06
イクを追いかけていったかなたが入ったのは、洋服店の隣の店。質のいいアメリカンカジュアルをたくさん取り揃えた二階建ての古着屋だった。
イクは、店内に入っても歩みを緩めることなくスタスタと進み続け、一階の奥、二階へ続く上り階段の入り口付近にある男性用アウターのコーナーの前でやっと立ち止まった。
「美河様の今日のお召し物は、本来は男性様用でございますよね?もしかしたらお父様のご趣味でございましょうか?」
振り返って、何の前置きも説明もなく、いきなり質問を開始するイク。駆け足でイクの後を追ってきていたかなたが、その場に到着してイクの話を聞く体勢が整うより前にしゃべり始めたようにも見えた。何を言ってるんだ!?聞きたいのはこっちの方だ、という声を喉のギリギリのところで抑えて、かなたは息を整えながら答えた。
「…あ、ああ」
お嬢様のお付きのメイドたちがおかしいのは、今に始まったことではない。人の話を聞いていなかったり、いきなり変な行動をとったところで、そんなのをいちいち気にしていたらきりがないんだ。そんなに親しくするつもりもないし、父さんのプレゼントさえ選んでもらえればそれでいいんだ。
かなたは自分にそう言い聞かせる。
「…今はもう売ってしまって無いんだけど、父さんは昔大型のバイクに乗っていてね。その名残で、結構こういう服が家にあるんだよ。今はもうあんまり着てないみたいだから、あたしが私服として着てるって訳さ。サイズが合うとはいえ、男物なんておかしいだろう?」
かなたはよくできた作り笑顔を浮かべる。
「いいえ、おかしいことなんてございませんよ?スタイルのよい美河様には、そういったお召し物、とっても、とっても、よくお似合いですよ。ただ…」
イクは、ラックに掛けられた一着のGジャンを手に取ると、ハンガーごとかなたの前に掲げて見てみる。そして、満足したように「うん」と小さく頷いた。
「ああ、父さんそういう服もよく着ていたな。いいかもしれない。それが七五三木先輩のおすすめってことかい?」
イクは答えず、今度は反対側のラックに手を伸ばした。そちらは女性服のコーナー。無数に折り重なった服の中から、イクは最短距離の手の動きで迷いなく一着だけを取り出す。どう考えても適当に選んだようにしか見えなかったが、そうでないということはその後のイクの台詞からすぐにわかった。
「そのスタイルの良さを武器にしないというのは、どう考えても勿体ないです。例えばこういったミニ丈のワンピースなんてお試しになってみませんか?お綺麗なおみ足は出し惜しみせずに積極的に見せていった方が、ご自身はもちろん、この世界全体にとっての利益に繋がるというものです。と言っても、いきなりこんな女々しい格好は勇気がいると思いますから、まずはこういったジーンズジャケットのような少し辛めな要素を合わせることで、今までのクールなイメージを崩すことなく…」
女性服の方を自分から見て手前、Gジャンの方をかなた側になるように、二着を重ねてかなたに見せるイク。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!」
かなたにとっては意味もわからなければ、何故今そんなことを言うのかも皆目見当のつかないようなことをべらべらと並べたてるイク。目の前に掲げられたイク提案のコーディネートを手で押しのける。二人の間の障害物が取り払われたので、かなたとイクはやっとお互いの目が合う。
「さ、さっきから先輩は一体何を言ってるんだ?あたしの父さんのプレゼントを選んでくれてたんじゃなかったのか!?」
「いいえ?」イクは、こっちこそ何言ってるの?というような不思議そうな顔。「たまたまこちらの店に美河様によく似合いそうな服があったのを思い出したもので、ご案内して差し上げようと思っただけですよ?」
「ふ、ふざけるなよっ!?」かなたは声を荒げて、イクの持った服を指差す。「こんなものどうだっていいんだよ!言っただろ!あたしは父さんのプレゼントを…」
「ああ。そいえば、そでしたね」
イクは、さもたった今思い出しましたとばかりに、わざとらしい声で言った。その誠意のない様はかなたの怒りをさらに増幅させる。このままだと爆発してしまいそうな自分を抑えるため、かなたは一度落ち着いて深呼吸してからイクに言った。
「せ、先輩…。あたしに協力する気がないなら、ないって、早めに言ってもらえないかな…?あ、あたしはお嬢様とは違ってからかわれるのが嫌いなんだ…。これ以上とぼけるつもりなら…」
「美河様のお父様くらいのお年の方へのプレゼントでしたら、もっとよい店を知っております。ご案内いたします」
かなたのことなどまったく気にした様子もなく、イクは持っていた服をラックに戻すと、何事もなかったかのように店の出口に向かって行ってしまった。
「なんなんだよっ…」かなたは忌々しそうにその後ろ姿を追いかけた。
「あぁ!かなたやっと見つけたぁ!よかったぁー」
店を出る途中、入り組んだ店内で迷子になりかけていた澪湖が、目にうっすらと涙を浮かべながら現れた。
「もぅ!どこ行っちゃったのかと思ったよぉー!ってかてか!そんなことより一大事!大事件だよ!さっき店の外に出たときにすっごいいいにおいしてさぁ!あぁ!これは、アレだぁーって思ってさ、探してみたのねっ!そしたらありましたよぉ、クレープ!とろっとろのふわっふわの、生地までとろけるクレープ!行こう!今行こう!すぐ行こう!あ、ちょっと!ねぇーえ、かなたぁ!」
勿論かなたはそれを無視して、イクの後を追いかけた。
先ほどの洋服店。
今は百梨たち三人がそこにいた。
「こ、こういうのはどうかしら…?」
恐る恐る試着室から出てきた百梨。自分が着ている赤と黒のチェックのワンピースを、恥ずかしげにヨツハと音遠に見せる。二人は真剣な表情で服と百梨を見比べてから、ほぼ同時に首を振った。
「なんすかその下品な色…。そんなの、アイドルのステージ衣装くらいでしか見たことないっすよ……いや、もしかして、それを意識してるんすか?きっつぅ…お嬢様きっつぅー」
「うーん…。てゆうかあ、シルエットもいまいちかなあ。スカートはもっと下が広がる形のほうがかわいいと思うなあ。なんかぴっちりしすぎてバブル感出ちゃってるよお?」
二人に言われて、どんどん恥ずかしさで顔が赤くなってくる百梨。
発端は、着る服はすべてメイド二人に選んでもらっている、という百梨の発言に、音遠が苦笑したことだった。それが悔しかったのか、「まあ当然、わたしが選んだ方がすばらしい服装になるのは疑いようがないのですけれど…」なんて、根拠もなく強がった百梨をこらしめるため、店内から百梨が服を選んで、そのセンスを二人が批評するという、即席ファッションチェックコーナーが始まっていたのだった。
「あ、あーら!これでもまだ難易度が高すぎるのかしら?!庶民に合わせるにはもっとレベルを下げなければいけませんの?まったく、しょうがありませんわね!」
最初のほうこそ、自信満々でポーズをとったり高笑いをしていた百梨だったが、これで既に三回目、その全てで二人からボロクソに言われてしまっていて、さすがに自分の失言を後悔し始めていた。あとはもうどうやってプライドを保ったままこのコーナーを終了させるか、ということだけを必死に考えている百梨だった。
「つ、次よ!次!次!こ、今度のが一番自信があるんだからっ!」
そう言って、百梨は試着室のカーテンを勢いよく閉めた。
「やれやれっす…」
ヨツハはもう一度首を振る。うつむいたその顔は、台詞とは対照的に楽しそうな笑顔だ。ぼさぼさの長髪の隙間からそれを確認した音遠も、それにつられて喜ばしい気分になった。
「いいこと思いついた!ねえねえ!適当なこと言ってお嬢様にえっちなカッコさせちゃおっかあ!ヨツハちゃんそおゆうの見たくない?くふふっ」
音遠はいじわるく笑うと、店内をきょろきょろと見回す。そして何かを見つけたのか、店の奥のレジ近くに走っていった。
「うーん…。つっても音遠ー。自分らって交代でお嬢様とお風呂ご一緒とかしちゃってるんで、エッチとかそういうのはもう…」
「これ!」音遠は棚から何かを取って高らかに掲げる。それは、先ほどイクがかなたの父親のプレゼントとして手にしたマフラーと熊のぬいぐるみだった。「最近流行ってる下着ですう、とか言ったらお嬢様信じないかなあ!全裸にマフラーだけつけてもらうのお!ねっ?裸マフラーって、よくなあいい!?」
「……い、い…っすね…」
信じられないくらいにすがすがしい笑顔で下衆いことを言う音遠。ヨツハは、彼女が抱える心の闇を垣間見たような気がして、背筋にヒヤッとした感触を感じた。なんだかこのまま続けさせるのは危険だと判断し、話題を変えようとする。
「…そ、そうだ音遠!自分さっきから音遠にちょっと聞きたいことがあってっすね!」
「あ、こっちのことお?」音遠は楽しそうにぬいぐるみを持った手を揺らす。「こっちも下着だよおー?マフラーで上を隠してえ、こっちの熊ちゃんで下を隠すんですう、ってお嬢様に言うのお!お嬢様どんな風に使うかなあ?!そおぞおするだけでわっくわくうー!」
音声抜きなら、それはぬいぐるみと戯れているかわいらしい少女にしか見えない。ふわふわした外見の音遠には、実際その方がしっくりくる。だが、「てゆうかあ、マフラーより紐ないかなあ、紐お…」と店内を見回しているその様子は、ただの現代社会が生んだ病めるモンスターの姿だった。
きょろきょろとしていた音遠が、急にある一点を凝視したまま釘付けになった。その表情はさっきまでのふざけた様子とは違って、深刻で切実、それでいてどこかさびしそうだった。「…オちゃん…」無意識に何かをつぶやいてしまい、そのことをごまかすように、いっそう明るい声で音遠は言った。
「あっそおだあ!もお、この際『裸の王様』システムでいこっかあー!馬鹿には見えない服ですよお、とか言ってえ……!」
まったく何の気配もさせず、さっきまで離れた場所にいたはずのヨツハが音遠の目の前に立っていた。しかもいつものヨツハらしくない、まるで虫歯を我慢しているときのような、目を細めた渋い表情だ。
「……音遠」
その一言で音遠は、自分の気持ちがヨツハに伝わってしまったことに気づいた。今更無意味だとはわかっていながら、ヨツハから距離をとって目をそらす。
「貴女はどうしてこっちチームにいるんすか…?」
その瞬間、音遠は体中から力が抜けてしまう。うなだれて、持っていたマフラーとぬいぐるみを床に落とした。店員の青年が舌打ちして睨んだのにも、そのときの音遠は気づきもしない。
「本当は…、澪湖ちんと一緒にいたいんじゃあ、ないんすか?」
ヨツハは、さっき音遠が見つめていた場所にゆっくりと歩いていく。そこで何か小さな物を手にして、またゆっくりと戻ってくる。そしてうつむく音遠の手をとり、その『髪留め』を音遠の手のひらの上に置いた。
「だって…ミオちゃんは……」音遠はまだヨツハと目を合わせない。「かなたちゃんと一緒にいたそうだったから…」
けだるそうにそう言うと、音遠はまた脱力して手を落とす。手に持たせた髪留めが落ちそうになったのをすばやくキャッチしたヨツハは、今度は音遠の頭にその髪留めをつけた。
それは、一筆書きのようなシンプルな形をした、水色の魚のヘアクリップ。店内に髪留めは他にもたくさんあって、リボン型の可愛らしいものや、きらきらしたラインストーンを散りばめたそれらと比較すると、魚の髪留めはだいぶコミカルで、実用性よりも受け狙いの要素の方が強い。ただ、今日の澪湖のスウェットのデザインに酷似していたため、音遠は目をとめずにはいられなかったのだった。
「澪湖ちんはかなたちんと一緒にいたかった…。それは誰の目にも明らかだったっす。そりゃあんだけ見せ付けてくれたらそっすよねー。………音遠には、ちとキツイ光景でしたっすかねえー」
「だいじょぶだもん…」
「音遠…」
「わたし…だいじょぶだもん」
両手に震えるほどの力を入れて、明らかに強がっている様子の音遠。ヨツハは音遠の両頬に手のひらをくっつけて、自分の方に向かせる。そして、自分の額を音遠の額とくっつけた。
「『自分』言ったっすよね…?『音遠が悲しんでるのを見ると自分も悲しい』って、言ったっすよね…」
ヨツハの首元で、月のペンダントが輝く。
「自分は…どんなことがあっても音遠の味方っすよ?音遠、どうして欲しい…?どうなったら音遠は幸せっすか…?」
「わたし…わたしは……」
音遠は口ごもる。
「かなたちんが邪魔っすか…?自分が、何とかしようか…?」
「えっ?」
「かなたちんが消えれば、澪湖ちんには好きな人がいなくなる。音遠はアタックし放題っす……よね?」
「よ、ヨツハちゃん何する気なのお……」
「…行方不明、交通事故、通り魔…、音遠がリクエストしてくれれば、いかようにもできるっす。音遠のためなら、人の一人や二人消すくらい何ともないっすよ……」
慌てて密着したヨツハの顔を引き離す音遠。
「だ、だめええ!そんなの絶対だめなんだからあ!」
両手をぶんぶん回して、物騒なことをいうヨツハを必死に止める音遠。ヨツハはくるりと体を翻し、ニヤニヤと笑った。
「音遠にも普通の人間の心が残っててよかったっすー」
「もおーう!ひどおーい!」
ヨツハは恥ずかしさを隠すためか、音遠に背中を向けて話す。
「でも、これだけは覚えておいてほしいっすよ、音遠。自分は、…いや、自分とイクちんは、もう音遠の友達っす。自分らにとって音遠は大事な人間。そう…」
言葉をためたヨツハ。音遠は期待をこめたようなまなざしをイクの背中に向ける。
「この世界で三番目に大事な存在っすから!」
ガクッと肩を落とす音遠。
「そこは一番じゃないのおー!?」
「いやいやー、やっぱり自分にとって一番はおじょー様、その次はイクちんっすよー。音遠は三番目っ!」
「もおーう…」
苦笑いする音遠。しかし、決して嫌な気分ではない。むしろ、まったく交流のなかった先輩たちと、こうやって冗談を言い合える仲になっていることをうれしく思っていた。
「んん、んんんんん?」
急にうなりだすイク。音遠は駆け寄る。
「い、いきなりどうしたのお!?」
「んんん……。なーんかイクちんが暴走してそうな予感がするっす……大丈夫かなあ…」
双子特有のテレパシーでも使えるのだろうか?ヨツハは目を瞑って眉間にしわを寄せる。
「えっ…それってもしかしてミオちゃんとなんかあったかもってことお?」
慌てる音遠。ヨツハは難しそうな顔で首をかしげる。
「それは、わかんないっすけどー……うーん、やっぱり行った方が良さそうっすね……」一人で何度かうなづいて納得しているヨツハ。音遠の方に振り向くと、手を合わせて謝罪するようなポーズをとった。「申し訳ないっすけど音遠、ちょっと、席をはずすっすね?」
そして、人間離れしたすばやさで、ヨツハの姿はあっという間に見えなくなった。
「あっ!待ってえ!私もいくう!」
追いかけようと駆け出した音遠だったが、ふと何かを思い出したかのように店内の鏡の前で立ち止まった。
「ふう…」
髪につけた魚の髪留めをはずし、適当な棚の上に戻す。鏡の前で髪を整えて、一回、ニコッ、といつものおっとりした笑顔で笑った。
「ほんとお…わたし、どおしたいんだろ?」
それからすぐに無表情になると、洋服店を出る。澪湖のいる方向に適当に検討つけて、特に急ぐ様子もなくゆっくりと歩き出した。




