07
「ねぇ、かなたぁん…」
澪湖はあたしの肩に頭をもたれて、甘えるようなけだるげな声をかけてきた。
アニメのショーはもう終わって、今はイベントスペースの客席にいるのはあたしたちだけ。ショッピングモールで普通に買い物を楽しむ人たちの喧騒の中、あたしたちの周りだけ異様な空気が漂っていて、まるで周囲から切り取られた特別な空間にいるような感じがする。
「二人で住むならぁ、都会とぉ…、自然の中とぉ…どっちがいぃい?」
澪湖のそんな言葉にも、あたしは引きつり笑いを浮かべたまま何も言うことができずにいた。二人きりになってしまったから、また澪湖のめんどくさい感じが復活してきている…。ショーに夢中になっている間は忘れていたみたいだけど、ショーが終わった途端これだよ。あたしにぴったりくっついてきて、よくわからないことを口走ったりしてさ…。
――わかってるくせにー、カナ――
「私は自然……ううん…、海の近くがいいなぁ……」
あたしの肩に乗せた頭を動かして、うっとりとした目でこっちを見上げる澪湖。あたしは誰もいないステージをまっすぐ見つめて、なるべく澪湖と目を合わさないようにすることぐらいしかできない。
「夜の海をね、二人で歩くの…。ふたりの好きな歌をハミングしながらね……」
なんの話だ……。
というか、お前いつからそんなキャラになった…。
心の中でいくらツッコんでいても、当然彼女には届かない。あたしは仕方なく答えた。
「い、いやぁ…せっかく海の近くなら、あたしなら泳ぎたくなっちゃうかなあ、はは……。そ、それよりさ、ホントに次も見るのか、これ?だ、だってさっきと同じことやるんだろ!?」
二時から三十分くらいショーを見たあたしたちは、そのあとの着ぐるみキャラとの握手会、撮影会にもしっかり参加した。あたしたちみたいのが来ることも、しょっちゅうってわけでもないが無いわけではないらしく、ショーの演者や司会のお姉さんは意外に普通に接してくれたけど、あたしは終始恥ずかしさで顔が真っ赤だった。
澪湖に嫌々連れてこられた友人を演じて、……というか完全にそれが真実なんだけど…、なんとか二時の部が終了して、やっと解放される、さあ帰ろう、ってなったところで、澪湖が恐ろしいことを言い出したんだった。
「もぅ、当たり前でしょぉ……。だって、…だってさ、そうしないと…私たちの応援がないせいで、四時の部でセマフォアが負けちゃうかもしれない、……じゃない?」
目を閉じて、なぜかすごくロマンチックっぽい口調でそう言う澪湖。
そうか、じゃあしょうがないかぁ………とはならないよ!こいつほんと何言ってるんだよ…。あたしが逆らえないからって、ほんとやりたい放題しやがって…まったく……。そんな下らないこと言ってるんだったら、あたし帰るからな?ホントに、帰るからな……。
「ところで、かなたん……私たちの子供は、何人欲しい?」
ほらあ……またあんなこと言ってるぅ…。もう勘弁してくれよ…、帰してくれよぉ……。
――いや、今の人間の科学なら、夢じゃないぜ…――
こんな、こいつのいつものわがままなんてさ、大人しく聞いてるあたしじゃないんだよ、いつもならね。いくら弱みを握られているとはいえ、いつものあたしだったら、こんな澪湖、相手にしたりしないで適当に言いくるめて、さっさと帰ってしまうんだけどさ…。
ぅぅ……こいつ…、いつの間にかあたしの左手を自分の太ももの上において、両手でがっちり包み込んでいるじゃないか……。
澪湖の高めの体温が伝わってきているのか、あたしは自分の体がほてってくるような気がしてきた。
――認めちまえよ。自分の気持ちに正直になって、楽になっちまえよ。くくっ――
さっきからちょくちょくあたしをからかってくる荊の言葉にも、イラつきより焦りが勝ってしまって言い返せない。なんかさ…、今のあたし、どうかしてるんだよ…。
いや、あのクリスマスの夜から、あたしは、ずっとどうかしてたんだ。
ショッピングモールの通路を歩いているカップルを、口を半開きにしてぼうっと見ている澪湖。あたしはばれないようにチラチラと彼女の横顔を盗み見てしまう。
あどけなさしかないような小さな丸い顔。ぷにぷにという音が聞こえてきそうな、柔らかそうなほっぺた。頭からは、海外の柔軟剤みたいな暴力的な甘い匂いが薫ってくる。
こういう匂いは、あたし気持ち悪くなっちゃうから嫌いだったはずなのに、今はなんだか心地いい気分だ…。子供みたいに小さな体も、抱きしめて、守ってあげたくなるような気分になる。
なんだこれ、なんだこれ…?
あたし、どうしちゃったんだ……。
あたしは散々恥ずかしい思いをしてきたせいで、多分頭の中が軽くパニックになって、自分で自分がわからなくなってしまってたんだ。だから、こんな風に好き勝手やる澪湖に、なんだかおかしな気分を抱いてしまって…。
「ねぇ、かなたん……」
はは、またどうせ下らない事を言うぞ…。よし、今度こそ言いかえしてやる…。『もうやってられるか!』って言って、この場を立ち去って…。
「かなたんが付き合ってくれて、私うれしいよ………でもね、本当にうれしいのはその事自体よりも、私のお母さんとお父さんのことなの…。今の私たちのことを知ったら私なんかよりずっと、私のお母さんとお父さんが喜んでくれると思うんだ……だから私、そのことが何よりも嬉しいんだ……」
あたしは、冷水を頭からかけられたような、雷に打たれたような、心臓をこぶしで握り絞められたような…。むしろ、それを全部同時にされたうえに、全身が石になってバラバラに砕かれたような感覚に襲われた。
「私ってさ…、なんか変な病気みたいのにかかってるじゃん…?望んでもないのに、時々勝手に『あいつ』と入れ替わっちゃったりして……。そんなの…私は別にもうなれちゃったんだけどさ…。でも、お母さんとお父さんは、そのこと本当に気にしてて……。この境遇のせいで、私は一生恋とか結婚とかできないんじゃないかって……、それがかわいそうだ、って……」
あたしは、澪湖の言葉を聞いているうちに冷や汗が流れ、さっきまでとは比べ物にならないような居心地の悪さを感じはじめていた。
「でも私……ちゃんと恋、できたよ。好きな人ができて、告白して……。私のこんな境遇を知って、それでも私の気持ちにこたえてくれる人に出会えたんだよ?……しかも、その相手のかなたんも、ケイ…だっけ?同じような境遇を持ってて…、それって、すごいことだよね?本当に奇跡…っていうかもぉ運命だよね?だっておんなじ境遇の人なら、『あいつ』のことだって気にしないもんね?私たち、ずっと一緒にいられるんだもんね…?」
体を揺らして、小さく笑う澪湖。
「……まさか私の好きな子が女の子だなんて言ったら、やっぱり驚くと思うけど……でも私、難しいことはよくわかんないから、それでどういう問題があるのかもわかんなくって……だけど、だけどさ、かなたんなら大丈夫だよ。かなたんって、すっごいカッコよくて、すっごい可愛いし、…だから女の子だって、きっと全然大丈夫だよっ!」
満面の笑みで、あたしの顔を見る澪湖。あたしも気づいたら澪湖の方を見つめていた。
「きっと…、お母さんたちだって、かなたんのこと、わかってくれるよ…喜んでくれるよ…だから私、すっごい…すっごい嬉しいんだ今……。かなたん…ありがとうね。…大好きっ」
あたしに抱き付く澪湖。あたしはもう、何も抵抗することができなくなっていた。
こいつは、伊美澪湖は……両親が喜ぶことを想像して、自分のことみたいに喜んでいる。両親のことが好きで、両親に愛されていて……。
あたしなんかより、ずっと健全で、まともで、普通だ……。あたしの家族と、全然違う…。バラバラになってしまって、お互いを疎んで、避けてしまっているあたしの家族なんかとは……。
――カナ……――
もうめちゃくちゃで、見るに堪えないあたしの家族に比べたら……、あたしは、澪湖の家族がうらやましい……。
家族のことを語るときの、家族と一緒にいるときの澪湖の顔は、本当にうれしそうで、楽しそうで、あたしには輝いて見える。あたしには……眩しすぎる。
「ねぇ……かなた。……キス…、してもいい…?」
朝よりもずっと控えめに、切ないかすれ声で言う澪湖。あたしは彼女の眩しすぎる笑顔を見ることができない。
でも、それ以上に……その顔が悲しみに変わってしまうのはもっと見たくない。
あたしみたいに、めちゃくちゃになってほしくない。澪湖は、澪湖だけは、その笑顔をずっと続けていてほしい。
あたしをずっと照らしていてほしい。その、太陽みたいに力強くて眩しい笑顔で、あたしの目が潰れてしまうまで。あたしが干上がってしまう、その日まで……。
澪湖は、あたしがうらやむ存在であってほしい。
「澪湖……あたしも好きだよ……」
そう言ってあたしは、目をつむってくちびるを突き出している澪湖の体を抱き寄せた。あと少しかがむだけで接触しそうなあたしと澪湖の唇。初めてしたときより、二度目の今はずっと冷静に周りをみることができていた。
きっとあたしがいる場所はここなんだろう。
あたしが…あたしなんかが、澪湖を喜ばせることが出来るなんて、何か他人のためにできることがあるなんて、すごいことじゃないか…。何を迷う必要がある…。
あたしもそっと目を閉じて、自分の唇を小さくなめた。
澪湖…あたしは…、澪湖が、好きだよ。
同じ台詞を、今度はほとんど消え入るような独り言で、もう一度言ってしまったのはどうしてだろう…。そんな声じゃ、きっと澪湖には聞こえなかったはずなのに……。




