07
時間は流れて午後五時。
日はやや傾きかけてはいるが、それでもいまだにビーチは明るく、気温も全く下がる様子がない。午後五時と言われればそう思えるが、午前十時と言われたら、それもまた信じてしまいそうだ。
昼間、目いっぱいビーチで遊びつくした澪湖たちだったが、休むのにはまだ早い。ビーチの景色は昼間とは一変し、夏の夜の楽しみに向けて着々と準備を進めていたのだから。
「あ、それも食べたいっ!それもっ!あとこっちのもっ!あ、ちょっとかなたぁ、何で戻しちゃうのぉっ!?それはとっておいてって言ったでしょぉ!」
「あー、へいへい……」
左手で器用に三つの皿を持ちながら、目の前のテーブルに並んだ大量の料理に右手のフォークを突き刺していく澪湖。しかも両隣には音遠とかなたをはべらせ、彼女たちの両手にも別の皿を持たせている。
これからこのビーチでは、リゾートホテルのオープニングパーティーが行われるところだ。周囲ではタキシードを着たホテルスタッフたちが準備をするために目まぐるしく動き回っており、ビーチに用意された特設キッチンでも、名だたる有名料理人たちが、招待客に振る舞うための料理を大忙しで作っていた。
ビーチにはずらりとテーブルが並べられ、一足早く会場にやって来た千本木零子の招待客のセレブリティたちは、その席で飲み物を片手に優雅に談笑している。だが澪湖や、それに準ずる意地汚い一般庶民の高校生たちにはそんな上品さはなく、もっぱら己の欲望が命じるがままに行動するのみだ。料理人が完成した料理を一時的に並べているテーブルの前に陣取り、立食パーティーさながらに、その料理を片っ端からつついていたのだった。
「お、澪湖。こっちのサラダも美味しそうだぞ。取ってやるからな?」
「草はいらないっ!それよか肉っ!肉と甘いやつだけ取って!すぐ取って!一刻も早く!」
「へーいへい……草って何だよ、草って…」
焦らなくとも食材は十分にあるのだが、まるで数日ぶりの食料にがっつく野生動物のように、夢中になって食ベ物を口に詰め込む澪湖。確かに千本木家が用意した最高の食材と最高の調理人は、それまで澪湖たちが見たこともないような珍しい料理や、もちろん最高に美味しい料理を提供してくれていたのだが、それを考慮しても、今の彼女の態度はあんまりにも酷いものだった。
音遠は別にして、いつもはそんな澪湖を注意する役割のかなたまでが言いなりになって食べ物を取り分けているのは、昼間、海に溺れてみんなに迷惑をかけてしまったことを彼女がいまだに申し訳なく思っているからだった。
ビーチの海岸線近くに建設された屋外ステージの中のDJブースでは、ホッケーマスクをつけたツナギ姿の女性DJが、メロウなアンビエント音楽を流している。会場では背筋の伸びた目鼻立ちのはっきりした女性が、スタッフにテキパキと指示を出しつつも、次々とやってくる招待客に優雅な仕草で挨拶をして回っている。
ざわざわとした雑音は波の満ち引きのようで、やかましかったかと思えば突然無音になったりする。それはまるで、パーティーの開始の合図を聞き逃さないように、会場にいる人々がしめしあわせて口をつぐんだようだ。やがていまだその時間が来ていないとわかると、周囲はまたどっとざわめき出す。
何かが始まる前独特の、期待に満ちた緊張感が辺りに充満していた。
「よぉしっ!これで肉料理全コンプしたぁ!二周目いくよぉーっ!」
「澪湖ちんやるっすねー!実は自分も、これから二周目なんすよー!」
「ねーねーねー、あれってー、リボンたんのガッコーの人だよねー?さっきからスッゴい食べてるなぁー…。よぉーしっ!私も負けてらんねいぞぉー!」
「バカかお前…。もうすぐうちら本番始まんだからな?食い過ぎて声だせねーとか言い出したら、マジでぶっ殺すよ?」
「ひーん!リボンたんがいじめるよぉー!」
……いや、いつまでたっても緊張感とは無縁の人間たちも、いるにはいるようだった。
「ヨツハ、ちょっといいかしら…」
相変わらず、空気の代わりに肉で呼吸するかのように料理を食べまくっている澪湖と、今はいつもの穴あきメイド服に着替えて、彼女に対抗して大食い勝負を繰り広げているヨツハ。
そのヨツハの隣に、同じくメイド服姿のイクが近づいてきた。
「そろそろ、来賓の皆様にお嬢様からご挨拶をさせて欲しいと、奥様がおっしゃっているのだけれど」
「あ、もー…んぐっ…そんな時間っすかー?…もぐもぐ…」
料理で口をふくらませながら、ヨツハはおざなりにこたえる。
「お嬢様のこと、呼んできてもらえるかしら?多分ご自分のお部屋にいらっしゃると思うから…」
「えー?何すかそれー?…もぐぅ…おじょー様呼びに行く係は、今日はイクちんの担当じゃなかったんすかー…もぐもぐ…」
「うふっ…」
イクは左手を自分の頬に添えて、何かを思い出したように上品に笑う。
「実はわたくし、お嬢様をバカにして楽しむ遊びを、今日はちょっとやりすぎてしまったみたいで……。先ほどお嬢様に、『見損なった』、『もう顔も見たくない』とまで言われてしまったのよ。だからほとぼりがさめるまでは、お嬢様はわたくしに会ってくださらないと思うの……」
「えー……」
ヨツハは呆れた声を上げる。もちろんその呆れは、自分の雇い主に軽蔑されてしまったイクに対してではなく、日頃さんざんイジられているのに、今更そんなことを言いだした百梨に対してだ。
「わーかったっすよー……。しょーがないっすねー……」
そう言ってヨツハは澪湖に大食い勝負の棄権を宣言してから、ホテルの方に向かって歩いていった。それからはイクがヨツハの代わりとなり、かなたや澪湖や、それ以外の来賓の相手をそつなくこなしていた。
それは、いつもと何も変わらないような、彼女たちの日常の風景に見えた。
だが事態は、それからかなたたちが思ってもいなかった方向へと、転がり始めるのだった。
最初の始まりは、それから十分後。
イクは完璧なテーブルマナーながらヨツハと同程度の料理を平らげ、澪湖を中心として繰り広げられていた自発的な大食い大会で、途中参加の割りにはなかなかの好成績をあげていた。
そんな彼女の元に、一人のスタッフが大急ぎで駆けてきて、耳打ちをして何かを伝える。
「なんですかあなたは?お客様の前で、そんなはしたないことを……え?」
その無礼な行動に眉をひそめ、スタッフを注意しようとしたイク。だが、話を聞いているうちにその表情は深刻なものへと変わっていき、最後には、いつも落ち着いている彼女には珍しく、目が泳ぐほど焦ってしまった。
「あ、あの……も、申し訳ありませんが、わたくしは少しの間失礼させて…いただきます…」
そう言うと、イクはそのスタッフとともにホテルの方に向かってそそくさと走って行く。相変わらず料理に夢中な澪湖と、それを手伝っていた音遠は気付かなかったが、かなたの目にはその様子がとても不自然に映った。
さらに十分後。
とうとう澪湖も食べるのをやめて、今はパンパンに膨れたお腹を音遠にさすってもらっている。
そんな澪湖に呆れながらも、ふと周囲を見回したかなた。彼女は、それまでパーティー会場に十分過ぎるほど配置されていたスタッフたちが、いつの間にか三分の一程度にまで減ってしまっていることに気付いた。
消えたスタッフの数はおそらく二十人は下らない。他の従業員たちは特にそれを気にしている様子は無いので、消えた彼らは、きっと何か突発的に優先度の高い別の仕事が発生して、それに割り当てられたのだろう。
しかし、もうすぐパーティが始まる会場からそれだけの人間をかり出してまでして、やらなければいけない仕事とは、いったい何だろう……。かなたの頭の中にはそんな疑問が浮かんでいた。そこへちょうど、スタッフに呼ばれて消えてしまったイクが、神妙な面持ちをしながらホテルから戻ってきた。
「し、七五三木先輩?あ、あの…もしかして何か、問題でも…?」
イクは心配そうに聞くかなたに小さく首を振り、「ここではちょっと……」と言って、かなた、澪湖、音遠の三人を、パーティー会場から離れた人気のないホテルの裏側にまで連れていった。
「……お手数おかけして申し訳ありません…しかし、なにぶん他のお客様にお聞かせするのがはばかられるような、緊急事態が発生しておりまして……」
いつも通りに慇懃に頭を下げるイク。だが、彼女の声は心なしか震えているようでもあった。
「緊急…事態い…?」
「先輩、それって一体…」
「ちょっとぉー?これから私デザートに取り掛かるところだったのにぃー…」
空気の読めない澪湖を無視して、顔を上げたイクは言った。
「実は…、お嬢様がいなくなってしまったのです」
「え……?」
それを聞いた瞬間、さすがに澪湖も驚いたようで、言葉をなくしてしまった。かなたと音遠も、あまりにも予想外だったために、何と返してよいのか分からない。
「……パーティーが始まるまでの間は、ご自分のお部屋でお休みいただいていたはずなのですが……先ほどわたくしがホテルのスタッフから聞いて向かったときには、お嬢様のお部屋には誰もいなくなっていました。それから、手の空けられる者を総動員して、この近辺を徹底的に探したのですが……依然、行方は分からないままで……」
「え、えっと………お、お嬢様って……千本木先輩…が?……ゆ、行方不明……?」
「と、トイレとかあ…?」
イクは首を振る。
「思い当たる場所は全て探しました…。本当に、『全て』です…」
その単語を強調して言うイク。
非常に頭の回転が早く、抜け目ない彼女がそこまではっきり『全て』と言ったとき、そこにはどんな小さな見落としもあるはずがない。そのことは、かなたや音遠ならば疑う余地のないくらいに確信をもって分かっていた。
そしてその確信がある以上、勘違いやたまたま百梨がどこかに出掛けているといったことではなく、千本木百梨の消失という事態が今確かに発生しているということを、かなたたちは認めないわけにはいかなかった。
「あ、ああー!」
音遠が何かひらめいたかのように言う。
「だったらヨツハちゃんに探してもらおおよお!?ヨツハちゃんならあ、昼間かなたちゃんをみつけたみたいにい、どんなに遠くにいても簡単に百梨ちゃんのことみつけられるよおー!」
確かにヨツハが昼間披露した能力を使えば、人探しは随分と容易になる。音遠のその提案は、事態を解決する一番の近道に思えた。しかしイクはまた、力なく首を振った。
「それは不可能なのです……なぜならば……」
「くっ」と唇の端を噛むような渋い顔をするイク。それは苛立ちのようでもあり、悲しんでいるようでもあった。
「お嬢様がいなくなってしまったのは、そのヨツハが原因だからです。……いえ、もっと端的に申しあげましょう。ヨツハはわたくしたちを裏切ったのです。お嬢様は、ヨツハによって誘拐されたのです」
しっかりと目を見開いて、宣言するイク。
その言葉のあまりの衝撃に、一同は愕然としてしまった。誰もその言葉を信じることなど出来ず、これはいつものようなイクの悪ふざけだと思った。そう、思いたかった。
「な、何言ってるんだよ……」
かなたが、少し笑いをこぼしながら言う。
「と、二十六木先輩が、そんなことするわけないだろ!?だ、だって今日だってずっと、先輩はお嬢様と仲が良さそうだったじゃないかっ!?あたしたちとも、普通に接してくれたし……な、なあ……!?」
呼びかけられて、音遠も慌てて頷く。
「そ、そおだよお!ヨツハちゃんが誘拐なんてえ、そんなことするわけないよお!イクちゃんどうしてそんな嘘をお……」
しかしイクの目には、少しもふざけた様子はなかった。
「その証拠は、これです」
それまで見せたことのないような深刻な表情で、イクは懐から、一つのペンダントを取り出した。それからメイド服の襟元を緩め、自分の首にかけられていたよく似た別のペンダントをかなたたちに見せた。それらのペンダントには、一つは星の形、もう一つは三日月の形をした、青いガラス細工がついていた。
「きれいぃ……」
「そ、それってえ…」
傾き始めた日の光がガラスに反射して、美しくきらめく。一同はその輝きに思わず見とれてしまった。
イクはため息のように大きく息を吐いてから、言葉を続けた。
「わたくしがお嬢様のお部屋に行ったとき、そこにはお嬢様もヨツハの姿もなく……ただ、テーブルの上にこの星のペンダントだけが置いてありました。これは、ヨツハの物です。わたくしたち双子とお嬢様は、これと同じものを一つずつ持っていたのです……」
「だ、だから何だっていうのさ…?」
イクが何を言いたいのかが分からないかなたは、さっきからずっと苦笑いを浮かべたままだ。それをやめてしまったら、イクが言っていることが真実だと受け入れてしまうことになる気がして、そのひきつった笑顔をやめることが出来なかったのだ。
「お、お嬢様と一緒に、二十六木先輩もいなくなったってことなんだろ…?だ、だったら、先輩もお嬢様と一緒に誘拐されちゃったんじゃないのか…はは。い、いや、それともお嬢様がいなくなったのに気付いた先輩が、一人でどこかに探しに行っちゃったとか……」
イクはそれにも静かに首を振った。
言ったかなたでも、本当にそんなことを信じていたわけではなかった。
超人的なその能力が、以前から学校の内外で噂になっていたヨツハ。既に人類の限界を軽く超えているとまで言われる彼女を、百梨と一緒に誘拐できるような人間がこの世にいるとは思えない。それに、もしいなくなってしまったのが百梨だけで、ヨツハがそれを探しにいっているのだとしたら、イクにそれを伝えない理由がない。
それでもヨツハが百梨を誘拐したという突拍子もない考えに比べたら、かなたにとってはそんな自分の考えの方が遥かに信憑性に足りる気がしていたのだった。
「以前、わたくしの口から皆様に、お嬢様とわたくしたちの過去をお話ししたことを覚えていらっしゃいますでしょうか?」
イクは二つのペンダントを両手で抱え、物思いにふけるように目をつむる。
「申し訳ありませんが、あれは真実ではございません……。皆様には、この機会に全てをお話ししましょう。これからお話しすることこそが、お嬢様とわたくしたちの真実です。そしてそれを知っていただければ、このペンダントをヨツハが『部屋に置いていった』ということの意味……。すなわち、わたくしたちにとってお嬢様がどのような存在であるかが、わかっていただけるかと思います……」
そうして、イクはかなたたちに話し始めた。




