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パーティー会場に流れる音楽が、だんだん速度と重厚感を増していく。
ステージ上のツナギ姿の女性DJは、ミキサーとキーボードを同時に操作しながら、BGMにときおり心地よい抑揚のついたアレンジを加える。
ギター、ベースのメンバー、そしてドラムスの増子りぼんが順番にステージに現れ、音楽に合わせて機材のチューニングや音出しを始めている。それはライブのリハーサルのサウンドチェックでありながら、時折一つの曲を演奏しているようなメロディを形作る。会場のパーティー客たちも、自然とそのリズムに会わせて体を揺らしている。
千本木零子からのパーティーの開始を告げる挨拶があったのが一時間ほど前。上品に談笑を楽しんでいた来賓たちの空気も次第に落ち着き始め、少し新しい刺激が欲しくなってきたところだ。そんなときのための余興として零子が用意していたのが、バンドによるライブ演奏だった。
零子はそのバンドのことを、「自分の娘の知人たちで構成されている」と紹介していたのだが、肝心の百梨の姿はいまだパーティー会場にはない。ただ、零子が巧みに来賓たちを煙に巻いて誤魔化していたために、彼女の不在が問題になることはなく、パーティーは滞りなく進行していた。
「きゃー!り!ぼ!ん!ちゃーん!カッコいいぃー!抱いてぇー!」
ステージの最前列に陣取って、ライブ開始前にも関わらず黄色い声援を送っている渕上茶央美。ステージ上のメンバーたちがりぼんを横目で冷やかしているが、当のりぼんは既に演奏にむけて完全に集中してしまっているのか、全くの無反応だった。
「あ、あ……チェック、チェック……」
ボーカルらしきショートボブの少女もステージ上に現れ、マイクの調子をチェックをしている。
だがやがてそれも終わると、一旦全ての楽器の音が止まり、元通りの、DJの流すアンビエントなBGMだけが流れている状態に戻った。ステージに向けられていた照明は全て落とされ、空にきらめく星明りが強調される。辺りが暗闇で包まれる中、バンドメンバーたちは誰もが俯いて、静かに『合図』があるのを待っていた。
「はあ、はあ、はあ……ま、ままま、ま、間に合いましたた?…はあ、はあ…」
「ふぅ…ふぅ…きゅふぅう……。どうやら、ヴァルプルギスの宴は未だその始まりの狼煙を上げていないと見えるな……。これも我と、我が守護業魔の導きのたまものと……」
「ゆゆゆ優芽ちゃん……ほほほ、ほ方向音痴ななならら、ささ先に言っててておいてくださいよよよお……」
「きゅふふふ……ふぅ……ごめんなさぃ…」
開始直前になって、朋と優芽も会場に到着する。
やがてDJがBGMにのせて、キーボードで数小節のシンプルなメロディーを奏で始めた。それも一度ではなく、何度も、何度も、途絶えることなく同じメロディーを繰り返す。メロディーが繰り返されるうちに、BGMは少しずつエフェクトがかかって変化する。続けば続くほどそのループは一種のトランス状態を生み、まるでダンス音楽のように会場の高揚感を高めていく。観客の間には自然と手拍子が生まれる。ベース、ドラムスが順番にメロディーに重なる。
軽快なリズム。
重なりあって、揺らぎあう音。
来賓たちのざわつきさえも、演奏の一部のよう。
期待感。高揚感。
じわじわと込み上げてくる、音楽による快感。
一分近くその状態が続いて会場のテンションが最高潮に達したとき、それまで下を向いていたボーカルがぐいっと顔を上げて叫んだ。
「いっくぞぉお前らぁーっ!」
その瞬間、ステージ上が眩いようなライトで照らされた。同時に、ステージ後方の海上から花火が打ち上げられ、バンドメンバーを赤、緑、黄色などカラフルに彩る。会場からは歓声と、少し遅れて拍手。それをかき消すように高速のギターリフが鳴り響き、ボーカルが可愛らしい声で早口でも言うように日本語でラップする。最初のメロディーはBPMが上がり、何層も音が重なって、もはや原型をとどめていない。
更にそこに、ほとんど絶叫に近いような、ギターの少女のエモーショナルな歌声が響いた。
その、アップテンポでハードコアなミクスチャ曲は、始まって数秒でそれまでセレブリティが談笑する上品な空気に包まれていた会場を、一変させてしまった。テンションについていけずに眉をひそめている来賓も一部にはいるが、それ以外の大半は、用意されたテーブル席にじっと座っていることが出来ずに、立ち上がってステージの前に集まり始めていた。
りぼんたちのバンドは、今や完全にパーティーの中心になっていた。
※
数分前。
そのビーチから沖に二百メートルほど行った海上。ちょうど、昼間かなたが溺れたあたりのところに、一隻の大きなゴムボートが浮かんでいた。乗っているのは二人の少女だ。
一人は、ボートに横になってすうすうと寝息をたてて安らかに眠っている。もう一人のオールを手にした少女は、今は手を休めて波にボートを任せながら、その眠っている少女の顔をうっとりとした表情で見つめていた。
「はぁー……おじょー…様ぁ……」
彼女は悲観ではなく、自らの幸福をかみしめる意味のため息をついた。
目の前で横たわる少女は、白地に花柄が入った爽やかなワンピース姿。そのかわいらしい格好は、上品で整った顔立ちの彼女にとてもよく似合っている。仰向けでもはっきりとわかる豊満な胸元に、スカートからのぞく張りのあるふともも。手は、まるで陶器のように白くすべすべしていて、不用意に触ったなら指紋がついて汚してしまいそうだ。
その少女、千本木百梨が、自分の目の前で無防備にその完璧な身体をさらしているということ。そして、もうすぐその全てが自分の物になるということを想像して、二十六木ヨツハは、また深くため息をつくのだった。
「もーすぐ……もーすぐっすよ…」
ヨツハはこれまで、幾度となくこんな日が来ることを夢見てきた。こんな夢は見てはいけないと思いながらも、見ずにはいられなかったのだ。
自分たちの存在は、おじょー様の夢を叶えるためだけにある。だから、自分のこの気持ちはおじょー様が夢を叶える日までしまっておいて、無い物として振舞わなければいけなくて……。
本当にそーなんすか…?
そんなこと言って、自分たちがおじょー様を我慢しているうちに、どこの馬の骨とも知らないよーな他人におじょー様が盗られちゃったら、どーするんすか?かなたちんなんかに、大好きなおじょー様のこと盗られちゃったら、どーするんすか…?
今なら…、今おじょー様に告白すれば、おじょー様は必ず自分の物になってくれる。大好きなおじょー様を、自分だけの物にすることが出来るってゆーのに……我慢なんて、出来るわけないっすよ…。
遠く離れた海岸ではバンドの演奏が始まり、ヨツハたちのゴムボートにもその重厚な音色が届く。近くの海上から花火が打ち上げられ、ボートからだとほとんど真上に見えるような位置で、満開の火花を散らす。
赤い光に照らされた百梨は、ヨツハにはまるで、彼女が興奮して頬が紅潮しているかのように見えた。
「ああ……可愛いっす……可愛すぎるっすよ……おじょー様…」
ヨツハはオールから手を離し、百梨の頬を指で優しく撫でる。
マシュマロのように柔らかで、レースのように滑らかな肌。ただ触れているだけでヨツハの呼吸は高鳴り、体がうずく。
「はあ…はあ…」
指を頬から唇へと滑らせる。指先に感じる、ぷるっとしたみずみずしい感触。
「あぁ…あっ…」
全ての感覚を閉じて、指先に神経を集中していたヨツハは、その唇の感触を何十倍、何百倍にも感じて思わず声を上げてしまう。
まるで、百梨の唇がヨツハの体のいたるところに触れているような、全身を百梨にキスされているような錯覚。彼女はもはや、自分の気持ちを抑えられなくなっていた。
もう片方の手をゆっくりと自分の体に這わせる。それだけで彼女のボロボロのメイド服はするすると脱げていき、あっという間にヨツハは下着姿になった。
「だめ…まだ、だめっす…」
自分の体を強く抱きしめ、内からあふれ出そうなものを抑える。百梨の唇に触れている方の指を、彼女の体の方へと動かしていく。
首筋、鎖骨、胸元……。
ワンピースの襟首に阻まれ、指の動きが途中で止まる。それでもヨツハがほんの少しだけ百梨の肌に触れている指の爪をたてると、それだけで、まるでスライスチーズが裂けるように白いワンピースに静かに縦の切れ目が入っていく。
「う……んん…」
そのとき、それまで気持ちよさそうに寝顔をさらしていた百梨が小さくうめき、眉と目元を動かした。うっすらと空いた口からは、温かく甘い息が漏れる。ヨツハはその口元に心を奪われながらも、自分の手を急いで百梨の体から離した。
「あ……あら?ここ…は…?」
横になったまま、百梨は目を開く。見えるのは満点の星空だけ。彼女は、どうして自分がここにいるのか分からない。
「おじょー様」
「ああ……ヨツハ…」
声がした方に顔を向けてみるが、完全な暗闇が支配する海の上では、常人には花火がさく裂している間しか周囲の様子を確認することは出来ない。一瞬のきらめきの中にヨツハの姿を見つけた百梨は、心の底から安心するような優しいほほ笑みを作った。まるで、「ここがどんなところでも、貴女がいてくれるのなら安心だわ」と言っているかのようだ。ヨツハは一瞬、胸をチクリと刺されたような罪悪感の気持ちを覚えたが、しかしそれは、すぐに可愛らしい百梨の笑顔を見たことで高まった自分の欲情によって、かき消された。
「え、えっと…確かわたし、パーティーのお客様たちに、挨拶をしなきゃいけなくって………きゃっ!」
少しずつ記憶を取り戻してきたようだが、百梨は自分がゴムボートの上にいるということまでは把握できていなかった。立ち上がろうとしてバランスを崩して、ヨツハの方に倒れかかる。とっさに受け止めるヨツハ。
「あ、ありがとう…。ここは、海の上…なの?」
言いながら、不安げに周囲を見渡す。彼女を抱きしめているヨツハは、間近にある自分の想い人の顔を、恍惚の表情で見つめていた。今の彼女には、百梨の姿がまるで後光を受けた本当の天使のように輝いて見えた。
「おじょー様……」
「ど、どうしてわたしたち、こんなところにいるのかしら?もといたホテルはどこかしら?なんだか、怖いわ…」
「おじょー様……てば」
「え?」
目の前で自分を見つめているヨツハの表情に気付き、百梨もヨツハを見つめ返す。
やがてヨツハは、ゆっくりと口を動かしてそれを言った。
「貴女が好きです。愛しています」




