レン高原
クロードとカレン、そしてケイの日常は何も変わらない。
少し違うのは、クロードが眼帯を取る事を許可されたくらいだった。それ以外には何もない。
そして、クロードが眼帯をつけさせられていた理由も、カレンとケイから聞く事が出来て居た。
「お前が眼帯をつけていた理由はな、お前が悪魔の子だからだ」
「ケイさん!」
「いつかは知る事なんだからいいだろ。クロードはそのくらいでへこたれる奴じゃねえ」
クロードへの信頼を滲ませる声音でケイが言う。
そして、クロードは僅かながら動揺するが、ケイに続きを促す。
「悪魔の子とは言うが、実際に悪魔の子ってわけじゃねえんだ。悪魔の子って言うのは、強力過ぎる魔力を持って生まれちまった赤ん坊の事さ」
クロードは強大な魔力を持っている。それは既にケイから聞かされていた事だった。
「悪魔の子はその強大過ぎる魔力を制御出来ない。赤ん坊だからしょうがねえよ。そして、その赤ん坊は、生後半年くらいで普通は死んじまうもんさ」
「そう、なんですか?」
「ああ。強大過ぎる魔力を全部解放しちまって、また癇癪起こして魔力を全部解放する。それを何度も繰り返しちまうと、いずれ衰弱していく。そうして悪魔の子は死んじまうんだ」
「でも、僕は違ったんですね」
「そうだ。ちっとも癇癪を起さない赤ん坊だったからな、お前は」
中身は赤ん坊ではないのだから当然と言えば当然ではあるのだが、それを知る者は居ない。
クロードはとりあえず曖昧に笑ってごまかした。
「お前が眼帯をつけていた理由は、その強大過ぎる魔力を少しでも制御するためだ。癇癪を起こさなくても、溢れる魔力は周囲に影響を与えるからな」
「なるほど……」
物心がついて、魔力を制御できる年齢になっただろうと言う事で眼帯は外されたのだ。
そして、結果としてクロードは周囲に何かを起こす事はなかったが、その視力が失われていた事が分かった。
「で、眼帯の理由はここまで。あとはカレンの言いたい事を言いな」
「はい、ケイさん……」
どことなく沈んだ声でカレンが応じる。
「あのね、クロードが3歳まで無事に育って、それで何ともなかったら、ぜんぶ元通りになるはずだったの」
それが何か? とはクロードは尋ねなかった。
知る事で出来るしがらみもある。それを知らなければ、今のままで居られるのだから。
それを弱さと考えるかは人それぞれだが、わざわざ不幸になりに行く意味はなかった。
「でもね、クロードは私の大事な子供。離れるのは嫌……だから、クロードの眼が見えなくなったのは、本当にごめんねって思うけど……けど、それでよかったって、私は思っちゃうの……」
「僕も、そう思います」
「本当なら、私はクロードと一緒に暮らすことなんかできなかったはずなの。けど、クロードが悪魔の子として生まれたから、クロードの眼が見えなくなってしまったから……私は、ずっとクロードのお母さんなの」
クロードの身に降りかかった不幸があるからこそ、カレンとクロードは親子で居られる。
そうでなければ、親子で居る事すらも出来なかった。
それは奇跡と言う使い古された表現で言われるような出来事なのかもしれない。
そして、奇跡と言うのは代価が無ければ起きる事も無い。親子として在り続けるために、何かを失わなければならない。
クロードは自らの視力を差し出す事で、親子として在り続ける事を選んだ……そう考えた。
「母さんと一緒に暮らしていけるなら、僕はこの目が見えないことも、全然惜しくありません。それに、眼が見えないことにも慣れましたから」
嘘ではなく本音だ。眼が見えなくなったのは確かに残念な事ではあった。
だが、眼が見えない生活に慣れ親しんだ今となってはさほど苦でもない。
これで突如として視力を奪われて生活して行けと言われれば激しく困っただろうが、前提条件が違うのだから。
「だから、前にも言ったけれど、ずっと僕の母さんでいてください」
「うん……! ずっと、私はクロードのお母さんだから!」
「はい!」
親子の絆を再確認して、ケイはいい話だなー、と感涙を流しかけて必死で堪える。
涙を見られるのは恥ずかしいらしい。たぶん、眼から鼻水が出たとか言いだすに違いなかった。
「さあ、湿っぽいお話はここまでにしましょう。ケイさん、何か明るい話は無いんですか?」
抱擁を解いて、今までの流れを棄却するようにクロードが言う。
「ん? おお、そうだな。カレン、アレあるか? こないだ部屋の明かり切れたろ?」
「ああ、ありますよー」
カレンが立ち上がって、部屋の隅にある小物入れを漁る。
そして、何かを取り出してくると、それをテーブルの上に置いた。
「はい、使いきった魔結晶です」
魔結晶、と言うそれに、クロードが手を伸ばす。
先ほどテーブルの上に置かれた音で位置は把握していた。
手に取ってみると、それはどうやら石のような何かだった。
触ると冷たく、すぐさま暖かくなる事から水晶のようなものなのだろうとクロードは推察した。
「それは蓄魔結晶と言ってな。魔力を内部に蓄える事の出来る鉱石だ」
「へぇー。何に使うんですか?」
「色々だ。明かりにも使えるし、料理用に火を熾す事も出来る。昔は精霊を使ったものが主流だったんだが、今じゃそっちが主流だな」
要は電池のようなものであるらしい。
そして、使いきったと言う事は、中身の魔力はもうないのだろう。
「で、そいつは一度使い切っても新たに魔力を込める事が出来る。食い詰め魔法使いがよくやってる」
「えっと、これに魔力を込めろっていう事ですか?」
「ああ。金になるしな。しかも魔力を鍛える事が出来る」
なるほど、それは確かに合理的かつ明るい話だとクロードが頷く。
以前にケイが言っていた金を稼ぐ手段とはこのことなのだろう。
しかし、魔力を込めろと言ってもどうやってやればいいのか。
「魔力の込め方はそう難しい事じゃない。気合を込めろ」
ケイの指示だが、すごく曖昧だった。
とりあえず、その魔結晶とやらを握ったままクロードが気合を込める。
と言っても、魔結晶を力いっぱい握りしめて、何かを振り絞るようなイメージを出しただけだが。
「…………全然ダメだな?」
どうやらダメらしい。
「うー……ケイさんはどうやって魔力を使えるようになったんですか?」
「気付いたら使えるようになってた」
全くアテにならない話だった。
「しょうがないな。クロード、これを持ってみろ」
ケイが何かを差し出す。それにクロードが手を差し伸べると、ケイが手渡す。
どうやらそれは、水晶玉のようなものらしかった。
「なんですかこれ」
「悪魔を封印した水晶玉だ。未熟者が握ると悪魔が魔力を奪い取っていく」
その言葉通り、クロードは自分から何かが水晶玉へと流れ込んでゆくのを感じた。
そして、その流れ込んでゆく先には、何か邪悪な存在が居る事も。
「ちょっ、こんなもん握らせないでくださいよ!」
「大丈夫だ。中にいる悪魔は小悪魔程度のもんだからな。ほれ、よこしな」
言われた通り、クロードが手早くケイに水晶玉を返す。
直後、ぐしゃっ、と何か硬い物を握りつぶした音が響き、それとほぼ同時にカエルを踏み潰したような悲鳴がした。
「さて、魔力の感覚は分かったろ? 後はゆっくり覚えて行けばいい」
「はい」
クロードは自身の体内に流れる力を何とか自覚していた。
それと同時に、自分の力の危うさをも自覚していた。
血流に同期するように脈動するその力は、クロードの小さな体に収まり切るかどうかの瀬戸際だ。
決壊寸前の堤防を見ている気分を味わっているようなものだ。
「あの、ケイさん。僕の魔力、なんだか溢れる寸前みたいな感じなんですけど」
「実際その通りだろ? だから制御力を鍛えるんだよ。お前の魔力と制御力、どっちが上回るかは半分くらい賭けだけどな」
もしも制御力が魔力を上回れば問題ないが、逆だったならば周囲に何かしらの影響を及ぼすのだろう。
そうなったとき、ケイはまだしもカレンがどうなるか分かったものではない。
それだけに終わらず、周囲に悪影響を及ぼすクロードはこの町では生きていけなくなるだろう。
要するに、クロードの努力次第である。
「が、頑張らないと……」
「おう、頑張れよー」
クロードが魔結晶を握り、そこに魔力を注ぎ込む。
その魔力の動きは拙いが、魔結晶には魔力を吸着する作用があるので流し込みさえすれば問題は無かった。
注がれてゆく魔力を貪欲に吸い込み続け、やがてクロードの魔力が空っぽになったところでケイがそれを取り上げる。
「ふむ。まぁ、4級か、3級ってところかな……」
「それって、すごいんですか?」
「コンロに使うのが7級、明かりに使うのが8級だ。4級となると、魔導車を動かせる」
魔導車って何だろうか、とクロードが首を傾げたところでケイが魔導車について補足する。
要するに電気自動車の魔力バージョンらしい。まぁ、この世界には電気自動車どころかガソリン自動車も無いようだが。
馬車から魔力自動車にジョグレス進化したらしい。
「まぁ、さすがに1個じゃ動かせないから、4級なら2個か4個使う。4個使うタイプは駆動力が高くて不整地を走る事の多いやつに人気だ」
4輪駆動はアウトドア派に人気みたいなものかな、とクロードが頷く。
そして、この世界割と文明発達してるんだなと少し驚く。
なにしろ、自動車まがいまでもがあるのだ。
「これは4級か3級の境目くらいってところだから、溶鉱炉の方にも需要があるだろうな。値段をつけるなら、金貨200くらいはいけるんじゃないか? 1発でこれとなると生活には困らんな」
「そうなんですか?」
金貨200の価値がクロードには分からない。確かに高価なのだろうことはわかるのだが。
その高価さが、日本円で言うと10万円なのか、100万円なのか、1000万円なのか分からないと言う事だ。
「ああ。魔力はたっぷり寝れば全回復する。毎日これが造れるって事だ。日給200万だ。ギャングが毎日遊びに来るぜ」
「……パードゥン?」
しかし、言われてみれば当然の話だ。
クロードは金の卵を産むガチョウなのだ。それを確保したいと考えるのは当然と言えば当然だ。
あちこちの犯罪組織がクロードを何とかして手に入れようとするだろう。
「ここらのギャングにゃオレが睨みを利かせてるからいいが、他所から来た流れ者がやらかすって事も無いわけじゃない。自衛手段を身に着け無いとな」
「なんか、苦労多いですね……」
「生まれが生まれだから仕方ねえよ。生まれは決められねえんだ」
「でも、生き方は選ぶことが出来るはずですよね」
「おう、その通りだ。だからこそ力をつけろ」
生き方を選ぶことが出来る。そして、その生き方を貫くためには力が必要なのだ。
だから、クロードが自衛手段を身に着けるのは当然の事であって、嘆く事など断じて許されない事だ。
生まれの不幸を呪って何もしないくらいならば、いっそ自殺すればいいのだ。
「とりあえず、魔法だ。魔力は腐るほどあるんだから魔法練習しろ、魔法」
「はい! それで、魔法はどうやって練習したらいいんでしょう?」
「…………オレに聞くな!」
どうやらケイは知らないらしい。
「ケイさんって魔法教えられないんですか? ほら、火の魔法とか使ってるみたいですし」
カレンの言葉にケイが唸る。確かに、ケイは度々火の魔法を使っている。
「使えるけど、人に教えるのは苦手なんだよ。お前、火はこう、ぐっとやってグワーッとやるって言われて分かるか?」
「なるほどわからない」
魔法と言うのは感覚的なものなのか、あるいはケイが特殊なのか。
いずれにしろ、ケイでは教師役に不適格だと言うのは確かなようだった。
「ケイさんの昔のお知り合いに魔法が使える方とかはいらっしゃらないんでしょうか? あの、あまりお金は出せませんけど、何とか謝礼はしますから……」
「居るけど、呼ぶのは無理だな。どいつもこいつも忙しいんだ。それに限らず昔の知り合いはみんな呼ぶのは無理だな。色々と責任ある立場だから」
じゃあ、なんでケイさんはここにいるの? とは聞けなかった。
ケイの仲間が責任ある立場なのに、なぜケイだけここでお気楽な隠居生活をしてるのか。
そこらへんを聞くと、悲しいと言うか虚しい事情がありそうで。
「えっと……魔法を教えてくれる学校とかないんでしょうか?」
「無いな。魔法学院の類はあるが、あれは研究機関の性質の方が強い。教えてくれないわけじゃないが、高等魔法が大半だし、理論の類を教えてくれるだけだから実践できる実力を持ってること前提だし」
大学、もしくは大学院に近い感じかな、とクロードが自身の知識に照らし合わせて考える。
「普通の魔法使いはどうやって魔法を習得するんですか?」
「師匠を持つか、本で憶えるか、だな」
どっちも無理である。魔法使いとの伝手なんてないし、唯一の頼みの綱であるケイには既に否定されている。
本ならばケイの伝手で手に入るかもしれないが、クロードは文字を読めない。
この世界の文字がどうなっているかクロードは知らないが、いずれにしても視力が無いのだ。
「八方塞がりですか……」
「この町に住んでる魔法使いとはほとんど縁がないしな。一応、伝手を手繰ってみてもいいが」
「いえ、そこまでお世話になれませんから……」
あまりケイに世話になるのも悪い。
結局のところ、ケイは隣の家に住んでいる他人なのだ。
近所づきあいで出来たつながりは強く、特にケイは子供好きな性格もあって何くれとなくクロードとカレンの世話を焼いていた。
しかし、その好意に甘えてばかりいるのもよくはない。
「そうか。とりあえず、火の魔法はオレが教えてやるよ。教えるのは苦手だけど、何とかなるさ」
「はぁ……」
先ほどの説明を聞いた後では不安にしかならないのだが、ケイの方もやる気満々だ。
断ったところで教えてくるような気がするので、クロードはそのまま頷いた。