06
澪湖たちの誰も気付いていなかったが、彼女らのやり取りの一部始終を、少し離れた場所から一台の白いリムジンが見守っていた。
「ご覧いただけましたでしょうか、お嬢様。これはお嬢様にとって由々しき事態かと…」
「ええ、見たわ!はっきりとこの目で見届けましたわよ!」
車内には運転手を除けば三人の乗客がいた。その一人、メイド服を着てメガネをかけた理知的な印象の少女の言葉に鼻息荒く答えたのは、その主らしい派手な金髪の少女だ。
「白昼堂々女性同士で抱き合ったりして!まったく!伊美澪湖の分際で公衆の面前であんな破廉恥な行為!なんてうらやま…あ、いえ、なんてはしたない!これだから下賎の者というのは…」
「あー…」
メガネ少女とは別の、もう一人のメイド服の少女が、困ったような顔で、頭をかきながら口を開いた。
「いや、ちがくてさ。イクちんが言ってんのはそういうことじゃねーんすよねー…」
彼女のメイド服はなぜかボロボロで所々穴が開いている。袖は肩までまくりあげられ、シャツのボタンは胸元まではずれている。風通しの良さそうなそんな着こなしのせいで、彼女の日に焼けた健康的な肌が大胆に露出していた。しかし、誰かが彼女を前にした時に最初に抱く感情は、いやらしさではなく、むしろ痛々しさだろう。あらわになった彼女の体には大小様々な傷跡が、それこそまるで服の代わりとでも言うように拡がっていた。それはメイドというより、幾度となく死線をくぐりぬけてきた兵士のような、凄みを感じさせる肉体だった。
「おじょー様にはもっと気にすべきことがあるっつーか…、あー、なんて言えばいんだー、くそー!」
苛立たしげに頭を激しくふる少女。ぼさぼさの長髪が左右に揺れる。その様子は体についたごみを落とそうとする大型犬のようでもあった。メガネメイドが優しく微笑み、その少女の手を握った。
「ヨツハ。そんなに自分を責めることはないわ。あなたが悪いんじゃない。理解力の乏しいお嬢様の頭が悪いのだから」
「イクちん…」
「ヨツハ…」
ボロボロ服の少女も両手で握り返す。みつめあう二人。次第にお互いの頬が赤みを帯びる。まるで鏡に映したかのように瓜二つな二人の顔が、だんだんと近づいていく。
「あなたたちね…」
金髪の少女があきれた様子で間に割って入った。明らかに不服な表情になる二人。
「ああ、お嬢様……いたんですか?」
「いるわよっ!さっきからずっといるわよ!」金髪の下に、大きな青筋を作って叫ぶ。「コノ車、ワタシノ車ッ!アナタタチ、ワタシノメイドッ!ワタシガイナイ訳ナイデショーガッ!」
なぜか片言でわめきたてる金髪少女に対して、やれやれ、といった様子で顔を見合わせる二人。
「はあ……全校生徒から避けられていて、お友だちがいらっしゃらない寂しいお嬢様のために、転校生を紹介して差し上げようと思ったのですが、まさかよりにもよって伊美澪湖に先を越されるなんて……さすがお嬢様、神様に見放されていらっしゃる」
メイドの一人がメガネの奥から、心底かわいそうなものを見るような目を覗かせる。ボロボロ服の方は、口許を押さえて吹き出すのを我慢しながら言う。
「ぬふふっ……避けられてるだけじゃなく、みんなに陰で笑われてるっす。残念おじょー様とか言われてるっすー」
「こ、この無礼者!なに言ってるの!この私が笑われてる訳ないわよっ!…だいたい一般庶民がこの私の友人になろうだなんておこがましいにも程があるわ!まあ下僕としてなら、考えてあげなくもなくって…」
「そーゆーところが残念おじょー様なんすよねー。自分、勝手にライバル扱いされてる澪湖ちんがどきどき不憫に思えるっすー」
「ヨツハ、そっとしておいてあげましょう。それがお友だちのいないお嬢様なりの精一杯の愛情表現なのですから。わたくしたちが出来るのはただひとつ、そうやって空回っているお嬢様を、指を差して笑うだけなのよ…」
「むきー!いーかげんにしなさーい!」
両手をバタバタさせて暴れる金髪をなれた様子で押さえつけながら、メガネメイドが運転手に合図をする。純白のリムジンは音もたてずゆっくりと学校に向かって動き出した。




