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あの娘は二面性ガール  作者: 紙月三角
05章 澪湖のいないクリスマス(前編)
32/152

02

 今にも泣き出しそうになっていた空だったが、かろうじて降られる前に学校にたどり着くことができた。もう落ち込んでいるわけにはいかない。あたしの事情は、あたしだけの事情だ。そのことで他人に迷惑なんてかけたくはない。だからあたしは、父さんのこと、うちの事情のことを、誰にも話していないし、これからも話すつもりはない。友達の前では、あたしはただの親の都合で引っ越してきた転校生なんだ。


 教室の前まで来ると、あたしは一回深呼吸する。

 教室に澪湖と音遠がいたら、笑顔で元気よく挨拶しよう。普通の高校生の、普通の一日の始まり。「今なんの話してたの?あたしも混ぜてよ!」なんて、普通の高校生っぽいんじゃないか?うん、いいな。第一声はそれでいこう。あたしがそう決意して教室の扉に手をかけたとき、中から聞きなれた声が聞こえた。


「いますぅー!絶対いますぅー!ばっかじゃないんですかぁ?!ばかばかばかばかばーか!」

「ば、ば、馬鹿ですって!?庶民、いいえ!伊美澪湖の分際で、わたしを馬鹿呼ばわりなんて生意気ですわ!と、というか、ご存じないのかしら!?こういう場合、最初に馬鹿って言ったほうが馬鹿なんですのよ!あー、これだから教養のないお馬鹿さんはいやだわ!おーっほっほっほー!」

「違いますぅー!私はカバって言ったんですぅー!お嬢様の方が最初にばかって言ったんですぅー!やーい、自分で自分のことばかって言ってやんのぉー!かばかばかばかばーか」


 絶対混ざりたくねぇ…。

 思わず膝から崩れ落ちてしまった。


 気を取り直して立ち上がり、脚についたホコリを払う。

 いやいやいや、何をヒいているんだ美河かなた!こんなのいつものこと!澪湖はいつもこうじゃないか。友達なら受け入れてやれなくてどうする。あるいは受け入れてやれないのだったなら、正しい道に導いてやる。それが友達というものだ!そうだ、がんばれあたし!トモダチ、ダイジ!


 あたしは勢いよく教室の扉を開いて、当初の決意通り元気よく挨拶した。

「おはよう澪湖!音遠!あれ?お嬢様も1年の教室で何やってるんですか?!」

「あっ!聞いてよ、かなたぁ!」

 あたしの姿を見るなり駆け寄ってくる澪湖と、それにくっついてくる音遠。少し離れた位置から見下すように澪湖を見ている千本木の嬢様と、その従者の双子メイドもいる。あたしは目いっぱいの笑顔を作って澪湖に言った。

「うん?どうした澪湖?さっきまで何の話をしていたんだ?あたしにも…」

「このお嬢様ったらぁー、『サンタさん』がいないって言うんだよぉー?ちょっとどぉー思うぅー?!」

「ほんっとうに聞き分けのないお馬鹿さんですこと!いい加減そんな子供じみたことをおっしゃるのはやめてもらえないかしら!?『サンタさん』なんて人間はこの世に存在しません!」

「いますぅー!100パー絶対いますぅー!じゃあ毎年毎年クリスマスに私におもちゃくれるのは誰なんですかぁー!?」

 親だよ。


 想像以上のくだらない話にあたしの決意は瞬時に消え去り、ただただ話しかけたことを後悔した。

「そ、そ、そおですよお、せんぱあい!サンタさんはいますよお!た、たぶん…」

 澪湖の後ろから控えめに加勢する音遠。ただ、その顔は明らかに無理して作った笑顔で、口は引きつり、額にだらだらと冷や汗をかいている。明らかに澪湖に合わせているだけで、本気でそう思っているわけではないらしい。大変だな、音遠も…。いつもの事ながら、あたしは常に澪湖の味方でいつづける彼女に同情を感じざるを得なかった。


 …て。いや!違う!

 違うぞ美河かなた。ある意味で音遠は正しい。あたしは音遠を見習うべきなんだ。


 もちろん、サンタクロースの存在を肯定しようということじゃあない。そうではなくて、あたしには長年友達がいなかったから、音遠のような気持ちを忘れてしまっているんだ。音遠のように、友達に尽くす気持ち。自分の保身より先に、親しい人のために自分に何ができるかを考えるという事を。そうだ、さっきも自分で言ってたじゃないか。真の友情とは、友達を正しい道に導いてやる事なのだと。


 無い胸を張って、得意げな表情でお嬢様をバカにしている澪湖の肩をつかむ。

「えっ、え!?ど、どうしたのかなた…な、なに?!何か私の顔についてる!?」

 あわてる澪湖に顔を近づけて、その目を凝視する。実際そのときの澪湖の右頬には、朝御飯だろうか、米粒が二粒ついていたが、今はそれは放っておく。

「澪湖、よく聞いてくれ…」

 音遠が何か言いながらあたしを澪湖から引き剥がそうとするが、覚悟を決めたあたしは決して澪湖から目を背けたりしない。だって二重人格という事情はあるにしろ、澪湖ももう高校生だ。さすがにこのままにしておくのは彼女のためにならないじゃないか。

 とはいえ、長年信じ続けてきたことを覆されるのは、彼女にとって相当のストレスになるだろう。世界ががらりと変わってしまうような出来事と言ってもいいかもしれない。だからあたしは澪湖に敬意を表して、あくまで真剣に彼女に真実を告げることにした。

「言いにくいんだが、実はお嬢様が言ってることが正しい。サンタなんて、いないんだ」

「えっ…か、かなた何言って…」

 まるで近しい人の死を告げられたみたいに、みるみる青ざめていく澪湖の顔。あたしの心も痛む。

「そ、そんな、嘘、嘘だぁ…だ、だって…みんな…」

 あたしが冗談でも言ったんだろうという風に苦笑いを浮かべながら、きょろきょろと周囲を見回す澪湖。きっと、今まで誰もサンタの存在を否定してあげてこなかったのだろう。その罪悪感からか、周囲のクラスメイトは誰も彼女に目を合わせない。

「みんな、お前に本当の事を言えなかったんだ。お前に、いつまでも汚れない純粋な夢を見ていて欲しかったんだよ…」

「もおう、かなたちゃあん…」

 頬を膨らませてあたしをにらむ音遠。でも、これでいいんだ。これで。


「…そ、そんな……」

 がっくりと肩を落として落ち込む澪湖に、お嬢様が歩み寄る。ここぞとばかりに調子に乗ると思っていたあたしの予想に反して、彼女は澪湖に優しく微笑んだ。

「ライバルとはいえ、さっきは言い過ぎましたわ。謝罪します。だからどうか元気を出して。貴女の今の気持ち、わたしにも分かります。わたしも、その事実を知ったときは、とてもショックでしたもの」

「お嬢様ぁ…」

 いつもバカをやっていても、やっぱりお嬢様はあたしたちの先輩だ。こういうときはちゃんと後輩の気持ちをくんで励ましてくれるんだ。あたしは彼女を見直した。お嬢様を見上げる澪湖の顔は震えている。今にも泣き出しそうだ。

「でもね、サンタクロースなんて、いないのよ…」

「そう、…なんですね…」

 必死に涙をこらえながら、苦渋の表情でそう言う澪湖。彼女もやっと納得してくれたようだった。澪湖は今日、一つ大人の階段を上ることができたのだ。

 小さくうなづいてお嬢様は続ける。

「サンタクロースなんて人物はいない。サンタクロースというのは……団体名だもの」


 あ?


「だって貴女も言っていたでしょう?クリスマスの朝起きると、枕元にプレゼントがあったって。プレゼントは全世界に配らなければならないのよ?それだけの仕事を、一個人が何とかできるわけがないじゃない…」

「そう、…なんですね…」

 いやいやいや、ちょ、ちょっと待って。

「サンタクロースとは、全世界に散らばるNPO団体、いえ、秘密結社と言った方がよいのかしら。一年間清らかな心で過ごした者たちを、クリスマスの夜にプレゼントを配ることで祝福し、奨励し、世界中をラブ&ピースで満たすことを目的としている友愛団体。団体の構成員は世界中で一千万人はくだらないと言われていて、その中には有名人、著名人、果ては一国の首相や大統領もいると言われているわ。でも、団員は決して団体の存在を明かさず、お互いに暗号や合言葉を使って秘密裏に連絡を取り合って活動しているから、貴女が知らなかったのは無理の無いことなの」

「待て待て待てって!」

「もともとクリスマスというのは、十六世紀後半から十七世紀初頭にグリーンランドで起こった市民革命をその起源としているの。それは、国一つ滅んでもおかしくないような大革命だったんだけれど、奇跡的に犠牲者一人出すことなく平和的に終息することができた…。その立役者が、革命を中心となって指揮した一人の日系人、サン・拓郎だと言うことは、いまやグリーンランドでは常識となっているわね。やがて十九世紀になると、拓郎の志を引き継いで、奉仕活動をしたり、人々に無償でプレゼントを配る人たちが自然発生的に現れ始めたんだけど、その人たちのことを、英雄の名を借りて、サン・タクロー団、…サン・タクローズ…サンタクロースと呼ぶようになったってわけね。拓郎は革命の時、当時の地球の技術ではありえないオーバーテクノロジーを保持していたとも言われていて、研究者の間では彼は地球外からやって来たという説も…」

「そ、そうなん…ですか?」

 トンデモ話が止まらないお嬢様に、さすがに澪湖でさえついていけなくなっている。

 真剣な表情のお嬢様の両隣では、双子メイドが姿勢こそ礼儀正しく直立不動を保っていたが、二人ともおかしくてふきだすのを必死に我慢している表情だ。やけにおとなしいと思っていたら、お嬢様に余計なことを吹き込んだのは、またあいつらか…。


 双子メイドの一人が静かに持ち場を離れて、音遠のそばまでくる。彼女が小声で音遠に話しかけるのが、近くにいたあたしにも聞こえた。

「音遠。いったいどうやって今まで伊美澪湖にサンタクロースの存在を信じさせ続けたのですか?お嬢様でさえ、中学二年まで隠し通すのが限界だったというのに…。今度その技術、勉強させてくださいね?」

「わ、わたしはただあ、ミオちゃんのためを思ってえ…」



 あたしは澪湖に大人の階段を上らせようと思っていたのに、それどころか、いつの間にかみんな揃って落とし穴に落ちて急降下している気分だった…。澪湖とお嬢様を中心に、教室はもうめちゃくちゃで、完全なカオス状態に向かって一直線で突き進んでいた。

――こいつら、本当に馬鹿ばっかかよ…――

「はは…ははは…」

 あたしは、一人でいろいろ考えていたのがもう馬鹿らしくなってしまった。

「……あっははは…みんなもう、何言ってんだ、本当に……や、や、やめて、やめてくれー!はっはっはっは!」

――とうとう…カナまで、馬鹿に…――

 本当に、荊が呆れるのも無理ないくらいに、馬鹿みたいに笑い転げてしまったあたし。


 気づいたら、決意も、悩みも、苛立ちも、あせりも、へんな責任感も、みんなみんな、全部忘れて頭空っぽにして、担任教師がやってきてホームルームをはじめるまで、ただただあたしは笑い続けていた。

 本当にくだらなくって、頭悪くて、考えなしの、…馬鹿みたいに楽しい気分だった。

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