07
「美河様。貴女様は、本当に何もわかっておりませんね」
「なっ…!?」
かなたとイク、澪湖がいるのは、落ち着いた雰囲気の文具屋。静かなジャズが流れる明るい店内に、英国の執事のような燕尾服に身を包んだ店員。高級そうな内装の店内には、当然それに見合うような高級品、例えば全て仕上げるまでに数万円もかかるような、完全オーダーメイドの一流の万年筆を扱っていたりする。だがそれだけではなく、一般的な価格でありながら非常に高品質で実用的な、それこそ大人の男性へのプレゼントとして最適な商品も数多く取り揃えていた。そういった意味で、イクの店を選ぶセンスが優れていること自体は、誰の目にも疑いようのない事実だった。
しかし、この店でもやっぱりイクは、かなたのプレゼントを選んではくれなかった。既に何回もそんな風に肩透かしを食らっているかなたは、とうとう我慢できなくなって、半ば切れ気味で、イクに「もう何でもいいから早いとこ選んでくれよ」と言ったところだった。
「それ、どういう意味だよ?」かなたは言った。イクをにらんでいた顔が、だんだん卑屈にゆがんでいく。「ああ…はいはい、やっぱりそういうことか。あれだろう?どうせ先輩はあたしが嫌いなんだろう?あたしたちが前にお嬢様にしたこと、まだ怒ってるんだよな?まったく、だからあたし言ったよな?協力したくないならしたくないって、最初っから言ってくれって……」
「わたくし、そのようなことを言ったつもりは、まったくございませんが?」
「か、かなたぁ、この店ぇ、なんかチョコみたいなにおいするよぉ?お、おいしぃねぇー?なんでだろねぇー…」
興奮気味のかなたと、完全に落ち着いた様子のイク。二人はただならぬ雰囲気で向かい合っている。澪湖はそんな二人の状態に内心おろおろと取り乱していたが、表面上はまるで気づかない振りをして、ずっとかなたに話しかけていた。
「わたくしが申し上げたのは、『最終的にプレゼントを選ぶのは美河様ご本人であるべきだ』、と言うことでございます。わたくしがさせて頂けるのは、あくまでアドバイスまでだと」
「だぁーかーらっ、何度言えばわかるんだよっ!あたしはっ、選ぶのも含めて全部先輩に任せるって…」
どうしてさっきから自分の言っていることがわかってもらえないのか。
苛立たしい気持ちを隠しもせず、かなたは自分がしゃべるのにあわせてピンと立てた人差し指を動かす。ただでさえ長身の上に、パッと見は男のように見える格好のかなた。そんな彼女が怒りをあらわにする様子は、なかなかの迫力があった。一方で、それに対峙しているイクはどこにでもいるような女子そのもの。何も知らない第三者の目には、『少女が暴漢に絡まれている光景』に見えてしまうかもしれない。だが、もう少しだけ慎重になって観察してみれば、それが間違いであることにはすぐに気づくことになるだろう。
「ええ。だからわたくしも、それが間違いであると何度も申し上げているのですけれど?」
かなたの剣幕に、一切ひるまずに平常心ですらすらと反論しているイク。今にも爆発寸前のかなたを恐れも慌てもせずに最小限のエネルギーでいなしている彼女の方が、実力的にはるかに格上なのだ。
――カナ、落ち着け。その辺にしとけ……――
以前イクに十分すぎる恐怖を味合わされている荊には、例え口げんかでも、むしろそれ以外でも、到底かなたに勝算がないことがわかっていた。ただ、父親に関係することとなると引くことができなくなってしまうかなたの性格もわかっていたため、強く言うことができずにいたのだった。
イクは無表情に言う。
「プレゼントというのは、何を贈るかよりも、『その人が何かを自分の為に選んでくれたこと』、『自分のことを考えて何かをしてくれたこと』、その事実の方がはるかに重要なのですよ?美河様はどうやらそういった『プレゼントの本質』というものが、わかっていらっしゃらないようです」
「そ、そんなの…」
そんなのどうだっていい、と思ったかなただったが、言葉が続かない。
「美河様が選ぶこと。この場合、それこそが一番重要であるとわたくしは考えております」
「い、いや……あたしにはそういうセンスが全然ないんだよ。何が良いかなんてなんて本当に想像もつかなくて……だ、だからそういうのを選ぶのが上手いっていう、七五三木先輩に選んでもらいたいって、言ってるんじゃないか……」
「ふふ……」そこでイクは、小さく笑う。「ヨツハがそんなことを言いましたか?恐縮なことです。そう言われてしまった以上は、その期待にこたえないといけませんね……」
「だ、だろう?だから先輩が選んでくれた方が……」
「いいえ。勘違いなされないでくさい」また無表情に戻った。「これでなおのこと引けなくなりました。やはりプレゼントは美河様に選んでいただくことにしましょう」
愕然とするかなた。「ど、どうして……」
「それが、いえ、それこそが『お父様に贈る物として何が一番良いのか』という命題に対する、唯一にして最良の答えだからです。そんなことは、わたくしに聞くまでもなく最初から分かりきっていたのです。美河様ご自身が、お父様のためだけに選び、用意したもの。美河様のお父様への思いが込められているもの。それに勝るプレゼントなんて、ありませんからね」
こんなはずじゃなかったのに…。かなたは途方にくれる。父さんが喜ぶようなプレゼント……そんなの、まったく思いつかないのに……。
「だっ、だって…あたし、そんなのやったことなくって…」
イクが近寄り、かなたの目を覗き込む。
「何でもいいのですよ?美河様の気持ちがこもってさえいれば。それがどんなにつまらないものであったとしても、愛する娘からプレゼントを贈られて、喜ばない父親はいませんもの」
かなたは、思いつめた表情で店内を見渡してみる。何か…何かないか…?父さんは何を送れば喜んでくれる…?しかし何も思い浮かばない。小さく首を振り、鈍い表情でうつむいた。
「あ、あのね!私の好きなものはねぇ、お肉とケーキ、あとハンバーグ!餃子とピザも!で、でもでも、美味しければ基本何でも食べるよぉ!」
父さんは、一人で一生懸命働いてあたしを育ててくれているんだ。あたしは、それにこたえたい。だから絶対に失敗したくない。贈るからには、絶対に喜ぶものを贈りたい。父さんに、あたしがいてよかった、って思ってほしい。
今、父さんを喜ばせることができるのは、……父さんの味方になれるのは、あたしだけなんだから。
「あ、そ、そぉだ!ねぇねぇかなた!さっきメイドちゃんが言ってた焼きそば!せっかくだからちょっと見に行ってみない?!見るだけ!見るだけだから!」
何でも良い、あたしの選んだものなら、…………本当に?
……それって、『愛する娘からのプレゼント』の話だろう?……父さんは、あたしことを愛してくれているのか……?だって、父さんはいつもあたしのことを……。
かなたは必死に、プレゼントを考える。
まるで、人の命がかかっているとでも言わんばかりの気迫で店内を見回すその様子は、どう間違ってもプレゼントを選んでいる女子高生には見えない。割り込みづらい、話しかけ難い、他人を拒絶するオーラ。しかし、澪湖だけは、そんなかなたに対しても物怖じせず、空気を読まずに果敢に絡み続けた。
「ねぇーえー!かなたぁ、焼きそばぁー!ほんとに見るだけだってばぁー!見学ぅー!見学だけぇー!ねぇえってばぁー!」
「うっさいなっ!ちょっと黙っててくれよっ!」
自分の腕を引っ張り続ける澪湖を、乱暴に払うかなた。考え事を邪魔されてイラついていた気持ちが動作に出てしまい、思ったより力が入ってしまった。不意に手が離れてバランスを崩した澪湖は、店内の壁に軽く叩きつけられるような形になる。
「…っ痛ぁ…」
自分の動作が想像している以上の効果を出してしまったことに、かなたは一瞬ひるむ。罪悪感は感じたのだが、それでも真剣に考え事をしている自分の邪魔をした澪湖に謝罪する気にはなれず、興味なさそうに顔を背けた。壁に打ち付けられて座り込んでしまった澪湖は、体勢を立て直してかなたを睨んだ。
「…っかぁ」
澪湖の体は小さく震えていて、顔は真っ赤に染まり、目にはうっすらと涙を浮かべている。しかし、かなたは気づかない振りを続けた。
「かなたのばかぁー!!」
今まで聴いたことのないくらいの、喉が壊れてしまうのではないかというくらいの大声で、澪湖はかなたの背中に向かって叫んだ。その音圧は、まるで文具店全体が軽く震えているのではないかと錯覚を覚えてしまうほど。そしてとうとう澪湖は泣き出してしまう。身体中の水分を絞り出すように涙がどぼどぼとあふれ、鼻水と合流して顔の表面を川のように流れる。大声を上げた澪湖を心配して近づいてきた燕尾服の店員も、彼女の号泣に驚いて立ち尽くしてしまった。イクは、今は何の感情も感じ取れない、のっぺりした顔に戻ってしまい、ただただ事態を静観している。
「ばかぁ!ばかばかばかばかばかばかばかっ!もう、かなたなんて知らないっ!ば、ばがぁーっ!」
両手をばたばたと動かして目いっぱい叫び散らすと、涙を手で隠しながら澪湖は店の外に駆け出していってしまった。かなたはそれでも見向きもせずに、「ふん、勝手にしろ…」と言い捨てるだけだった。
「よろしいのですか?追わなくて」店内の、試し書き用のアンティーク机に寄りかかるイク。「あのままなんのフォローもされないというのは、いささかかわいそうかと、思いますが?」
「はっ」かなたは鼻で笑う。「あいつはちょっと甘やかされすぎなんだよ。音遠や、両親の接し方に問題があるんだな、きっと。あんなのでも今まで誰かが構ってくれて、ほしいものは全部手に入れてきて、だからあんなに自分勝手に育ってしまって……。いい気味さ。さっきくらいのでちょうどいいんだ。…はは、これでちょっとはおとなしくなるんじゃないか?」
「彼女の気持ちを、わかっていないわけではないでしょうに…」
本革の手帳を手にして、それを真剣に見るような振りをするかなた。実際には自分の言動を後悔し始めていて、ほとんど考え事なんてできていない。いつの間にか上がってしまった心拍数を、抑えることもできない。
「な、何のことかな?あいつの気持ち?そんなのわかるわけ…」
「それはきっと、お父様が美河様を想う気持ちと、同じでございます」
「……何にも知らないくせに……」イクに聞こえないようなか細い呟き。「な、何だよそれっ。はは、あんな甘ったれと、父さんを一緒にしないでくれよ」
誤魔化すように、かなたはわざとらしい笑みを浮かべた。
「父さんは、かわいそうな人なんだ。父さんは、一人であたしを育ててくれて、だから、父さんにはあたしがついてあげないと……。あたしはそんな父さんに感謝して……」
「特別なのですね。美河様にとって、そのお父様は…」イクは興味なさそうに天井を見ている。「……いい加減、許して差し上げたらいいのに……」
「…何…て?」
「いえ、独り言です。お忘れください」
イクの独り言が聞こえてしまったかなた。ゆっくりとイクの方に振り向く。
「今、なんて言った…って、言っている……」
「本当に、なんでもありませんですよ。口が滑りましたのです。謝罪させていただきます。失礼いたしま…」
「誰が……、許してないって…!?」
かなたはもう、完全にイクを睨みつけている。さっきまでプレゼントを探すことに向けていた集中力を、今はイクを睨むことに全て注ぎ込んでいる。殺気をこめた目。
――カナ!落ち着けって!――
「はあ……」イクは大きなため息をついて、めんどくさそうにかぶりを振った。そして、あさってのほうを見ながら、億劫そうに続けた。「……美河様は、お父様に感謝していて、いつでもお父様の味方。お父様のことで、自分がどんなに苦労をしても、一向にかまわない……」
やはり、言ってもいないのにイクはかなたの事情を知っているようだった。だが、そんなことはそのときのかなたにはどうでもよかった。
「ふっ」小さく鼻で笑うイク。「……そんなものを、お父様が望んでいるとお思いですか?貴女が自分のために苦労されている。お母様と一緒に行ってくれればよかったのに、あえて自分の元に残って苦労されている。そんな美河様の姿を見せられて……嬉しいとお思いですか?」
ぷるぷると震えているかなた。そんなこと……、そんなこと言われなくたって……。
「そう……。貴女はわかっている。自分がお父様のそばにいることで、どれだけお父様が苦しんでいるか……。わかっていて、そばから離れない」
「……やめろ」
「それはもう、わざと苦しめているのと同じです。貴女はお父様を苦しめているのです。家族をばらばらにしたお父様を許せなくて、それに復讐を…」
「だまれえっ!」
その瞬間、かなたがイクに飛びかかった。
――カナ!やめろ!――
イクを床に倒して馬乗りになるかなた。左手でイクの肩を押さえつけ、右手を大きく振りかぶる。イクはまったく気にした様子もなく、ニッコリと微笑んだ。
「きっと貴女がいなければ、お父様も貴女に遠慮することなく、お相手の方と…」
「ああああああぁぁっ!」
奇声を上げて、全力で右手を振り下ろすかなた。
そのときの彼女には、周囲はおろか、イクのことさえ見えなくなっていた。ただただ、感情の指示するまま体を動かした。
一瞬、世界が真っ白になったような気がした。全てのものがゆっくりに、いや、むしろ静止して見える世界。いつの間にか、自分でも気づかないうちにかなたは声を出すのを止めていた。目の前に見えるのは、さっきと変わらない風景だった。
「はい、ストぉーっプっ!かなたちん、イクちん、そこまでっすよぉー」
間の抜けたヨツハの声が、文具店内に響いた。
いつの間にか、二人のそばにいたヨツハ。彼女の左手は、かなたの振り上げた右腕に絡ませている。右手は、パーの形にしてイクの胸元に添えられている。力などまったく入れていないように見えるそんなポーズだけで、ヨツハは二人を完全に制圧していた。
「かなたちん、ごめんっすよー!今日のイクちんってば、なーんか虫の居所が悪いみたいなんすよー。だから言い過ぎちゃった…ってゆーか心にもないことを言っちゃたんすなー。今日のは完全に『こっち』が悪いっすー。本当に申し訳ないっすー!」
あくまでいつもの笑顔を崩さないヨツハ。上手く現状が把握できていなかったかなただったが、ヨツハに話しかけられてだんだんさっきの怒りがぶり返してくる。……ゆるさない、よくも父さんのことを……。ヨツハにつかまれている右腕に力を入れて、もう一度振り下ろそうとする。だが、その腕はびくともしない。
「本当はかなたちんに一発くらい殴らせてやりたいんすよねー。そのほうがかなたちんもスッキリストレス発散できるっすよねー。でもでもー、イクちんてばこーみえて意外と頑丈なもんすからー……」
そういって、ヨツハは床に倒れているイクを片手で起き上がらせる。同時にかなたの右腕を押さえていた手も離した。自由を取り戻した右腕は、イクが先程の場所にいないので空振りする。
「もしかー、かなたちんの綺麗なお手々が怪我したらたーいへーん、ってことで…」
ヨツハに起こされたイクは、急に苦しそうな顔になって咳き込んだ。さっき胸に添えられていただけのように見えたヨツハの手は、実はイクの心臓を押さえつけて脈動を停止させていたのだった。心なしか血の気がうせて、青白くなっているイクの顔。だが、かなたがそれを確認するよりも早く、ヨツハは続けた。
「こ、れ、でー、勘弁してほし…」
かなたは、さっきからずっとイクを睨みつけていた…はずだった。それなのにもかかわらず、一瞬たりとも目を逸らしていないのに、かなたの視界から急にイクの姿が消えた。同時に、文具店内に強い風が吹く。かなたの帽子が風で吹き飛ばされ、ショートカットが激しく揺れる。
「…っいっすよー!」
急に対象がいなくなってしまって、目の置き場がわからなくなってしまったかなたは、仕方なしにヨツハの方をみた。ヨツハは、さっきかなたがやろうとして邪魔された体勢、振りかぶった拳を振り下ろしたような体勢になっていた。
遅れて、がっしゃーん!という、スクラップ工場で聞こえそうな、金属の激しい破壊音が店の外から聞こえてくる。通行人の騒ぐ声や、悲鳴も、それに合わさる。
「イクちんのこと、自分がぶん殴っときましたっすー。今日のところはー、これに免じてメンゴしてほしいっすよー」
ヨツハは両手を合わせて、頭をぺこりと下げていた。謝罪としては、それは少しかわいらしすぎるように思えた。
「ねっ?」
ダメ押しのつもりだろうか、こびるように上目遣いからウインクするヨツハ。
「もういい…」
かなたはそれだけ言って、床に転がっている帽子を拾うと、ヨツハを置いて文具店を出た。文具店に入る前には無数の放置自転車が並んでいた店の向かいの壁。今は、その自転車の群れの中に頭から突っ込んでいるイクの姿が見えたが、無視してそのまま来た道を戻り、かなたは駅に向かった。
……父さんは、いつも、あたしのことを困ったような顔で見ている…………あたし、父さんを……苦しめてるの……?
――カナ……――
荊とも一言も言葉を交わさず、かなたはまだ徹弥の帰っていない家に、一人帰った。




