05
そして、鞠子が百梨の屋敷に住むようになってから二ヶ月ほどが過ぎたある日のこと。月夜と星那、そして百梨にとって、いつまでも忘れることが出来ない事件が起きたのだった。
その日、いつものようにでたらめな授業を終えた三人は、授業後の恒例となっていたアフタヌーンティーの時間を迎えていた。
「おや、お嬢様?今日はいつものティーカップとは違うのですね。世界的に高名な作家の作ったというあのカップを、お嬢様は随分とお気に入りのようでしたが…」
「あ、あれは…いやー、たまには気分転換もいいかなーって思ってー…」
「でも、そう言えば今朝、給仕係たちがあのカップについて何か騒いでいたような…?」
「え?おじょー様、もしかして…」
「……えへへ。実は、あのカップいつの間にか、なくなっちゃってて…」
「うわっ」
「な、何よっ!」
「『なくなっちゃった』、じゃなくって、『なくした』んですよね?お嬢様が、ご自分の不注意で」
「ち、違うよっ!ちょっとうっかりしてて、どこかに置いたのを忘れてるだけだよっ!ちゃんと探せば、きっと家の何処かにはあるんだから、別にいいじゃんっ!た…確かに最近ちょっと、そのうっかりが多すぎる気はしてるけどさ…」
「ちゃーんと探しても見つからなかったからー、なくなったって言ってるんだと思うんすけどねー…」
鞠子はあれからずっと、およそ週一程度のペースで、百梨の私物を盗み続けていた。月夜たちはときどき、彼女がその『仕事』をしている姿を目にすることもあったが、それを周囲に告発したりはせず、むしろ露呈することがないように働きかけた。
自分が捕まったときは、一緒に月夜たちの計画も破綻させる。
その鞠子の脅しは、今まで慎重に計画を進めてきた月夜たちにはとても効果的で、自分たちの計画の成功という大きな目的の前では、不本意ながらも二人は鞠子の盗み程度には目をつぶるしかなかったのだった。
「で、でも!前にお母様のお誕生日用に買っておいたダイヤモンドの指輪は、一回なくしたけど、必死に探したらちゃあんと見つかったんだよっ!?だから他の物だってきっと…」
「ああ。奥様の誕生日用に買ったはずが、見つかったときには既に誕生日をだいぶ過ぎていたという、例の指輪のことですね?」
「うっ…」
「一応見つかってから改めて奥様に送ってみたのだけれど、誕生日でもなんでもない日にいきなりプレゼントなんてしたせいで、喜ぶよりただただ不審がられたという…」
「ううっ…」
「しかもそこまでやっといてー、そもそも指輪のデザインがダサすぎて、奥様その指輪使ってないらしーですよー?」
「うううっ……あ、そ、そーだ!それよりさぁー」
「じょーきょーが悪くなったからー、ムリクリ話題をかえて逃げるんすねー?」
「ね、ねぇー!?なんだか最近鞠子ちゃん、あんまり私たちと遊んでくんない気がしなぁーい?なんでかなあ…。私が、TVゲーム弱すぎるからかなあ。ねえー、どう思うー?」
星那のいう通り、自分を責める二人から逃げるために強引に鞠子の話を持ち出した百梨。だが、だからと言ってそのときの彼女の言葉が、全くのでたらめというわけではなかった。
確かに、鞠子は最初のころと比べて百梨のそばにいることが少なくなってきていた。百梨の家で一緒に暮らすようになってすぐのころは、目一杯の営業スマイルと共に腰巾着のように百梨の後をくっついてまわっていたのに、今では百梨がどれだけ遊びに誘ってもなかなか参加しようとせず、なにかと理由を付けては一人で部屋にこもっていることが多くなっていたのだ。
彼女のことを計画の障害として、ただただその存在をうっとおしく思っていただけの月夜と星那にとっては、彼女の顔を見なくてすむのはとてもありがたかった。だが、彼女のことをたった三人しかいない友人のうちの一人だと思っている百梨はそうではなく、常に彼女の様子を気にしていて、自分は彼女に何か嫌なことをしてしまったのではないか、今の自分に出来ることはないかと、毎日のように月夜と星那に相談し続けていたのだった。
「そのことでしたら、お嬢様がご心配なさることはありませんよ?わたくしたちにお任せ下さい。何か問題があるようならば、たちどころに解決しておきますので……」
「でも月夜ちゃんたちぃ、前からずっとそんなこと言ってるじゃあん。ほんとになんとかしてくれてるのお…?なんか私、二人はホントは鞠子ちゃんのことがあ…」
鞠子の本性を知る月夜たちにとって、そんな風に彼女を信用して落ち込んでいる百梨の姿は、ひどく滑稽で哀れに思え、そんな愚か者に友人の振りをし続けなければならない自分たちが不憫で仕方ないほどだった。
「はあ……それはもう、万事が上手くいくように取り計らっておきますので、お嬢様はお気になさらずに……」
その時、百梨の部屋の扉が乱暴に開き、千本木家のメイドの一人が慌てて入ってきた。
「お、お嬢様!た、た、た、大変です!あ、あのっ…!」
星那は、ドタドタと音を立てながら百梨の元に駆け寄ってくるそのメイドの前に立ちふさがり、彼女を睨み付ける。
「おじょー様の勉強時間中は、部外者は勝手に部屋に入ってこない約束っすよね?しかもさっきのあんたは、慌てすぎてドアをノックすらしなかった。礼儀が全然なっちゃいないっすねー…もう一度、部屋の外に戻って初めからやり直して…」
「星那ちゃん、いいから」
百梨は落ち着いた様子で星那を制してから、そのメイドに優しく微笑んで言った。
「風間さん、一体どうしたの?そんなに焦らなくてもいいから、何があったのかわたしに話してみて?…ね?」
風間と呼ばれたそのメイドは何回か大きく深呼吸をしてから、それでもまだほとんど整っていない荒い息づかいのまま、叫ぶように言った。
「お、お、お嬢様の大事にされていた、あ、あ、あのガラス細工の人形が……な、なくなってしまっているのです!」
それを聞いたとき、月夜と星那は「またか…」と呆れ顔になった。また鞠子の仕業か、と思ったのだ。だが、表向きには物がなくなるのはいつも百梨の不注意のせいということになっている。だから、二人ともそのつもりで頭の中で発言を修正してからリアクションをとった。
「はあ……お嬢様またですか?物をなくされるのはこれで何回目、いえ、何十回目でしょうか?お嬢様はもしかしてこの調子で、お屋敷のものを全部なくしてしまわれるおつもりなのですか?」
「なんかー、いよいよおじょー様のおっちょこちょいが神がかってきたっすよねー?もしかしてこれ、『持ち物をなくす』ってゆー、おじょー様の特殊能力っすかー?」
いつものようにそんな風に二人にからかわれた百梨だったが、彼女のその日のリアクションは、いつもとは全く違うものだった。
「あ、ああ…わ、私…なんて…ことを…あんな…大事なものを、なくして…しまう、なんて……」
身体中がぶるぶると震え、顔面は紙のように真っ白になっている。いつもの子供らしい無邪気さはどこにもなく、まるで、魂が抜けてしまったかのように生命感が無くなってしまっていた。
「た、只今屋敷のものを総動員させてその人形を探しているのですが、今のところはまだ何の手がかりも見つけられず……」
「あ、ありがとう……引き続…き…よろしく、お願いします…ね。…私でも、こ、心当たりを探して……」
ふらふらとおぼろげな足取りで歩き出す百梨。途中で、床にしかれたカーペットに足を取られて転げそうになる。
「ちょっ、ちょっと!?危ないっすよ!」
すぐさま駆け寄って、手を貸す星那。百梨はそれに礼も言わず、力なく微笑むだけ。完全に、心ここにあらず、という雰囲気だった。
さらにそのメイドは続ける。
「そ、それから、これはその件とは関係ないのですが…ご本人からはお嬢様には言わないでほしいと言われているのですが…一応、ご報告させていただきます」
「……」
虚ろな表情の百梨には、ちゃんと声が届いているのかどうかも危うい。だが、風間というメイドはそのまま続けた。
「さきほど鞠子様宛に、遠縁のご親戚とおっしゃる方からご連絡がありまして…。鞠子様は今後はその方と一緒に暮らすことにしたと言って…、早々に荷物を纏められてお屋敷を出て行かれました」
「そ、そうなの!?……それは…良かった」
その報告を聞いた百梨は、無表情だった顔に少し色がついて、小さく驚いたあと、微かに微笑んだ。彼女の落ち込んでいた気持ちがそこで、少しだけ晴れたようだった。
「せめてお嬢様にご挨拶だけでも、と申し上げたのですが、顔を見ると寂しくなるから…出ていったこともなるべくお嬢様には話さないで欲しい、と言われまして……」
百梨は嬉しそうに笑う。
「親戚の人と一緒なら、もう寂しくないね…良かったね、鞠子ちゃん……。あ、風間さん。もし、後で鞠子ちゃんから手紙が来たら、そのときは私にすぐに教えてね…?私、お返事書かなきゃだから……」
「は、はい、かしこまりました」
「良かった…本当に良かった…。じゃあ私は、あの人形を探さなきゃだから…」
百梨はそう言うと、他のことには脇目も振らずに、メイドと一緒に部屋の外に出ていった。
残された二人。
星那が頭に両手を重ねながら、月夜に話しかける。
「どーやら鞠子はー、よーやくこの家での『仕事』に満足したみたいっすねー。稼ぐだけ稼いだらもう用無しっつって、さっさと逃げやがったみたいっすしー……」
「ええ、そうね」
「でもー、あいつが最後に盗んでったアレ、そんなに価値のあるもんだったんすかねー?自分も前見たことあるっすけどー、正直さっきあいつらが騒いでたほどには良いもんには見えなかったんすけどー……」
メイドがなくなったといっていた、百梨の寝室に飾ってあったガラス人形を思い出す星那。
それは、透明なブルーのガラスで出来た天使の形をした人形で、日の光をあてるとキラキラと宝石のように輝くのが印象的な品物だった。そしてそれは、メイドの風間が言っていたように、屋敷の中にある物の内でおそらく百梨が一番大事に扱っていたものでもあった。彼女は毎日毎晩、夜寝る前と朝起きてすぐ、一日も欠かさずにそのガラス人形を手にとり、うっとりと眺めていた。セキュリティこそつけてはいなかったが、その人形をしまうケースも、その人形を飾る場所にも、出来うる限りの細心の注意を払い、まるで代々伝わる家宝かと思うほどに、丁重に扱ってきたのだ。
だが、同じ寝室にあった他の物、例えば直視できないほど眩い宝石を散りばめた置時計や、零子の知り合いからプレゼントされたという金と銀で出来たチェス盤などと比べると、ただのどこにでもあるようなガラス細工のそれはだいぶ目劣りがするのも事実だった。どちらの方が高価なのかは一目瞭然で、恐らく金銭的な価値にしても、どれだけ高く見積もっても一万円を超えることはない。鞠子がそれまで盗んできたものと比べても一番安っぽくて、星那が不思議に思ったのも無理はなかった。
「まあ、何かそれなりのいわくでもあったのでしょう。物の価値というのは、必ずしも表面的なものだけでは計れないからね。だからこそあの子も、それを見抜けなかった……最後の最後でドジを踏んでしまったのよ……」興にのってきて、月夜は饒舌に語る。「わたくしはこの展開を予想していたわ……。この家で、あんなに節操なく盗みを続けていれば、いつかはこんなことになるんじゃないかって…。今までのように、『不注意でなくした』じゃあ済まないような、絶対に、どんなことをしてでも見つけ出さなくてはいけないもの。この家の人間にとって、何よりも大切で、失ってはならないような、どれだけかかっても見つかるまでは探し続けなければいけないようなものを、あの子が盗んでしまう日がくるんじゃないかってね…。どんな意味があったのかなんて知らないけれど、あのガラス人形はそういう類の物だった。とうとうあの子は禁忌にふれてしまった。『絶対に盗んではいけないもの』を盗んで、千本木に本気を出させてしまったのよ。この家が本気を出したなら、あの子程度の小悪人の浅はかな悪巧みなんて、ただの児戯も同じ。どうやったって逃げきれない。このままだと、きっとあの子は簡単にこの家の人間に捕まって、これまでの悪さの償いをさせられるわ…。それはきっと、死よりも辛い仕打ちになるでしょうね……」
月夜はその光景を想像して、クックックッと、いつにも増して邪悪に笑う。
「でも……、あの子が捕まって余計なことを話されるのは、わたくしたちにとっては困るわ。そうなったらここまであの子に好き放題にさせてあげてた意味がないもの……。だから、残念だけど……」
月夜は星那の方を見る。星那は小さく頷いてから、ポキポキと指を鳴らす。
「あの子が自分で言ったという言葉通り、あの子には『親戚のいる場所』へ行ってもらうことにしましょう。とっくにこの世に身寄りなんかいないあの子の、親戚がいる場所にね……。もう寂しくないわよ……ふふ」
月夜は、このときをずっと待っていた。
鞠子が盗みに満足し自らこの家を出て行く、つまり、百梨の前から鞠子が消えるとき。鞠子という存在自体がこの世から消えても、百梨に気付かれることがなくなる、このときを。
今ならば、何に遠慮することもなく、何のリスクもなく鞠子を始末することが出来る。痕跡さえ完璧に消してしまえば、百梨の中では『鞠子は今も親戚のいる場所で楽しくやっている』としか認識されない。
月夜は懐から、小さな携帯端末を取り出す。その小型PDAのディスプレイには、この屋敷の敷地内の地図と、その中で少しずつ移動している赤い丸印が写し出されていた。
「まだ、あの子は千本木家の敷地内から出ていない……。恐らく『例の場所』に向かっているのだわ…」
それは、この日のために月夜が用意していたものだった。鞠子の体内には、彼女がこの屋敷に来てすぐに、寝ている間を狙ってこっそりと体内に電子チップを埋め込んである。チップからは微弱な電波が発信されており、それが無線信号となって、月夜が持っているPDAに鞠子の現在地を送信し続けているのだ。
PDAを月夜から受け取った星那は、その場所を確認するなり、まるで忍者のように足音を一切させずに駆け出し、すぐに姿が見えなくなってしまった。少し遅れて、室内に突風のような衝撃波が訪れる。
部屋には、月夜が一人残された。彼女は、星那が起こした風に長いストレートの黒髪をなびかせながら、自分たちの計画の邪魔者がやっと始末出来るということに、この上ない清々しさを感じていた。




