07
主である零子の方針で、千本木家の周辺には人間の為の物はあまり多くは存在しない。
百万坪近くある広大な敷地内に広がっているのは、海外の国立公園を思わせるような果てしない大自然。その中央にぽつんと、零子や百梨たちの住む屋敷。月夜たちを除いた使用人たちの暮らす豪華な宿泊施設。それに、プール等の入った最新式の室内運動場やその他のこまごまとした建物が配置されているのだ。
屋敷から南にまっすぐ走る舗装道を進むと、正門と呼ばれる大きな門にぶつかる。千本木家の敷地は、周囲を五メートルの高さがある分厚い壁で覆われているため、いかなるものも敷地と外を出入りするときには、その正門を通らなくてはいけないようになっていた。
正門には警備員が二十四時間配置されているため、不審人物はもちろん、アポイントメントを持たない客なども、その正門で止められてしまって敷地内に入ることは出来ない。しかし逆に敷地の内側の人間、すなわち家人や使用人は、あらかじめ警備員に顔を覚えてもらっており、警備システムにも指紋や光彩を登録してあるので簡単な手続きで自由に出入りすることが可能となっている。そして百梨の客人である鞠子も、内側の人間として百梨や月夜たちと同程度の権限を与えられており、正門を通過すること自体には何の問題もなかった。
だが、それはシステム上そうなっている、と言うだけの話だ。だからといって、鞠子が自由に盗んだものを外に持ち出せたということではなかった。当然門を通過すれば、その際には記録が残る。月夜の言う通り、好き勝手に節操なく盗みを働いていた鞠子が、一つ盗むたびに毎回敷地の外に出ていたのでは、出入りの記録が余りに多くなりすぎて、さすがに誰かに不審がられてしまっただろう。
だからこそ鞠子は、今までに盗んできたものを敷地内に一旦隠し、大手を振って出て行ける今日このチャンスに、それらを全て一気に外に持ち出すという腹づもりだったのだ。
月夜が零子の部屋の扉をノックしていた頃、敷地内を物凄いスピードで走り続けていた星那は、ちょうど目的地に到着するところだった。
屋敷を取り囲む四方の内、自然のあるがままに任せている北側や東側に比べると、屋敷の西側は果樹園や菜園など、比較的人の手が加えられて整備された区画になっていた。屋敷から西側に延びる小道を数分歩くと、噴水を取り入れた美しいイングリッシュガーデンがあり、その中の、植物を刈り整えて巨大な迷路状にした通路を過ぎるとそこには、広大なバラ園が広がっていた。
無数に立ち並ぶ背丈の低い木々。今は見ごろを過ぎて花は全て摘まれてしまっているが、そんなことは少しも気にした様子もなく、まるで自らがバラであるということを人々に誇示するかのように、緑の葉の隙間から生命力あふれる鋭利な棘をのぞかせている植物たち。見る人が見れば、手間暇をかけてとてもよく手入れがされているとわかるような、素晴らしい庭園だった。
そのバラ園の隅に、今はもう利用していない園芸用具用の倉庫がある。公園の公衆トイレくらいの大きさで、白い板張りの壁は、風雨によってところどころ塗装が剥げ落ちている。
倉庫を視界に捉えた星那は、物音をたてないように走る速度を落として、バラの蔓が巻き付いてトンネル状になっているアーチの陰に隠れた。
半開きになった倉庫の扉がゆらゆらと動いていることから、ターゲットがそこにいるということは間違いなさそうだ。彼女が来てから、まだそれほど時間もたっていないのだろう。さすがっすね……月夜ちんが前に言ってたとーりじゃないっすか……。
星那はかつて双子の片割れが「鞠子が盗品を隠している場所として一番可能性が高いのはバラ園の中の倉庫だ」と言っていたことを思い出していた。
ここがあいつの盗品の隠し場所。そして同時に、あいつの死に場所でもある…。
星那はやがて来る彼女の最期の瞬間を想像し、思わず微笑んでしまう。だがすぐに口をキッと閉じて、気を引き締め、戦闘モードに入った。
プランは完璧にできている。戦闘について素人のあいつに、自分が失敗するはずがない。
倉庫に入ったらまず、手刀であいつの喉を狙う。もちろんあいつを一撃で仕留めることだって簡単だけど、念には念をというやつだ。あいつの出方が読めず、外す可能性がある第一撃は、まずは牽制として、避けられても次の攻撃に影響が少ないような動きの小さな技でいく。その上で、第二撃の正拳突きで肋骨を突き破り心臓を確実に砕いて、確実に仕留める。全てはもうそこで終わっているわけだけど、これまで散々好き勝手やられたことに対するし返しの意味を込めて、第三撃として脳天に向けてかかと落としをたたき込む。全部で一秒弱。
星那は、それまで誰かを殺めたことなどなかった。
だがそれは単純に、今まで必要がなかったからやらなかった、というだけに過ぎない。星那にとっては人を殺めてしまうことより、人が死なないように力をセーブすることの方がよっぽど難しいことだったのだ。だから今まで経験がないということなど、鞠子を始末するということを完全に頭でイメージ出来ている今の星那にとっては、何の問題にもならなかった。彼女にとってそれは、喉が渇いたから冷蔵庫から飲み物を取り出してグラスに注ぐ、というくらいに簡単で、出来て当たり前のことだったのだ。
隠れていたアーチから出てくると、その倉庫に向かって星那は駆け出す。距離にして十メートル。半開きの倉庫の扉まで、あともう少し……。
次の瞬間、視界の外から倉庫に向かって動く人影が現れた。予想外の出来事に驚き、急停止する星那。その人影は倉庫の扉を勢いよく開け放つと、息を切らしながら叫んだ。
「ま、鞠子ちゃんっ!ごめん!……はあ、はあ、はあ……でも、や、やっぱり私……!」
扉が開かれたことで倉庫内の様子が星那にも見えるようになる。そこにはやはり星那や月夜の予想した通り、鞠子の姿があった。彼女は今、床にしゃがみこんで倉庫の床板を引きはがし、床下に隠していた盗品を自前のスーツケースに移し替えていたところだったようだ。屋敷にいたときとはまるで別人のような鋭い目つきで、扉の前にいた人物をぎろりと睨みつける。
「お前…」
「ごめん……はあ…ほ、本当は私……はあ…来ないほうがいいって……分かってたんだけど…はあ…」
荒い息を整えるのも待たずに鞠子に喋り続けるその人物は、百梨だった。




