02
教室。
ホームルームが終わって、クラスメイトたちは一限目の授業の準備をしている。
「ねえーえ!かなたちゃん聞いてるのおー!?」
「あ、ああ…。聞いているよ」
もう何度目だよ……。
今日、通学路で音遠たちと一緒になってから今までに、幾度となく聞いた台詞。昨日訳あって床につくのが遅かったあたしは、眠い目をこすりながら、彼女にずっと適当な相づちをうっていた。
「ほんとに聞いてるのおー!?みいんな、かなたちゃんのせいなんだよー!もおー!」
「あ、……あの、……もう、いいから……」
「よ!く!な!い!のおー!」
一言一言言葉を区切って、強調する音遠。いくら澪湖のことを特別に思っているからとはいえ、今日の彼女はしつこすぎる。
というかさ。さっきから言ってるそれ、そんなに問題か?
「だってミオちゃんが消えちゃったんだよおー!こんなことお、今まで一度もなかったんだからねえー!」
憤っている音遠と、その後ろでモジモジとしている澪湖、…じゃなくて、よお子さんか。正直、今あたしすっごい眠いんだけどなあ…。でもこのままだと、一日中こんな感じで絡まれるんだろうなあ…。まったく、しょうがないな。
あたしは観念して顔を上げて、言いたい放題言わせていた音遠の方を向いた。
「ふわぁーあ……分かった。分かったよ。謝ればいいんだろ、謝ればさ?……でもさあ、さっきから聞いてれば、ちょっとおかしくないか、それ?」
あたしを睨みつける音遠。とりあえず気にせず続ける。
「だってさあ、そもそも『澪湖が消える』って何だよ?意味わからんよ。澪湖とよお子さんは、二重人格だろ?澪湖が表に出ているときは、よお子さんは存在しない。よお子さんが表に出てきたら、今度は澪湖がいなくなる。そんなの、今までだってずっとそうだったじゃないか。澪湖の人格がよお子さんに入れ替わったくらいで、何をいまさら深刻ぶって言ってるのさ?」
「あ……そ、それは……」
「だからあ、さっきから言ってるでしょお!それはあ…」
音遠がいらだたしそうに詰め寄ってくる。
「いや、分かってる分かってる。さっき何度も聞いたから言いたいことは分かってるよ。よお子さんだけは、澪湖が確かに『いない』ということが分かる、そういう話だったよな?澪湖がよお子さんの人格のとき、つまり、よお子さんの人格が表に現れている状態のとき、よお子さんはいつも心の片隅に、澪湖の存在を感じていた。心の中の澪湖と会話ができる、とかそういうわけではないが、なんとなく、すぐ近くで澪湖が眠っているような、そんな気分を感じていたと…」
その部分はあたしたちに似ているかもな。その感覚、なんとなく想像できないこともない。
あたしと荊のことは音遠もまだ知らないはずなので、自分たちの事情と比較するのはやめておいた。
「昨日、お嬢様たちと買い物に行った時に、澪湖からよお子さんに人格が入れ替わった。その時から、いつもと違って頭の中に澪湖がいないように感じる、澪湖が消えてしまったように感じる………と、よお子さんが言っているわけだ」
あたしは少し意地悪い顔でよお子さんを見る。彼女はぶるぶると震え、泣きそうな顔でうつむく。
「………ほ、ほんと……なんです……」
消えいるような声。その隣では鬼のような形相の音遠。
このままだと余計にめんどくさいことになってしまいそうだったので、あたしは一応愛想笑いを浮かべて、ご機嫌を伺いながら言った。
「ははは…。いや、別に信じてないわけじゃないんだ。だって他ならぬよお子さんが言っているんだもんな。澪湖じゃないんだから、よお子さんがそんな下らない嘘を言うわけがない。あたしは、よお子さんを信頼しているよ」
あたしの視線を受けて、顔を真っ赤にするよお子さん。
「でもさあ…」
あたしには、必死になってる音遠の気持ちはやっぱり分からない。
「どうせ、自分勝手な澪湖のことだよ?なんかの気まぐれでそういうことになることだってありそうじゃないか?それでさ、あいつのことだから、そのうち何にもなかったみたいにひょっこり出てくるんだよ。おなかすいたー、とか言ってさ?」
今のあたしには、澪湖の気まぐれなんかに付き合ってる余裕はないんだ。
「案外、今日寝て起きたら、また澪湖の人格になってるー、なんてことだってあるんじゃないのかな?」
だって父さんへのプレゼント、まだ用意できていないんだ。用意途中なんだよ。……まあ一応、昨日夜更かししたおかげでなんとなく目処はついてきたんだけどさ。
「というかさ、もっと言わせてもらえば、別にこのままでもいいんじゃないかな?だってよお子さんは、あいつよりもずっと他人想いで空気が読めるし、騒がしくもない。馬鹿なことを言い出したりして、誰かを困らせたりすることもない。みんなきっと、澪湖の人格よりも、よお子さんの人格がいてくれる方がうれしいんじゃないかな。あたしもずっとこのままのほうが…」
「そ、そ、そんなわけないでしょおー!このままでいいわけないでしょおー!かなたちゃんっ!な、何言って…」
「あ、あの……音遠さん……もう、大丈夫、です。……澪湖の、……ことは、私が……自分で……なんとか、……するから……」
ばあんっ!
そこで教室の扉が勢いよく開き、お嬢様たち一行が入ってきた。
「ごきげんよう!ごきげんよう、皆さん!ちょっと通してね、すいませんわね。通りますわよ……………き、聞きましたわよ伊美澪湖!貴女、ツンデレじゃなくなったんですって!?デレしか出来なくなったんですってねっ!」
息を切らして駆け足で入ってきたお嬢様。ちょっと遅れて、両隣に双子メイドが歩いてくる。
「くふっ!か、かわいそうに!庶民の分際で、わたしたち上流階級のたしなみであるツンデレを気取るからそういうことになるのよ!ざまあみなさい!これでこの学校のツンデレ枠はわたしのものですわー!おーほっほっほー!」
この人たち、しょっちゅう一年の教室に来るよな。相当暇なんだろうな。
「美河様、先日はわたくしが大変失礼な言動をしてしまい……」
「………」
馬鹿笑いしているお嬢様を放って、すまなそうな顔をした七五三木先輩があたしのところにやってきた。
「かなたちん、自分も謝るっす……。あの時はちょっと、イクちんおかしくって…」
「………」
なぜか二十六木先輩まで一緒に謝ってくる。
ニコイチだかなんだか知らないけどさ、あんたらガキかよ。一人じゃ謝罪もできないわけ?
というかさ……別にあたし、七五三木先輩のことまだ怒ってるってわけじゃあないんだよ。中学のころからあんなの、いくらだって言われてきて、もうすっかり慣れっこだったからね。だいたい、あたしにああいうこと言った人で、次の日に謝ってくれる人なんて今までいなかったしね。それ考えたら七五三木先輩は相当マシなほうだと思う。うん。だからさ、だから、あたしはもう全然普通だし、ホントに気にしてなんか……。
「……一個だけ言わして」
やっぱりあたしは我慢できなかった。頭を下げる双子メイドに、顔を近づける。そして、つぶやく様に二人に言った。
「父さんの不倫相手の女は、父さんを裏切ったんだ。父さんはあいつのことを守って、自分だけを悪者にしたのに……。だからどんなことがあったって、父さんが今更あいつのところに行くわけなんかない」
他の人にはあんまり聞かれたくなかったので、音遠やよお子さんの注意が、いつもみたいに馬鹿なこと言ってるお嬢様に向いているのは助かった。
「つまり、先輩が昨日言ったことはてんで大間違いで問題外。全然真実じゃないんだから、怒る怒らないっていう以前の問題なんだ。そんな見当違いのことを言われてもあたし、全然気になんかしてないからっ」
最後は、少し語気が強くなってしまった。
「その通りです。それに関しては、わたくしの認識誤りでした……。美河様のお父様のことを、わたくしはまったくもって軽んじてしまっておりました。貴女様のお父様は、本当に立派な方です。先日わたくしが申し上げたような、卑しいことをされたりはしない。もちろん美河様がお父様を傷つけているというのも、大変不適切な発言でした。わたくしは、美河様とお父様に、なんと言って謝罪すればいいか……」
「はあ、もういいって…」ため息交じりにあたしは言う。
「自分も謝るっす。本当に申し訳なかったす……かなたちん、自分らどうしたらいいっすか?どうしたら、許してもらえるっすか?」
「だから、もういいって!」
全然あたしの話を聞かない二人に、いい加減うんざりしてきたあたし。二十六木先輩がふいに、あたしの手をとった。
「かなたちんが許してくれるんなら………自分、なんでもするっすよ?……自分のこと、好きにしていいっすよ」
そう言って、うるうると涙目であたしのことを見る。そして、ゆっくりとあたしの手を自分の胸元に持っていった。昨日抱きついてきたことといい、この先輩は……。変な意味じゃないよな?これは、天然でやってるんだよな……?
今度は逆側の手を、七五三木先輩が握った。
「許していただけるなら、お嬢様のためにあるわたくしのこの体も、本日だけは美河様に差し上げます。美河様のお望みとあれば、どのようなことでも、どのような卑猥なことでも………どうぞ、お好きなプレイをご命令ください……」
上目遣いであたしのことを見ながら、こっちの手も七五三木先輩の胸に向かって引っ張られて……。
や、やめてくれよ!あたしそういうの苦手なんだよ!
あたしは真っ赤になって、二人のその手を振り払った。
「わかった!わかったから!許す!許すってば!だから、ほんとそういうのは勘弁してくれよ!」
あたしのそれを聞くなり、二人は揃ってにっこりと笑って、軽く一礼した。
「かなたちんやっさしー!そんじゃ、この件はもう一件落着ってことでー!よろー!」
「よかったです。それでは今週金曜のプレゼント交換会、よろしくお願いいたしますね?」
まったく……。
このメイドたちの前では、お嬢様だけじゃなくあたしのことも赤子同然だ。いつの間にかペースに乗せられて、思い通りの展開に誘導されてしまう。
……まあいいさ、あたしもあのまま先輩たちと気まずい関係ってのは、嫌だったしな。だってせっかく新しい学校に転校してきたっていうのに、その学校の経営者に仕えてるメイドとケンカなんかして、また別の学校に転校しなきゃいけなくなったりしたら、あたしはいいけど、父さんに申し訳ないじゃないか。
それにさ、結局のところあの先輩たちはもう、あたしの事情を全部知り尽くしてしまっているわけだ。もしも友達関係でいられるなら、何かの相談に乗ってもらえることもあるかもしれないよな。父さんのこととか、荊のこととか。そういう『使えそう』な関係は、なるべく残しておいたほうがいいじゃないか。
あれ?荊、そういやさっきからお前おとなしいな。どうした?
――……柔らか…――
ん?
――や、柔らかいな……人間の胸ってのは…――
なっ!?お、お前何言って……!
――い、いや!違うぞ!?い、今のは違うって!カナの手の感触が俺まで伝播してっ!そ、その、純粋な感想っつうか!――
おおお前、以前は、人間の女に興味ないって言ってたのに……。
――か、勘違いするなよ!変な意味じゃねえって!カナ、おいカナっ!?――
こ、このケダモノ!変態!痴漢!
――違う……、カナ信じてくれ………――
……むっつり野郎。
――カナぁ……――
慌てる荊を心の中でひとしきりからかっていると、もうすぐ授業が始まる時間になった。いつものように、先輩たちはそそくさと自分の教室に帰っていく。
「伊美澪湖?わたしのライバルとして、あんまり張り合いがないのは困りますわよ?どうしても治らないようなら、私のところへいらっしゃい!貴女のあのお粗末で下品な『ツン』の部分を取り戻す方法、千本木家の総力を持って考えてあげないこともなくもなくってよ!おーほっほっほー…………あ、あの、ホントですわよ?ホントにいらっしゃいね?あんまり無理するんじゃないわよ?わ、分かったわね!?」
帰り際のお嬢様の発言。たまにはちゃんとツンデレお嬢様もできるんだな。
さて……それにしても、どうしたものかな。さっき七五三木先輩に言われるまで、プレゼント交換会のことなんて、すっかり忘れていた。父さんのプレゼントだってまだだってのに、そっちのほうも用意しなきゃいけないのか。
ま、誰に当たるかもわかんないようなプレゼントなんて、適当でもいいか。ふふ。
なんだかいつの間にか、あたしはちょっと気分がよくなっていた。
「かあー、なあー、たあー、ちゃあーん……こおんなにミオちゃんが大変な時に、なあーに笑っちゃってるのかなあ……?」
ああ、こっちの方の状況は全然変わっていないのか……。
「も、もしミオちゃんが帰ってこなかったら……。わたしい!かなたちゃんのこと絶対ゆるさないんだからねっ!」
そう言って、音遠は自分の席へと戻っていった。ちょうどそれと入れ替わるように教室に入ってきた数学教師が、一限目の授業を開始した。
つまらない授業の最中、あたしはちらちらと隣の席を伺う。何度見てもそこにいるのは、真剣な表情で授業ノートをとっているよお子さんだった。
うん、いいじゃないか。やっぱりこのままでさ。音遠には悪いけれど、澪湖がいない方が、世界は正しくまわるんだよ。




