09
自分の部屋で、電気もつけずに布団に横たわっているあたし。急に気分が悪くなったとか言って閉じこもってしまったので、二人にはだいぶ感じ悪く見えたと思う。
「か、カナちゃん……そ、そのごめんね?だってあたしたち、ちゃんと『あの人』が言ってあるって思ってたから…」
部屋の外で、姉さんが謝っている。なんで謝るんだろう。姉さんは何も悪くないのに。
「…あたしたち、一旦帰るわ。でも今日はなるべく起きているようにするから、来れそうなら電話しなさい。……母さんと一緒なのが嫌なら、電車でもタクシーでもいいから。家、知ってるわよね?」
久しぶりに聞いた母さんの声は、知らない人みたいに聞こえた。父さんの前だと母さんはほとんどしゃべらなかったから、もう声を忘れちゃってたんだ。
母さんと姉さんがうちにやってきたとき、あたしはその理由がわからずに、取り乱してしまった。二人も最初ちょっと混乱していた。だれど、すぐに事態を把握したみたいで、あたしにその理由を説明してくれた。
「と…『あの人』、今日から年明けまで泊り込みのバイトが入ったんだって。知り合いからの紹介で」
「先週いきなり会いに来たと思ったら、あなたを頼む、って…。自分勝手なのよ、いつもいつも」
「カナちゃんは用事があるみたい、って『あの人』言ってたから。あたしてっきりカナちゃんは、今日は朝まで帰らないんじゃないかなー……って思ってたんだけどさー」
「励歌。いかがわしい店で働いているようなあなたとは違うのよ、この子は」
「だーかーらー!うちのキャバはいかがわしくなんかないっていつも言ってんじゃん!」
「様子を見にきて正解だったわ。かなたに一言も言わずに留守にするなんて、まったく、いい加減な話よね。だからあたしはかなたを『あの人』に預けるのは、反対だったのよ………」
部屋の外から聞こえる二人の足音が、だんだん小さくなっていく。やがて、ドアが閉まる音。それきり家の中は急に静かになった。
布団にうつ伏せになっているあたし。
自分はそのうち泣いてしまうのかも、と思ってそうしていたのだけれど、いつまでたっても涙が流れてくることはなかった。そもそも、今の自分の中に悲しいという気持ちがあるのかも怪しい。もしかしたらあたしは、どこかでこうなることがわかっていたのかもしれない。
目を瞑ると、思い描いていた理想のクリスマスパーティーが浮かんでくる。父さんとあたし、母さんと姉さんも一緒にいて、この家のダイニングキッチンの小さなテーブルを囲んでいる。みんな笑顔だ。
こんなこと…、あるわけないのに。
ああ、そうか…。これは違う。昔のときの記憶だ。みんながバラバラになる前の、ずっと昔のクリスマスの記憶……。
お母さーん!カナちゃんの方がケーキ大きいんだけどー!
そんなことないわよ。二人ともおんなじでしょ?お姉ちゃんなんだからそういうこと言わないの。
やだやだやだー!レイカの方が大きいんだから、レイカの方がたくさん食べなきゃおかしいんだもーん!
…レイカちゃん。こっそりお父さんのやつ半分食べていいから。
やったー!お父さんありがとー!大スキー!
お父さんたら!またお姉ちゃんばっかり甘やかして……
だんだん回想が、現実と区別がつかなくなっていくような気がした。それはきっと、悪夢のような現実よりも、あいまいで都合のいい記憶の方が本当であってほしいと、あたしが願っているからだ。もう嫌なことを見たくない、考えたくないと、体が思ってしまっているからだ……。
意識が遠のいていく。
もうなんでもいい…。いっそこのまま、目が覚めなければ………いいのに………。
でも……、しばらくしてあたしはちゃんと目が覚めた。
現実は残酷だ。
きっと、ここ一週間くらいクリスマスプレゼントを作るために夜更かし続きだったせいで、睡眠不足がたまっていたのだろう。そういえば、パーティーの準備していたときは緊張していたからか全然気にしていなかったけど、ずっと頭の中がどんよりした気分だった気がする。今は寝起きで脳細胞が活性化されて、とてもスッキリした気分だった。
腕時計は十二時少し前を指している。結局、あたしは一時間くらい寝てしまったわけだ。もう電車は走っていないし、母さんの家に行くのは明日になるだろう。
布団から起き上がって、部屋を出てキッチンに行く。そこで、キッチンの壁にかかっている飾りつけを改めて見て、思わず笑ってしまった。
なんて安っぽい、貧相な装飾だろう。小学生のお遊戯会だって、もう少しましな飾り付けをしそうなものだ。しかもところどころつけ方を間違えていたみたいで、壁掛けのオーナメントの向きが逆になっているところがある。つけているときには、全然気づかなかったのに…。
ふと、テーブルの上に書置きがあるのに気づいた。
カナちゃんへ
久しぶりに一緒に暮らせるの楽しみだね。前みたいに一緒にいろんなとこ遊びに行こーね!
母さんも表には出さないけど、すっごい楽しみにしてたんだよ。今日のためにでっかいケーキ買っちゃったりして!
しかもカナちゃんの好きだったチョコレートのやつだよ!みんなカナちゃんのこと……
最後まで読む気はおきなかった。
姉さんたちはこの飾り付けを見て、なんて思ったんだろう。用意してあるケーキや、こんなかわいらしい格好で父親を待っている娘を見て、なんて思ったんだろう。
はあ…。
あたしは引き出しから大掃除用に買った大きめのゴミ袋を取り出すと、そのメッセージカードと、壁からはがしたお粗末な飾り付けを一緒に丸めて捨てた。それから次に冷蔵庫を開けて、納豆や調味料を押しのけて偉そうに陣取っているケーキとチキンを取り出して、箱に入っている状態のままゴミ袋に投げいれた。
最後にテーブルの上のマフラーの入った箱もゴミ袋に入れようとしたけど、やっぱりそれは思い直して、リボンと箱だけ捨ててマフラーは自分の首に巻きつけた。
父さんに贈る予定だったプレゼントを自分で使う。これは父さんへのあてつけだ。もちろん、何の意味も無いことも、そんな自分がものすごく惨めなこともわかっている。でも、そのくらいしないと、今のあたしの気分を抑えることはできそうも無かったんだ。
明日は燃えるゴミの日だったので、そのままゴミ袋を結って、外に出してしまうことにした。革のジャケットを羽織って玄関に向かう途中、荊が話しかけてきた。
――カナ…――
また、みっともない姿を見せてしまったな。すまない。
こんな、自分の気持ちもろくに管理できていないあたしに、お前のことを助けることなんてできないよな、きっと。もし出来るなら、お前は別の人間に憑いた方がいいのかもしれないな…。
――何か、できることは無いか?――
ふっ…。
――俺はどんなときでも、カナを見捨てることはしない…――
何言ってるんだよ。そんなこと…。
――お前の力になりてえのさ…――
…一丁前のことを言いやがって。大丈夫、間に合ってる。あたしは大丈夫だよ。お前は何も気にすることなんて……。
いや……。
あたしは、玄関へ続く廊下から洗面所の扉を開けた。
電気をつけ、鏡に映る自分をにらみつける。
「……自分自身、いや、あたし自身に、お前の催眠術は使えるか?」
――カナ……――
「使えるなら、頼みたいことがある。……あたしの記憶を消してくれ、全部だ。今も過去も、父さんも母さんも姉さんも…。全部の記憶を消してくれ。余分なことは一切考えなくていい、ただ泣いているだけでいい赤ん坊のころまで、あたしの記憶を全部、全部消してくれよ!」
――……――
頭の中で、荊が力なく首を振ったような気がした。
――俺の『力』は、お前には使えない……使うことができないのさ……――
「そうか……」
あたしは、洗面所の電気を消して、玄関へと向かった。
「じゃあお前があたしに出来ることはないよ。ありがとう。その気遣いだけで十分だ」
――……――
外の空気は恐ろしく冷えきっていて、動くものなんか一つも無いんじゃないかって言うくらい、静かだった。あたしはアパート前のゴミ回収所に、ケーキや紙くずの入ったゴミ袋を放ると、凍えてしまう前に急いで玄関に向かった。
そのとき、そんなあたしを後ろから呼び止める声が、静かな住宅地に響く。その聞きなれた声の正体は、振り向くまでもなくあたしにはわかった。
「かなたっ!………さん……」
『よお子』さんは、アパート前の道路に寒そうに立って、こちらを見ていた。




