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「じゃあお疲れさまー!また一緒に仕事できたらいいねー!」
「あ、は、はいっ!」
「うわーい、お姉さん今日はどうもでしたー!」
舞台あがりらしい、よく通る声の女性が去っていく背中に、少女二人が慌てて挨拶を返した。
無数のロッカーがたち並ぶ、狭い更衣室。
声だけ聞けばそれは、仕事を終えた従業員たちが日常的に交わすであろう、普通の別れ際のやり取りだ。さっきまで一緒に働いていた三人のうち、着替えを早く済ませた一人が挨拶をして帰る。残りの二人も、粛々と自分の『仕事着』を脱いで着替え始める。そんな、普通の一幕。
ただ、おかしなところを一点あげなければならないとすればそれは、残された二人の格好が、普通より少し変わっていたということだった。
少女たちは二人とも、ドレスのような学校制服のような、それでいてそのどちらでもないような華美で可愛らしい服装をしていた。体に対してアンバランスなくらい大きい頭には、一人がマリンブルー、もう一人は蛍光ピンクの長い髪が立体的なウエーブをうっていて、美容室のカタログにはまず載っていないような奇抜なヘアスタイルだ。どちらの顔にもほとんど同じようなぱっちりと大きな瞳、閉じた口はにっこりと弧を描いていて、全体としては可愛らしいつくりのはずなのに、じっくり見ていると不気味で、何を考えているか全くわからない表情からは恐怖さえ感じてしまう。
その、作り物のような外見の少女たちは…………なんのことはない、二人とも完全に作り物の、全身を覆う着ぐるみを着ていたのだった。
「ぷっはぁー!いやー!今日はすごかったねー。まっさかあんなの見ちゃうとはねー!」
「……まあね。深雨と一緒のバイトってあんまいい思い出なかったけど…、く……今日は来てよかったよ……」
青い髪の着ぐるみの頭を外しながら、まるで久しぶりに外の空気を吸ったとでもいうように深々と深呼吸をしている少女は、海野深雨。その隣には、同じように大きなピンクの頭をそっと外して、汗でしっとりと濡れている自分の髪にタオルをあてがう少女、山名麻椰。
犬のようにブルブルっと頭を振る親友の様子を見て、思わずクスリと笑ってしまった麻椰は、それを気取られないようにあえて強がった態度をとっていた。
二人は同じ高校の同級生で、冬休み中に一緒に、アニメのショーのスーツアクターのアルバイトをしていた。今日はバイト最終日、一日に二回あるショーの二回目をさきほど無事終えて、晴れ晴れした気持ちでスーツから私服に着替えているところだった。
「ホントまっさかだよー!まっさか、音遠ちゃんにこーんなところで再会しちゃうなんてさー!」
「いや……再会っていうのは違うんじゃない?向こうはこっちのこと気づいてなかっただろうし……」
着ぐるみの上半身だけを脱いで、大きな身振り手振りを加えて話す深雨。着ぐるみの下には普通Tシャツやタイツなどを着ているものだが、彼女の場合は何故か下着に直接着ぐるみを着ていたようだ。目のやりどころに困っている麻椰は、なるべくそれを見なくて済むように明後日の方向を向いて話していた。
「しっかも告っちゃうとか!あんな開けた場所で、真昼間から、ゴリッゴリのガチッガチの百合告白しちゃうとか!いやー、すっごい場面に立ち会ってしまいましたですねー。麻椰さーん」
「まあ、ね。……………ふ……『ミオちゃん』、か…」
思わせぶりにつぶやく麻椰。
「んんんんー?」半裸の深雨が、突然後ろから麻椰に抱き付いた。「どうしたのかなー!?麻椰ー?」
一瞬驚いたが、特に気にした様子も見せずに麻椰は着替えを続けた。
「深雨…、たしか、ずっと前に言ってたよね?……音遠には、『ミオちゃん』って名前の恋人がいたって……」
「えっ?」
深雨は天井を見上げて顔をしかめ、なんとか思い出そうと努力する。
「……そだっけ?」
だが、すぐに諦めてしまった。
「音遠ちゃんの恋人って、『ナナちゃん』じゃなかったっけ?小学校のとき一緒だった子。なんか、二人ですっごいラブラブしてなかった?いちゃいちゃしてなかった?」
「いや、ナナじゃなくってその後の………まあ……もういいや……」
ブーツの紐を結んでいた麻椰は、うんざりしたような顔で小さく首を振った。深雨は、そんな親友の様子を見て、恨めしそうな表情を作る。
「ううーなんなの、麻椰ー!言いたいことがあるならはっきり言うー!」
そう言って、抱きしめている麻椰の頬に、自分の頬をぐりぐりと思いっきりこすりつけた。麻椰もさすがにそれは受けながせなかったのか、絡みつく深雨に抵抗して必死に彼女を引きはがそうとした。
「……ちょ、ちょっと!深雨!?わ、わかった、わかったから!ごめん、って!ちゃんと言う!言うからっ!」
やっとのことで深雨から逃げることに成功した麻椰は、着ぐるみの中ではアップにしてまとめていた長い髪をほどきながら、機嫌悪そうに眉を斜めにして言った。
「…てかさあ……これはもともと深雨が言ったんよ?音遠がナナに振られた後、すぐに好きな人が出来たって……その名前が…たしか『ミオちゃん』って……」
だが、どれだけ機嫌悪そうな顔をつくっていても、その頬がリンゴのように赤く染まっているのと、ついついゆるんでしまっている彼女の口元がそれがポーズであることを如実に物語っていた。
「あれから何年よ?三年…もうほとんど四年みたいなもんか…。そんで、今日告ったのも『ミオちゃん』……。これ、たまたまとかの可能性もあるけどさ、普通に考えたら、三年間、音遠はその『ミオちゃん』のことずっと好きだったってことっしょ?」
じいっと麻椰が喋るのを見つめている深雨。さっき麻椰ともみ合ったせいか、着ぐるみの下半身もほとんど脱げていて上下ともに下着姿のようになってしまっていた。そんな彼女が視界に入るたびに、麻椰の胸の鼓動はどんどん高まっていく。
「い、いやっ、ナナのこと忘れたくて、好きなふりして遊んでたのかもしれないけどさ……。それにしたって三年だよ?そんだけ一人の人のこと好き好き言ってたらさ………それってもう本物だな、って。本当に好きじゃなきゃ、そんなことできるわけないな、って……」
「………?つーまーりー?」
上目づかいで麻椰をのぞき込む深雨。
「…つ、つまり……」
麻椰は、思わずゴクリっと息をのむ。
「つまり、……私たち、てか私が…、勘違いしてたのかな、って。音遠のこと勘違いして、ひどいこと言っちゃってたのかも、ってさ……………っ!?」
下着姿の深雨は、もう一度麻椰に抱き付く。
「うっれしいー!麻椰ったら、そんな昔に言った深雨の言葉覚えててくれてたのっ!?深雨だってもう完全に忘れてたのに―!そのころから深雨のこと、そういう対象としてみててくれてたってことー!?さっすが、レズっ子の麻椰ー!」
「そ、そんな話してねーよ、何聞いてたんだよバカ!て、てか、声大きいんだよ、誰か聞いてたらどうすんだよ!ああもう!早く着替えろよ!置いてくぞっ!」
なんとか深雨の手から逃れた麻椰は全力で叫び散らして、さっさと更衣室の出口へと歩き出した。彼女はすでに完璧に着替えを済ませたあとだった。
「ああーん、待ってよー麻椰ー!マヤマヤー!マーヤぽーんー!」
深雨は、今更になってやっと自分のロッカーを開けて着替えを始める。
「……ああもう、信じらんないよ!自分で言ったこと忘れるかな普通!?あの当時、深雨がしつこく音遠の話してくるもんだから、全然興味なかったのに私の方が覚えちゃったくらいなのにさ!」
乱暴な口ぶりの割には、更衣室のドアの前で立ち止まって律儀に深雨を待っている麻椰。深雨はそんな麻椰の様子をにやにやと見ながら、ピンクのセーターに袖を通す。
「えー?だあーって、麻椰が言ったんだよー!?『音遠ちゃんの話するなー』ってー!だから深雨ー、ちゃーんとお口にチャックしてー、音遠ちゃんのこと、さっきのさっきまで忘れてたんだよー!?」
口ごもる麻椰。
「そ、それは私……確かに言ったけど……それは私の勘違いだったって……だ、だから……だから……」やがて、それは開き直りに変わる。「…ああ!だから悪かったって思ってるよっ!ああそうだよ。はいはい、私が悪いんだろ?いつだって、そう!私が先走って勘違いして、深雨に迷惑………」
「あ、そんじゃあさあ」スカートのファスナーを上げながら、深雨はいたってマイペースに言う。「『音遠ちゃん久しぶりー&元気してたー?パーティー』やっちゃうー!?小学校時代のみんなも呼んでさー、軽い同窓会みたいな感じでー!」
そう提案して、彼女は心底楽しそうににっこり笑った。
「ふっ……ま、まあ……いいんじゃん…」
呆れた様子の麻椰。彼女の苛立ちかけた気持ちは、深雨の言葉で一瞬にして消え去ってしまっていた。
麻椰は深雨のもとに戻る。
「わかったよ。私も出るよ、そのパーティー。そんで音遠に、ちゃんと謝る」麻椰はふと気づいて、深雨の髪を撫でた。着ぐるみをかぶっていて乱れた髪を整えてあげたのだ。「そういやあの頃の深雨、しょっちゅうパーティーやってたもんな……ふふ」
麻椰は懐かしそうに笑った。深雨も、喉元を撫でられている飼い猫のように気持ちよさそうに目を瞑る。
しばし二人の間に沈黙が訪れた。
ときどきクスリと笑みをこぼしたり、はにかんだり、愛おしそうに頬を赤らめたり…。言葉はなくとも、二人は饒舌に語り合う。そのときの二人には、言葉は必要なかったのだ。
天井近くのすりガラスからぼんやりと夕日が差し込んで、そのときの二人を優しく包み込んでいた。
やがて、申し訳なさそうな顔の麻椰が、静寂を破る。
「私はほとんど行かなかったけど、いろんなパーティーをやってた……きっと、いろんな深雨が見れたんだろうな……いいな……私も行っとけばよかった……………確か…『真実の愛が生まれた日』とか…」
深雨の髪を触りながら、うっとりとした表情になっていく麻椰。深雨は振り返り、麻椰の手を両手で包み込む。
「麻椰……」「深雨……」
ゆっくりと顔を近づける二人。
だが次の瞬間、ぷっ、と深雨が吹き出した。
「えっ?し、真実の……何?な、何それっ?ぷぷぷ…、いつも思ってたんだけど、麻椰ってときどきすっごいイタいこと言うよねっ!きゃっははははっ」
おかしくてたまらない様子の美雨は、お腹を抱えて笑い転げる。かあーっと顔を真っ赤にする麻椰。
「あ、あ、あ、あほかーっ!もともとお前が言いだしたんだよっ!都合よく忘れてんじゃねーよっ!」
そのまま深雨を突き飛ばし、背中を向けて歩き出してしまった。
「あーん、麻ー椰―。ひっどーいー」
着替え途中なので追いかけることもできず、手を伸ばして引き止めようとする深雨。だが、恥ずかしさでいっぱいの麻椰には聞こえない。
ばあん!
力強い音とともに更衣室のドアが閉まり、麻椰は出ていってしまった。更衣室は深雨一人になった。
しばらくして一人着替えを続けながら、ぼそぼそと独り言をこぼし始める。
「忘れてなんかいないよ、音遠ちゃんのこと。…だって、音遠ちゃんのおかげで、麻椰のこといっぱい知れたんだから…。『純粋』で、『一途じゃない人が許せない』ってこと。『女の子同士も割とイケちゃう』ってこと、音遠ちゃんのおかげで知れたんだから…」
「…深雨が、麻椰に告白できたのだって、音遠ちゃんがいたからだよ。深雨、音遠ちゃんのこと知って、勇気もらって、自分も頑張ろう、って思えた……だから麻椰に告白できたんだ……それで、付き合えることになったんだ……」
「だから深雨…音遠ちゃんにはすっごい感謝してるんだ。今日久しぶりに音遠ちゃんの元気そうな顔見れて、すっごいうれしかったんだ…」
深雨は、一時間ほど前に着ぐるみごしに見た、音遠の笑顔を思い出す。そして、その笑顔に心の中でエールを送った。
がんばれ音遠ちゃん。
深雨は……ううん、深雨たちは、音遠ちゃんのこと応援してるからねっ!




