06
かつての、そう、それは小学校から中学に上がる少し前の頃。それまでのお嬢様は、まだ皆様と同じような一人の普通の少女でした。
『皆さん、今日は何して遊びます!?ゲーム?トランプ?それともうちのお屋敷の中でかくれんぼしましょうか!?』
しかし、幸か不幸か、千本木の家柄はお嬢様が普通であることを許さなかったのでございます。
『今日はランドとシーを貸し切りましたの!さあ皆さんいっしょに…』
奥様、すなわちお嬢様のお母様の零子様は、その身一つで今の千本木を作り上げたと言っても過言でないお方。そんな奥様の目には、その時のお嬢様のお姿はあまりにも子供じみていて、甘えたようにお映りになったことでしょう。
『なんですか、その他人に媚びへつらうような態度は。千本木の家の者は、人々の上にたち、他人の羨望の対象となる存在。孤高を恐れてはいけません。あなたはもっと、私の娘であるという自覚を持ちなさい』
ある日奥様に呼び出されたお嬢様は、奥様にそう言われたそうです。それは、今までのご自分を全て否定されるにも等しいお言葉。幼いお嬢様にとって、それがどれだけショックなことだったか、わたくしには想像もつきません。
その日の夜、お嬢様はお屋敷を飛び出してしまいました。
お屋敷の人間全員で夜を徹した捜索が行われ、やっとの思いでわたくしとヨツハがお嬢様を見つけたのは、お屋敷を囲む広いバラ園の中。その時のお嬢様のお体は、バラのトゲによって傷だらけ、お召し物はボロボロで、目には涙を浮かべておられました。
『だって…わたしは…一人じゃなにも出来ないから…。からっぽのわたしじゃあ、誰も相手にしてくれないから…』
お嬢様はわたくしたちにお話し下さいました。もし自分が今、千本木の庇護を失ったら、自分は空っぽ、つまりなんの取り柄もなくなってしまう。そんな何も持たない自分は、奥様もご友人も、誰にとっても無価値で、必要とされない存在。そんな人間が、奥様の一人娘であっていいはずがない、と。
そしてそれを克服するために、かつて奥様がそうしたように、一人家を飛び出して武者修行の旅に出ることにした。誰にも見つからないようにお屋敷の正門ではなく、バラ園の中を通り抜けて、敷地の外に出ようとしたのだ、と。
勿論、すぐにお止めしました。いくらそのときのお嬢様が、あの零子奥様が家を出たのと同じ歳を迎えていたとはいえ、お嬢様と奥様では、それまでに積んできた経験がまるで違う。今まで自由に育てられてきたお嬢様が、いきなりそんな一人旅のようなことをして、うまくいくとはとても思えなかったのです。それに…。
『それに奥様と同じ事をして、それで奥様に認めて頂けるとお思いですか?奥様と同じ事をしたところで、奥様のようにはなれません。出来るのは精々奥様の劣化コピー。そんなものは奥様の理想とは違うでしょう。奥様に認めて頂くには、奥様のあとを追うだけではなく、奥様の予想を越え、奥様ご自身も越えるような存在になることです。そのためには奥様とは異なる方法、すなわちお嬢様だけの方法で、お嬢様としての品格を身につけることです。ご自身でお嬢様のことをよく知り、お嬢様だけの魅力を最大限まで高めることです』
このときのお嬢様は、とても感銘を受けておられたようでした。何だか茫然自失というようなご様子で何回も頷くと、わたくしたちに導かれるままお屋敷にお戻りになって下さいました。
ですが、その日から、お嬢様のご様子はがらりと変わってしまいました。毎日のようにお遊びになっていたご友人がたとパタリと会うのを止め、一切のご連絡をお取りにならなくなりました。ご自分のお部屋に籠りきりになり、お食事をなさる時以外は一切お部屋から外においでになりませんでした。
そんな状態が半月程度続きましたでしょうか。ある日突然お嬢様の方からお部屋の外にでてきて、わたくしたちにこう言ったのです。
『わかりましたわ!私、やっとわかりましたわよ!おーほっほっほー!』
背筋を後ろに反り返らせて笑う高飛車な態度。そうです。その時にはすでに今のようなお嬢様が出来上がっていたのです。
『私、ここのところずっと勉強してましたの!私がどうすればお母様に認めてもらえるか。どうすれば自分の価値を高めることができるか!』
開かれたお嬢様のお部屋の扉の向こうで山積みにされた物を見て、その時わたくしはため息をこぼしました。
『何百という資料に目を通し、研究して、ついにわたしは、お嬢様の魅力とはなんなのかを発見しましたのよ!』
お嬢様の部屋の中にあったのは、大量の漫画、ライトノベル、アニメのDVD。しかもそのどれもが、長い間人々の記憶に残ってきた名作、クラシック…、有り体に言うならば古い作品ばかり。
『お嬢様の魅力とは、すなわちツンデレ!これに尽きますわ!名作と呼ばれ、多くの人から愛されている作品には、必ずといっていいほどツンデレのお嬢様が登場しますわ!普段は冷たい、自分とは別世界のお嬢様が、心を許した人間にだけ見せる一瞬の輝き、デレ!冴えない優等生がメガネを外すと美少女になるように!札付きの不良が道端で捨てネコを助けるように!ツンツンお嬢様は、デレることでその本来の魅力を何倍にもはねあげる!それがツンデレ!ツンデレこそ正義!ツンデレこそ、お嬢様キャラにとっての最高級のアクセサリー!これが!これこそがお嬢様としてのわたしが目指すべき、お嬢様の品格というものなのですわ!おーほっほっほー!………べ、別にイクとヨツハに言われたからやってる訳じゃなくってよ!』
ドヤ顔でそうおっしゃるお嬢様には痛々しさすら感じました。
誤解のないようにお断わりしておきますが、お嬢様があさっての方向に向かって走り出したこの頃、すでに『ツンデレ』は世間ではそれほど目新しい価値観ではなく、特にもてはやされるようなキャラクター性でもありませんでした。
『いえ、わたくしが以前申し上げたのはそういう事では…』
このとき、わたくしがもっと強く訂正しておけば、今のようなお嬢様はなかったのかもしれません。そう思うと、やはり罪悪感を感じてしまいます。でも、その時のわたくしにはお嬢様を否定することなんて出来なかった。だって、だって…。
だって、こっちの方が面白いでしょう?
『さすがですお嬢様。よくぞそれにお気づきになられましたね。ツンデレとは、他者が作り上げた相対的外面的パーソナリティーにできたわずかな隙間から個人の内面的絶対的パーソナリティーが発露する際に生じる緊張と緩和。それは非常に高尚な心の動きであり、まさにお嬢様の品格といってよいものです。ギャップ萌えといって、一個人内でのパーソナリティーの齟齬を好意的に評価する風潮もあり……』
イクは当時を思い出し、感慨深げに目をつむりながらほほえんでいる。
「…は、は、は…」
呆れてものが言えないかなた。荊に至っては完全にノーリアクションで、もはや眠ってしまったのかもしれない。
「そ、そうなんですねぇ先輩……。先輩のあの突飛な振る舞いにはぁ、そんな悲しい過去があったんですねぇ…」
何故か、ボロボロと涙を流している音遠。
「いやいやいや…。音遠、このメイドの話ちゃんと聞いてたか…?ただただ、あのお嬢様は子供の頃からたいぶ残念お嬢様だった、このメイドには忠誠心なんて皆無のひどい奴だ、というだけの話だったろう…?どこに感動するような要素が…」
「かなたちゃん!」
ぐいっ、とかなたの肩を掴んで顔を近づける音遠。その表情は真剣そのものだ。
「わたしぃ!先輩のこと応援しちゃうう!先輩が誰にも負けない立派なツンデレお嬢様になれるように、おおえんしちゃううぅ!」
「は、はあ…」
「だから!かなたちゃんも先輩のこと応援しようね!絶対だよお!」
何故か目を輝かせている音遠に押されて、「ああ…」と頷いてしまうかなた。きっと借金の連帯保証人というのはこんな感じで生まれるんだろうな、と他人事のように感慨にふけっていた。
「因みに。『もし、お嬢様が庶民の足下から現れたりしたら、かなりのギャップ萌えですよ。ある意味デレですよ』とお嬢様に言ったのもわたくしです。いかがでしたか?ちょっとドキッとしたでしょう?」
ニッコリと微笑むイク。ツンデレはともかく、お嬢様はもっと従者を選ぶべきだな、と思わずにはいられないかなただった。




