08
「ふん、ふーん、ん、んんー…」
かわいらしい店の並ぶ通りを、鼻歌を歌いながら歩いている音遠。のんきで余裕のあるその様子は、ただウインドウショッピングをしているだけにしか見えない。
「んん……あっ!」
だが、前から歩いてくるその少女の姿が目に入ると、一変して、人が変わったように必死な表情で少女に駆け寄った。
「ミオちゃーん!どうしたのお、だいじょおぶうー?なんかヨツハちゃんが変なこといってたからあ、わたし心配でえ…」
「あ、あの……」澪湖は、涙で目をはらして、震えた声でつぶやいた。その瞬間、音遠は彼女の様子がおかしい事にすぐ気がついた。「私……、よお子です……」
「えっ、ど、どおして……?」
音遠は当てが外れて、ぽかんと立ち尽くす。彼女はおどおどと続ける。
「わ、私も……、分からないんだけど……きゅ、急に入れ替わっちゃって………そ、それより……」
「それよりい…?」
「み、澪湖……、いないんです……。わ、『私』の中から、……澪湖が、いなくなっちゃったんです……」
「う、うう……」意識を取り戻し、目を開けたイク。体の上には、三台の自転車が覆いかぶさっていた。一つずつ自転車をどかして立ち上がり、つまらなそうに服についた砂を払う。「……やれやれだわ」口から血が流れているのに気づき、ハンカチをとりだしてふき取る。外傷といえばそれくらいで、先程のヨツハのパンチがこたえた様子はまったくない。
倒れてしまった自転車を全て起き上がらせて、なるべく元通りになるように並べた。
「ふふーん」
自転車を並べ終えたところで、自分を見ている人間がいるのに気づいた。膝を曲げてしゃがみこんで、ニヤニヤと笑っているその少女は、ヨツハだった。
「……言い訳を聞いてあげても、いいっすよー。イクちん?」両手を両頬に当てて、まるでイクを小馬鹿にしたような変顔を作っている。イクはヨツハから目をそらして呟いた。
「ヨツハを射程距離内まで立ち入らせてしまうなんて、わたくしとしたことが、とんだ不覚を取ったわね……。美河様があんな大声を出すんですもの、貴女の気配を読めなかったわ」
「いやいやー、そっちじゃねっすよー」ヨツハはまた「ふふーん」と笑う。「どうしてかなたちんにあんなことをー?あんなのクールな『イクちん』らしくないっすよー?それにー、この前『かなたちちんも悪霊君も悪くないー』とか言ってたのは、貴女でしょー?」
イクはけだるそうに首の骨を鳴らす。
「もうとっくに気づいてるんでしょう?もったいぶるのもあんまり、『ヨツハ』らしくないと思うけれど?」
ヨツハはカエルのようにぴょんと飛び跳ねて立ち上がると、イクの目の前まで歩いてきた。イクは背後の自転車が邪魔して、後ろに逃げることができない。
「……嫉妬深すぎるんすよ、貴女はー…。焼餅やくと自分を忘れちゃうんすからー。……『イクちん』は誰かにやられたらやり返すけど、あんな風に自分からケンカ売ったりはしないんすよー。ちゃんとキャラの設定は守ってくれないとー」『ヨツハ』は『イク』の顎に手をあてて、『イク』の顔を軽く持ち上げる。良く似た二つの顔が、ぎりぎりまで接近する。「わかってるっすよねー?自分らがお嬢様に『アタック』できるのは、高校を卒業してから。それまではー、自分らはただのお馬鹿なメイドを演じてなきゃだめなんすよー?だから、あと一年とちょっとは、お嬢様が誰を好きになっても、誰を『カッコいい』とか言ってもー、気にしちゃーだめなんすよー?…………少なくとも、表向きはね」
ヨツハの最後の呟きに、イクの顔もにやりとほころぶ。
「もしか、お嬢様が本気になっちゃったりーぃ、かなたちんがあんまり目に余るようなことするときはー……、あくまでも秘密裏に……」
「そうね、秘密裏に……」
二人は思わず同時に「ふふーん」と笑った。
「……さてと」ヨツハはイクから手を離す。「今日はもうぐだぐだっすねー…。このまま解散かなー」
「そうね…」
「わかってると思うけどイクちん?家に帰ったら追加でおしおきっすからね?さっきので済んだと思ったら大間違いっすよー?」
「……しょうがないでしょうね……」
俯きながら、しぶしぶ了解するイク。
「これから三週間は、イクちんはお嬢様のお世話係無し!お嬢様のお世話は、お風呂もお着替えもぜーんぶ自分が…」
「それはだめ。罪に対して罰が重過ぎます。不当よ。フェアじゃないわ」
もう完全に調子を取り戻したようで、毅然とした態度で首を振るイク。ヨツハは「ちぇー、だめかー」と笑っていた。
二人はそれからも掛け合いを続けながら並んで歩き、しばらくすると自然と手をつないでいた。
「これならどうかしら!」
試着室のカーテンを勢い良く開く百梨。
「いわゆる今流行のアニマル柄よ!最先端よ!文句ないでしょう!」
試着室から出てきた百梨が着ているのは、何を間違えたのか、洋服店の壁に掛けられていた熊の毛皮。頭も手足もついていて、中の肉と骨だけがない以外は生きている熊と変わらない。本来はディスプレイか絨毯にでも使うものだが、百梨はそれを器用に身に纏っているのだった。アニマル柄自体、別に最先端でもなんでもないのだが、彼女の格好はもはやアニマル柄などではなく、アニマルそのものだ。
洋服店の店員の青年は、いきなり試着室から二速歩行の熊が現れたのに驚いて、悲鳴を上げながら店を飛び出してしまった。
「あれ?ヨツハ?本前川さん?どこに行きましたの?ちょ、ちょっとー…」
その格好のまま、店の外に出てしまう百梨。しばらく後で、店員が呼んだ警察に取り囲まれて網と麻酔銃で捕獲されることになるのだが、もちろん今はそんなことを知る由もなかった。
「わたしのこと置いてー!もー!またこのパターンですのー!」




