09
「ちょおっとまったあーっ!」
突然遠くから聞こえた叫び声。
あたしは目を開けて、その声の方に向き直った。
「はあ…はあ…はあ…」
そこにいたのは、膝に手を置いて肩を大きく揺らしながら、荒い呼吸を落ち着けようとしているふわふわ髪の少女。強い意志のこもったまなざしであたしたちを見ているその子は、本前川音遠だった。
「お、オンちゃん……?」
あたしはもちろんのこと、その光景は澪湖にとっても相当意外だったようだ。さっきまでの無駄にロマンチックなテンションは消え、いつもの間抜け顔であんぐりと口を開けていた。
「ミオちゃんっ!」
力強い足取りでずんずんとこっちへ歩み寄ってくる音遠。
「ああ、音遠。どうしたんだ、こんなところで?奇遇……」
どんっ。
えっ?えっ?
あたし突き飛ばされた…?ね、音遠さん?一体どうして…。
「かなたちゃん邪魔!」
はい…。
いきなりのことで驚いているあたしと澪湖の間に、強引に割って入った音遠。澪湖の両肩をがっしりつかんで、真正面から澪湖の目を見つめる。澪湖もただ事でない雰囲気を察したのか、呆けた顔をやめて、まっすぐに音遠を見つめ返した。
「ミオちゃん……」
「…………どしたん?」
優しく笑う澪湖。
二人は見つめ合いながら、そのまましばらく無言だった。
そのときの二人はお互いに、何を言っていいのかわからないみたいで…………。
いや……、多分違う。
そのときの二人は、言葉がなくても確かに何かを伝え合うことが出来ていたんだ。それはきっと、あたしには分からないような、友達として長い期間一緒にいた二人だけの、独特の空気。
「…わたし…わたし……わたしね…」
「うん?」
「わたし……わたし……」
俯いて、上を見て、今度は背けて……。落ち着きなく顔を動かしながら、何かを言いかけてはやめ、また言いかけてはやめ、を繰り返している音遠。対する澪湖の方は、せっかちな彼女らしくもなく、おとなしく音遠の次の言葉を待っている。
音遠がどうしてここに来たのか全然わからなかったあたしには、彼女がこれから何を言おうとしているのかも全く想像ついていなかった。だから、澪湖とこんなところで一緒にいるところを見られてしまって、どう言い訳しようか、なんてどうでもいいことをのんきに考えていた。
しばらくして、ついに音遠は覚悟を決めて、続く言葉を口にした。
「わたし!ミオちゃんの事が好きっ!愛してるっ!」
その瞬間、ショッピングモール全体が凍り付いたような気がした。
ざわざわとうるさかった買い物客たちの会話がピタリと止まって、それまで音量が小さすぎて気づかなかったBGMがよく聞こえるようになった。今まであたしたちの存在を気にしていなかった人たちも含めて、モール内の全員の注意が、その瞬間にあたしたちに向けられたみたいだった。
ていうか…。
ね、音遠さん……こ、こんな公衆の面前で何言ってるんですか…。そういうのは、もっと人のいないところで、こっそりと言うもんだよ……?ああ、なんか段々あたしたちの周りにギャラリー集まってきちゃってるよ……なんかひそひそ話みたいなのはじめちゃったよ…。やばいって…、これ絶対やばいって…。
「えっ……お、オンちゃんそれって……」
…で、お前はなんで、今初めて聞きました、みたいな顔してるんだよ……。音遠の今までの態度見てれば普通わかるだろうが…。気づいてなかったのかよ…。
「そうだよっ!わたし、ミオちゃんの恋人になりたいっ!」
「だ、だって私がかなたが好きって言ったとき……オンちゃんも、応援するよー、って、言ってくれたのに……」
思いもよらない出来事に、明らかに驚いている様子の澪湖だ。
へえ…ホントに気づいてなかったんだ…。なんで?バカだから?転校生のあたしだって速攻気づいたっていうのに、当の本人がここまではっきり言われないとわからないって……。まったく、音遠がかわいそうになってきたよ………
ていうか、なんでもいいんだけどさ……あたしの名前出さないでくれるかな……。
あっバカ、こっちみて顔を赤らめるんじゃないよ…。ああ…、ギャラリーがあたしのこと指さしてきゃーきゃー言い始めちゃったじゃないか…。
い、いや、違うんですよ?あたしは全然この話には関係なくてですね…。
世間体を気にして慌てているのはあたしだけで、二人はギャラリーのことなんか気づいてもいないみたいで、勝手に話を進めてしまう。
「オンちゃんと私は、友達で……ただの友達だと思ってて……」
「ミオちゃんっ!わたし、ミオちゃんが好きっ!世界の誰よりも、かなたちゃんよりもっ!わたしの方が、ミオちゃんが好きだからっ!」
「……ごめん…オンちゃん…」
言いずらそうにうつむく澪湖。
「わたし…、今かなたと付き合ってるんだ……」
い、いや、それってお前が勝手に言ってるだけだからな?お前と付き合うとかあたし、一言も言ってな……。
「……かなたとは、もうキスもしたし……」
「きゃーっ!」
突然周囲から悲鳴のような黄色い声が上がる。もちろんどこかで事故かなんかが起きたわけではなくて、澪湖の言葉が原因だ。その証拠に、その声を上げた人をあたしがちょっと見ようとしただけで、その人は顔を真っ赤にして目をそらしてしまった。
あは、はは…。
ああ…こんな、みんなの注目集めてるときに、そういうこと言っちゃう……?もうこれ、言い訳出来ない感じになっちゃってるよね…?完全にあたし、そっち系の人だって思われてるよね…。
はは……というかよく見たら、さっき悲鳴あげたのってアニメのショーの司会やってたお姉さんだ……。その後ろの通路からは、さっき写真とって握手してもらった着ぐるみキャラまでこっち覗いてるし……。
「あの二人、やっぱり……」とか言ってるの、聞こえてるし…。
あたしはもう恥ずかしさが振り切ってしまって、全身真っ白になってがっくりとうなだれた。
――もしかしてこれ、修羅場ってやつ?――
あたしの気持ちなんかお構いなしで、荊は何故か興味津々だし。
「…そっか」つぶやくように言う音遠。「いいよ……今は。ミオちゃんは今は、かなたちゃんが一番好き…。だったらかなたちゃんと一緒にいるのが一番楽しんだよね…?幸せなんだよね…?それは、しょうがないよね……」
あたしはもうその時には完全にノックアウトされていたので、二人が言ってることもあんまり分からなくなっていた。だけど、かろうじて目の端にちらっと見えた音遠の背中は、少し震えているような気がした。
「…でもっ!」大声で叫ぶ音遠。「でも!わたしの方が絶対ミオちゃんのこと好きだから!ミオちゃんのこと一番幸せにできるのは絶対わたしだから!……だから、ミオちゃん!」
音遠は立ち上がると、あたしをびしっっと指さす。
「わたし!ミオちゃんが好きになってくれるような女になるっ!ミオちゃんが、かなたちゃんなんかを捨てて、わたしに『付き合って』って告白してくれるくらい、すっごいいい女になるからっ!だからミオちゃんは、せいぜいそのままかなたちゃんと付き合ってればいいよ!付き合ってられるもんならねっ!」
――愛人にあんなこと言われてるぞ!本妻として、ここはバシっと反論しろっ!――
もう勝手にやってくれ…。
「わたし気づいたんだ!ミオちゃんがかなたちゃんと一緒にいる幸せが100としたら、わたしがミオちゃんにとって200の幸せになればいいんだって!『ミオちゃんが欲しがるものをあげられる人』じゃなくって、『ミオちゃんに欲しいって思ってもらえる人』になればいいんだって!」
「……」
「待っててね!わたし、絶対ミオちゃんの一番になるから!」
「…オンちゃん…」
「ミオちゃんっ!大好きだよっ!」
そう言って、澪湖に笑いかける音遠。
周囲のギャラリーからはぱらぱらと拍手まで起き始めていた。
「オンちゃん……今まで気づかなくて、ごめんね……ありがとぉね……」
最初はおろおろとしていた澪湖だったが、今は嬉しそうに笑っている。
あたしの方は、「もう音遠と澪湖が付き合っちゃえばいいじゃん」とか、「これ全部、アニメのショーの一部でしたー、みたいなオチにならないかなー」とか、投げやりにそんなことを考えながら、乾いた笑いを浮かべているだけだった。
もう完全に心神喪失、放心状態だったんだ。
「…それにしてもオンちゃんってぇ……やっぱり笑顔が一番可愛いぃんだねぇ!」
そんな放心状態のあたしでも、その澪湖の言葉が真実だっていうのははっきりとわかった。音遠にしては珍しい安っぽい魚のヘアクリップが、彼女が笑う度に照明に反射してキラキラと光っていた。




