01
今から十七年ほど前。
とある地方都市のはずれの、古びた孤児院の前に、生後間もない双子の女の子が捨てられていた。
二人は親や自分の出生につながる手がかりを何も持たされておらず、その名前すらも分からなかった。そこで二人を発見した孤児院の院長は、その日の雲一つない印象的な夜空にちなんで、彼女たちを月夜と星那と名付け、その孤児院で預かることにした。
辛い境遇にもめげずに、たくましく希望を持って生きている他の孤児たちとは違って、月夜と星那はいつも何をしていても笑顔を見せることはなく、まるで魂の脱け殻のように無気力で、屍のようにぐったりとして何に対しても無関心で、何の希望も持たずただただその日その日の糧を得て生きているだけのゾンビのように毎日を過ごした。当然、そんな二人に友人が出来るはずもなく、孤児院の職員たちも気味悪がって彼女たちを避けるようになり、いつしか二人は、周囲から完全に孤立するようになっていた。
月夜と星那はそんな境遇を悲しむことも、卑屈になることもなく、常に無表情に、不気味なほど静かに、二人だけの世界の中に完全に閉じこもってしまっていたのだった。
幼い彼女たちは、その世界の中でいつも考えていた。
どうして私たちは、ここにいるのだろう。
どうして私たちの親は、私たちのそばにいてくれないのだろう。
私たちは、私たちの親に捨てられたんだ。必要ないって言われたんだ。私たちのことを一番愛してくれるはずの人が、私たちのことをいらないって言ったんだ。
…だから私たちを本当に必要としてくれる人なんて、もうこの世界には誰もいないんだ。
その考えは、まるで病魔のように彼女たちをむしばみ、それによって彼女たちの心根は、完全に枯れ果ててしまっていた。
私たちは親から愛をもらわなかった。だから、当然のように自分たちから誰かに愛をあげることができない。そもそも、愛の何たるかが分からない。
そんな人間が、これからどうがんばったところで、この世界で幸せになることなんてあり得ない。
二人はいつも、そんな風に思っていたのだった。
それから数年が経過したある日のこと。
二人の人生に大きな転機が訪れることになった。
「とてもいい目をしているわね、貴女たち……。そうね、貴女たちにお願いしましょう」
何の変哲もない、どこにでもあるようなその孤児院に、その日、場違いなほど圧倒的な存在感をまとった一人の女性が現れた。目鼻立ちがはっきりとして整った容姿の彼女は、まるでレストランでメニューを注文するような気軽さで、月夜と星那に向かってそう言ったのだった。
「私は零子。千本木零子っていうの。うふふ…、変な名前でしょう?貴女たちのお名前、私に聞かせてもらえるかしら?」
当時、世界経済をたった一人で自由に動かせると噂されるほどに超人的な活躍を見せていた零子。その名前と顔を知らない人間を探す方が難しいと言われるほどの超有名人でありながら、彼女はそのとき、そんなフランクな自己紹介をした。
「あ、あのっ!口を挟むようで、大変失礼かとは思いますが……この子たちでは、き、きっと、零子様のお気に召すような働きは出来ないかと……」
そのときの孤児院の院長の言葉に、二人を貶める目的も、謙遜の気持ちもなかった。ただただ疑いようのない事実として、未だに全く誰にも心を開かず、すべてに無気力な月夜と星那が、世界にその名のとどろく千本木零子の期待に応えることなど到底不可能だと、正当に判断しただけだ。だが、そんな院長の言葉など、零子は全く聞く耳をもたなかった。
「貴女たちは、自分の運命を呪っているわね?自分たちがそんな風にこの世界に落とされたことを、誰よりも屈辱に思っている。やり直したいと、思っている…」
当時六歳だった月夜と星那には、その言葉は神の啓示のようにさえ思えた。今まで誰も理解されることなく、ずっと閉ざしてきた自分たちの心の奥に風穴を開けて、ダイレクトに呼びかけてくるような感覚すら感じた。
「貴女たちに復讐のチャンスをあげる……、って言ったら、信じてくれるかしら?貴女たちがこの世界で…『手に入れる前に失ってしまったもの』を、取り返すことのできるチャンスをあげるって言ったら……?」
それから千本木零子は二人を個室に連れて行き、ある契約を持ちかけたのだった。
「貴女たちにはこれから私の家に住んで、私の娘の世話係と教育係をやってほしいの……」
それは、零子の娘、千本木百梨に仕える専属メイドとしての雇用契約だった。
「期間は私の娘が高校を卒業するまで。娘の年齢は貴女たちと同じだから、この仕事が終わるころには、貴女たちも高校を卒業していることになるわね……」
言い換えればそれは、千本木零子というTVでも顔を見ない日は無いような超有名人が、高校卒業までの間、月夜と星那の面倒を見てくれるということだ。
「いきなり過ぎて驚いてしまったかしら?でも大丈夫。貴女たちは何の心配もしなくてもいいのよ……」
しかも二人の出生や、これまでの生き様などは一切気にしない。仕事に必要な知識や技術については事前に徹底的に教えるし、できる限りのことはサポートする、と零子は言った。
その契約は、二人にとって破格の条件だったと言うことが出来るだろう。
労働の対価として零子が提示した具体的な金額の価値は、幼い二人にはよくわからなかった。だが、『貴女たちが望むあらゆるものを、不自由なく手に入れることが出来る金額』を毎年支払う、という説明をされ、そこに問題は全くないということは伝わった。
仕事を始める前には、事前に世話係としての研修を受ける必要があるのだが、それも、『とても厳しいが、やり遂げれば世界中の誰も貴女たちを馬鹿にするなんて出来なくなるくらいの、品格と能力を身に付けることが出来る』と言われ、物心ついたころから自分たちの境遇に引け目を感じていた二人にとって、それはとても魅力的に聞こえた。
だが、何をするにも無気力で、あらゆるものに関心を失っていた二人がそんな零子の提案を受け入れた本当の理由は、契約の後半部分にあったのだった。
「貴女たちは仕事につく前にまず、世話係としての研修とは別に、教育係としての特別トレーニングを受けてもらうことになるわ。このトレーニングは、世界中からより集めた実力のある研究者、スポーツ選手、あるいは格闘家や軍人なんかに先生になってもらって行われる、超一流のもの。ちょっと厳しくて辛いものになるかもしれないけれど、我慢できるかしら?なるべく、我慢してちょうだいね。それで、貴女たちがその先生たちからトレーニングを受けて、その先生たちと同じだけの超一流の知力と体力を身につけることが出来たなら、今度は貴女たちから私の娘に、今まで学んできたことを教えるの。つまり、トレーニングの先生から貴女たちへ、さらに貴女たちから私の娘へ…、知力と体力をリレーしていくってイメージかしら。まあ私としては、最終的には私の娘が教育係の貴女たちを超えちゃって、超一流のさらに上に行くことを期待しているのだけれどね」
「なんだか無駄に…遠回りに……思えます」
当時から頭の回転が速かった月夜のそんな反論も、零子には想定の範囲内だった。
「あら、そうかしら?私はそうは思わないわ。だって人間の成長というのは、いつだって大きな目的意識があってこそ成り立つのよ?日の光みたいにただ上から与えられるだけの教育よりも、貴女たちが『ライバル』として身近にいてくれた方が、きっと私の娘だって、それを目標に頑張れると思うの。同い年の貴女たちが、私の娘のそばでお手本を見せてくれれば、本当はそれがどんなに難しいことだったとしても、『自分だって同じことが出来るはず』って思えるし、『一生懸命やれば、いつかは貴女たちを超えることだって出来るかも…』って、対抗意識だって生まれるでしょう?そういう気持ちって、人が前に進むにはなくてはならないものなのよ。だから、一見遠回りに見えても、意外とこのやり方が一番の近道になるのよ」
一児の母、そしてなにより世界経済の中心人物とはとても思えないような若々しくて気さくな女性が、そう言って二人に笑いかける。そのたびに、月夜と星那は何故だか今まで味わったことのないような心の落ち着きを感じてしまい、逃げるように零子から目を反らさなければならなかった。
「…といっても、システムを上手に回すには、適切なルールも必要だわ。確かにこれって、すごく遠回りで面倒くさいことには違いないものね。こんな面倒くさいことをお願いしてしまって、もし貴女たちが途中で飽きちゃったりしたら、全てが台無しになってしまうじゃない?だから、貴女たちが頑張って最後までやり遂げられるように、『ご褒美』を追加しようと思うの。もちろんこれも、私が貴女たちと結ぶ正式な契約の一部よ」
なるべく幼い二人にわかりやすいようにと、零子があえて平易な言葉を使ってくれているとはいえ、それでもそのときの二人が、零子の言っている話の全てを理解できたわけではなかった。ただ、目の前の零子が発する言葉には、そういったロジカルな意味や、ただの単語の積み重ねを超えたような、何か心でしか感じ取れないような不思議な説得力があったのだった。
「貴女たちの契約が切れるとき、つまり、私の娘が高校を卒業するときに、あるテストを行おうと思ってるの。具体的には、教育係の貴女たちと私の娘で、知力と体力の勝負をして、その勝敗を決めるの。貴女たちが教えたことを、あの子がちゃんと全部吸収することが出来たか?超一流の貴女たちを超えて、超一流の更に上に行くことが出来たか?っていうことを確かめるわけ。もちろん貴女たちは『ライバル』でもあるんだから、このとき私の娘に対して手加減なんてしなくていいのよ?ちゃんと目いっぱい本気を出して、私の娘のことを叩き潰すつもりでテストをしてくれて構わないわ」
零子はまるで何か思い出し笑いでもするように、うふふと笑う。
「それで『ご褒美』っていうのはね、そのテストでもし、私の娘が『ライバル』の貴女たちのどちらかに負けてしまったなら……、『その時点での千本木家が所有する全ての資産の50%』を、貴女たちに譲渡、つまりあげちゃうってこと。一人あたりが50%だから、私の娘が貴女たち二人ともに負けたなら、50足す50で、100%っていうことになるわねっ」
二人に向けて広げていた両方の手のひらをパチンと合わせて、その足し算を表現する零子。
勘のいい星那は、彼女が話した言葉の意味は直感的になんとなく理解出来ていた。だが、その言葉の意図についてはまるで分からなかった。
「ちょ、ちょっと待って…下さい。んん…?あ、あれ…?でもそれって…?」
「その勝負は、成り立たないです……多分」
月夜も納得がいかず口を挟む。
「だってそれじゃあ…」
「貴女たちって、頭がいいのね」
不審がっている二人をしり目に、零子は嬉しそうにほほ笑む。
「貴女たちが言いたいことはわかるわ。つまり、こういうことでしょう?『教育係』が貴女たちで、『ライバル』も貴女たち。その関係性は、私の娘にとって全然フェアじゃない。だって貴女たちは自分のさじ加減で、私の娘をいかようにもすることが出来てしまうんだから。例えば、『絶対に貴女たちには勝てないように私の娘を教育する』ことだって、教育係の貴女たちなら可能なんだものね」
「た、例えば教育係の自分が、その、貴女の子供に嘘を教え続けたら…?そうして、高校卒業までその嘘を、騙し通すことが出来たなら…?あ、あれ?自分は簡単に、その子供に、勝つことが出来る…?」
「つまり……二人ともが嘘をつけば、契約が切れるときに千本木家の資産は、私たちが……総取り。千本木の人たちは、……その瞬間に全てを失うことになる」
「本当に、頭のいい子たちね…」
零子は満足そうに言った。
「それでかまわないのよ。というか、むしろ貴女たちにはそれを期待しているの」
それから零子が話した思惑は、月夜と星那の想像をはるかに上回るものだった。
千本木家の子供として生まれた以上、百梨にはこれから多くの責任と試練が待っていることになる。たくさんの金と人が彼女の周りに集まってくるだろうし、力を持つ者として、それらを自由自在に操れるようになることが必要不可欠となる。
もちろんそんな風に彼女に集まってくる人たちの中には、彼女に悪意を持って近づいてくる者、彼女を陥れようとする者も少なからずいることだろう。実際に、零子が前線に立って手腕をふるっていた時代にも、多くの人間が彼女を利用し、彼女を貶めようと近づいてきた。だが零子はそんな人間たちによって失脚させられることなく、逆にそんな人間たちを利用して、更なる高みに到達してきたのだった。
「頂点に立つ人間の周りには、必ず裏切りや陰謀が付きまとうものなの。それは、事前にどれだけ気を付けていたとしても完全に排除することは出来ない、一種の自然現象みたいなものなのよね。それに足をすくわれるか、それともそれを逆に利用することが出来るか……。そういうところで、その人間の本当の実力が試されることになるのよ。だから何事も、頂点に立つこと自体は簡単でも、立ち続けることってとても難しいのよね…」
当然、星那や月夜や、それ以外の普通の人間にとっては、頂点に立つこと自体が簡単であるはずがないのだが、零子は事もなげにそんなことを言ってのけた。
「だからこそ私の娘には、そんな風に自分に悪意ある人物、まあ端的に言えば、『裏切り者』ね。そんな『裏切り者』がいるのが、当然の環境で育ってほしいと思ったの。裏切られること、騙されることを特別なことでもなんでもなく、いつでも普通に起こりうる日常的なものとしている状況。常に寝首をかかれる危険と隣り合わせ、信頼したら裏切られるのが当たり前の世界で、誰にも寄りかかったりしないで自分の力だけで頂点に立ち続けられるような人間になってほしいと思ったのよ。だって、そうなってもらわなければ、どのみち千本木の家の子供は務まらないのだからね……」
「じゃ、じゃあ…」
「ええ、だから貴女たちは、私の娘、千本木百梨を陥れようとする、裏切者になってほしいの。親公認の、オフィシャルな裏切者にねっ!」
冗談でも言うように、可笑しそうに笑う零子。
だが彼女はそれから長い時間をかけてじっくりと、付随する雑多な契約についての説明を行い、それらを含めたすべての契約を取り交わすための契約書の作成を始めた。
だから月夜と星那も、そのときにはもう彼女の言っていることをつまらない冗談だと思うのはやめにした。そして、ある程度心を決めてしまっていた。
自分たちはどうせこれから何か希望をもつことなんてないんだ。だったら、自分たちに都合のいいことばかり言うこの零子という不思議な女性の口車に、ダメ元で乗ってやってもいい。そう思いはじめていたのだ。だがダメ押しの一手、最後の決め手として、彼女たちは零子に一つの質問をしてみることにした。
「あの……。貴女は、ご自分の娘のことを……どう思っていますか?貴女のその契約に、知らないうちに組み込まれている……その子のことを…かわいそうだとは…」
「思わないわ」
その質問に、零子はなんの迷いもなくそう言い放った。
そしてその瞬間、二人の意思は完全に決まったのだった。
ああ…。この人は、おんなじだ。
私たちを捨てた母親と、私たちを捨てた世界と、この人はおんなじなんだ…。子供に自分勝手な考えを押し付けて、本当なら愛を与えるはずの存在のくせに、子供を谷に突き落とすようなことをする。そしてそのことに対して、何の迷いも罪悪感も感じていない。
自分でこの世に産み落としておいて、自分の思い通りにならないのなら簡単に見捨ててしまうんだ。見捨てられた子供の気持ちなんか、ちっとも考えないで…。
わかったよ…。そこまで言うんだったら、私たちがその望みをかなえてあげる。
谷に突き落とされた子供には、私たちの手でとどめをさしてあげる。私たちは期待通りに完璧に裏切り者になって、貴女の娘を谷底のさらに底の、闇の奥にまで蹴落としてあげる。
親に見捨てられた私たちが、貴女の子供にそれと同じことをやるはずがないとでも、思っているの?それとも、底辺の私たちごときじゃあ、全てを持っている自分たちに勝てるはずがないなんて、余裕ぶっている?
せいぜい、全部を失って空っぽになってから、こんなふざけた契約を持ち出したことを目一杯後悔すればいい。子供も、金も、何もかも全部を失ってから…。
私たちにだって罪悪感なんかない。全力で、このチャンスに貴女たちの寝首をかいてあげるだけ。
これは、『残酷で退屈な世界』から私たちが奪われたものを、私たちの手で取り返すだけなんだ。取られていたものを取り返して、全てをはじめから与えられてのうのうと生きているやつらに、『持たざる者』の気持ちを味あわせてやる、それだけなんだ。
そう、まさに……この世界への復讐なんだ。
そして二人は、零子への激しい憎しみの気持ちと、先ほど何故か彼女に対して心の安らぎを感じてしまっていた自分たちを恥じる気持ちを押し殺して、契約書にサインをしたのだった。
それから十分後、二人は零子と一緒に車に乗って、千本木の屋敷へ向かっていた。
契約書にサインした瞬間に、完全に心を胸の内に隠して、自分たちの計画を遂行するためのマシーンとして生まれ変わったつもりの月夜と星那。だが、千本木零子は向かいの席からそんな二人のことを眺めながら、嬉しそうに呟いた。
「やっぱり貴女たち、良い目をしているわ…」
「え…」
「この世界を強く呪っているような、油断すると吸い込まれてしまうような、黒くて深い目。その強い気持ちがあれば、きっと躊躇なく私の娘を『裏切って』くれる…。私たちを貶めることを、迷ったりなんかしないのでしょうね…。貴女たちにお願いして、正解だったわ……」
そう言われて、最初なんと返していいか分からなかった月夜と星那だったが、しばらくしてから声をそろえて、ただ一言「ありがとうございます……」と言った。
そして押し殺していた気持ちがわずかにこぼれ出し、二人は静かに邪悪な顔で微笑んだのだった。




