01
「…以上が、わたくしたちとお嬢様の過去です。わたくしたちはあの日からお嬢様の手足となり、お嬢様の夢のためにこの身をつくしてきたのでございます」
話し終えたイクは、遠くを眺めるように目を細める。
一同は彼女のその話をすぐには理解できず、しばらくは言葉を失って、ただただその場に立ち尽くしてしまっていた。
やがて、呟くようにかなたが言葉を漏らす。
「あのお嬢様に、そんなことが……」
「信じられませんか?」
かなたは、少し考える。
「いや……そうでも、ないよ…」
今日の昼間までは、確かにかなたも彼女のことを見くびっていた。ただのわがままなお嬢様と思い、心の底ではバカにしていた。
だが、今日自分が海に溺れてしまったときに、自分のために一生懸命人工呼吸をしてくれたという彼女。なにより、自分のように誰かが溺れてしまうことを想定して、前日一人で心肺蘇生術の練習をしていたという彼女を知った今では、イクが語った話を、いつものような冗談だと切り捨てることは出来なかった。
「じゃ、じゃあ…それはあ…」
「ええ」
イクが大事そうに抱えている、二つの青いペンダントを指差す音遠。イクは微笑む。
「これはあのときのガラス人形です。お嬢様とわたくしたちが同じ秘密、そして同じ夢をもつ共犯者であることの証。わたくしたちがいつまでもお嬢様のメイドとして、お嬢様のお側にいつづけると決めた印として、わたくしたちはあのときのガラス人形を加工して、三つのペンダントを作ったのです。これはわたくしたちにとって、お嬢様との絆を意味する非常に大事な物。本来ならば、どんなことがあったとしても手放すことなどありえない物……にもかかわらず、あの子はこれを自ら放棄した」
「で、でもやっぱりいー…、ヨツハちゃんに何かあったってこともお……」
イクは、静かに首をふる。
「わたくしたちにとっての最優先事項は、どんなときでもお嬢様です。それだけは、何があっても絶対に変わりません。もし、お嬢様を誘拐した犯人がヨツハ以外にいるのだとしたなら、ヨツハはその犯人からお嬢様を守れていないのに、このペンダントだけを守ったということになる。そんなことは有り得ません。お嬢様のお部屋にこれが置かれていたという事実を説明出来る、納得のいく理由はただひとつ……あの子が自らこれを置いていったということだけです。このペンダントを放棄することで、自分がお嬢様のメイドであることをも放棄する……すなわちこれは、あの子がお嬢様のメイドでいることをやめると、わたくしたちに宣言しているも同じことなのです」
「う…ううん……」
イクの、確信のこもった力強い断言の前では、音遠はもう何も反論することができなかった。
「お嬢様を愛しすぎたあまり、メイドとしてお嬢様をお守りする立場でいることに耐えられなくなってしまったあの子が……、自分の欲求が抑えきれなくなって、その欲求のままお嬢様を自分だけのものにしようとしているあの子が……お嬢様と二人きりになってすることなんて、ひとつしかない……それはっ…」
一瞬、イクの顔が苦しそうに歪む。かなたは、イクがこれからとてつもなく恐ろしい事を口にするだろうということが分かり、思わず息を飲んだ。
そしてイクは、仰々しくそれを言ったのだった。
「あの子はこれから、お嬢様に愛の告白をするつもりなのです」
「へ?こ、こく…はく…?」
愛の告白。
本来ならば、イクやかなたたち女子高生が集まって話す話題としては、あまりにも普通で俗っぽいテーマ。しかし、そのときのイクの言い方は、まるで世界の終わりでも告げるようだった。
イクは寂しそうな表情で、拍子抜けしているかなたを見る。
「お嬢様の夢の実現のために、そしてわたくしたちの夢の実現のために、わたくしたちは今までずっと、自分たちの気持ちをお嬢様に伝えることを抑えてきました…。お嬢様への想いを心の奥に封じ込めて、決してそれがお嬢様に知られることの無いように努めてきたのです。だって、もしそれが知られてしまったら…。敵味方関係なく、目の前の人間のために我が身を平気で投げ出せるようなお優しいお嬢様に、愛の告白なんてしたらどうなるか。そんなことは火を見るより明らかではないですか?」
かなたから澪湖、そして音遠へ。同意を求めるように、イクはその場の一同を見渡した。
「…きっとお嬢様は告白を実行した者の幸せを考え、ご自分の身を全てその者に捧げてしまうでしょう。相手の立場、人格、年齢はおろか、性別さえも関係なく、それがどんな人物であったとしても、それに対して『イエス』という回答をしてしまうはずです。それではお嬢様を手にいれることが出来たその人間だけは幸せになれるかもしれませんが、ただそれだけ…。世界中の人間を幸福にするという、お嬢様とわたくしたちの描いた夢はそこでついえてしまう。そんなのは正しいこととは言えません。一人の人間の劣情ごときで、この世界を変える優しさをもつお嬢様が台無しになってしまうことを、許すわけにはいかないのです」
「…で、でもさぁっ」それまで黙っていた澪湖が、突然口を開いた。その声には、何故か焦りのような物が混じっている。「や、やっぱ私、そんなの信じらんないなぁー!?だ、だってさぁ、あの残念お嬢様でしょぉー!?あの人がそんなこと考えてるなんて、すっごい嘘っぽいって思うんだけどぉ!?」
「そうでしょうか?」
「そ、そうだよぉっ!だ、だってあのお嬢様、学校でもすっごい浮いてるしぃー!みんなから引かれてるしぃ!みんなにバカバカ言われてんだよぉーっ!?友達だって一人もいないしぃー……だ、だから…だから……」
何を言えばいいのかわからずに喋り始めたらしく、澪湖は途中で言葉がつまってしまう。とにかく何でもいいから反論したい、とでも言うように、無い知恵を必死にしぼって適当に言葉を重ねている。しまいには、責めているはずのイクにフォローしてもらう始末だ。
「なるほど……。お嬢様がそんな崇高な思想をもつ人間なのだとしたら、それに賛同する人間、少なくとも友人の類いはいるはずだ。今現在誰にも理解されていないという事実がある以上、お嬢様をそれほどまで肯定的に評価するのは、ただの買いかぶりに過ぎない、と……それはそうかもしれませんね」
「でも…」と、その自分の言葉を覆すイク。
「そもそも不思議に思いませんでしたか?あんなにもお優しく、そばにいるだけで周りの人間を楽しい気持ちにして下さるお嬢様のような方に、恋人はもちろん、ご友人と呼べる人間が一人もいないなんて。そんなこと、本来ならばあり得るはずがないじゃあありませんか」
かなたと音遠は、それに即座に頷く。
「しかし実のところ、それは必然なのです。なぜならばわたくしたちが、それを妨害してきたからです。誰かがお嬢様と親しくなる前に、秘密裏に、ことごとく、それを邪魔してきたからです」
「は、はぁーっ!?そんなの嘘だぁっ!」
「それが、本当なのですよ」
先程から、何故か取り乱し続けている澪湖。イクは気にせず続ける。
「例えば今回の旅行についてですが…、お嬢様は学校の皆様と仲良くなりたいと言って、学校に所属する一年から三年までの生徒全員を、この旅行にご招待されました。しかし実際には、参加されたのは皆様を入れて十人程度。それは何故だと思いますか?」
「そ、そんなの…、お嬢様が友達いなくって、みんなお嬢様に関わりたくないからに、き、決まってるじゃん……」
「違います」
どもりながら呟く澪湖は、イクにバッサリと切り捨てられる。
「この旅行、及びホテルのオープニングパーティーのスケジュールを決めたのはわたくしたちです。わたくしたちはあらかじめ学校の全生徒の夏休みの予定を調べあげ、この旅行の日程を、『学園の生徒の皆様に既に予定が入っている日程』、すなわち『不参加となる方が一番多い日程』となるように選びました。あえて参加者が少なくなるように、計画をたてたのです」
「な、何で、そんな…」
「この旅行は、立地、ホテルのグレードなどは最高級、そのうえかかる費用もお嬢様が全て負担してくださるというような、大変素晴らしいものです。参加することにはメリットしかありませんし、きっと参加された方は、少なからずお嬢様に感謝をし、お嬢様に対して友好的な感情を抱くことでしょう。もしかしたらその中から、『お嬢様ともっと親しくなりたい』、『お嬢様のことが好きだ』という方が現れてしまうかもしれない……。わたくしたちはその可能性を、なるべく減らしておきたかったのです」
「……」
「……こんな方法しか選べなかったのは、わたくしたちの無能さ故ですが……それでもお嬢様のためには……お嬢様の夢のためには、こうするしかなかった…。お嬢様に好意を持つものからお嬢様を遠ざけ、お嬢様の持つ無限の愛が、誰か特定の人間に独占されてしまわないようにするには……こうするしか…」
百梨に特別な人間が出来ないように、百梨の愛情が特定の人間によって独占されてしまわないように、二人のメイドたちが今までずっと彼女を周囲の人間から遠ざけてきていた。
そう言われて思い返すと、かなたには思い当たる節がいくつかあった。
今まで百梨の側には常にメイド二人がくっついていて、からかったり、騙して笑い物にしたりして、隙あらば彼女のことをバカにしていた。それによってかなたも学校の他の生徒たちも、誰もが百梨のことを残念お嬢様として認識し、変わり者で面倒くさい人物として扱い、彼女と親しくなりたいと思ったりなんてしなかったのだ。
イクはいとおしそうに目をつむる。
「お嬢様は、とてもお優しいお方です…。いつの日かあの方は、この醜く残酷な世界にその優しさを伝播させ、『パズルのピースが全て揃うように』、世界中に存在する全ての人間が一人残らず望む自己を実現出来るような、完璧な世界を作るでしょう。来るべきときが来たならば、わたくしたちの下らない小細工も全くの不要になり、お嬢様の無限の優しさが全ての人間を包み込み、それが新しい世界のルールとなるはずです。……しかし、今はまだそのときではない」悔しそうに、しかし同時にどこか悲しそうに、奥歯をぎぃっとかみしめる。「今はまだ、世界の準備が整っていません。世界はお嬢様のような完全なる優しさを信じることが出来ず、お嬢様の夢を愚かな綺麗事としてしか認識出来ない。完璧なお嬢様の前では、世界はいまだ未熟過ぎるのです。わたくしとヨツハは、これまで日夜そのために準備を続けてまいりましたが、それでもまだ途上。お嬢様が夢見る世界を実現できるようになるための全ての準備が整うまでには…、まだしばらくの年月を必要とします。わたくしたちはそのときがくるまで、お嬢様のお側について、お嬢様をお守りしなければいけないのです。こんなところで、自分の欲に惑わされている場合ではないのですよ……」
彼女は急にその顔を上げると、手に持っていたペンダントを元あったように一つを首にかけ、一つを懐にしまった。
「さあ、これ以上はあまりゆっくりもしていられません。ヨツハがお嬢様に愛の告白をしてしまったら、そこで全てが終わってしまいますから」
そして、強い意志を感じさせる表情を作った。
「わたくしはヨツハがお嬢様に告白してしまう前に…、手遅れになってしまう前に、必ずあの子を探しだします」
「わ、わかった……、じゃああたしたちも、それを手伝って……」
かなたもイクに合わせて、覚悟を決める。しかしイクは…。
「いえ、皆様は何もしないでください。先程までと同じように、引き続きパーティーをお楽しみ下さい。たとえヨツハをどこかで見かけたとしても、特に何もしていただかなくて結構です」
「な、なんでえ…」
「なんだよそれっ!?」
にっこりと一同に笑いかけるイク。かなたは納得がいかず、詰め寄る。
「ここまで聞いといて、そんなの出来るわけないだろっ!そ、そりゃあ、先輩に比べたら、全然無力かもしれないけど、あたしたちだって先輩たちの力に……」
イクはまた首を振る。
「今のヨツハはとても危険なのです。なにせ地球上で最強の生物が、お嬢様と自分以外の全てを敵とみなして、なりふり構わず欲望のままに動いているような状態なのですから。動物園から逃げ出したライオンなんかより、何百倍もたちが悪い。下手に皆様が今のヨツハに遭遇して、お嬢様をあの子から引き剥がそうとなんてしたならば…、きっとあの子は、皆様の命を奪うことになんの躊躇もしないでしょう。今のあの子は、お嬢様を独占出来るのならば、それ以外の全てを切り捨てることのできる覚悟があるのです…。皆様をそんな危険にはさらせません」
「で、でもお!」
音遠もかなたに負けじと食い下がる。
イクは、そんな音遠に優しく笑いかける。
「先程申し上げましたよね?この旅行は、なるべく参加者が少なくなるように計画されている…、と。にもかかわらず、ここにいるいつもの皆様は、誰一人かけることなくこの旅行に参加出来ているのは、どうしてだと思いますか?」
その場の誰もその問いには答えない。
イクはまた、遠くを見るように目を細めた。
暖かく優しい風がイクをなで、彼女の美しい黒髪を揺らした。耳にかかった髪を優しくとかしつけながら、彼女はかすかにほほ笑む。
「…お嬢様がおっしゃられたからですよ。『日程は全て貴女たちに任せるけど、なるべく伊美澪湖や本前川さんたちの予定が空いているときにしてちょうだいね』と…。だからわたくしたちは、『ここにいる皆様の予定が空いていて、かつ、それ以外の生徒の予定が空いていない日』を、日程として選んだのです」
「何で…」
「お嬢様にとって、皆様はきっと、特別なのでしょうね……」
イクはくるりと体を回転させて、三人に背を見せる。
「お嬢様とわたくしたちの過去をお話ししたのも、皆様がお嬢様にとって特別な存在だからです。全ての準備が整い、『そのとき』がやってきたとき、皆様はきっとお嬢様にとって、初めての『本当の友人』となるでしょう。わたくしたちのように、誰かに与えられたわけではなく、ご自分の手でつかみとった本当の友人…。そのような方たちには、本当のお嬢様のお姿を知っておいてほしかったので…」
百梨に友人が出来るということに対する喜びか、それとも、切なさか…。
そのときのイクが、いったいどんな感情でそれを言ったのかは、夕陽に輝く彼女の後ろ髪からは分からなかった。
「どうか、『そのとき』まで、皆様はお元気でいて頂きたいのです。…ご安心ください。わたくしにも策があります。必ずや、お嬢様は取り戻してみせますので……」
彼女はそう言うと、三人を置いてビーチの方に戻っていってしまった。
「…あれ?でもさぁ…」
立ち去るイクの背中に、澪湖が呟きのように話しかける。
「前言ってたお嬢様の話って、嘘だったんだよねぇ…?じゃああの人、なんでいつもあんな変なしゃべり方してんの…?昔は普通にしゃべってたのに……」
イクは振り返り、真顔で言った。
「趣味です」
「え……?」
澪湖をはじめ、他の二人も声を合わせて聞き返す。
「あのしゃべり方は、お嬢様の趣味です。それ以上、特に何かの意味はありません」
「趣味、かぁ……」
「ええ。趣味です」
一同はそれ以上何も言い返せずに、ただただ、その言葉の重みをかみしめることしか出来なかった。




