09
両親に抱きしめられたまま、澪湖は頭を持ち上げて、天井を見上げた。そうすることで溢れ出す涙を抑えようとしたのだが、実際にはその効果はほとんどなかった。
「お姉ちゃんが、今ここにいたら…」少しだけ、声がかすれている。「きっと、私のこと怒ってるよね…。だって、お姉ちゃんは私のせいで…」
「違うよ…」美船は優しく首を振る。「夜緒子ちゃんは、そんなこと思ってないよ…」
「ああ…あの子は、澪湖を怒ってなんかいないな…」
港も、澪湖の言葉を否定する。
「そんなわけないっ!」
「どうして?」
「だって…怒ってないわけないじゃんか!私はひどいやつなんだよっ!?」
「誰かが、そんなこと言ったの?」
「み、みんな言ってるよっ!」
澪湖は、美船の言葉に反発し続ける。
「私はひどくって、ワガママで、何にも出来ない最低のやつなんだよっ!そんな私のせいで、お姉ちゃんは死んじゃったんだっ!だからお姉ちゃんは…私のことなんか、だいっきらいで…」
「澪湖…」
港と美船は澪湖を抱きしめるのをやめ、彼女から体を離す。そして、二人とも優しい表情を澪湖に向けた。
両親にじっと見つめられている澪湖は、その眼差しに耐えられずに顔を背け、吐き捨てるように言う。
「お姉ちゃんの代わりに、私が死ねば良かったんだ…」
「もう、バカねぇ…」
美船は微笑む。港も同じように笑う。
「ああ、ほんとに澪湖はバカだな…。夜緒子がそんなこと、望んでるわけないのに…」
ひとときたりとも澪湖から視線を外さない港と美船。美船の瞳からはほろりと、一滴の涙が流れている。だがそれは、澪湖の流している物とは意味が違っていた。
「そうだよ…。私は、バカで…、バカだから…私のせいでお姉ちゃんを殺しちゃって…」
そのときの美船の涙は、悲しみや辛さから流された物ではなかったのだ。
「夜緒子ちゃんはさ…」美船は、思い出し笑いでもするように微笑む。「すっごく、優しい子だったよね…」
「…」
「澪湖ちゃんには、特にそう…」
「ああ…」
港もそれに、笑顔で応える。
「『自分はお姉ちゃんだから』って、いつも自分よりも澪湖のことを気にしていてね」
「…んなの…」
笑顔の二人。対称的に、澪湖の顔は相変わらず悲しみで歪んでいる。
「夜緒子に何かプレゼントをあげても、あの子、それをみんな澪湖にあげちゃうんだよな…。『自分はいいから』って…、『お姉ちゃんだから』って…」
「はは」と笑う港。
「お姉ちゃんだからって、そこまでやらないよな…普通」
「ええ…、夜緒子ちゃんったら、ほんとうに澪湖ちゃんが大好きだったからねぇ」
「ああ、そうだな…」
「そんなの…」澪湖は呟く。「そんなの、知ってるし…」
「えぇ?」
「お姉ちゃんが優しいのなんて、そんなの…当たり前だし…」
彼女は、先程の美船の質問について考える。
もし、お姉ちゃんが、いまここにいたら…。
自分のことを誰よりも思ってくれていた夜緒子が、今の自分のことをどう思っているのか。夜緒子のことを完全に思い出した澪湖にとって、そんなことは何よりも自明なことだった。だが、彼女にはどうしてもそれを認めることが出来ない。
「お、お姉ちゃんは…私のことを……こんな私のことでも……。でも…、そんなのだめだよ…。私は全然、お姉ちゃんに許してもらえるような、いい子じゃあないのに…」
「そんなことないよ…。澪湖は、いい子だよ」
澪湖は強く首を振る。
「違うっ!お姉ちゃんに比べたら、私なんか…」
「ねえ、澪湖ちゃん…」
美船は、もう一度優しく澪湖を抱きしめた。
「澪湖ちゃんは、本当にすごいいい子なんだよ…?澪湖ちゃんのおかげで、わたしたちは幸せになれたんだよ…?夜緒子ちゃんがいなくなっちゃって落ち込んでいた私たちを、澪湖ちゃんがもう一度、幸せにしてくれたんだよ?」
「…え?」
「澪湖…。夜緒子がいなくなって辛かったのは、お前だけじゃあない…。僕たちだって、あの事故のことは、死ぬほどつらかったんだ…」
照れ臭そうに話す港の瞳からも、じわりと涙がにじんでいた。
そのときの二人の言葉は、今までずっと澪湖に言いたくて言えなかった、二人の本心だった。美船が、港の言葉の先を継ぐ。
「でも、そんなときに澪湖ちゃんが…いなくなったはずの夜緒子ちゃんを、生き返らせてくれた。もう二度と会えないと思ってた夜緒子ちゃんに、もう一度会わせてくれた…。『夜緒子ちゃんのこと、忘れなくってもいいんだよ』って、教えてくれたんだよ?」
そ、そんなの…。
澪湖は今まで、そんなことを考えてもこなかった。
夜緒子を失ったショックから、澪湖は無意識に偽物のよお子を生み出してしまった。確かにはじめこそ、それの役割は『澪湖に夜緒子の偉大さを思い知らせること』、『澪湖のせいで事故にあった夜緒子が、澪湖を憎んでいると思い込み続けること』だったのだろう。自分には出来ないことが何でも出来るよお子という人格をつくることで、自分がいかに価値のないバカであるかを知るということが、彼女の存在意義だったのだ。
だが月日がたち、澪湖が成長するたびに、彼女の中のよお子の人格も、より夜緒子らしく成長していった。
本物のお姉ちゃんは、私にこんなこと言ったりしない…。お姉ちゃんなら、きっとこんなとき、相手のことを第一に考えて行動するはず…。そんな風に、心の深層で澪湖はよお子の性格を調整していたのか。
いつの間にか、澪湖をおとしめるためだけに作られたよお子の存在は、本当の夜緒子の再現…、澪湖が夜緒子の気持ちを知り、澪湖自身が夜緒子のような優れた人間になることへと、変化していたのだった。
「そんなの…。私、そんなつもりなくって…」
「澪湖ちゃん…」
「澪湖…」
港は膝をついてしゃがんで、澪湖の頭をなでた。
「あれは、どう見たって夜緒子だった…。生きていたころの夜緒子、そのままだったよ」
「夜緒子ちゃんは、澪湖ちゃんのことが大好きだったね…。でも澪湖ちゃんも、それと同じくらい夜緒子ちゃんのこと、大好きだったんだもんね…?そうでなきゃ、あんなに上手にマネできないもんね……」
「うう…ううううぅ…」
澪湖は母親の胸に顔を押し付ける。そして、声にならない声をもらした。
彼女は泣いていた。
封じ込められていた感情があふれ出てくるのを押さえつけるように、美船にしっかりと体を合わせて、むせび泣いた。
「だから、きっと夜緒子ちゃんが今ここにいたら…」
澪湖はもう一度、その質問の答えを頭に浮かべる。
美船は、澪湖が思い描いた通りの言葉を言った。
「『澪湖ちゃん、ありがとう』って、言ってるよ…」
「う、う、う、…ぅうあああああぁーん!」
澪湖は大声を上げて、泣きじゃくった。
その様子は、夜緒子を失ったあの日と同じように見えた。だが今の澪湖の内面は、あのときとは全く違っていた。
彼女は心の中で夜緒子に語り掛ける。
お姉ちゃん…。
今まで、私を守ってくれてありがとう…。
ずっとずっと、お父さんとお母さんを喜ばせてくれて、ありがとう…。
私たち、いつまでもお姉ちゃんに世話かけて、お姉ちゃんを頼っちゃってたね。みんなに優しいお姉ちゃんに、甘えちゃってたね…。ありがとう…。本当に、ありがとう…。
多分私、もう大丈夫だから…。
お姉ちゃんに頼らなくっても、私はもう大丈夫。だって、今の私はもう、一人じゃないんだもんね…。
今の澪湖には、あのときと同じ強い悲しみと、それ以上に強い夜緒子への愛があふれていたのだ。もはや今の澪湖には、夜緒子に引け目を感じる気持ちなどは、どこにもなくなっていたのだった。
お姉ちゃん、今までありがとうね…。大好きだよ…。
※
『いみみおこ と いみよおこ の こうかんにっき VOL.1』
4/1
わたしはとても口下手で、自分の気持ちをうまく言葉で伝えられないので、今日から日記をつけることにしました。
これはわたしの日記帳ですが、わたしとミオコちゃんが交代で書きっこをする、交換日記になればいいなあと思います。
まだミオコちゃんは文字の読み書きはできませんので、いまは落書きくらいしかかいてくれないでしょうけど、あとで読み書きができるようになったときとかに、2人でみなおすことができたら、おもしろいかなあと思います。
4/2
X●▽●X
(↑ミオコちゃんがわたしの顔をかいてくれたみたい。かわいい!)
………
8/2
みよこ と よよこ
よとおさん おかおさん
8/3
すごい!ミオコちゃんがわたしたちの名まえをかいてくれました!(おとうさん、おかあさんは名まえじゃないけど…)
ミオコちゃんはとってもあたまがよくって、しょうらいがゆうぼうです!
でもわたしは、ミオコちゃんがどんなふうになってもずっとずっとだいすきですよ。
ずっとずっと、なかよしのしまいでいられたらいいなって思います!
(なるべくミオコちゃんが読めるように、これからは簡単な文字で書くことにします)
………
5/2
おねえちゃん あいがとお
5/3
きのうはたいへんでしたね。
ようちえんのせんせいにも、おとうさんとおかあさんにもおこられてしまって、とてもかなしかったですね。
でもミオコちゃんが、りゆうもなくおともだちをいじめるようなこじゃないってことは、わたしはしっていますよ。わたしはミオコちゃんをしんじています。
ケガをしてしまったおともだちはかわいそうですが、ミオコちゃんはわるくないとおもいます。わたしはいつでも、ミオコちゃんのみかたですよ。
………
4/1
にうがくしき
Y◎△◎Y X●▽●X
5/3
しょうがっこうにゅうがくおめでとう!
ランドセルがとてもかわいいくって、よくにあってるよ!かわいいよ!
おかあさんとおとうさんは、ミオコちゃんはわたしのちいさいころにそっくり、なんていってるけど、わたしはミオコちゃんのほうがだんぜんにかわいいとおもいます!しょうがっこうではきっと、クラスのみんなからモテモテだね!
ほんとうなら、ふたりでいっしょのがっこうにいられたらよかったのですが、かなしいことにわたしはこのはるでちゅうがくせいになってしまって、はなればなれです…。でも、まいあさがっこうにいくときはいっしょだよ!
………
10/1
わたしは きょお しゅくだいお やいました
むじかしかたです
おねえちゃんか おしえてくれますた
10/3
しょうがっこうのべんきょうには、もうなれたかな?さいしょはむずかしいとおもいますけど、すこしずつやっていけば、きっとじょうずにできるようになりますよ。
ミオコちゃんはとてもあたまのいいこだから、そのうちおねえちゃんのわたしのこともおいぬいちゃうかもしれませんね。
そうなったら、こんどはわたしにいろいろおしえてくださいね?
あ、そうだ。
これはべんきょうじゃないですが、がっこうで、「かんじ」ってならったよね?じつは、ミオコちゃんとわたしの名まえは、かんじでかくと「澪湖」、「夜緒子」ってかきます。ミオコちゃんの名まえはちょっとむずかしいですが、わたしの名まえはかんたんなので、よかったらおぼえてみてくださいね。
(むずかしかったら、はじめは、よお子でもいいよ)
………
12/24
わたしは きょお くいすます でした
けーきがでて おいしかたです
よお子おねえちゃんが けーきをはんぶんくれて うれしかたです
おねえちゃん あいがとう
12/24
ミオコちゃんへ
クリスマスたのしかったね。そうだね、ケーキおいしかったよね。
わたしがミオコちゃんにプレゼントをあげたら、「ミオコちゃんも大きくなったら、ちゃんとおねえちゃんにプレゼントかえさないとダメだよ」なんてお母さんが言ってたけど、わたしにとっては、こうやってみんなでクリスマスパーティーが出来ることが1番のプレゼントだよ。だって、こんなにかわいいミオコちゃんが、わたしのことを「おねえちゃん」ってよんでくれるんだもん。それだけでわたしはすっごく幸せです。
これからも、わたしたちが大きくなっても、ずっとずっと、みんなでそろってクリスマスパーティーできるといいね。
あなたのことがだいすきな、夜緒子より




