそ……ちょ、……どこやったんだろ……あ、あのっ、本当に私っ!」
「ごめんなさい……。ちゃんと、時間まできっちりメモしたのに………出入り口のドアだけじゃなく、ベランダの窓もずっと見てたのに……」
「………あ、ありがとうございます。そそ、そう言って、いただけると……」
「あ、あの……」
「で、でででも……どうして私にこんな依頼を……?」
「わわわ私が監視していた時間……、べべ別に変なことは起きませんでした……よ?」
「『その時間、教室に出入りしたのは、クラスメイトと先生くらいなもの』で……べ別に変わったことなんて……」
……………………………………………………
慌てていた少女の気を落ち着かせるため、彼女の背中を優しくさすっていた百梨。彼女が話終わると「ふぅ…」と安堵の息をもらした。
「そうなのね…。じゃあ本当に、不審者やストーカーが侵入したというわけではないのね……良かったわ…………………」
その嬉しそうな顔が段々、何か深刻な表情に変わっていく。
「そうか……分かったわ。『クラスメイトと先生しか出入りしていない』ということは、『クラスメイトと同じ見た目になれる人』なら、自由に出入りが出来るということ……」
「吉中様、ご面倒なお仕事をお願いしてしまい、申し訳ありませんでした。ですが、貴女様のおかげで大変助かりました。本当に、ありがとうございました」
イクは腰を九十度曲げて、少女にお辞儀をする。
「そそそそっそんなっ!ややややめてください!わ、私、お願いされたこともまともに出来てないのにっ!」
「いえ、やはり吉中様にお願いしてよかったです。…お嬢様ご存知ですか?こちらの吉中様はご趣味で小説を書かれているのですが、その、他者への優しさに基づいた真摯な人物描写は、時に詩的に、時にエモーショナルに読者の心を打ち……」
「あわわわわああーっ!」
少女は両手を大きく振ってイクの言葉を否定する。
「いいいいいですっいいですっ!千本木お嬢様に私の小説のことなんか言わなくていいです!見せられないですっ!恐れ多いですっ!」
「私…なんかに、見せたくない……ぐすん…」
微妙に聞き間違えてショックを受ける百梨。
イクはその機会を逃さず、あえて百梨の勘違いを助長する言い方をする。
「あれ?でも吉中様は、ご友人にはご自分の小説を見せているとお聞きしましたけれど………あっ……お嬢様は友達じゃないから………」
「そ、そうですよっ!私がお嬢様の友達だなんて無理ですっ!絶対無理ですっ!」
「と、友達……絶対、無理………」
廊下に膝をついて、四つん這いでがっくりとうなだれる百梨。
なぜ百梨がそうなっているのかが分からずにおろおろと心配している少女。イクはそんな百梨を見下しながら、ニヤニヤと笑っていた。
だがしばらくするとイクは突然無表情に戻ってしまい、百梨を置いて歩き出した。
「わたくし、なんかもう飽きてきました。お嬢様、そろそろ『結論』を出すことにいたしませんか?きっと今頃ヨツハが、澪湖様の教室に皆様を集めている頃です」
「……はい……ぐすん……」
百梨は泣きべそをかきながら、立ち上がる。
「吉中朋さん……だったかしら…?ありがとうね。貴女のおかげでこの事件の『真相』は、解明できそうよ………」
百梨はそう言うと、悲しそうな背中を少女に向けて、イクの後を追って行ってしまった。




