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『よお子』さんは、この前の買い物に行ったときと同じスウェットとスカートに、上は黒のジャンパー、下は高校のジャージのパンツをはいている。
「ああ、よお子さん。どうしたんだい、こんな時間に?」なるべく自分の感情を押し殺して、いつもどおりの笑顔を作って話しかけた。「こんな深夜に出歩いていたら、年末でノルマ消化に必死な警察官に補導されてしまうよ?」
「……あ、あの……何か、困ったこと……とか…」
「え……?」
『よお子』さんは普段通りおどおどとしながら、そんなことを言った。
「か、かなた……さん……何か、困ってる……んじゃ……ないか……って……」
「……何て?」
『よお子』さんは何も知らないはずなのに………どうして?
まるであたしがさっき最悪の気分だったことを見通しているような台詞。心の中をのぞき見られたような気持ち悪い感じがして、あたしの語調は自然と厳しくなった。
「悪いけど、もっとはっきり言ってくれるかな。何?何の用だって?」
「……あ、あの……さっき………かな…た、…さん…の………」
相変わらずおどおどとした、途切れ途切れのイラつくしゃべり方。さっきのことで鬱憤もたまっていたあたしは、そんな『彼女』に我慢してられなくなって、近所迷惑なんて顧みずに大声で叫んでしまった。
「ああもう、じれったいなっ!言いたいことがあるならはっきり言えって言ってるだろっ!澪湖!」
『彼女』は、一瞬きょとんと目を丸くして、それからまたおどおどとした態度に戻った。
「あ、あの……私、……よお子……で……!」
あくまで自分をよお子さんと言い張ろうとする『彼女』を見ているだけで、今のあたしには耐え難いくらいのムカつきがこみ上げてきた。舌打ちして、ずんずんと『彼女』のそばまで近寄る。その勢いにひるんだ『彼女』が少しずつ後ずさる。あたしはそれを追うように歩み寄る。そんなことを繰り返して、とうとう、道路沿いの壁まで『彼女』を追い詰めてしまった。
「……か、…かなた……さん……?」
『彼女』の両肩を持って、壁に押さえつける。そして、怒りと苛立ちを全面に押し出した顔で、『彼女』を思いっきりにらみつけた。
「澪湖…お前、いい加減にしろよ。お前の気まぐれに付き合ってるほど、こっちは暇じゃないんだよ。用があるんならさっさと言えっていってるだろ?」
わなわなと震えているあたしの両手。きっと肩をつかんでいる手にも、あとがつくくらいに強い力が入っていると思う。
「それに、お前、一体あたしの何を知って……」
「……よお…子、です……」『彼女』は、恐怖で閉じそうな目をぎりぎりのところで開いたまま、その瞳の奥でしっかりとあたしを見つめていた。「私、……よお子……です」
「ああー!」
聞き分けのない『彼女』についに気持ちを爆発させたあたし。肩を掴んでいた右手を離して、大きく振りかぶる。『彼女』は身構えて体を小さくしながらも、あたしへの視線をはずさない。
「ああぁぁぁー!」
あたしは怒号のような叫び声を発しながら腕をすばやく動かし、力強く握り締めた拳を、『彼女』の顔面の目の前まで突き出した。
「ああああぁぁぁ……」でも、彼女の顔に当たる直前で、あたしの拳は急停止。人差し指を伸ばして『彼女』の顔を指差す形にする。「ぁぁぁ……あ、澪湖お前、ほっぺに生クリームついてるぞ?」
「えっ、うそうそ?右左どっち?…………あ」
いじきたなく舌を伸ばして、ありもしないクリームをなめようとしていた『彼女』は、そこで間抜けな顔のまま硬直した。
「ふっ、やっぱり澪湖じゃないか」
「むぅ、ばれたかぁ…」
そう言って悔しそうにしかめたその顔は、正真正銘、どこからどう見ても、伊美澪湖だった。久しぶりに見た彼女本来のいたずら好きの子供のような表情に、あたしの顔はついほころんでしまった。
実のところ、さっきまであたしを満たしていた怒りも苛立ちも、その九割以上が澪湖には関係ないものだってことぐらい、あたしは理解できていた。確かにここ一週間くらい、意味もなく全然似てないよお子さんの物真似をする澪湖に苛立っていたのは事実だけど、だからって、我慢できなくなって澪湖に手をあげたりするほど、あたしはまだ堕ちてはいないつもりだ。
「えぇ、なんでぇー?私、『あいつ』の真似完璧じゃなかったぁ!?あのイラつくしゃべり方、オンちゃんとすっごい練習したのになぁー」
あ、自分でもイラついてたんだ…。正体がばれた途端、今までのたまっていた分を吐き出すかのように、澪湖はべらべらとしゃべり始めた。
「ねぇ何でわかったのぉー?絶対ばれない自信あったのになぁー!オンちゃんだってすっごい似てる似てるーって言ってくれたしさぁー!…うぷぷぷ、もしかして、そんなに私のことが恋しかったのかなぁー?『あいつ』より私に会いたいよぉー、ってことなのかなぁーかなたちゃぁーん?」
「いや、それは無い」
「あれ…」
ずっこける澪湖。あたしはそれには反応しないで、さっさと聞きたいことだけ聞いてしまう。
「で?さっきの、あたしが困ってる、とかって何の話だ?というか、お前何しに来たの?」
「ちょっ!?なんかさっきより聞き方が冷たくないっ?えぇっ、私と『あいつ』のときって、そんなに対応が違うのぉ!?」
「そういうのいいから。…で?」
無味無臭、噛みすぎたガムみたいな味気ない反応をつき返すあたし。澪湖は「ぶぅ…」っと不満そうな顔をしていたが、やっと話し始めた。
「…ってかぁ、かなたが私のこと呼んだんじゃないのぉ?…かなたから急に空メールが来たからぁ、…あれぇ、何かあったのかなぁって、気になっちゃって私ぃ、…大急ぎで来てあげたのにぃー…」
「空メール……だって?」
まったく身に覚えのないことを言われて、顔をしかめる。本当に覚えが無さ過ぎて、澪湖が適当な嘘を言ったんだろうということを、ほとんど確信していた。
でもすぐに、『犯人』の気持ちがあたしの頭の中に入ってきたので、彼女の言っていることが真実であるということを認めざるを得なくなった。
さっき布団の上で寝てしまったときか…。
「ああー、それなら気にしないでくれ。ホントになんでもないんだ。ただの操作ミスで、全然意味はないよ。いや悪かったな澪湖、変に心配させてしまって」
適当に言い訳をする。
――……カナは、いつもあいつを見ると、笑顔になるからさ……――
荊はまたそんなことを言った。
ありがとうな。あたしのことを心配して、澪湖を呼んでくれたのか?でもな、余計なことはしなくていい。今のあたしの気持ちは、澪湖なんかじゃ晴らせやしないんだから。まあ、今まで澪湖を見て笑顔になってたのは事実だけど、それはいつもあいつが笑えるほど変な顔してるってだけだよ。
「んんんー、なぁんか失礼なこと考えてなぁい?かなたぁ…?」
考えてみれば簡単な話だ。だって、この澪湖が、あたしの事情なんか知るわけないんだからな。
「まあいいや!それよか、今度はわたしの番!さぁさぁ聞いちゃうぞぉー!根掘り葉掘り、実堀り枝堀り聞いちゃうぞぉー!ずばりぃ!どうして私が澪湖だって……」
あたしはもう興味がなくなったので、部屋に戻ることにした。
「どうしてわかったかは自分で考えてみな。後で答え教えてやるよ。それじゃあな。補導されないように、気をつけて帰れよ」
だってまだ父さんとのことに気持ちの整理がついてない。明日母さんの実家に行くってのすら、まだ覚悟できてないんだから。だからあたし、早く一人になりたかったんだ。
「えっ?何で行っちゃうの?家に入れてくれないの?」
は?
それを、ものすごく当たり前のことのように澪湖は言った。
「何でだよ。入れないよ。早く帰れよ」
「ひ、ひどい…。こんな寒いのに外に追い出すなんて…鬼!鬼畜!エロイケメン!」
だから今、こういうの相手にできるような気分じゃないんだって。本当、めんどくさいんだよ。
「来ることは出来たんだろ?また帰ることだって出来るよ。じゃあな、また来年」
「出来ないよぉ!冬の夜って、どんどん寒くなってくんだよぉ!?雨はやがて雪に変わるんだよぉ!?」意味不明な発言。あたしに相手にしてもらいたくて必死って感じ。ああ…、やっぱりよお子さんのままにしておけばよかった。「しかも何で来年なのよぉ!?まだ今年あるし!何でもう会わない気満々なのぉ!?」
あたしはまた澪湖の肩を持って、壁に押し付ける。自分が本気なことをわかってほしいから、真剣な表情で言う。
「澪湖、悪いんだけどさ、あたし今ちょっと疲れてるんだ。眠りたいんだよ。だからさ…」
「あ、大丈夫大丈夫!いいよぉ!じゃあ私、横でかなたの寝顔見守る係ぃー!」
全然、あたしの気持ちを汲み取ってくれない澪湖。本当に、だだっ子と同じだ。お前が邪魔だっていうの、なんでわかってくれないのかなあ………結局言いたくないことまで言わなきゃいけなくなるんだよ。ああ、すこぶるめんどくさい。
「わかった、わかった。悪かったよ。本当のことを言うよ。あたし…あたしさ、ちょっと今日父さんとごたごたあってさ、まあケンカみたいなものかな。だからちょっと落ち込んでいるんだよ。一人になりたいんだよ。……悪いな、今日はお前の相手してやれないんだ」
「そっか、そうなのかぁ…。じゃあしょうがないかぁ……」やっと、わかったか…。あたしは彼女の両肩を離す。「じゃあさ、しょうがないから私、『あいつ』の真似続行しとくねっ。それなら大丈夫なんだよね?そんでさ、とことん愚痴っちゃいなよぉ?お父さんに言いたいこと、私に吐き出しちゃいなよぉ?朝まで付き合うからさぁ。……あ、でもごめんごめんっ!コンビニで、おでんと肉まんだけ買わせて!?そしたらホント、いくらでも愚痴聞いて……」
「ぁあああ!」
「ど、どったの!?」
あたしは、思わずまたさっきみたいな声を上げてしまった。だめだ。やっぱりこいつむかつく。
「……なんでもない。いいからお前もう帰れ」
舌打ちして、澪湖に背を向けて歩き出す。もうあいつが何を言っても、振り返ったりはしない。
「どうして?ねえ、かなた…どうして…」
あたしはアパートの一階の、自分の家に入った。もうその瞬間には、澪湖のことは頭から消えうせていた。
力強く扉を閉める音だけが、静かな夜に響き渡った。




