01
毎朝おきたらまず最初に、あたしは自分の部屋の窓を開けるんだ。すると冷たい空気が室内に流れこんで、一瞬にしてあたしの全身を包む。それはまるで、さっきまで温かい布団に包まれて甘やかされていた身体に厳しく渇を入れてくれるよう。冬は、一年の中であたしが一番好きな季節だ。
「んん…」
それから、思いっきり背伸びをする。身体も頭も、その時点から大急ぎで活動を始めて、しっかりしなきゃ、っていう気分になる。
部屋を出るとすぐそこはダイニングキッチン。そこから玄関に繋がる廊下があって、右側が父さんの部屋。くたびれた2DK全体が昨日からそのまま冷凍保存されているみたいに、しーんとしていて冷えきった朝の風景。父さんはあたしが眠った後に帰ってきているはず。当然、まだ眠っているのだろう。
あたしと父さんがこの家に引っ越して二人暮らしをするようになってもう二年半以上が経つのに、こんな風に静かな朝を迎えることにあたしはまだ少し慣れることができない。父さん、母さん、姉さん……以前なら、朝起きるのはあたしが一番最後だったから。
――毎日早いな…――
いつの間にか起きていた荊。あたしは頭の中で「おはよう」を言う。荊から返事は返ってこないが、彼の気持ちが少し暖かくなったのを感じたので、よしとする。あたしたちの間では言葉なんかいらないのだ。「まるで長年寄り添った老夫婦みたいだな、あたしたち」なんて前に言ってやったとき、荊はなんて言い返したのだったか。
父さんが起きないよう、静かに朝御飯と弁当の準備をする。手際はよくなってきたが、料理のレパートリーがいまだに一桁なのは少し問題だろう。料理の本とか借りるために、今度図書館にでも行ってみようか。
料理が終わると、父さんがレンジで暖めるだけでいいように準備を整えて、学校へ向かう。家を出る時、誰も返事をしないのはわかっているのに「行ってきます」といってしまうのは、習慣というよりおまじない、いや、むしろ呪いのようなものかもしれない。あたしはどこかでまだ無意味な期待をしてしまっているみたいだ。前みたいに、それに三つの返事が帰ってくることを。
――変わってるな…――
「え?」
――好きな季節。俺は冬は嫌いさ。寒いし、なんか色々枯れちまって寂しい…感じするし、……寒いし――
「…ふふ」
いつもながら無遠慮なやつだ。あたしは小さく笑う。
「…そうだな」
何を言っても、言わなくても、どうせ荊にはわかってしまうのだ。それでも、それが全然いやな気分じゃないのは、彼がもうあたしの一部みたいに感じてしまっているからなのかもしれない。
学校へ向かう途中で目に入ってくる、彩度の低い町並み。この前まで緑があふれていた木々からはすっかり葉が落ち、灰色の肌が残るのみ。道を歩く人も、黒、灰色、茶色なんて落ち着いた色の服が多いような気がする。冬という季節は寂しい、物悲しい、だから嫌いだ、なんてみんな言う。あたしも昔はそうだった。けれど、今のあたしにはそういう寂しさこそが愛おしい。だって外の世界が寂しかったら、心の中まで気が回らなくなるだろう?分厚いコートに身を包んでさえいれば、心も温かくなる気がするだろう?
見上げると、空は薄灰色の雲に覆われていて、それが余計に世界をどんよりとした雰囲気に見せる。しっとりと湿度を帯びた空気は、これから降る冷たい雨を予感させる。
父さんがみんなに自分の浮気の事を話したのも、たしかこんな空模様の冬の日だった。それまで誰が何を言っても、「わたしは信じない」と言って笑っていた母さんには、あの告白は相当こたえたんだと思う。それまで家族で一番のおしゃべりだったのに、あの日を境に人が変わったように寡黙な性格になってしまった。職場でどんな事があったのかは知らないが、父さんはずっと勤めていた会社を辞めてしまった。みんなの心はばらばらになって、家族の会話はいつの間にかほとんどなくなってしまった。まだ中学生だったあたしは、大好きな家族がそんな風になってしまったことが悲しくて、本当は毎日ただただ泣きたくて泣きたくて仕方がなかった。それでも冬の寒さに耐えている間は、あたしの中のそんな気持ちにも我慢できているような気がしていて、そのおかげであたしは、春に母さんと姉さんが家を出て行く日まで一滴も涙を流さないでいられた。
だから冬は、あたしの一番好きな季節になったんだ。
――…きな人の事を…――
「うん?どうした?」
頭の中に、つぶやきのようにか細い思考の断片が流れ込む。
――いや…なんでもねえよ――
恥ずかしいのを誤魔化すためか、わざとらしく悪ぶる荊。もちろん、そんなものはあたしたちの間では意味がない。
しばらくして、観念したように荊は投げやりに続けた。
――…好きなやつのことを考えるといいらしいぜっ!そういう気分のときはよ!――
…かわいらしいやつだよ、お前は。いつもいつも、考え事をしているうちに気分が落ちてしまうあたしの事を、顔を真っ赤にして必死になって励ましてくれる。あたしにとり憑いたのがお前で、本当によかったと思っているよ…。
――…顔赤くはしてねえよ――
うん、そうしよう。落ち込んだ気分のときは、好きな人の事を考えるのがいい。そうしている間は、心が満たされて、幸せな気分になれるから。
答えのない考え事をやめて、あたしは荊の厚意に甘えることにした。あたしの好きな人、それはもちろん…。
『ねぇねぇ、そのお弁当のから揚げ一個もらっていい?一個だけ、一個だけだよぉー』
『あぁ、ごっめぇん二つ取っちゃった!もぉー、返すぅ。返すってばぁ!…あれ、あれ、取れない…。これ取れないや…。あっ、ってことはこれ一個なんだねぇ!あぁ、そっか一個だったんだねぇ!はい、いっただきまあぁーす!』
『わぁー!おいし………………』
『うーん………………』
『ねぇ、かなたぁ、これちょっとお肉硬くなぁい?』
あ、違う。こっちじゃない。間違えた。




